#11 クオレル
はっきりしない、枯れた視界。
漠然とした不安のような、薄く漂うモヤの中を歩いていく。
一面の砂の上へ、剥き出しになった樹木が点在していた。
「うぅ、なんだか薄気味悪いね」
「ロワーゴーストが棲息しているせいでしょう。霊系の魔物は、周りの温度を低くしますから」
ラーンの説明を聞きながら、私は身体を丸める。
だけど、そんなことじゃ肌の違和感は治まらない。
普通の寒さと違って、背筋を撫でるような感覚があるからだ。
来たばっかりで、もう帰りたくなってしまう。
「……嫌なとこだな、ここ」
「貴様が選んだでござる」
「そうだけどよ」
元気だったウィングも、さすがに参ってるみたいだ。
彼の跳ね気味な赤髪さえ、少し萎れてるように見える。
気のせいかもしれないけど。
「……無駄口を叩いているヒマは、あまり無いようでござるな」
ふと、センコウが剣に手をかける。
その仕草に感化されて、用心深いラーンも杖を構えた。
目の前の晴れない視界から、ぼんやりとした像が浮かび上がる。
現れたのは、ロワーゴーストという魔物。
このダンジョンを不気味にしている、一番の原因だ。
「一匹!」
「視覚で把握するのは危険でござる。霊は姿を隠す……」
「そ、そっか。どうすればいいの?」
「瞑想にて気配を探るが良し」
言われた通り、眼を瞑ってみる。
うーん、霊……どこだ?
隠れてもムダだよ、大人しく出ておいで!
「むー……」
「おいパトナ、来るぞ! 構えろ!」
「え?」
集中してたけど、そんな場合じゃないらしい。
ロワーゴーストは、まず前衛のウィングたちに襲いかかってくる。
ふたりは剣を抜いて、その緩慢な突進を迎撃した。
「オラァ!」
ウィングの振り抜いた剣が、見事にゴーストを切り裂いた。
でも、まだ嫌な感じは消えない。
「そこでござる!」
眼を閉じて、刃を斬り上げるセンコウ。
すると、また一匹のゴーストが切り裂かれて、モヤの中へ溶けた。
ロワーゴーストはそんなに強くないみたいだけど……
眼で見えないうえに、やたら数が多いようだ。
剣も空を切ってるから、本当に倒せてるのか分からないし。
「ラーン、私たちは……」
「パトナさん、今はふたりに任せましょう。ゴーストは魔法が効きにくいので」
「そうなの?」
ラーンの言う通り、私は前衛のふたりを信じることにする。
苦戦らしい苦戦はなく、ロワーゴーストは着実に倒されていった。
やがて気配が少しだけ晴れ、恐ろしい寒さも落ち着く。
「よしっ、倒したな!」
「気配はござらん」
なんだ、意外と簡単にいくじゃん。
ふたりだけで戦闘できるレベルなら、あんまり難しくないよね?
✡✡✡
現れる魔物はロワーゴーストばかりで、戦闘に大した苦戦はない。
このままダンジョンを進んで行けば、クエストの完了はすぐだ。
気をつけるべきは、ダンジョンボスの強さだけである。
……という考えは、どうやら甘いらしい。
「……ねぇ、ここってさっき通ったよね?」
私が尋ねると、ウィングもラーンも首を傾げる。
否定する自信は、あまりないようだ。
すると、おもむろにセンコウが立ち止まった。
「このモヤ、感覚を狂わせるようでござるな」
「モヤが?」
「どこを歩いているかが曖昧でござろう」
「うん……」
なんだか夢の中を彷徨っている気分だ。
そんなことを話しているうちに、またロワーゴーストが像を結ぶ。
前衛のふたりは、少し鬱陶しそうに武器を構えた。
「オラッ!」
襲いかかってくるゴーストを、慣れた剣捌きで斬る。
もう散々斬り倒してきた敵だ。
新しい動きで攻めてくるわけでもなく、ずっと同じ戦闘を繰り返す。
「……キリがござらんぞ」
「おかしいですね……魔物が復活するにしても、こんな短時間ではあり得ません……」
ゴーストを杖で払いのけながら、ラーンが眼を伏せる。
「ロワーゴーストを生み出しているなにかが、どこかに存在しているのかも……」
ふーむ、なるほど。
その推察が確かだと、いくらロワーゴーストを倒しても意味がないよね。
ゴーストが生まれてくる大元を突き止めて、それをなんとかしないと。
「じゃ、なにかを探せばいいのかな?」
「でもよ、どうやって探すんだよ?」
「己の位置さえ不明瞭では、探すことも儘ならんでござる」
もはや魔物に注意を裂かなくても、戦闘にはまったく問題ない。
みんな相談しながら戦える。
この戦闘にも、いい加減ウンザリしているのだ。
「そうだ! 全員でバラバラに動けば、すぐに見つかるんじゃねーか?」
「ふむ……固まって行動するより、効率は良かろう」
「え? いや、それは危ないよ。離れたら危ないって、もう分かったでしょ?」
「私もパトナさんに賛成です。パーティが散らばるのは良くありません」
――やがて、また気配が落ち着き始める。
その間に、ひとつの作戦が発案された。
ラーンの意見で、各自で探索するよりは安全なものだ。
彼女は護身用のナイフを手に取る。
周りの木に三角のマークを付けて、みんなにも付けるように言った。
「このマークがあれば、通ったところが分かるはずです。これで歩いたところを記録しましょう」
「……これをやりながら、別々に行動するってのは?」
「ウィングさん、それはダメですよ。バラバラになるのは――」
「あー、へいへい」
つまらなそうな態度で、ガリガリとマークを付けるウィング。
センコウも、いつもは使わないほうの剣で、手際よく三角を描いた。
「ごめんラーン、私にもナイフ貸してくれない?」
「はい。これは差し上げます」
「え、いいの?」
「護身用に一本は持っておいたほうが良いですよ」
魔導師や回復術師でも、最低限の護身術は必要なのかも。
前衛の仲間がいなくなったら、それで終わっちゃうもんね。
「ありがと、ラーン!」
ナイフを受け取った私は、それで木にマーキングするのだった。
✡✡✡
で、しばらくして。
かなり歩いたけど……描いたマークには、一度も再開できなかった。
「…………ラーン殿」
「お、おかしいですね……こんなはずは……」
もう結構な数、マーキングしてきたはずだ。
四人でやってるんだから、見落としているというのは考えにくい。
「おい、これ……作戦失敗じゃねーか?」
ウィングももう限界らしい。
虚しくマーキングする手つきは、かなり雑になっていた。
三角だか楕円だか、よく分からない図形になっている。
「あのゴーストは、ひとりでも十分戦えるぞ? なら一緒に行動しなくてもいいだろ」
「ですが、もしも――」
「心配し過ぎじゃねーの、ラーン! パトナも!」
終わりのない戦闘、そして探索。
その疲れからか、彼はかなり苛立っていた。
少しずつ荒くなっていく口調に、積み重なったストレスが表れている。
「もうバラバラでいいだろ! 平気だっての!」
「いえ、ウィングさん……気持ちは分かりますけど――」
「ほらな、お前だって分かってるじゃねーか! この作戦、意味ねーんだって!」
剣先で新しく付けたマークを指し示すと、彼は眼を見開く。
いい加減、自分の主張を認めてほしいのだろう。
私もそろそろ、ラーンの作戦に限界を感じている。
なにも言わないセンコウだって、きっと同じ気持ちだ。
でも、ウィングの意見に賛成すると、パーティはバラバラになってしまう。
それは……避けたい。
「そ、そうだ。他の作戦を考えない? 焦っちゃダメだよ、ウィング……」
「だーかーらっ、俺の言ってるのが他の作戦だろ!?」
「それはダメなんだってば!」
なんとかウィングを落ち着けないと。
自分で発案したから、ラーンは喋りにくいよね。
ここは私が説得しなきゃ。
「みんなでまとまって動かなきゃ、もしもの時に対応できないでしょ?」
「もしもってなんだよ! そんなもん、起こらねーじゃんかよ!」
「そういうものなの、もしもって! 起こると思って、気をつけてないとダメなんだよ!」
「そりゃ先のことにビビってるだけだろ!? んなもんは心配じゃねぇ、ただのビビリだ!」
「そうじゃないって! 先のことを考えて構えてなきゃ、いざという時に――」
「『いざ』も『もしも』も一緒だよ、バカヤローっ!」
「なっ……バカとか言うの!? そんなこと言うなら、ウィングだってバカじゃん!」
「あぁ!? なんでそうなんだよ、おかしいだろ!!」
「おかしくないよね!! バカだよ、ウィングはっ!!」
あっ、ヤバいよ。
私、今かなり激しい言い方しているよね?
でも……止まんない。
「だいたい、ウィングはさぁ……! ワガママばっかり言って――」
「パトナ! お前だって、魔法は外すし、バカだし――」
ウィングも止まる気配はない。
私たちは、お互いに歯止めを失ってしまった。
「バカって言うほうがバカなんだよ!」
「バカって言ったらバカなら、お前はバカだ!」
「あーっ、何回バカって言った!? 数えてみなよ、ウィングのほうがバカだから!」
「ぎゃはは、今のでパトナがバカになってんじゃねーの!?」
顔を突き合わせて、バカな応酬をしてしまっている。
心のどこかで、これじゃ前の二の舞なのだと分かっていた。
でも、口が勝手に動いてるみたいで、止まってくれない。
どちらも退けない、熾烈なケンカ。
そんな不毛を止めたのは、私たちの間に落とされた、センコウの鋭い剣閃だった。
「ひっ!?」
「うおぉ……!?」
慌てて見ると、紫色の瞳が私たちを睨んでいる。
彼の表情は剣呑そのものだ。
「下らん……」
「せ、センコウ……? えっと……」
「黙れ。これ以上、貴様らに付き合う気はござらん」
淡々とそう告げたあと、彼はラーンのほうを見た。
「ラーン殿。拙者は単独行動をさせてもらうでござる」
「え……っ!? ま、待ってください!」
「このパーティは、このクエスト限りで解散するが良かろう」
「そ、そんな……! センコウさん!」
言うことだけ言って、さっさと去っていくセンコウ。
ラーンはそれを止めようと、ひたすら手を伸ばす。
けれど、追い付くことはできなかった。
歩く速さではなく、気持ちが遅れたせいで。
その一連を見ると、ウィングも私に背中を見せる。
そして、なにも言わずに去っていった。
「ウィングっ!」
「…………」
「円陣、組み直そうよ……っ!」
呼びかけても、振り向こうとしない。
その背中はどんどん離れていく。
引き留めるために、私も彼へ手を伸ばす。
すると、その手の先に、なにか冷たいものが触れた。
「――ッ!?」
慌てて手を引っ込めると、目の前のモヤが一点に収束していく。
そこには、何度となく見た魔物の姿が現れだした。
「な……なんで、こんな時に!」
「あ……パトナさん、気をつけてください……!」
「ラーンもね!」
私たちはナイフを構えて、背中合わせになる。
そうしている間にも、ロワーゴーストは数を増していった。
不気味な寒さも、同じように厳しくなっていく。
モヤはぼんやりと捻れて、ゴーストを無限に生み出した。
「……こ、これって…………ヤバい?」
「今までよりも、圧倒的に数が多いです……」
よりにもよって、パーティが分裂した時に……
再三に渡って言った「もしも」が、一番来てほしくない状況で来たらしい。
ゴーストはいくらでも増えて、私たちの動きを妨げる。
――その時、捉えどころのないモヤが、一際大きく捻れた。
今まで見たことのない、極端な流動。
その中心の温度は、恐ろしい早さで冷えていく。
「ラーンっ、なにかあるよ……!」
「は、はい……!」
明らかに動揺の見えるラーン。
そんな不安定な気持ちを加速させるように、流動は形を持ち始めた。
やがて、そこに現れたのは――はっきりとした霊の輪郭。
ロワーゴーストじゃない。
大きなうねりを纏った姿は、そのプレッシャーによって、周りの霊と一線を画している。
眼を見開いたラーンが、恐れとともに呟いた。
「……これが、なにかです」
確証はなかった。
でも、きっと間違いない。
ロワーゴーストを生んできたのは、この大きな霊なのだ。
嘆くような表情のそれは、その引き攣った口で、私たちを嘲る。
すると、周りのゴーストもつられて笑うのだった。
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