隠さずに抱きしめて。
ヘーゼルが馬車から降りようとすると、御者台から先に降りていたシドゥが手を貸してくれた。
護衛として側にいるように命じられている為、ついて来ているのだ。
「ありがと」
「おう」
軽く答えた彼は、表情を引き締めたまま、王家の馬車から降りるミィ達の方に目を向けている。
「ヘーゼル」
「何?」
オレイア侍女長にも手を貸した後、名前を呼ばれて振り向くと、彼はボソリと呟いた。
「素直にな」
「……何の話?」
ヘーゼルが首を傾げると、シドゥは軽くこめかみを掻く。
「人間、弱ってる時は意地を張るのも張られるのもしんどいだろ。……例えは悪いかもしれんが、ミザリは今、戦場で瀕死の重症を負ってる兵士と同じだと俺は思う」
「……そうかもね」
「ミザリの心が生死の境を彷徨ってるなら、そう思って声掛けしてやった方がいいかなって。ヘーゼルもしんどいだろうが」
「別に、あたしは平気よ」
確かにアイツの姿を見た時は混乱したけど、ミィが死ぬかもしれない、と思った時の方が、遥かに恐怖を感じていた。
あの後、ミィに声を掛けて貰えたのも大きいと思う。
何よりヘーゼルは、ミザリと違って体は健康なのだ。
「ちょっと心配し過ぎ。でも、それもありがと」
ヘーゼルは、いつもシドゥが励ます時に腰を叩いてくるのを真似て、背の低い彼の肩をパン、と軽く叩く。
そして、不敵に笑みを浮かべてみせた。
「気に食わないのはずっと変わらないけど、あれでも、あの子は私の義妹だしね」
するとシドゥは、軽く片眉を上げた後にニヤッと笑う。
「義妹? 義姉の間違いじゃないのか?」
「冗談じゃないわ。どう考えてもあたしの方が大人でしょ」
「……っ」
ふん、と顎を上げて見せると、シドゥが吹き出すのを堪えて唇を噛む。
そんな彼を思いっきり睨んでから、ヘーゼルは歩き出した。
ーーー素直に、ね。
貴重な助言と、いつものやり取り。
すぐに焦って視野が狭くなるヘーゼルとしては、落ち着きがあるシドゥの存在は、とてもありがたかった。
騎士団の人の中にも何人か、同じような気配を感じるタイプがいる。
きっとそれは、死線を何度も潜り抜けた人間特有の肝の座り方、なのだろう。
今も多分、声を掛けて貰わなければ……ミザリに会う時、肩の力が入り過ぎてしまっていたに違いない。
そこで、やり取りを見ていたミィとアロイが何とも言えなさそうな様子で目を見交わした。
「何?」
「いえ、あなた達、本当にいつまで結婚しない気なんだろうって思っただけよ。ねぇ、お義姉様」
「そうね。とてもお似合いだとわたくしも思うんだけど」
ミィが呆れたような、アロイが微笑ましそうな目をしてそれぞれに口にするのに、頬が熱くなる。
「別に、イチャついてた訳じゃ……!」
「ヘーゼル。流石に人目の多い場所です」
思わず言い返そうとしたところで、オレイア侍女長にピシャリとそう言われて、慌てて口を噤んだ。
そうしてミザリの面会に赴くと、彼女はベッドの上で上半身を起こして座っていた。
「あ〜、傷顔とミィじゃない〜。どうしたの〜?」
「……っ」
ヘラリ、と笑ったミザリを見て、ヘーゼルが思わず眉根を寄せた。
ーーー目が。
呪具や【精神操作の魔薬】で精神を壊された者がなるという、特有の目の感じ。
ここ最近はだいぶ薄れていた、懐かしさすら覚えるその感じが、今は色濃く出ていた。
それだけで、ミザリがどういう状態か分かってしまう。
「ミザリ。調子はどう?」
「元気だよぉ〜」
アロイが心配そうな様子を見せずににっこりと微笑みかけると、ミザリはそう応じる。
「でも、退屈だねぇ〜」
「そうね。けれどミザリは、昨日はあまり眠れなかったでしょう? 大事を取らないとね」
そうしてアロイが頷きかけるのに、今度はミィが前に出た。
「倒れたって聞いたから、お見舞いに来たのよ」
「大げさだよぉ〜」
「そう思っても、お義姉様の言うとおり無理しちゃダメよ」
ーーーいや、どの口が?
ヘーゼルが思わずアロイを見ると、彼女も困ったように笑っている。
「そっかなぁ〜」
心ここにあらずなミザリに、目を合わせたアロイが小さく首を横に振る。
ーーー症状が、悪化してるの?
意識がある時は普通、と言っていたのに、確かに今のミザリはヘーゼルから見てもおかしい感じになっている。
ーーーどうしたらいいんだろ。
素直に、って思っても、どうすれば素直に接するってことになるのか。
ミィが軽く横に退いてこちらに目を向けて来たので、ヘーゼルは迷いつつも、頷いて前に出た。
「……ミザリ」
「どうしたの〜? 傷顔、暗いねぇ〜」
ミザリが小さく首を傾げると、ふわふわのハチミツ色の髪が揺れる。
そして胸元に手を伸ばすような仕草をしかけた……ところで、ヘーゼルは反射的にその手を掴んでいた。
ーーーそれはダメ。
と、思ったところで、ミィに掛けられた言葉を思い出した。
『今の貴女の側にいるのは、あいつじゃなくて私よ。貴女は自分の意思で自由に生きられるし、貴女に手出しする人間には私が容赦しないわ。恐れて意識だけ逃すような真似は、しなくていいのよ』
ーーーそう、そうね。
それを伝えればいいのだ。
ヘーゼル自身の言葉で。
「え〜? いきなり何ぃ〜?」
「ヘーゼル、よ」
手を掴んだままベッドの脇に膝をついて、ミザリの目を覗き込む。
「ミザリ。ヘーゼルよ」
ヘーゼルのことを覚えておかないといけない、と、ミザリは侯爵家で使用人をしていた時に、口にしていた。
こいつの心の拠り所は〝傷顔〟ではなく、あの頃のヘーゼルなのだ。
すると、ミザリの瞳が揺れた。
一瞬正気に戻ったような色を浮かべた後に、より濃く靄が掛かったような瞳に変わる。
「でもぉ〜……」
と、何かを口にしかけたミザリを、ヘーゼルはいきなり抱きしめた。
初めてである。
今まで、こんな風に触れたことなど、一度もなかった。
長身のヘーゼルに比べて、ミザリは小柄で細い。
なのに、今よりももっと小さくて細い時期に、彼女は服で隠れる体全体に、消えない傷を刻まれたのだ。
「ヘーゼ、ル……?」
「そうよ。あたしはここにいるわ」
声を出すと、目尻が熱くなった。
ミザリのことなんて、大嫌いだった。
自分のものを全部奪った、憎い相手だった。
なのに、本当はそうじゃない、って聞いて、どう接したらいいかも分からなくなった。
昔の話だ。
ーーー素直に。
それでもミザリは、ヘーゼルのところに来た。
邪険にされても、少しもめげないで。
「ミザリ。あんたがいる場所は『そこ』じゃないわ。だって、あたしはここにいるのよ」
『ヘーゼル』を忘れないように、と。
他に誰も覚えていない、ヘーゼル自身すら捨てようとしていた子どもを、可哀想だと。
自分の方が、よっぽど辛い目に遭ってたのに。
ヘーゼルは、体を離してミザリの両肩を掴むと、驚いたようにまん丸になったその目を覗き込む。
「よく見なさいよ! 今のあたしには、大事な人がいっぱいいるわ。シドゥも、ミィも、アロイも、スフィーアお嬢様も、オルミラージュ侯爵家の使用人仲間も……あんたもそうよ、ミザリ」
ミザリは、過去を見続けている。
忘れないように、ずっと。
でもそれは、自分の辛くて苦しい記憶じゃなかった筈だ。
今みたいに、あのクソ野郎の幻影に苦しめられる記憶じゃなくて、『ヘーゼル』を見つめていたのだ。
「もうヘーゼルはここにいるのよッ!!」
ヘーゼルが全部捨てて、〝傷顔〟として生きていこうとしたから、ミザリは『ヘーゼル』を覚えておこうとしたのだ。
もう、とっくの昔にそうじゃなくなっているのに。
今もまだ『ヘーゼル』がそこにいると思っているから、きっとミザリは今、余計に苦しむことになってしまっている。
忘れようとしても忘れられなかったから。
グリンデル伯爵家の記憶が、ミザリを繋ぎ止めた『ヘーゼル』そのものだったから。
だから、分からせるのだ。
「ここにいるのは、大事なものを全部無くした〝傷顔〟じゃないわ。ミザリ、あんたが守ろうとしたヘーゼル・グリンデルなのよ!」
「……!」
「あたしは、とっくにあの家になんかいないわ。あんた達が、あたしを取り戻してくれたから!! だから、あんたも忘れていいのよ……もう、忘れていいの!」
「忘れ、る……?」
「そうよ。だって、今ここにいるあたしが、あんたが覚えておこうと思った『ヘーゼル』なのよ、ミザリ!!」
ミザリの瞳が、大きく揺れた。
「だから、『ここ』に来なさい! あんたはずっと、あたしの近くにいるんでしょう!!」
靄がかかったように『遠い場所』にいたミザリが戻ってきて、けれどまた、胸元に手を伸ばすのを。
彼女の胸元に頭を突っ込んで、遮る。
その手が、強くヘーゼルの頭を掴んだ。
胸元に抱き抱えられるような格好になり、さらに目線が近づく。
「ヘーゼ、ル……」
「そうよ。あたしを見なさい! 心を壊すような道具に、頼らなくていいの! あたしはもう、あんたの目の前に帰って来てるんだから!!」
「ヘーゼルぅ……ミザリ、は」
驚いたような呆けたような顔のまま、ミザリの目から、ボロボロと一気に涙が溢れる。
「ミザリは……忘れて、いいの……?」
「いいに決まってるでしょ! あの家のことを忘れても、あんたの『ヘーゼル』はここにいるわよ!! だからあんたも、さっさと『こっち』に来なさいよ! ウーヲンだって待ってるわよ!!」
「う、ん……うん……」
グズグズとしゃくりあげるミザリに、思い切り頭を抱き締められて視界が遮られたので、彼女の肩を掴んだ手を離して、そのまま細い腰に腕を回す。
「ヘーゼル……ヘーゼル、おかえりぃ……!」
その声に、ヘーゼルも涙を堪え切れなかった。
ーーーごめん、あたしがもっと早く、そう言ってやれてれば。
心の中でそう思いながら、結局口からついて出たのは、憎まれ口だった。
「遅いのよ、このバカ!」
「バカじゃないもん〜……ミザリ、ヘーゼルより賢いもん〜……」
「そんなわけ、ない、でしょ……!」
そうして、ミザリが落ち着くと、ヘーゼルは頭を上げた。
体を離して目元を腕で拭い、アロイを見る。
ーーーどうだったんだろ。
声を掛けろと言われて、これしか思いつかなかったけど、これで良かったのかどうかすら分からない。
でもアロイは、近づいてきてミザリの目を覗き込んだり、ミザリの体の表面をあちこち撫でるようにしながら、自分の人差し指に嵌めた指輪の宝玉を見つめている。
魔力の流れを確かめることができる治療用の魔導具だと、以前聞いたことがあるやつだろう。
「凄いわ……昨日の晩より、確実に安定してる……ミザリ、何か苦しさを感じる?」
「泣いたから目が痛いよぉ〜?」
「それは仕方ないわね」
どうやら、症状が悪化したりはしなかったらしい。
ヘーゼルが少しホッとしてミィに目を向けると、女主人は入り口の方に目を向けていた。
視線を追うと、そこにいたのは土汚れのついた服に身を包んだ青い髪の青年……ウーヲンである。
オーバーオールにハンチング帽といういつもの格好をしていて、どうやら手に何かを持っているようだ。
「ウーヲン、来てたの?」
「……取り込み中だったみたいだから」
人見知りで無愛想な彼が、ボソボソとバツが悪そうに目線を逸らしたので、ヘーゼルは途端に恥ずかしくなる。
ーーーあ、あれ、見られてたのね。
よく考えたら、叫んだこと自体は事情を知らない人には意味が分からないだろうし、部屋にいる全員に聞かれていたのだ。
ヘーゼルが思わず目元を手で覆うと、ミィの声が聞こえた。
「ウーヲン。何を持って来たの? お見舞いの品?」
「いいえ。……王妃殿下」
ミィの言葉を否定したウーヲンが、アロイに話しかける。
目元を覆っている指の隙間からチラッと見ると、彼は膝をついて何かを捧げるように自分の主人に向かって手を伸ばしていた。
「出来ました。役に立てばいいのですが」
その上に乗っているものを見て、アロイが眉をひそめる。
「これは……もしかして、この間言ってた……!?」
「はい」
ウーヲンはミザリに目を向けながら、生真面目な表情で淡々とこう口にした。
「ーーー【賢者の石】です。これでミザリの体を本当に治せると、言っておられましたよね?」




