悪役令嬢の成長。
「私は、また気付くことが出来なかった」
面会で確認したことを話して、そう告げたエイデスの顔は、無表情だったけれど。
ウェルミィは、黙ってソファに膝立ちになると、エイデスの頭を胸元に抱き締めた。
事件は表向き、『お家乗っ取りを企んだ平民が、商売が上手く行かず、娘を虐げたことで事件が起こり、自暴自棄になって妻を殺して取り潰しになった』と報じられるそうだ。
センセーショナルな部分に目を向けさせて、ヘーゼル達の立場を含めて、真実は全て闇に沈むことになる。
「あの時、ルトリアノを見つけ出せていれば、こんな結末は迎えなかっただろう」
「それはエイデスのせいではないわ。レオにも言ったでしょう。人は、万能ではないのよ。後悔ならいくらでも聞くけれど、必要以上に自分を責めてはダメよ」
人生に、もしもはない。
後悔を抱えても時間は過ぎて行くし、その間、暗い想いに目を向ければ向けるほど、心に傷を負う。
ウェルミィは知っている。
親しい人を救えなかった、という気持ちは、一番エイデスの心に深く突き刺さることを。
彼が魔導省で呪いを祓うことを志したのは、そもそも育ての母と姉を救えなかったことに起因しているのだから。
「失うものばかりを数えないで、エイデス。貴方は新しく預かったのよ。ルトリアノが、彼女自身からの憎悪を背負ってでも未来に歩き出して欲しかった娘の、将来を」
ルトリアノは、ヘーゼルが自分の顔につけた傷に、呪いを掛けた。
解く為には、膨大な魔力と、その力を持つ人への莫大な対価が必要になるけれど。
エイデスには、そのお金が出せる。
別に出せなかったところで、ウェルミィとお父様が力を合わせれば、解呪は出来るのだ。
リロウドは、補助魔術に特化した朱色の瞳を持つ血統で、その中でもお父様は優れた力を持っている。
そのお父様から、ウェルミィは『自分に並ぶ』とお墨付きを貰えているのだ。
必要ないから、解呪師としての資格を取っていないだけで、ウェルミィの解呪の力は強いのである。
それに、ルトリアノが命を掛けたところで、そこに負の感情が篭っていなければ、死して強くなる呪いにはならない。
術師が死ねば、やがて呪いは薄れて消えるだろうと、お父様も言っていた。
ヘーゼルの傷がそのままなのは、彼女自身がそのままでいることを望んだからに過ぎない。
それに、ヘーゼルのことがなければ、きっとルトリアノはこんな回りくどいこともしなかったし、ミザリに目をつけることもなく、ただ伯爵家を崩壊させて終わったはずだ。
ただ一つだけ彼が遺したものは、エイデスに預けられた。
伝聞の形とはいえ、真実を語ったのは、彼もまたエイデスを信頼しているからだ。
だって、エイデスが家族を喪うのと同じくらい傷つくほど、深い友情を抱いていたのだから、彼がそうでない可能性は低い。
憎しみを覚え、ぶつけるのは、当事者だけでいい。
人にはいくつもの顔があるのだから、エイデスの中では仲の良かった友人のままでいいし、顔すら知らないウェルミィまで、彼を憎む必要なんかないのだ。
ウェルミィは、エイデスの頭を抱いたまま、その左手を取る。
そして、手袋を抜き取った。
驚くように体を強ばらせたエイデスの剥き出しの左手に、そっと頬を添える。
彼の左手は、火傷痕で皮膚が引き攣れており、ツルリとした火傷を負った後の皮膚の表面と、盛り上がって硬くなった筋のような皮に覆われている。
動かすのに支障はなくとも、治癒魔法で癒すことは出来たはずのその痕を、エイデスもそのままにした。
それは悔恨の証であると同時に、この人の決意の証でもある。
ヘーゼルにとっても、きっと顔の傷は決別の証明なのだ。
「貴方や、ルトリアノ、ヘーゼルの気持ちは、きっと私には、心の底から理解することは出来ないわ。でもね、エイデス」
少しだけ体を離して、ウェルミィは見下ろすように、顔を上に向けた愛しい人に、微笑んだ。
「こうして寄り添って、話を聞いて、あなた達のやりたい事を、少しでも手助けしてあげることは出来るの。エイデスが今まで、私にそうしてきてくれたように」
彼自身は醜いと思っているだろう、火傷痕の残る手。
でもウェルミィは、この手に救われたのだ。
この痕まで含めて、彼を愛しいと感じるのだ。
ヘーゼルにも、そうあってくれる人を見つけて欲しいと、ウェルミィは思う。
『ーーーでは、お前が私の妻になれ。ウェルミィ・エルネスト』
あの時、エイデスのその言葉がなかったら。
『お前は、姉のイオーラが助かれば何でも良いんだろう? ウェルミィ・エルネスト。ならば、私の嫁になれ。そうすれば、姉は助けてやる。望むままに生きるだけの後ろ盾も与えてやろう』
彼が手を差し伸べてくれなかったら。
ウェルミィは生きていないし、今こうして、この手を取ることも出来ていないのだから。
救ってくれたエイデスに、出来る限りのものを返したい。
「エイデスに拾われた頃には、私には何もなかった。でも、今は助けてくれる人がいっぱい居て、私も、エイデスや他の人に手を差し伸べることが出来るわ。貴方も、私も、一人じゃないのよ」
そう教えてくれたのは、エイデスだ。
慈しむように、別邸の中で、彼は様々な形でウェルミィに愛を示してくれた。
そうして、少しずつ、少しずつ、外に出て、人と会って。
今ではもう、手の中に包み込むだけじゃなくて、頼ってくれる。
ウェルミィは守られるだけのお姫様じゃない。
エイデスの横に立って、彼と一緒に理不尽と戦う、伴侶なのだから。
「貴方が預けられたヘーゼルを、そして生き残ったミザリを、私とお義姉様が、ちゃんと羽ばたけるように手助けするわ。彼女たちが望むままに生きる為の後ろ盾として、オルミラージュの女主人として」
ウェルミィは再びエイデスの頭を抱き締めて、そのうねる銀の髪に鼻を寄せて、つむじに口づけを落とす。
「自分を責めないで。でも、ちゃんと気持ちを言って。そうすれば、少しは楽になるから。……辛い? エイデス」
「……ああ。とても辛い。心が軋んでいる」
「悲しいわね」
「そうだな。良い友人だった。ウーリィも、明るい女性だった。もう、二人で笑う彼らの笑顔は、見ることが出来ない」
「思い出せる?」
「今でも、鮮明に」
「なら、その思い出の中に、貴方の知る二人は生きているわね。きっと、その顔を覚えておいて欲しいんじゃないかしら。だって、誰に恨まれて憎まれていても、エイデスにとっては大切な友達だったんだもの」
「……そうだな。本当に、その通りだ」
エイデスは、手袋を取った左手をウェルミィの腰に回し、力を込める。
嗚咽は聞こえなかった。
でも、胸元に少しだけ濡れたような感覚がじわ、と広がる。
「ウェルミィ。……お前がいてくれて、良かった。お前を救えて、良かった」
「私も、救ってくれたのがエイデスで良かったわ。これから先も、ずっと一緒よ。二人ならきっと、もっと大勢の人に手を差し伸べることが出来るようになるわ」
今も、これからも、エイデスが思う存分、辛さを吐き出せるように。
弱さを見せてこれなかった人が、一人で深く傷つかないように。
「この話は、お義姉様以外の誰にも言わないわ。ヘーゼルとミザリは、任せて。……彼女たちが幸せに笑えるようになるのが、私たちの望む結末よ。そうでしょう?」
「ああ、そうだな」
エイデスの声色は、いつも通りに、ともすれば冷たくも感じるような平坦なものだけれど。
ーーー貴方が本当は、人の悲しみを自分のことのように感じる優しい人だって、私は知ってるわ。
だから、泣きたかったら、泣いていい。
エイデスは、自分にだけは、強がらなくていい。
彼が、ウェルミィを甘やかしてくれたように。
ウェルミィだって、エイデスを甘やかしたいのだから。
その日、ウェルミィはエイデスが顔を上げるまで、ずっと彼の頭を撫で続けた。
……後になってちょっとからかったら、腰が抜けるほど深く何度もキスされたのは、凄く納得がいかなかったけど。
一つだけ分けて貰ったエイデスの重荷を背負って、ウェルミィはその後、本邸に赴いた。
※※※
それから、一ヶ月。
ウェルミィ・リロウド伯爵令嬢が本邸に参られるのを、ミィを含む使用人一同がズラリと入口前に一列に並び、深く礼をしてお出迎えした。
プラチナブロンドの髪に、朱色の瞳。
エイデスに馬車からエスコートされ、輪を重ねた腕輪をシャラシャラと鳴らしながら歩く彼女は、少々背が高いだろうか。
長い直毛の髪をハーフアップにし、優雅に歩く彼女が通り過ぎると、下働きから順に頭を上げていく。
彼らの後ろには、一人の老婦人も静々と付き従っていた。
そうして玄関前で、二人の主人と老婦人が振り向くと、その後ろに音もなく足を運び、護衛を兼任するヌーアが控える。
『ウェルミィ・リロウド』は、瞳の色は分かるが顔立ちが見えない魔術を施された薄いヴェールで、顔を覆っていた。
以前、王妃陛下が皮膚の病に罹った時に作られた魔導布だ。
エイデスが、使用人達に向かって告げる。
「紹介しよう。本日よりここに住む我が婚約者、ウェルミィ・リロウド伯爵令嬢だ。そしてもう一人は、聞き及んでいる者、その為に訪れた者も多いと思うが、王太子妃殿下の侍女を見極める役目を負っておられる、コールウェラ・ドレスタ伯爵夫人だ」
『ウェルミィ』とコールウェラ夫人が、揃って小さく礼を取る。
「ウェルミィ・リロウドよ。よろしく」
女主人は、仕える者に謙らない。
「コールウェラ・ドレスタです。妃殿下となるイオーラ様に相応しい者が、この場にいる事を期待いたします」
穏やかではあるけれど、選抜者としての立場を明確にして、コールウェラ夫人が微笑む。
そして彼らが屋敷の中に消えて、家令と侍女長、護衛、暫定的に選抜された女主人の側付きが消えると、少し空気が緩んだ。
「お顔を隠されていたわね」
「あまりお顔立ちに自信がないのかしら」
「あら、社交界でお見かけした時は、愛らしい顔立ちの方でしたわ。思ったより背が高いようですわね」
「ご寵愛は深いようですけれど、それだけで侯爵夫人が務まるのかしら? 男にだらしないという噂もございますもの」
「女嫌いの魔導卿も、媚びにはお弱くあらせられたのかもしれません」
「それに、お義姉様の方も……王太子妃に相応しい、のでしょうか……少々疑問が残りますわ」
「賢く美しいと評判だけれど、没落家の女伯でしょう?」
「あまり社交にご興味はなさそうで、極力お顔をお出しにならないそうですわ。それに、貴族学校でお見かけした時は見窄らしい方でしたし」
「お二方とも、色目を使って権力をお持ちの方に取り入るのがお上手なのでしょうね」
囁かれる話は、当然ながらあまり良いものではない。
醜聞をわざと撒くように生きてきたのだから、当然だけれど。
ーーーまぁでも、色目くらい使えないと、男を適度に操るのって難しいと思うわよ? 私とお義姉様の居場所を狙うなら、叩き潰して差し上げましょう。
アーバインを骨抜きにし、エイデスをハメようとした実績があるウェルミィは、そもそも強かなのである。
悪役令嬢、上等。
そんな風に思いつつ、チラリとウェルミィが周りに目を向けると、大体の迂闊な小鳥は下級侍女の服を身につけて囀っているようだった。
きっと、王太子妃侍女かエイデスの誘惑狙いで外から来た者達だろう。
ーーーそもそも、ハナから仕える主人を貶すような連中は、多分一発アウトよ?
コールウェラ夫人の眼力を甘く見てはいけない。
そして、この場にはさらに他の『目』も多い。
さらに、ウェルミィとお義姉様本人がこの場で聞いている。
囀りは、徐々に皆で仕事に戻る為に移動しながらも、まだ続くようだ。
「ふふ、もしかしたら取り入る隙があるかもしれませんわね?」
「あらあなた、侯爵様の愛人狙い?」
「いえ、それよりももっと……ええ、ご寵愛を賜れるかもしれないですわ。何せ、顔をお隠しになるくらい自信がない方ですもの。ご当主様は、お相手の身分も気になさらないようですし。そちらは?」
「見初められて王太子殿下の御子を宿せば、後ろ盾もない方よりは、側妃であっても格が上になるでしょう? そうなれば、こちらの方がより正妃に相応しい、と思われるのではなくて?」
そんな囁きをしているのは、上級侍女に混ざっているアロンナの娘と、どこかの伯爵令嬢だった。
侍女として選ばれることを当然と思っている節があり、その先の主人の寵愛を見据えているらしい。
ーーー呆れた。
そう思いながら目線を送ったのは、執事見習いに混じるセイファルトとラウドン、そして下級侍女に混じるカーラだ。
セイファルトは苦笑し、ラウドンは他の執事と談笑していた。
カーラは、同じように呆れた顔で、目線が合った時に軽く片眉を上げている。
まぁ、上級侍女はエイデスとダリステア様、それにコールウェラ夫人の目が行き届くので、そちらに任せることになっているから放置だ。
話し合いの時に口添えすればいい。
前の公爵家のお茶会で知り合ったヴィネドとイリィも、この状況を知らないので目線は合わなかったが、つんと澄ました顔で小鳥達とは一線を引いている。
ダリステア様が影武者をしていることに気付いたかどうかは、表情からは読めなかった。
上級侍女の位置にいる彼女達と関わることは、今のところほぼないから、ウェルミィたちがここにいるのはバレていないはず。
間に下級侍女と侍従、それに従僕や下働きの各業務を総括する人がいるし、主に働く場所が、屋敷の中と外で分かれているからだ。
最後に、横のお義姉様をチラリと見上げると、いつもの穏やかな微笑みで首を傾げる。
お義姉様が普段、何を考えているかは、実はウェルミィには分からない。
自分より遥かに賢いし、感情をあまり表に出さないからだ。
でも、ウェルミィやレオに見せる顔が、普段と違って本心からのものであることは分かる。
ウェルミィの割とエグめの提案にも驚いたりはあまりしないので、意外と腹黒なのかもと思いはするけれど、それはそれで素敵なので、問題ない。
ウェルミィは、そんなお義姉様にニッコリと大きめの微笑みを返した。
最近ずっとお義姉様と一緒にいられて凄く幸せだ。
代わりにエイデスがいなくて寂しい。
でも、これが終わったらまたお義姉様と離れ離れになってしまうので、世の中ままならない。
ちなみに下働きの中には平民に近い人たちもいて、歯を見せて笑う、という女性も多い。
本気で演技するならそういう笑みを浮かべる方がいいのだろうけれど、ウェルミィも礼儀作法を叩き込まれているので、人前では見せるのを躊躇ってしまう。
一度、エイデスの前で気を抜いて、うっかりそういう笑みを浮かべた時に『八重歯が可愛いからもう一度見せろ』と、膝の上から離して貰えなかった挙句に『私以外に見せるな』と言われた、という事実もあったりするし。
「ね、ミィ。そろそろ顔と名前も一致したし、仲良くする人を決めて行きましょうか」
「そうね、お義姉様」
レオには最低五人、可能なら下働きを含めて二十人ほど欲しい、と言われていた。
エイデスが許可を出すのなら、今200人は下らないだろう屋敷の使用人から、信頼できる人を見つけたい。
本邸は、侍女は少なかったが、下働きは多い。
理由はエイデスが個人的に住み込みで働かせている、護衛魔導士や護衛騎士の世話をする人も必要だからだ。
さらに、使用人に読み書き計算や魔術の基礎、礼儀礼節を教えるための各教師がいる私塾までも、敷地の中にあるというのだから驚きである。
普通の使用人は、そこまで教育しない。
ここは、本当に人を育てる為の屋敷になっているのだ。
使用人として保護するだけでなく、その人たちが苦労しないよう手に職や礼儀を身につけさせて、自分の力で生きていけるように。
ーーーこれを利用して、人手が必要な時の侍女や従僕を派遣するような事業を起こせないかしらね?
急に人手が必要になった時、親戚から借りたりするけれど、そこに仕事の隙がありそうな気がした。
オルミラージュ侯爵家の育成、となれば、箔も付いているし。
今度提案してみよう、と思いながら、ウェルミィはお義姉様達と仕事に戻った。
ウェルミィの成長と、侍女選別開始&事業計画アイデアでした。
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