あの日、何があったのか。【後編】
「何かある、というのは?」
イオーラが聞き返すと、アダムス様は親指を立てて、王城の方向に向けた。
「さっきアルミニカも騎士団の稽古場にいて、稽古が終わった後『兄上に会いに行く』って言って別れたんだよ。今編纂室にいる筈だ」
「そうなのですか?」
彼女のことを、イオーラは何度かお茶会に誘って席を共にしていた。
アルミニカの夫は、ズミアーノ・オルブラン侯爵の弟……セフィラ・オルブラン氏なのである。
侯爵家次男と男爵家長女という身分格差のある婚姻、それもプロポーズが公衆の面前、かつオルブラン侯爵家らしくセフィラ氏も少し変わった方、というところで、一時期話題になったのだ。
そのアルミニカの産んだ男子がオルブラン侯爵家を継ぐのではないか、と言われている。
ニニーナ様の体の弱さもあって、ズミアーノ様には子どもがおられない為だ。
そんなアルミニカ様の境遇は、いわゆる『玉の輿』話で、若いご令嬢を交えた場では今でもたまに話題に上がる。
彼女をお茶会に誘い始めたのも、侯爵家の継承権の話が上がった頃に、彼女の義姉であるニニーナ様にお願いされたのだ。
アルミニカは領地も持たない男爵の出なので、夫人社交の場ではいくら何でも本人の対外的な後ろ盾が弱過ぎる為、『王妃と懇意』という印象を国内外に示す意味合いだった。
オルブラン侯爵家がどういう家なのか、はイオーラ達はよく知っているので杞憂かもしれないけれど、『国の穀物庫』に侮られ付け入る隙があると思われるのは、ライオネル王国にとっても良いことではなかったからである。
そんな彼女が編纂室に向かった、という話なのだが……。
「単なる偶然ですわね」
何せ、イオーラがペソティカ男爵に会いに行くのを思い立ったのは、ついさっきのことである。
「ならいいんだけど。じゃ、俺はこれで」
「ええ。ヒャオン殿下が無事に見つかると良いですわね」
そうしてアダムス様と別れると、黙って話を聞いていたミザリが不思議そうな顔をしていたので、今度は彼女に話しかける。
「どうしたの?」
「アルミニカ様って侯爵家の方なのに、何で稽古場に居たんだろうって思って〜」
「ああ……彼女は元々剣術が好きで、昔は性別と出自を隠して騎士団の稽古に混ぜて貰ってたらしいわ。今回もそうなのじゃないかしら」
「え〜? 見る方じゃなくてやる方〜?」
「そうよ。未だに鍛錬しているとはわたくしも思わなかったけれど」
「そうなんだぁ〜」
アルミニカもアルミニカで、少し変わった女性なのである。
女性社交での交友関係が弱い、といっても、内情を知って彼女に手を出そうという人たちは少ないだろう、とも思う。
何せ、騎士団で頻繁に稽古していた時期が時期なので、かなり権力中枢に近い男性らと仲が良い。
当時、王下中央騎士団長に所属していたヘーゼルの恋人、シドゥと知り合い、今の南部辺境領騎士団長レイデン卿と話すようになり、そこから芋づる式にアダムス様やツルギス様とも交流していたのだ。
だから、アダムス様が彼女のことをよく知っているのである。
「そういえば、ミザリの用事は終わったの?」
「終わったよぉ〜。ミザリもアロイと一緒に行っていい〜?」
「ええ」
そうしてオレイアと3人で連れ立って、再び歩き出すが、イオーラは少し引っかかった。
ーーーアダムス様には偶然と言ったけれど、本当にそうなのかしら。
もしかしたら、精霊の導きである可能性もあった。
弱まっているとはいえ、まだイオーラは〝精霊の愛し子〟であり、その力自体は生きている。
何となく、そう考えながら編纂室を訪ねると、彼女はまだそこにいた。
イオーラが訪ねたことで、椅子に座って話をしていた彼女の兄、ペソティカ男爵がガタッと立ち上がる。
「王妃殿下!?」
「楽になさって」
慌てて最敬礼を取る男爵に、イオーラは微笑みながらそう声を掛けた。
「突然申し訳ないのですが、少しお尋ねしたいことがありまして。……アルミニカも、久しいですね」
「いえ。私の方こそ、王都に戻っているのにご挨拶が手紙のみで御前に上がらず、誠に申し訳ありません」
アルミニカは、淑女の礼ではなく、軽く首を垂れて左手を背に、右手を左胸に当てる騎士の略礼の姿勢を取ってそう返して来た。
兵士が稽古をする時のような動きやすい男装をしているので、スカートを履いていないからだろう。
代わりに、腰に剣を佩いていた。
本当に稽古をしていたようだ。
「兄に御用でしたか? 席を外した方が宜しいでしょうか?」
「特に聞かれたくない話、というわけではないわ。差し支えなければ、少しだけ時間をいただければ」
ふわふわの茶色い髪を後ろで一括りに纏め、化粧をしていない為に少々地味な印象の彼女が顔を上げると、イオーラは首を横に振った。
家族に会いに来ているのに、突然来たイオーラが席を外せというのもおかしな話である。
「ライオネル建国よりも以前の書物、それも可能な限り古いもので、何か表に出ていないような『伝承』に、ペソティカ男爵は心当たりがないかと思って」
「古書ですか?」
男爵は、ちょっと目を輝かせた。
彼は本が三度の飯より好き、という人物で、仕事だろうとプライベートだろうと本に関する何かをしているタイプなのである。
「……兄上。一応相手は、姉上や私ではなく王妃殿下だ、ということに留意して下さいね」
ちょっと苦み混じりの表情で釘を刺すアルミニカに、男爵はハッとする。
「あ、ああ、そうだな」
「お気になさらず。国際魔導研究機構に属している方は、男爵と同じような方が多いので」
実際は社交性も備えた方と研究者気質の方は半々くらいだけれど、比重としては普通より遥かに多い方だろう。
「そうですね……建国以前からある資料というと、辺境伯領の開拓記録や、紫髪が継がれた時にオルミラージュ侯爵家から嫁いだ辺境伯夫人の日記などですかね。『伝承』の類いだと、リオノーラ夫人が発見なさった『石碑』のあった辺りに住み始めた者達の記録した地形図、他は大体生活の記録や、今も流通している童話の原型、などになるかと」
「そう……」
聞く限り、めぼしい話はなさそうである。
やっぱり王家の資料は比較的新しいものと、辺境関係のものくらいなのかもしれない、と思ったけれど。
「もっと古い資料をお求めでしたか? それならオルミラージュ侯爵家やアバッカム永世公爵家、そしてリロウド永世公爵家等の家であれば、閲覧許可をいただいた際に目にした記憶がありますよ。確か、リロウドの書庫にはそれこそ古語で書かれている時代からの『伝承』を纏めたものや、家系図等の記録が残っていたかと」
「え?」
「その時の用事には関係なく、時間もなかったので軽く目を通した程度ですが……」
ちょっと残念そうにペソティカ男爵が続けるが、イオーラは自分の失念に気づいてそれどころではなかった。
ーーーそうだわ。
他の二家は考えていたが、そもそもリロウド公爵家は〝精霊の愛し子〟の血脈であり、オルミラージュ同様……下手をするとアバッカム『王家』以上に古い家柄なのである。
そこが一番、求めているものが存在する可能性が高いのは、普通に考えたら当たり前だ。
ーーー何で気づかなかったのかしら。
イオーラがその話を詳しく尋ねようとすると、アルミニカがポツリと呟く。
「家系図……」
「どうしたの?」
彼女にも、何か引っかかることがあったのだろうか、と思い、イオーラが先にそちらを尋ねると。
「いえ、夫のセフィラから伝言されて、兄上に会いに来た理由が正にそれだったので」
「それ、というのは……?」
「家系図です。ペソティカ男爵家の家系図を複写したものか閲覧許可が欲しい、と。実家にあるものは、男爵家として叙されて以降のものだけなのですが、アバッカム王国時代には本家があったらしく、王家の蔵書にはそれも保管されているかも、とのことだったので」
「……!」
やっぱり、偶然ではなかったのかもしれない。
それはイオーラが考えた精霊の導きのようなものでもなく。
「セフィラ氏は、何故それを求めておられるのです?」
「理由の仔細までは尋ねてませんが……確か、義兄のズミアーノ様が珍しく領地に来られて、その後にセフィラが王都に行く、と。兄上に会うついでに、久しぶりに騎士団に顔を出してもいい、と許可を貰ったのでアダムス様と予定を組んで手合わせを」
イオーラは、小さく頷いた。
ーーーきっと、ズミアーノ様も動いているんだわ。
魔人化した彼らの知覚が、人よりも遥かに大きくなっている、というのは、イオーラも知っていた。
もしかしたら、ウェルミィとの部屋での会話を聞かれていたのかもしれない。
それが何で、ペソティカ男爵家の家系図に繋がるのかはよく分からないけれど、十二氏族の末裔を含む、古い貴族家の起源を辿る行為であるのなら、全く無関係ではない筈だ。
「その家系図なら、事前に連絡があったのでもう準備してあります。セフィラ氏なら古語のままでも問題ないかと思い、最初の方は訳さずに複写したものですが、こちらです」
と、ペソティカ男爵はいそいそと棚に向かい、真新しい巻物を取り出してきた。
巻きそのものはそこまで厚くないけれど、大人が軽く両手を広げたくらいの幅がある。
「流石にアバッカム王国まで遡った上で、となると分岐が多いので、一つに纏めたらこんな幅になってしまいまして」
と、中央に置かれた大きな図面台の上に男爵は巻物を広げる。
一番下はペソティカ男爵のご子息、そしてペソティカ男爵家の人々の名前が羅列されていて、『ライオネル王国期』と区切られた上が旧字になり、さらに上に行くと、確かに古語になっていた。
それによると、元々の姓は『ペソティカ』ではなく『グライム』だったようで、ライオネル王国になる時に改名しているようである。
「あれ〜? あれ……って」
ミザリが声を上げたので振り向くと、彼女はぴょこんと首を伸ばして家系図を覗き込んでおり、オレイアが眉根を寄せて彼女の裾を引っ張っていた。
あ、と姿勢を正した彼女に、イオーラは首を傾げる。
「興味がある?」
「あ、うん……じゃなくて、はい。見覚えがある名字が書いてあるので〜」
先ほどはイオーラとオレイアしかいなかったので気にしていなかったけれど、ペソティカ男爵の前だからだろう、ミザリが口調を改める。
「見覚えの……?」
主筋だけを辿っていたイオーラは、枝分かれしている部分に目を向けた。
基本的にはペソティカの家系図なので、派生部分は嫁いだ方や養子に引き取られた方だけが、行った先の貴族家の姓を添えて書かれているだけ、だけれど。
古語部分まで辿って、イオーラはそれに気づいた。
ーーー『グリンデル』……!?
分家した形で書かれている姓を目にして、イオーラは目を見開いた。
同時に、もう一度ミザリを振り向く。
「貴女、古語が……!?」
読めるの? と尋ねるよりも先に、イオーラは『それ』を目にした。
「誰です!?」
イオーラが思わず声を張り上げると、全員が一斉にそちらを振り向いた。
全く何の気配もなくそこに立っていたのは、整った身なりをした、赤毛の男性。
トレンチコートを羽織っており、目の下に濃いクマがある青白い顔。
見覚えのない人物が、感情の浮かばない瞳でジッとこちらを見つめていたのだ。
「っ……ァ」
喉の奥に何かが詰まったような、引き絞られるような声を上げたのは、ミザリ。
彼女が、何かを握るように胸元に手を伸ばした瞬間、男性の姿がフッと掻き消えて……。
直後に、ミザリが絶叫した。




