幼い頃の罪。
「事の始まりは、君が川に落ちた事だったそうだな?」
エイデスに問われて、ウェルミィは当時のことを思い出していた。
それは、鮮やかに残る中でも、二番目に古いお義姉様との記憶。
一番古い記憶は、もちろんお義姉様と出会った時で。
ーーー綺麗。
こんなに美しい女の子が、この世にいるのかと、ウェルミィは思った。
そしてとても優しくて、その当時の彼女が、自分をどう思っていたのかなんて、思い至ることはなかったけれど。
仲良くしてくれるのが嬉しくて、一緒に遊んでいた。
その頃にはまだ、イオーラお義姉様の、母親の乳母をしていたという、婆やがいて。
二人を見守ってくれていた。
そう、あの二番目の、川に落ちた記憶は、その婆やがいなくなってすぐのことだった。
もう歳で体が動かないからと、名残惜しそうに出ていった婆やは、最後に二人の頭を撫でてくれた。
『仲良く過ごされて下さいねぇ』と。
婆やが亡くなったと聞いたのは、それからたった2ヶ月後の冬の時期だった。
綺麗な石を拾うのが昔から好きだったウェルミィは、川に落ちた日も、新しい侍女とお義姉様を誘って出かけた。
そして少し行きにくいところに見つけた川べりの石を拾いに行った。
危ないから、と引き止めるお義姉様に、大丈夫だと告げて……足を滑らせた。
浅いところだったから良かったけど、ずぶ濡れになって、ウェルミィは熱を出した。
ぼんやりする意識の中で、『お前のせいだ』と、枕元でお義姉様を責める両親の声を聞いた。
『違うよ、お義姉様は止めてくれたのよ』とウェルミィは言ったのに、無視された。
そして、霞む視界で見た、その時の両親の顔に、ゾクっとした。
彼らの目が、嗤っていた。
まるでようやく、お義姉様を責め立てて虐める理由が出来たとでも言わんばかりの、表情で。
顔は怒っているけれど、内心で悪魔のような笑みを浮かべているのが、何故かウェルミィには分かった。
ーーーこの人たちは、誰?
まるで、知らない悪魔が両親に乗り移ったかのように、ウェルミィには感じられた。
お義姉様は、悲しい顔で俯くばかりで、それに気づいていない。
やがて詰ったり叩いたりするのに飽きたのか、両親は出ていき。
それからお義姉様は、夜通し、新しい侍女の子と一緒にウェルミィの看病をしてくれた。
優しいお義姉様。
健気なお義姉様。
ごめんね、と口にする彼女の頬こそ、母に叩かれて痛々しく赤くなっていたのに。
ーーー怖い。
ウェルミィは、自分を守るかのように怒ったふりをしながら、熱のある自分を放っておく両親が、恐ろしかった。
その悪意が、イオーラお義姉様に向いていることが。
それを思い出したウェルミィは、口から嘘を吐く。
「怒られて当然のことですわね。だって私は、お義姉様のせいで川に落ちたのですもの」
「イオーラが連れてきた侍女は、そうは言っていないがな」
あの日、一緒にいた侍女。
お義姉様がエイデスの元へ赴く時にもついて行った、二歳年上のオレイア。
そういえば、彼女の扱いがひどくなったのも、あの日からだっただろうか。
だから、離れに行くお義姉様の専属侍女にしろと、両親に伝えたのだ。
エイデスが目を向けた先、男爵達のさらに後ろから静々と進み出てきた黒髪に小さな顔をしたオレイアは、静かな目でウェルミィを見ていた。
だから、忌々しげに顔を歪める。
「あら、オレイア……あなた、そんな嘘をついたの?」
「嘘ではありません、ウェルミィ様。あの日は、お嬢様が止めるのも聞かずに川べりに向かった貴女が、勝手に落ちたのです」
ハッキリと、凛とした声音で告げる彼女から目を逸らし、ウェルミィはエイデスを見る。
「こんな仕事の出来ない侍女の言葉を、真に受けられますの? エイデス様ともあろう人が……」
何度言われようと、名前を呼ぶ無礼をやめないウェルミィに、何を思ったのか。
それを口にすることはないまま、彼は話を先に進めることにしたようだった。
「そうして、イオーラを虐待し始めたお前達は、手始めに彼女のものを奪ったのだろう?」
それをさせたきっかけは、間違いなくウェルミィだった。
何故なら、両親のお義姉様に対する扱いは、日に日にひどくなって行ったから。
最初は、お義姉様の物を取り上げるところから始まった。
ウェルミィが、お義姉様の胸元に下がるネックレスを『いつ見ても、とっても綺麗ね』と声をかけた時。
お義姉様が何かを言い返す前に、母が言ったのだ。
『そうね、それはきっと、ウェルミィの方が似合うわね』
と。
そんなつもりはなかった。
目を見張るウェルミィ以上に、イオーラお義姉様は顔を青ざめさせていた。
それは母の形見だからと、泣きそうになりながら訴えても、母は聞かず。
呆然とするウェルミィに手渡された。
『今日から、貴女のものよ』と言われても、反発しか浮かばない。
ーーー違う。これは、お義姉様のものよ。
内心でそう言っても、これをお義姉様に返したら、きっと『盗んだ』とでも言って母が怒るだろうことは、簡単に想像できた。
だから、悲しそうなお義姉様から目を背けて、部屋に持って帰って、宝物入れの一番奥に入れた。
いつか、大人になって、大丈夫な日になったら、返そうって。
お義姉様のドレスも、何もかも、その日からウェルミィのものになっていって。
着られなくなったものは返しても意味がないけれど、それ以外の小物なんかは、全部全部、仕舞い込んだ。
ーーーそうして、お義姉様が出て行く日に。
ウェルミィは、そうした小物の中で、価値があるものや、小さくなって売ったドレスなんかの代金を溜め込んだお金で買った宝石を、小さな袋に詰めた。
もちろん、お義姉様の母が遺した、形見のネックレスも。
それをそっと、オレイアに手渡して命じた。
せいぜい悪辣な笑みを浮かべて、『お義姉様が盗んだように、荷物の中に仕込みなさい』と。
「奪った? 盗人のような真似をしているのは、お義姉様の方ではなくて?」
ウェルミィが思った通りに、お義姉様は今日、形見のネックレスを身につけていた。
「あのネックレスは、姉が私にくれたものですのよ、エイデス様。それがなぜ姉の首にかかっているのです? ……家を出るときに、盗んだのではなくて?」
その言葉に、周りの貴族たちがざわめくが。
エイデスはそれを一笑に伏す。
「彼女の持ってきた宝石類には全て、魔術による隠蔽を施された、所有者刻印が刻まれていた。ーーー全て〝イオーラ・エルネスト〟とな」
その言葉に、さらに周りがざわめく。
ウェルミィは、ギリ、と奥歯を噛み締めて眉根を寄せた。
「ゴルドレイ……!」
わざとらしく、家令の名を口にする。
宝石類を買い込む時は、常に彼を連れて行っていた。
あるいは家に宝石商を招く時は、彼をそばに居させていた。
ーーーその宝石類に刻む所有者刻印の名称は、全てウェルミィが署名したものだけれど。
お義姉様に少しでも財産を残すために、そうしていた。
オレイアに預けた宝石類は、全てイオーラの名前を刻んだもので当然なのだけれど。
きっとウェルミィの態度で、周りは『家令がそう計らった』と思うだろう。
この後に起こる断罪を知れば、きっと彼らは家令を悪くは言わない。
虐げられた正当な爵位の継承者の為に、忠実な家令が行動したと思うだろうから。
「謂れなき罪までイオーラに着せようとする……浅ましいことだが、浅ましいだけあって、詰めが甘いな」
エイデスの酷薄な笑みに、内心同じような笑みで応じながら、ウェルミィは悔しげに顔を伏せてみせた。
断罪劇は、まだ続く。
この程度は、本当に序の口なのだから。
少しの間、断罪劇の裏側が続きます。
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