#12 セーブ
姿を現した、名も知らぬ脅威。
それは嘆きの表情を浮かべながらも、口角で私たちを嘲笑う。
声はない。
「ゴーストに魔法は効きにくいんだっけ?」
「はい……」
状況の悪さを確認するように、ラーンが頷く。
周りはロワーゴーストに囲まれて、一部の隙も見当たらない。
ここからの生還は、はっきり言って絶望的だ。
前衛のふたりはこの場にいない。
もしも振り返ってくれれば、このピンチに気付く可能性はある。
けれど、ケンカみたいな別れ方をしたし、それは儚い期待だ。
ウィングなんて、意地でも振り返らないだろう。
聞いた通り、魔法は効きにくい。
博識なラーンが言うのだから、間違いってことはないはずだ。
「でも、魔法を撃つしかないよね……」
「……そうですね。お願いします、パトナさん」
「りょーかい」
今だけは、その知識が間違ってくれてるといいな。
――ロワーゴーストたちは、その曖昧な姿で渦巻く。
たった一匹、明確な輪郭を持つ大きなゴーストだけは動かない。
私たちを凝視して、不気味な表情を浮かべていた。
あれを親玉って考えてもいいよね。
つまり、あの親玉ゴーストさえ倒せば、ロワーゴーストも解散するかも?
よし、当てれば勝ち!
「“唄え、短き命! 勇気の欠片、誓いを守れ!”――脈打つ情熱っ!」
突き出した私の腕から、火球が放たれる。
それはまっすぐ、親玉ゴーストに向かって――いくわけない。
案の定、その軌道は逸れて、ロワーゴーストの壁に衝突した。
火球は霊の渦に吸い込まれて、埋もれた響きで爆散する。
ロワーゴーストの壁は、一瞬だけ大きな穴を空けた。
けれど、あっという間に元に戻ってしまう。
「うぅ……こんな時にもノーコンだよ、ごめん……」
「いえ、それよりも――あの壁を穿つことができましたね」
「え?」
ラーンは私のノーコンをスルーして、しばし逡巡を見せる。
そうして、再びこちらへ向けられた瞳には、ちょっとだけ光が復活していた。
「あの穴を抜けることができれば、逃げられるかも……」
「あっ! そうだね!」
一筋の希望。
壁から逃げることさえできれば、なんとかなるかも。
親玉ゴーストを倒すよりも、いくらか現実的な作戦だと思う。
「だ、だけど……あの一瞬だよ? すぐ埋まっちゃうから、タイミングが難しいよ」
「一応、私は強化魔法が使えます。それで威力を上げて、あとはイチかバチか、魔法を撃ちこみつつ飛び込むしか……」
「うえぇ、危険だよね!?」
「はい……あの渦巻く壁に取り込まれたら、生きられる保証はないですが……」
唯一の希望とはいっても、縋るには命がけ過ぎる作戦だ。
だけど、こんな状況で安全な選択なんてないのかもしれない。
こうなったら、それに賭けるしか……
――相談の途中、親玉ゴーストが動き始めた。
親玉が憤怒の表情を浮かべると、ロワーゴーストたちも動き出す。
そして、壁に囚われた私たちへ、例の突進を仕掛けてきた。
「うわっ!?」
ナイフを使って斬り裂こうとしても、とても対応しきれる数じゃない。
縦横無尽に飛び交うゴーストたちは、無軌道に近い奔放さを持っていた。
突進の命中率は低いけど、何匹かは確実にぶつかってくる。
「きゃっ……!」
「ラーン! 大丈夫!?」
「は、はい……! パトナさん!」
お互いに名前を呼び合って、そこにいることを確認し合う。
視界は瞬く間に、幻のような像で埋め尽くされた。
霊に揉まれて、まともに会話をする余裕もない。
せっかく見えたチャンスも、これじゃ台無し……
このままじゃダメだ、なにか突破口を見つけなきゃ。
せ、せめて魔法を撃つ隙さえあれば……!
「――パトナさん、上を見てください!」
「えっ!?」
ラーンが絞り出した声で、私は空を仰ぐ。
そこには、霊に支配されていない視界があった。
「ラーン、どういうこと!?」
「上空に向かって魔法を撃てませんか!?」
「な、なんで――うひゃあっ」
霊がぶつかってくるせいで、悠長に話しているヒマはない。
このままじゃ、やたら消耗して終わりだ。
まだ魔法を撃てるうちに、できることはやってしまえ!
私は理由も分からないまま、上空へ手をかざした。
片手で撃つのは初めてだけど、なんとかなるはず!
「“唄え、短き命! 勇気の欠片……ひゃあっ、ち、誓いを守れ!”――脈打つ情熱っ!」
気持ち悪い感触にお尻を撫でられつつ、なんとか魔法は発動した。
打ち上げられた火球は、空高くへと昇っていく。
そして、さっきと同じように、ガクンと直角に軌道を変える。
それでも上空で爆ぜ、けたたましい轟音を響かせる、脈打つ情熱。
昼間の星が爆発したみたいな、やたらと綺麗な光景だった。
そして、それ以上のナニモノでもなかった。
「……ぐえっ、ラーン!」
「は、うひゃあ!? はい、なんでしょ……いやぁっ! パトナさんっ?」
「撃ったけど! なんにも、おわーっ!」
「も、もう! ちょっと……! はい! ありがとうございま、やぁっ」
悩ましい声を上げながら、かろうじて返事をしてくれるラーン。
私もまともに話せないし、そろそろマズいみたいだ。
このままじゃ、ふたりともロワーゴーストの突進に負ける……!
激しさを増して飛び交う霊たち。
その行き交いの中で、うっすらと見えた親玉の表情。
やつはまた口角を上げて、私たちの苦しむ姿を眺めていた。
「……“唄え、短き、い……”あーっ、来ないでよっ」
私の詠唱が途切れると、親玉はユラユラと揺れた。
つられたロワーゴーストたちも笑う。
まるで見世物でも楽しんでいるかのように。
もしかして……
こいつらの目的は、私たちを甚振ることなの?
だからこうして、いつまでもトドメを刺さずに……?
「うっ……! ぱ、パトナさん……」
「ラーン!? 大丈夫!?」
そうだ……思えば、このダンジョンだって同じなんだ。
冒険者を迷わせて、やたらに疲労させて、惑わせて。
そして――パーティが崩れた時に、こうして「狩り」にくる。
私たちはずっと、この親玉ゴーストに踊らされてたんだ。
気にしてた「もしも」は、この魔物が狙っていたタイミングのこと。
ウィングたちが痺れを切らす瞬間……
ふと、よろめく足。
倒れるのをなんとか踏ん張って、私はラーンに触れようとした。
伸ばした手は、ロワーゴーストに弾かれる。
「ラーンっ!!」
希望が見当たらなくても、彼女の傍へ行くことができれば……
どれほど絶望的でも、仲間がいれば私は戦える。
もう一度、彼女に触れることができれば……!
「…………パトナ、さん……」
「……ッ!?」
ふと、か細い声が聞こえた。
かろうじて聞きとれる声音に、今までの生命力はない。
ラーンは明らかに、手痛い一撃を受けている。
「ど、どうしたの……! 今、助けに……!!」
「もう、私のことは……見捨てて……」
「……!? なっ、なに言ってんのさ!!」
声を振り絞る彼女。
その姿は見えないけど、かなり傷付いているに違いない。
だから、こんな言葉を口にしてしまうんだ。
「パトナさん、ひとりで……逃げて……」
「!!……魔法で穴を空けるんだよねっ、分かるよ! それでラーンも助かるよ! だから手を伸ばしてっ、私はこっち! 声の聞こえるほうに――」
「お願い…………逃げ、て……」
「そんな……そんなこと、できるわけないよ!! 私は…………!!」
ラーンが死を覚悟している。
私の犠牲になろうと……
でも、そんな哀しい覚悟を、私が許せるはずない。
だって、仲間なんだよ。
私だって、ラーンと同じ覚悟を持って、一緒に命を懸けてるよ。
生きる時も、死ぬ時も、片方だけなんて考えたことはないよ。
「うぅ……っ、ラーン!! 聞こえるっ!?」
度重なるゴーストの衝突。
フラつく足を必死に堪えながら、ありったけの声を振り絞る。
おぼろげなラーンの聴覚に、はっきりと聞こえるように。
「私は、絶対にラーンを見捨てたりしないからね……!!」
「パ、トナ……さん…………?」
「だって私たち、仲間じゃん! みんなで円陣も組んだじゃん! あの時、すっごく嬉しかったでしょ!?」
「…………」
「また円陣、組み直さなきゃ……! ウィングとも仲直りして、センコウも無理やり引き連れて、今度こそ……! もう絶対に離れないような、無敵のパーティになろうよ!」
「逃げ、て……」
「イヤだよっ!! ラーンがなんて言っても、私は仲間を見捨てない!!」
私は叫んで、彼女の覚悟を壊そうとした。
伸ばした手を際限なく弾かれたって、私の覚悟のほうが強いに決まってる。
誰かを守りたいって気持ちは、ダイアモンドより硬いんだ。
ふと、親玉がユラユラと移動してくる。
その動きはいちいち遅くて、獲物の恐怖心を煽るかのようだ。
倒れたラーンにトドメを刺すつもり?
ふざけんな。
そんなこと、絶対にさせるもんか……!
「“唄え、短き命ッ! 勇気の欠片、誓いを守れぇぇ!!”」
親玉ゴーストの前に立ち塞がって、私は詠唱を唱えきった。
突き出した両腕から、火球が生み出される。
これは私の心臓そのもので――効かなかったら、もうおしまい。
「――脈打つッ!! 情熱ッ!!!」
絶叫と一緒に、撃ち出した。
まったく距離がないから、着弾はすぐ。
それに伴う爆散も、もはや避ける方法なんてない……
それでも、この攻撃にすべてを託したのだ。
……そう思っていた。
けれど。
「…………え」
親玉ゴーストは大きく口を開いて、火球を丸呑みにする。
そうして、私の心臓の代わりは、跡形もなくなってしまった。
まるで最初から存在していなかったかのように。
すべての覚悟は、空回りに終わった。
おもむろに、親玉ゴーストの口角が上がる。
今度ははっきり、嘆きを含まない笑みを見せた。
どこまでも邪悪な、弱い生物を嘲るような、醜い表情だ。
「……ッ!!」
私に打つ手はない。
けれど、ここで死んだら……ラーンも…………
まだ、なにか……!
考えを巡らせる頭が、霊の大きな口に覆われる。
意思の伝わらない足は、まったく動かない。
ただ為す術も無く、私はそこへ飲み込まれて――
「――うおおおおおぉぉ、パトナーーーーーっ!!」
その時、雄叫びが聞こえた。
同時に、今まで回り続けていたロワーゴーストの壁が、弾かれるように瓦解する。
親玉ゴーストは、私から注意を逸らした。
刹那――そんな親玉を、銀色の輝きが貫いたのだ。
「…………どうして、ここに…………?」
致命打を与えられて、消えていく親玉。
私には、その光景が信じられなかった。
望んだ夢を見ているのかと思って、何度も瞬きをする。
「へへ、バカヤロー。仲間を見捨てるわけねーだろ」
赤髪。
空色の瞳。
一条の光みたいに笑うウィングは、私をまっすぐ見た。
銀色の剣が、キラリと光を反射する。
そしたら、私の心の奥から、感激と安心が溢れてきた。
感情に拍車をかけるように、周りのモヤが晴れていく。
泣きたくないのに、自然と涙が零れてしまう。
「…………うぁ、ウィング……ぐすっ」
「は!?」
「ウィング……うぅ、うわーーんっ!!」
「な、おま、パトナ!? ちょ……泣くなよ、なんだよ!」
震える足で立ってられなかった私は、ウィングの脚に縋りつく。
いつもだったら、こんなスキンシップは拒まれると思う。
でも、今日のウィングは戸惑うだけで、あまり抵抗しなかった。
私が泣いてるせいかもしれない。
そのまま縋っていると、ふと後ろから低い声が聞こえた。
「あの魔法の爆散……窮地を報せる合図ではござらんのか?」
「ふえぇ、爆発……?」
振り向くと、ラーンをお姫様だっこするセンコウが。
彼は私と眼が合うと、少しだけ視線を逸らした。
「……なるほど、ラーン殿の発案でござるか」
「ぐすっ……しょーゆーことだったんだ…………」
空に撃った魔法は、ちゃんと意味があったらしい。
やっぱりラーンは賢いなぁ。
あれがウィングやセンコウに向けた魔法だったなんて、考えもつかなかったよ。
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