嘘は嫌なのよ。
「何の話?」
ウェルミィは、不思議そうな表情を作ってヘーゼルを見返した。
驚きを咄嗟に厚く覆い隠し、タイミングも含めてほぼ完璧だった筈だ。
けれど、内心では舌打ちしていた。
ーーーやってくれたわね。
ヘーゼルがいつそれを知ったか、なんて、考えるまでもなく誘拐犯との会話の中だろう。
グリンデル伯爵家の内情に、何故か詳しそうな犯人である。
ルトリアノとエイデス、そしてウェルミィしか知らない筈のヘーゼルの血縁に関する事実を、どこかから知ったのかもしれない。
その上で、ヘーゼルにその情報を与えた意図は、一体何なのか。
「とぼけるの?」
「本当に、何の話か分からないのだけれど」
ウェルミィ同様、エイデスも表情には出さなかった……筈なのに、ヘーゼルは引き下がらなかった。
ルトリアノにとってもヘーゼルにとっても、その『真実』が暴かれるのは良いことではない。
知らないままでいられるのなら知らなくていい話、というものが、この世にはあるのだ。
皆が薄々察しながらも口をつぐんでいた、イザベラお母様の『真実』と同じように。
シドゥは、流石に真っ向から当主夫妻に噛み付いているヘーゼルに思うところがあるのか、彼女の横で渋面を浮かべているが、先日と違って口を挟まなかった。
話題が話題だから、なのだろう。
「ねぇ、ミィ。あたし、それなりに長くあんたに仕えてるのよ。そこら辺の貴族より、ミィのことよく知ってるわ」
「ええ。それがどうしたの?」
関係なさそうな話をし始めたわね、という表情を作ってみせたけれど、ヘーゼルはウェルミィの手元を指差した。
「ミィはね、嘘をつく時に扇を口元に当てようとするのよ」
言われて、ウェルミィは自分が、膝から扇の頭を軽く持ち上げていたことに気づいた。
あの問いかけをされて、無意識に手が動いていたらしい。
「それに、御当主様やアロイ以外の人から『本当に分からないこと』を言われた時には、最初に眉根を寄せるのよ。考えるから。ねぇ、あたしに嘘をつくの?」
ーーー参ったわね。
どうやら、ウェルミィの演技は『普段をよく知らない相手』には通じても、演技をする時のウェルミィを知っている相手には通じないようだ。
考えてみれば、当然のことかもしれないけれど。
ヘーゼルは、今ではウェルミィがオレイアと同じかそれ以上に信用している侍女である。
それでもしらばっくれるか、説明するか……その判断に迷っていると、エイデスがククッと喉を鳴らした。
「何笑ってるのよ」
どう考えても笑いごとではないのに。
エイデスを睨むと、口元は笑っているが目が真剣だった。
「いや、お前がこの手のことで真正面から『負ける』のを、久々に見たと思ってな」
少しでも場を和ませようとしたのかもしれないけれど、エイデスのその態度もヘーゼルにはバレているだろう。
あるいは『彼女の態度を許す』と、シドゥに分かりやすく伝える為なのかもしれない。
どうやらエイデスは、誤魔化すのは無理だと判断したらしいので、ウェルミィはため息を吐いた。
ーーー確かに、ここから完璧に誤魔化すのは難しいけれど。
最初の演技で騙せていればまだしも、演技していることを見抜かれてしまったのだ。
それはヘーゼルの言う通り、『私は嘘をついている』という告白に等しい。
「……貴方の友人のことでしょう。それにヘーゼルにとっても良いことじゃないわ。簡単に判断していいの?」
「だが、ヘーゼル本人が知りたいと望む以上は、尊重すべきだと私は思う。隠し通せなかった嘘なら、尚更だ。そうだろう?」
少し含みがある言い方になったのは、多分、エイデスも【断罪の夜会】の件を思い出していたのだろう。
当事者の意思を尊重する。
エイデスは、いつもそうである。
ウェルミィの『嘘』は、お義姉様がそう望んだから暴かれた。
イザベラお母様の『嘘』は、誰も望まなかったから暴かれなかった。
ウェルミィ自身の意思は『我が身の破滅』でも『罪の精算』でもなく、『お義姉様の救済』だったから……エイデスはウェルミィとの婚約と引き換えに、お義姉様への援助を申し出た。
「甘いわよね、エイデスは。ヘーゼルが後悔するかもしれないのよ?」
「それを憂慮するお前に言われたくはないな、ウェルミィ」
エイデスと目を見交わした後、ウェルミィはずっとこちらを睨んでいるヘーゼルを真っ直ぐに見返した。
「ヘーゼル。この話は貴女にとって、今まで信じていた『事実』より辛い『真実』かもしれないわ。……それでも、聞きたいの?」
ヘーゼルにとって、一番大きな心の傷に関する話題である。
同じような状況で、エイデスはマルム様の日記を読むことを……あの人の心が壊れていく様を知ることを、望まなかった。
それでもあの件は、エイデスにとって苦いながらも救済だった。
けれどこの件は、話したところで、ヘーゼルの気持ちがより苦くなるだけなのだ。
ウェルミィがもう誤魔化そうとしていないのを理解したのだろう、ヘーゼルはきゅっと口元を引き結んだ。
膝の上で手を握り締めて、ハッキリと返答を口にする。
「知っちゃった上で知らないふりが出来るほど、あたしは器用じゃないわ」
「そうね。でも、もう一つ良いかしら」
これが最後の確認だった。
「ミザリも同じことを知る権利があるわ。あの子はどうするの?」
「……っ!」
ヘーゼルにとっては、今、意識の外側にあったことなのだろう。
息を呑む彼女に、ウェルミィは微笑みかけて首を傾げた。
「ミザリは、まだ貴女が聞いたことを知らないわ。でも教えたら、決して良い話ではないのに聞きたがるかもしれないわね。……勿論まずは、伝えるかどうかを含めて、お義姉様と相談しないといけないけれど」
グッと顎を引いたヘーゼルに、さらに言葉を重ねる。
「知ってしまったヘーゼルは、ミザリに対してどうするのが良いと思う?」
「……その言い方は卑怯だわ」
ヘーゼルが唇を噛んだ。
その選択は、『ルトリアノの真実』を知ったエイデスとウェルミィが迫られたのと、同じ選択。
余計に伝えた相手の傷を抉ることになると知っていて、何も知らない相手にそれを伝えるかどうか。
ましてミザリは、ヘーゼルが本音を伝えたことで確実に快方に向かっている。
ルトリアノの亡霊に再度会わせることにすら慎重になっていたくらいなのに、これを知ることによって症状が悪化する可能性もあり得るのだ。
知らなくていい真実を伝える、というのが、相手の意思を尊重する行為ではあっても、決して『良いこと』ではない理由である。
かつてウェルミィは、黙ることを選択した。
ヘーゼルは考えた末に、オルミラージュ侯爵家に馬車が着くタイミングで、血を吐くように言葉を口にした。
「それでも……あたしは、嘘は嫌なのよ……」
ミザリと違って体に影響が出ないとしても、ヘーゼルにだって傷がないわけではない。
過去の自分と決別する為に自ら刻んだ、顔の傷跡。
幼少の頃に受けた仕打ちに対する、心の傷。
『真実』は、確実に古傷をさらに深くするだろう。
ーーーでも、それ以上に、嫌なのね。
たとえ辛い思いをすることになっても、それ以上にヘーゼルは『嘘をつかれている状況』そのものが、嫌なのだ。
その気持ちを、ウェルミィは分かる気がした。
『嘘』がないことの方が、今のヘーゼルにとっては大切なことなのだろう。
グリンデル伯爵家の嘘に、ミザリの嘘に、ローレラルの嘘に、そしてオルミラージュ侯爵家に潜り込んだウェルミィとお義姉様の嘘に、そしてヘーゼル自身の『自分に対する強がり』という嘘に……彼女は嘘に晒され続けて、翻弄されてきたから。
優しい『嘘』よりも、誠実な『真実』を、ヘーゼルは求めている。
だから、表裏のないシドゥに、ヘーゼルは惹かれたのだろうと思った。
厳しい状況や絶望を前にしても、死の間際であっても、周りを気遣って冷静に前を向き続け、黙々と努力を重ねる彼に。
時に『嘘』は、重ね続けると強い呪縛に変わる。
その強さは、ウェルミィ自身がよく知っていた。
かつて、一つの『嘘』で自分を縛って、嘘に嘘を重ねて、そうして抜け出せなくなったものだから。
エイデスに『自分に対して嘘をつくな』と、ウェルミィは保護された後に散々言われてきた。
そうして彼やお義姉様に解いて貰わなければ、自分で解くことも出来ないくらい、それは……ウェルミィの『強がり』は、呪縛だった。
婚約の際、魔術によるエイデス側の契約を『嘘を縛る』ものにしたのも、きっと……そう、ウェルミィ自身、『嘘』の呪縛の強さを知っていたから。
『嘘』はある側面では自分を強くし、けれど使い方を間違えれば、自分を押し潰すのだ。
「分かったわ。ミザリについては、どうしようかしらね。あの子に伝えるのは今ではなくてもいいけれど……」
聞くかどうかを問いかける行為そのものが、そこに『真実』があることを気づかせてしまう。
これはそういう類いの問題だったからこそ、難しいものなのだ。
ーーーお義姉様なら、何か上手いやり方を思いつくかしら。
そう思いつつ、ウェルミィはヘーゼルに告げる。
「いつまでも待たせはしないけれど、少し待って貰って良いかしら。そうね、明日一日だけ。ミザリに同席して貰うかどうかは関係なく、貴女には伝えるわね」
「……」
ヘーゼルは返事をしなかったが、小さく一つ、頷いた。




