点と点が、線で繋がる。
ーーー数日後。
ウェルミィはスフィーアに『おやすみ』を告げて頬に口付けした後、帰宅したエイデスの待つ家族部屋へ向かった。
別に寝室でも良かったのだけれど、スフィーアの寝室はかつてウェルミィの私室の一つ……夫婦の寝室に繋がる部屋……なので、話し声がうるさいかと思ったからだ。
お風呂上がりのエイデスは、いつも通り、お気に入りの果実のジュースを飲んでいた。
出会った時から、就寝前に変わらずそれを飲んでいる。
「貴方、それ好きよね。飽きないの?」
「一度好きになったものに、飽きたことはない。それにこれ自体は、元々火傷などの痛みを抑える効能があるものだ。もう必要ないが、害のあるものでもない」
「ああ、なるほどね……で、何その笑顔」
ウェルミィはソファの横に腰掛ける前に、どこか含みのある笑みを浮かべているエイデスを、腰に両手を当てて見下ろした。
「お前にも、飽きたことはない」
「言うと思った」
これも、出会った時から散々やられていることである。
『いずれ慣れてしまうと思うと惜しくもある』なんて言っていたけれど、ほぼ毎日のようにそんな風に言われていたら、それは慣れるに決まっているのだ。
「愛されてるわね、私」
冷たい目の演技をしながら見下ろした後、口元を緩めて彼の横にするりと腰掛けた。
「で、ルトリアノの幽霊について、何か教えてくれるのよね?」
「ああ。……もしあれが幻影の魔術などではなく、幽霊というものが『存在する』と仮定した場合」
エイデスはコトリとグラスを置いて、話し始めた。
「幽体がエーテル体として、肉体から独立した状態で活動している、とするのが、最も一般的な解釈だ」
「エーテル体?」
「そう。幽体離脱、と呼ばれる現象を研究している魔導士の論文があり、二つの事象で状態を分けている。マテリアル界であるこの世で幽体として活動する際の状態であるエーテル体と、虚空にて活動する状態であるアストラル体だ。……元々『世界の書』の研究故に、実証が難しい分野だが」
『世界の書』への干渉……つまり〝時〟の氏族の『夢見』は、魔導学的にはマテリアル体、と呼ばれる『肉体』から離れないと行えないのではないか、という仮説がまずあったそうだ。
その上で、さらに特殊な状態の幽体であるアストラル体を持つ者が『世界の書』に干渉できるのでは、と。
「……お義姉様が、ラウドンの体に走ってる魔力脈が特殊な形をしてる、って話をしてたけど、そういう話なのかしら」
「おそらくはな。だが今回の話は幽霊の目撃だ。つまり、もう一人のお前が活動していたことの方が、話としては近い。マテリアル界側の話だからな」
「『ウェルミィ・リロウド』はエサノヴァの体を借りて活動してたけど、ルトリアノは幽霊として実際に目に見えた、ってところが違う感じ?」
「ああ。だが魂魄はそれ単体で形状を維持できない、とする仮説も存在する。これは我が父アウゴが、『魂を縛る契約魔術』を生み出した際の論文に記されていたことだが、もし魂魄が単体で放り出された場合、三魂七魄が結合した状態を維持することが困難になり、分解されて消滅する、と」
「……難しすぎてよく分からないんだけど。魂は、死んだら大地を走る龍脈に還るんじゃないの?」
「それについては分解されない為に龍脈に還る、という見方だな。そうすることで輪廻の内に戻り、再び生まれ落ちる」
エイデスは、眉根を寄せたウェルミィの頬に指先で触れた後、指先に魔力の光を浮かべた。
魔人としての赤黒いものではなく、元々の彼の魔力の色である青みがかった紫の光である。
「その魂を保護するのが『魔力の体』であり、肉体を離れても幽体を維持することが、幽体離脱を可能とする条件、と仮説上では定義されているのだ。だから幽体も魔力の塊であり、人間の全身には血管同様、魔力脈が張り巡らされている。これは言うなれば『幽体の血管』なのでは、という話だ」
ウェルミィは、じっくり考えた。
死んだ後も、この世界で魂を維持するには、幽体が必要。
出来ない場合は、龍脈に入る。
龍脈は巨大で濃密な魔力の流れそのものであり、だからこそ魂はその中で形状を維持出来る。
「普通の薬と違う『魔薬』って、もしかしてこの幽体を治したり幽体に干渉したりする薬、ってことでもあるのかしら。なんかお義姉様の研究論文にも、似たようなことが書かれてたような……?」
治癒の魔術と同じ効能を持つ魔薬の存在も『魔力で幽体に干渉するもの』と考えると、確かに筋は通る気もする。
あの時も、あんまり理解出来てなかったけど。
お義姉様、貴族学校時代からそんな解明もされていないような出来事に言及していたらしい。
「ウェルミィ。これらの話は正しい部分が多いとは思うが、まだ根本的な部分は実証が為されていない。全て仮説だ」
それでも、エイデスは楽しそうだった。
ウェルミィが自分の専門分野に興味を持っているのが嬉しいのか、それを話せることが嬉しいのかはよく分からないけれど。
「魔薬や魔術の研究は『それによって求める効能を得ている』という経験則の蓄積と読み解きで行なわれてきた。感覚的に理解出来ている、現実に偶発的な状況が存在する、は、まだ解明に至っていないのだ。『その先』は、まだこれからの話になる」
「だから、仮説?」
「そう。ベルベリーチェ上妃陛下の瞳は、魂とその『宿命』を見る。魂魄を見る力を宿しているということだ。そしてテレサロやオレイアの瞳は魔力脈を見る。これが、幽体を見る力であり……多少の違いはあれど、お前を含むリロウドの瞳も同様なのではないか、と私は考えている」
「……えっと、私に幽霊が見える、ってこと?」
とりあえずついていけてはいるけれど、本当に理解出来ているかと言われるととても微妙で、ウェルミィは自信がなかった。
「見えたことがあるのか?」
「今回が初めてね」
ルトリアノを見る前に、幽霊を目撃したことは特にない。
「もしかしたら、今後見えるかもしれんが、それは置いておこう。全てを明確に理解する必要はない。魂魄が幽体を纏うと『思考』が生まれるとする説など、派生の研究も様々にあるが、重要なのは次の一点だ」
と、エイデスは指を立てた。
「要は『思考や体の状態を隠せない』のが幽体であり、それが見えるからお前は人の感情を読み取ることが出来、テレサロ達は相手の状態が分かるのではないか、というところだ」
そう言われて、ウェルミィはテレサロと初めて話をした時のことを思い出した。
『体を包む、お力の気配が……温かい、です』
『力の気配は、嘘をつかないです』
そう、テレサロは言っていたのだ。
確かにそれは、ウェルミィの瞳の力と似ているのでは、と、あの時に感じたことも思い出した。
「幽霊っていうのは『私やテレサロ達に対して嘘がつけない魔力の体だけ』を纏った人、なのね?」
「ああ。そうした前提を踏まえた上で、現実問題としての【幽霊事件】だ。ルトリアノを目撃した時、何か悪意的な気配を感じたか?」
ーーーすぐに消えてしまったけれど、印象はどうだったかしら。
静かに佇んでいた、という印象しかない。
彼の目的からすれば、ヘーゼルへの憎しみなどを発していることはあり得ないので、多分そういうことなのだろう。
「悪意はなかった、と思うわ。流石に驚いたから、そこまで詳しく覚えているわけではないけれど」
「であれば、幻影であれ幽体であれ、お前達に何らかの害を与える為に出現した訳ではない、と考えられる。どちらにしても、そこには『意図』がある筈だ。その意図は何か、というところだが」
「その意図に、思い至ってるのね?」
エイデスの口調は、ズミアーノの策略に気づいた時と同じ感じである。
ピンと来て尋ねると、彼は小さく頷いた。
「考えてみるといい。お前も思いつくだろう」
「……あんまり焦らすと、怒るわよ?」
「では、ヒントを与えよう。見かけた場所にいたのはヘーゼルとミザリだが、二人にはグリンデル伯爵家という『出自の共通点』以外に、『ルトリアノと遭遇した状況の共通点』がある。それは何だ?」
「状況……?」
ーーーあの時、私は〝精霊の愛し子〟の資料を探していて……?
ミザリ側の話は又聞きだけれど、お義姉様もヒントを探してペソティカ男爵に会いに行って、家系図を見せてもらった、と言っていた。
そして、古語を。
「あぁ……二人とも古語を読めた直後に、ルトリアノに会ってるのね……!」
「そうだ。二人は貴族学校に通っていない。だが、単語とはいえ古語を読めた。その後にルトリアノと出会っている。おそらく、これらの事象の間には関わりがあるだろうと推測出来る。ならば逆に、ルトリアノを誘き出すことも可能ではないか?」
エイデスは、そこで一度言葉を切って、こう告げた。
「二人に、あるいはどちらかに古語の資料を見せる。もし関わりがあるのなら、奴は現れるだろう。呼び出して、直接話を聞けばいい」
「幽霊に!?」
「何故現れたのか、本人に聞くのが一番確実だろう?」
エイデスの発想に、ウェルミィは舌を巻いた。
確かに、幽霊の考えてること、なんて、何から調べたらいいかさっぱり分からないだろうし、確実でもあるけれど……。
「でも、聞いてどうするの? 話を聞いた後に、出てこないように言って聞かせるとか?」
「これはあくまでも私の推測だが。グリンデル伯爵家の名が、編纂者の家系であるペソティカ男爵家の家系図に、それも古語で書かれたような古い分家の名として記されていたのだろう?」
「ええ」
「そして、お前達が調べていたのは〝精霊の愛し子〟に関すること、だ。もしかすると、グリンデル伯爵家のルーツと、ルトリアノの出現には……」
エイデスは、そこで表情を引き締めた。
「ーーー〝精霊の愛し子〟について知る為の、重要な何かが隠れている可能性もある」




