#3 ステップ
ゴブリンは私を見ると、不気味に笑った。
そして、木材の山からなにかを取り出そうとする。
私は腕を構えたけれど、詠唱を始められなかった。
相手がなにをする気か分からずに、少しずつ距離を取る。
「キシェ、キシェェ……キャアァァ?」
やがて、ゴブリンがその手に掲げたのは――ユウちゃん。
彼女は額から血を流しながら、首を絞められていた。
「うあっ……パ、トナぁ……」
「ユウちゃんっ!!」
苦しそうなユウちゃんの声。
その瞬間、ゴブリンの意図が分かった。
友達の苦しむ姿を、私に見せつけようと……!
「ユウちゃんを放せ、ゴブリンッ!」
許せない……
絶対に退治してやる!
「“唄え、短き命! 勇気の欠片、誓いを守れ”――脈打つ情熱!」
火球は私の手から生まれ、そして放たれる。
ゴブリンを目指して一直線に……行ってはくれない。
その代わり、ゴブリンの立つ木材の山を燃やした。
「キシェ!?」
「……っもう!!」
私って、どうしてコントロールが下手なの!?
絶対に当てなきゃいけないのに……!!
も、もう一度!
「“唄え、短き命! 勇気の欠片、誓いを……”」
「キシェアアッ!」
「きゃあっ!?」
興奮したゴブリンの素早い反撃。
石を削ってできた、小さなナイフのひと振り――避けきれない。
頬のあたりを斬られ、地面に血が滴った。
痛い……でも、皮膚をやられただけ。
これくらい……!
「うっ……ユ、ユウちゃん……! 今すぐ助けるからね……」
しっかりしろ。
声が震えてるぞ、私。
こんなので怖くなってちゃ……助けるなんて出来ないよ。
「キッ、キシェシェア!!」
ゴブリンが追撃を放ってくる。
でも、身体が動かない。
いくら力を入れても、脚が震えるだけ。
や、やられる……!
ごめん、ユウちゃん……
「――なにしてる、パトナ!?」
「ギェ、ギジャアッ!?」
死を覚悟して、ギュッと眼を瞑った時。
聞き覚えのある声と、ゴブリンの悲鳴。
私の前へ、颯爽と現れてくれたのは――
「トラフ……!?」
彼は一撃でゴブリンを斬り倒すと、すぐにユウちゃんを受け止める。
そして、私に彼女を預かるよう差し出してきた。
「お前らは戦えないだろ。俺がなんとかする、どっかに隠れてろ」
「あ、ありがとう……助けてくれて」
私はユウちゃんを背負って、彼にお礼を言う。
トラフが来てくれなかったら、今こうして生きてなかった。
感謝してもしきれない。
「いいか、もう魔物に見つかるなよ」
「う、うん……でも、なんで魔物が?」
「原因は分からない。だが、村が危ないのは確かだ」
それだけ話すと、トラフは次の魔物を倒しに行った。
「あ……っ」
私は咄嗟に口を開けた。
けれど、なにも言えなかった。
今、私が彼について行っても、なにになるだろう。
戦闘の邪魔をしてしまうのがオチだ。
それよりも、早くユウちゃんを安全な場所に……
「…………」
気絶しているユウちゃんの重みが、堪らなく苦しかった。
もっと早く助けてあげたら、きっと意識を失うこともなかったのに。
なにをやってるんだ、私ってば。
近くにあるユウちゃんの家へ失礼する。
クローゼットの中に入れそうだったから、ふたりでそこに潜んだ。
とりあえず、これで身を隠すことはできた。
「……トラフ、大丈夫かな」
喋れる状態じゃないユウちゃん。
それでも、隣にいると返事をくれる気がしてしまう。
やっぱり声はない。
ここに隠れてるだけじゃ解決しないのに。
私だって、トラフのように戦えるはずなのだ。
そのために魔法があるんじゃないのか?
まったく当たらないけど……
「…………」
静かで、暗くて、ただ不安が募る。
パーティ会場が強襲を受けたのは明らかだった。
トラフの口ぶりからして、ゴブリンは一匹じゃない。
みんな、まだ無事でいるだろうか?
ここにいると、勝手に気持ちが沈んでいく。
それでも、ここにいるしかなかった。
私が出て行けば、ユウちゃんはひとりだ。
もしもゴブリンが襲ってきたら……
「――キシェア……」
私が、守らなきゃ。
クローゼットの向こうに、ゴブリンの声。
私たちの存在に気付いてる?
いや、違う。
家の中に生き残りがいないか探してるんだ。
どうしよう?
不意打ちすれば倒せる?
でも、もし失敗したら……
やっぱり、なにもせずに息を殺すのが安全かな。
考えは巡る。
でも、結論は見えていた。
動くことはできない。
……そして、いきなりクローゼットが開いた。
「!!」
「キエェ、キシェアァァァ!!」
縺れた舌、忘れた詠唱、それでも構える腕。
ゴブリンはすでに、ナイフを斬り下ろす直前だ。
まるで私は、腕を斬ってくださいと差し出しているみたいだった。
「“う、唄え……短きいの……ッ!?”」
取り乱して、まったく扱えない魔法。
そもそも間に合わない。
そんな窮地に割り込むように、誰かの詠唱が聞こえた。
「“描くは黄金の海。振れぬ手で芯に触れ、優しい嘘を温めよ。おいで”――死に際の騎士」
「ギジャグギャアアッ」
ゴブリンは突然、闇に包まれて消え去った。
なにが起きたのか……おそらく魔法。
でも、使った人が誰なのか分からない。
クローゼットから外を見回すと、見覚えのある箒が眼に入った。
「……災厄復活の影響ですわね。マナの比率と濃度が不安定になって、魔物の活動範囲が広がったのですわ」
「な、ナグニレンさん……?」
クローゼットから出て、ナグニレンさんの姿を確認する。
彼女はもう村から出て行ったはずなのに、どうしてまだここに?
「……こんなところに隠れていても、すぐに見つかりますわよ」
うっ、冷たい視線。
さっきは助けてくれたけど、やっぱり怖い。
「で、でも……他に隠れる場所なんて……」
「なぜ隠れますの?」
「え?」
ナグニレンさんはズイっと顔を近付けてきた。
「魔法が使えるなら戦えるはずですわ」
……正論。
グウの音も出ないよ。
でも、私のは当たらないんだ。
「外にいたほうが、ここに隠れるよりも安全ですわよ」
「…………」
「さっきから、なぜ黙ってますの……?」
少し怒った様子のナグニレンさんが、さらに顔を近付けてくる。
それでも私は、言葉に自信が持てなくて黙った。
戦ったほうがいい?
そんなの分かってるけど……でも、やっぱりダメだよ。
私には、うまく魔法を扱う才能がないもん。
「……なにか考えてますわね」
ふと、ナグニレンさんが呟く。
すると、次の瞬間――私の頭に箒が落ちてきた。
バサッ。
「あうっ」
「あなたは決断が遅いわ」
「あうっ……」
痛い。
優しく叩かれた頭じゃなくて、図星を突かれた心が。
「やたらと落ち込まずに、まず行動すること。反省はその後で構いませんわ」
「……で、でも」
「否定も後で。時間がない時は、考えながら動きなさいな」
それって後まわし?
まず行動……考えながら動く……。
いや、それができたら苦労は――じゃなくて。
これが図星なんだよね、うん。
確かに……そうかな。
私はナグニレンさんと眼を合わせてみる。
彼女の暗めの青眼は、はっきりと私を映していた。
パッと視線を交わしても、まったく動じない。
なんかカッコいいな。
「行きなさい」
「!」
「お友達はわたくしが預かりますわ。あなたは戦ってきなさい」
「……は、はいっ」
彼女に言われた私は、弾かれるように飛び出す。
そうだ。
私、本当はトラフを助けたい。
心配してるだけなんてイヤだ。
出来る限り、力になりたい。
「トラフ!」
彼の名前を叫びながら、脇目も振らずにひた走る。
村のみんなを守ってるトラフは、避難を呼びかけてるはず。
いや、それなりに時間が経ってるから、呼びかけは終えたかも?
それなら――きっと村の出口だ。
魔物が村に侵入してくるのを防いでる。
斬られたゴブリンの死骸が、その辺に散らばっている。
それを辿って、ひたすら駆けた。
そうして、到着した出口付近に――トラフはいた。
「居たっ、トラ――……フ?」
目撃したのは、腕から多量の血を流す彼。
もはや倒れ伏して、戦えない状態だ。
彼を追いこんだ犯人は明白だ。
他のゴブリンと比べて、一際体格の良い個体……ゴブリンキング。
得物である棍棒には、トラフのものであろう血がついていた。
「ヴゥ……? ギッギッギ……」
「…………ッ!」
私を見るや否や、ゴブリンキングは知性のない笑い声を上げる。
こちらを見下ろしてくる様は、完全に強者のそれだ。
いけ、私。
恐れちゃダメだ。
ここで引いたら、トラフが死ぬぞ。
「“唄え、短き命……”」
待った、違う。
コントロールの悪い私が、距離のあるゴブリンキングに当てれるわけないよ。
……よし、当たるようにしなきゃ。
「ギッギッギ……!」
悠々と近付いてくる相手。
もっと早く行動できるはずなのに、それをしない。
こちらを舐めている証拠だ。
うん、それでいいぞ。
私はただの獲物だよ、魔物さん。
だから……さっさと近付いてきなよ。
「ギギッギィ、ギヘヘヘッ!!」
ここで相手の射程範囲。
ゴブリンキングは棍棒を振り上げた。
「ギヘヘェッ!!」
隙だらけだっ!!
「“唄え、短き命っ! 勇気の欠片、誓いを守れぇ!!”――脈打つ情熱!」
バカに大きくて無防備なその身体へ、私は火球を放った。
今回は目標が近すぎて、逸れる心配はない。
目論見通り、火球は真っ直ぐ飛んでいき――捉える。
「ヴォォ、グギィッ!?」
「や、やった!」
燃え盛る炎は、あっという間にゴブリンキングを包んだ。
苦しんでる……よし、確実に効いてるぞ!
「グ、グガガァ!」
我を忘れたゴブリンキングは、堪らず逃げ出した。
炎に包まれたまま、無様に私から遠ざかる。
「あっ、逃げ……!?」
――その時、私は気付いた。
このままいくと……ゴブリンキングがトラフを踏む。
満身創痍の彼を押しつぶしてしまう。
私は咄嗟に構え直した。
「“う、唄え、短き命……!”」
当てることさえ出来れば、もはや相手は逃げることさえままならない。
もう一発、ただ命中させれば……
「“勇気の欠片”」
もしも、この魔法の軌道が逸れたら?
トラフが死んでしまう。
絶対に当てなきゃ……
「“誓いを……っ”」
震える手。
当たらないと確信するのに、それは十分過ぎた。
重圧に耐えきれず、私は思わず眼を瞑る。
――背後から声がした。
「眼を開きなさい!!」
ナグニレンさん。
私はハッとして、眼を開く。
「恐れず前を見なさいっ!!」
魔物がトラフに到達するまでの、ごく僅かな猶予。
彼女の言葉を聞いた私は、無我夢中で詠唱を続けた。
「……“守れッ!!”――脈打つ情熱!」
最後まで言い切ると同時、構えた腕から火球が放たれる。
それは魔球だった。
眼にも止まらないスピードで、ゴブリンキングへと迫っていく。
そして、間もなく到達し――目標の腹をブチ抜いて、ダンジョンの方角へ消えていった。
「ヴッッ…………」
腹に穴の空いたゴブリンキングが、短い悲鳴とともに倒れる。
大きな地響きを立てて、その身体を大地に投げ出した。
…………倒した。
多分、私が……
「……あ、当たった、の?」
現実感のない光景に戸惑う。
いくら時間を置いても、なにがどうなったか、よく分からなかった。
え?
当たった?
ホント?
「…………これ、夢?」
呟きながら、思わずナグニレンさんのほうを向く。
彼女はもう私の近くまで来ていた。
私の頭に優しく手を置いて、彼女は微笑んだ。
「よくできました」
いきなり褒められちゃった。
というか、ナグニレンさん……すごく美人。
スマイルの威力、ハンパじゃないよ。
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