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13 繁華街

 小野が次に辿り着いたのは、雑居ビルの廊下だった。


 西暦1990年10月25日木曜日18時ちょうど。場所は、関東近郊の駅前繁華街だ。


 小野はリュックを開けて資料を見た。


 20歳になった貝原は、関東近郊の印刷工場で働いており、今日は職場の同僚と3人で居酒屋に飲みに来ることになっている。


 小野は、資料にある貝原の20歳の写真を確認すると、資料をリュックに片付けて、雑居ビルの外へ出た。


 小雨が降っている。傘を持っていなかったのでどうしようかと思ったが、幸い、この雑居ビルの向かいに目的の居酒屋があった。


 しばらく雑居ビルの入口で立っていると、通りがかった二人組の警察官に声を掛けられた。


「君、こんな時間にこんな所で何してるの?」


 繁華街で一人学生服姿でいるのが目立ったようだ。小野は慌てて言い繕う。


「あ、すみません。今日は塾で……」


「ふーん、学生証見せて」


 マズい。学生証なんて持っていない。慌てた小野は、ポケットから消えるくんを取り出し、ボタンを押した。


「え、消えた?」


 警察官が驚く。小野は、そうっと今いた場所から移動する。


「お、俺、疲れてるのかなあ……」


「そういえば、このビル『出る』らしいぞ」


 二人組の警察官は、青い顔をして去って行った。


 ホッとした小野は、消えるくんを解除しようと思ったが、また職務質問されたり、居酒屋への入店を拒否されたりすると困るので、このまま待つことにした。


 しばらく待っていると、20歳の貝原が歩いてきた。一緒の同僚は1人だった。子ども時代の介入の影響か、最初の人生からズレが出ているようだ。


 貝原と同僚が居酒屋の入口の引戸を開けて店の中に入った。そのタイミングで一緒に入ろうと思ったが、入る隙がなかった。


 次に居酒屋に入る客を待とうとしたが、来る気配がなかった。


 この間にも喧嘩してしまうとヤバい。小野は、意を決して、消えた姿のまま引戸を少し開けて急いで中に入り、すぐに閉めた。


 幸い、誰も引戸を見ていなかったようだ。ホッとした小野は、貝原と同僚がいるテーブルを見つけ、そちらへ向かった。



† † †



「なあ、この前の話、考えてくれたか?」


「ああ、あれな。でも、絵がそんなに値上がりするのか?」


「するって。絶対値上がりする。だから契約してくれよ。結婚資金として100万円貯めたんだろ。それでこの絵を買えば、半年後には2倍で売れるんだから。彼女も喜ぶって」


「うーん……」


 貝原は、同僚から何やら怪しげな話を持ちかけられているようだ。


 姿を消したまま貝原のすぐ横に立って話を聞く小野は、ハラハラしっぱなしだ。もし守護霊がいるとすれば、こんな気分なのだろうか。


 小野は心の中で、頑張れ貝原、騙されるな、それ絶対怪しいやつだから、とエールを送った。


 しばらく考え込んでいた貝原が、ジョッキのビールを一気に飲むと、同僚に言った。


「よし、買おう!」


「何で?!」


 小野は思わず声を出してしまった。貝原が驚いて周りを見回しながら言った。


「え? 何か言った?」


「別のテーブルの酔っぱらいの声だろ。よし、じゃあ契約書に署名押印してくれ」


 同僚が慌てた様子で鞄から契約書とペン、朱肉を出してきた。これはヤバい。直感的に、この詐欺が原因で貝原の人生が悪化するような気がする。何とか阻止しなくては。


 貝原が同僚からペンを受け取った。契約書に名前を書き始める。ど、どうしよう。


 小野は、一瞬迷ったものの、実力行使に出ることにした。姿を消した状態で、貝原のペン先を指ではじいた。


「あれ?」


「ったく、何してるんだよ」


「いや、ペンが勝手に」


「んな訳ないだろ。ほら、その下に書き直して。後で訂正印を押せばいいから」


 貝原は同僚に言われて、また名前を書き始めた。これではいずれ契約してしまう。どうしよう……


 小野は、先ほどの警察官とのやり取りを思い出した。そうだ、怪現象で脅かそう!


 小野は、姿を消したまま貝原からペンを取り上げると、契約書を持って向かいの同僚の方へ回った。貝原と同僚が空中浮遊するペンと契約書をポカンと見つめる。


 小野は、同僚の前に契約書を置くと、署名欄にペンで大きく書き込んだ。


『地獄に落ちるぞ!』


 小野は書き終わると、契約書の上にペンを転がし、同僚の耳元で低い声で(ささや)いた。


「2度と貝原に近づくな」


「わ、わああああ!」


 同僚は、一目散に居酒屋を出ていった。

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