オルミラージュ侯爵の帰宅。
ーーーオルミラージュ侯爵家、本邸私室。
「ルトリアノが……?」
「ええ」
本邸に不審者が侵入、という状況を受けて、急いで戻ってきたエイデスに、ソファに腰掛けたウェルミィは頷いた。
二人きりなので、『トールダム・グリンデル』の本名を伝えると、横に座った彼が眉根を寄せる。
「多分幻覚とかじゃないと思うの。ヘーゼル以外に、私や〝影〟も姿を見たから」
被害は何もなく、あれから本邸内を捜索しても発見出来ず、外周に巡らされた魔術に反応する魔導陣が破られた形跡もなかったらしい。
「でも、〝影〟も気配を感じなかった、と言っていたわ。どういうことが考えられるかしら」
侵入の気配もなく、忽然と姿を消したことから『幽霊』という話をしていたけれど、予断は禁物なのでそれ自体はエイデスに伝えずに問いかける。
変化の魔術……正確には〝水〟の血統固有魔術に類する完全な変化ではなく、お義姉様が作った隠蔽魔術の派生としての認識変化……で、魔人の姿から人の姿に戻っている彼は、顎を指先で挟んだ。
「……現場を確認しないとなんとも言えないが、魔術の行使による『場の魔力の乱れ』は?」
「少なくとも、後から来たヌーアは何も言ってなかったわね」
「全員が幻惑を掛けられた、という可能性は低いか」
「もしあったとしても、『誰が、何の為に』っていう疑問が残るわね」
ヘーゼルにルトリアノの幻覚を見せて、どんな意味があるのか。
まして、ウェルミィ達まで含める意図は。
それによる得も、誰がそれをやる必要があるのかも、よく分からない。
「……ヘーゼルに恐怖を与えることそのものが目的であれば、何らかの報復の為、とも考えられるが」
エイデスは、どちらかというと可能性の薄いものから先に潰していく気質がある。
このやり取りも、疑問点を洗い出す作業だ。
「ヘーゼルに? あの子を恨んでいて、ルトリアノを知っている人がどれくらいいるかしら」
彼女の境遇を知っている人は、ニュースにもなったのでそれなりに居るだろう。
ルトリアノのことを知っている、という人間も、多分いる。
しかし、あの事件自体はもう10年以上も前の話。
そこから『ヘーゼルを恨んでいるから幻覚を見せてやろう』と考える、昔から二人を知っている人間が、今の今まで恨みを溜め込んでいたとは考えづらかった。
ルトリアノは、ヘーゼルの実の父親である。
でもヘーゼルはその事実を知らない。
彼女はルトリアノを『家督を奪われ、復讐の為にグリンデル伯爵家を破滅させた自分の伯父』だと認識していた。
彼の行動には複雑な事情があり、ヘーゼルとミザリに伏せられた『真実』は彼女らの知る『事実』よりもさらに残酷なものだったので、伝えていないのだ。
「恨みの対象が幸せになったところでそれを潰してやろう、と考える人間はいる。取り潰しになったグリンデル伯爵家の親族や、商売を続けられなくなった関係者などは、伯爵家そのものを恨んでいるだろう」
「潰す原因になった当主に虐げられていた、継子まで?」
「……イザベラのような境遇の人物は、表に出る出ないに拘らず数多いからな」
少し言いにくそうに声を低くするエイデスに、ウェルミィは口を曲げた。
「そうね。元凶が憎ければその周りの全てが憎い、ってことはあるものね」
お母様はそれでも、お義姉様に対する良心の呵責を感じていたけれど、酷い目に遭った人が全員そう、とも限らない。
人の気持ちなど知ったことではないくらい、恨みに目が眩んでしまう人もいるだろう。
自分が壊されたのだから、皆破滅してしまえばいい、という思いを、ウェルミィ自身も分からないとは言えなかった。
「でも、誰かを助けたい訳ではない恨みの発露にしては、時間はともかく、手段があまりにも回りくどい気もするわね。今更ローレラルがそんなことする、とも思えないし」
王家の血が薄く混じっている為に薄紫の髪色を持つ女性を思い出しながら、ウェルミィは首を傾げた。
ローレラル・ガワメイダ伯爵令嬢……今はローレラル・ホリーロ子爵夫人である少女だ。
夫は現在、オルミラージュ侯爵家の家令を務めるラウドン・ホリーロ子爵である。
彼女は過去に【王太子妃付き侍女選抜試験】を行っている最中、侯爵夫人の立場を得る為に、邪魔なウェルミィをウーヲンに襲わせようとして、ヘーゼルに盗難の濡れ衣を着せた。
あの件で彼女の罪は明らかになったものの、それに伴ってウーヲンの身元を明かすと国際的に色々とマズいことになるので、事件そのものは秘匿されたが、罰は受けた。
その内容をウェルミィは知らない。
あの子は、本当に酷いことをウーヲンとヘーゼルに対してやったけれど、罰を受けた後は、人が変わったみたいに性格が変わっていた。
『謝罪をしに行くのは構わないのですが、二人はわたくしに会いたいとは思わないでしょうし……』やら『わたくしのせいで実家筋やお父様には大変な迷惑をおかけしたので……』やら、本当にどうやって『他人を思いやる気持ち』を手に入れたのか分からないくらいの変わりようなのである。
ウェルミィの目で見る限りでも、その内面の変化に偽りはない。
「……一応、グリンデル伯爵家の事件に関する関係者を洗ってはみよう。だが本筋は、本当にルトリアノの魂が現れた、という方か」
「そうね。そんなことがあり得るのなら」
ウェルミィ自身は『魂』というものが肉体を離れても活動出来ることを、間接的に知ってはいる。
『語り部』と共謀し、エサノヴァの体を借りて自分の目的を達成した『ウェルミィ・リロウド』は、正にそうした存在だったからだ。
「けど、あの人にヘーゼルを脅かす理由はないのでしょう?」
かつてのルトリアノの行動は、非道だった。
特にミザリに対する仕打ちだけは、絶対に擁護出来ない。
けれどヘーゼルの境遇については、お義姉様に同様のことをしたウェルミィにも、気持ちだけは理解出来た。
徹底的に恨まれることで、自分が死ぬことに関して相手が心を痛めないように。
別の痛みで相手を歪めてしまうことと、自分の気持ちと、その結果を秤にかけて。
「魂の出現が本筋だとしたら、今更、何の為に出て来たのかしら」
「分からん。ヘーゼルに関して、最近変わったことはあったか?」
言われて、ウェルミィはそれを報告していなかったことに気づいた。
「ああ、最近っていうか、ついさっきあったわよ。……あの子、古代魔導文字が読めるみたいなの」
「何?」
エイデスは、流石に驚いたようだった。
「貴族学校にも通っていないのに、か?」
「ええ。それも『普通の文字に見える』そうよ。また確認してみないといけないけど、大陸南部文字で書かれているように見えてるみたいね」
「……」
それからしばらく何事か考えた後に、彼は小さく頷いた。
「色々あるが、早急にやらなければならないのは、警備体制の強化とヘーゼルのケアだな。特に彼女は、なるべく一人にしないようにしてやれ」
ウェルミィは、そのエイデスの言葉に微笑みを浮かべる。
そして、彼の頬に手を伸ばして軽く撫でた。
「何だ?」
「貴方のそういうところは、いつまで経っても素敵だわ」
エイデスは、事件の真実解明や損得よりも、皆の身の安全や人の心を守ることに注力する人なのだ。
「そう思うのなら、少し大人しくしていたらどうだ? 慣れない分野の調べ物を一人で頑張るのは、精神的に疲れるだろう」
「あら、バレてた?」
「父上からありがたくも報告があったからな」
頬に添えた手を、黒いグローブを嵌めた左手で優しく握られ、頬に口付けされる。
「そちらについても、きちんと考えている。〝精霊の愛し子〟や十二氏族について造詣が深い人間に助力を頼んでおいたからな。近いうちに本邸を訪ねてきてくれるだろう」
「あら、誰? 皆忙しい筈だけど」
ウェルミィは、『エイデスやズミアーノの魔人化を解く為に動く』ことは伝えていないけれど。
『お義姉様のお腹の子の件に関連して〝精霊の愛し子〟について調べる』ことは伝えていた。
忙しい中でも、ちゃんと動いてくれていたのだ。
「助力を頼んだのは、リオノーラ・アバランテ夫人だ。適任だろう?」
「あぁ……なるほど」
リオノーラ・アバランテは、ウェルミィ達の一つ年下の女性である。
アーバインを鍛えたという、南部辺境伯領騎士団長レイデン・アバランテ卿の妻だ。
貴族学校を一年で退学した経歴を持つ、性格も少し変わった女性なのだけれど、実際は素晴らしく明晰な頭脳の持ち主だった。
古くは、大公国〝風〟の公爵領との小競り合いに終止符を打ち、アトランテ王国とあの公爵領を繋いで『グリフォンの繁殖』事業拡大の下地を作った。
【大公選定の儀】の事件に際しては、お義姉様やレオと秘密裏に対談したという。
そして、南部辺境伯領に眠っていた石碑や各地に残る『伝承』の解読から、二人に対して十二氏族についての重要な示唆を与えてくれた、という話を聞いている。
「確かに、助力して貰えるなら凄くありがたい人だけれど、どうやって釣ったの?」
「彼女は名誉や金銭に全く興味がないが、知識欲は人一倍らしいと南部辺境伯から聞いている。『オルミラージュの蔵書を好きに閲覧していい』と伝えたら、『喜んで』と返事があった」
「彼女にしてみたら、普段見れない宝の山が見れる、ってことなのね」
「そういうことだ」
なら、双方に得のある話なので、大丈夫だろう。
ウェルミィは不意に、〝解呪〟をエイデスに掛ける。
すると彼の右目の白目が黒く染まり、瞳が紅玉の色合いに変化した。
その魔人の目を眺めながら、ウェルミィは少し切ない気持ちになる。
ーーーでも貴方は相変わらず、ちっとも自分のことを考えないわね。
他人の辛さを拾い上げて、一人で心を砕いて、結局自分で全部抱え込もうとして。
この瞳は、その象徴のように感じられた。
ウェルミィがそんなことをエイデスに対して考えていると、後頭部を撫でられる。
「詮ないことを考えていそうな顔をしているな」
「失礼ね。大事なことを考えているのよ」
「ほう、どのような?」
「貴方も少し、我儘になったらいいのに、かしら。人のことばかり考えていたら疲れるでしょう?」
するとエイデスは、おかしげに片眉を上げた。
「我が妻に対しては、十分過ぎるほど、我儘に振る舞わせていただいていると思うが」
「足りないわ」
「十分に足りている。『お前のこと』を考えて、疲れることなどある筈がない」
そのまま優しく抱き締められたので、ウェルミィは素直に体を預ける。
「お前は私に、何も要求しないからな」
「そうかしら。私は十分過ぎるほど、我儘に振る舞わせていただいているわよ?」
「であれば、お互い様だな」
耳元に触れる吐息がくすぐったくて、ウェルミィは身を捩るが、逃がしてくれなかった。
「かつて、お前を私のものにした。今回、お前を失うことを防げた。ただそれだけで、私は十分に満ち足りている」
「もう……」
相変わらず、エイデスはウェルミィに甘い。
それこそ侯爵邸の別邸で暮らしていた時からずっと、だ。
そんな彼の頬に口付けを返して、ウェルミィは逆に耳元で囁く。
「ありがとう。愛してるわ、エイデス」




