朱色の瞳の男。
ヘーゼル・グリンデル。
現在は姓を失っている元・貴族の女性である。
グリンデル伯爵家の長女として生まれ、当主であった父が死去した後、母親が再婚。
その母親も病死し、トールダムの再婚相手と連れ子が伯爵家に入ったことが、彼女の人生の契機となった。
トールダム・グリンデル伯爵とその後妻によって、虐待を受けたのである。
後妻の連れ子であり、義妹となったミザリ・グリンデルとの扱いの差に自暴自棄となった彼女は、衆人環視の前での自殺を画策。
一命を取り留めたが、グリンデル伯爵家の闇が明らかになり、当時特務卿であったレオニール陛下によって保護された。
が、入院した彼女の病室に、事件現場から逃亡して行方をくらませていたグリンデル伯爵が侵入。
錯乱状態となった彼女は、自らの顔に爪を立てて深い傷跡を刻み、その直後にグリンデル伯爵は捕縛された。
伯爵は処刑、伯爵家は取り潰しとなった。
彼女は、同様に虐待を受けていた事実が明らかになった義妹ミザリと共に、オルミラージュ侯爵家に半ば庇護の形で使用人として雇われる。
そのまま、オルミラージュ侯爵夫人側付き侍女として現在まで侯爵家に勤めている……。
というのが、『公式記録』である。
それ以外の調査結果によると、彼女が側付き侍女になる前にオルミラージュ侯爵家内で『何らかの騒動』が起こった形跡がある。
また、ヘーゼルは〝傷顔〟というあだ名もあるそうだ。
そして数年後、遠戚を名乗る人物の死去に伴って、ヘーゼルに働かずとも暮らしていけるだけの資産が相続された、という別の公式記録があった。
ーーー狙いやすさで言うと、立ち位置的には一番なんだがな。
気が乗らない。
そんな風に思いながらも、男は幾つかの調査結果を見比べた上で、やはり依頼主のご意向に沿うのはこの女だろう、とターゲットを決定する。
他の候補は、政府中枢に近い人物であったり、強大な権力の後ろ盾があったりするのだ。
『その後』を考えた際に、あまり手を出したくない。
その点、ヘーゼルであれば、オルミラージュ侯爵家の侍女とはいえ平民である。
ーーー〝至高の暗殺人形〟ヌーア・デスタームの存在を考えると、手の出しづらさは他よりも上だが……。
彼女の目の届かない場所で誘拐を実行すれば、オルミラージュ侯爵家の人間ではない為、そこまで追われることもないだろう。
後はさっさと高跳びして、小国群域に逃げ込めば莫大な報酬と共に、裏の世界からもおさらば出来る。
ーーーこの世からおさらばの可能性も、あるっちゃあるが。
依頼主に口封じされない手段は、考えないといけない。
ある種の誠意はありそうな人物だったが、こんな後ろ暗い犯罪を依頼してくる上に人の弱みにつけ込んで来ているのだから、どちらかと言えばクズ寄りの思考である。
「おっし。やるか」
仮事務所の机に手をついて立ち上がった男は、身なりを整える為に動き出した。
質は悪いが、一応玄関先についている姿見を覗き込む。
映り込んだ朱色の瞳が、こちらを見返していた。
「リロウドの連中は羨ましいね。特に、侯爵夫人様は勝ち組だよな〜。俺にもあんなバカデカいパトロンがいりゃーなぁ」
愚痴りつつ、プラチナブロンドでウェーブがかった髪についている寝癖を、櫛とオイルで整える。
そして、スラックスのシワを伸ばした後。
タイを結んでベストを羽織ると、帽子掛けから中折れ帽を手に取って被る。
「さ、仕事の準備だ。……〝希望の朱魔珠〟を掘り出した手柄をアイツに譲ってなけりゃ、今頃俺も億万長者だったのに、人生ままならねーもんだ。なぁ?」
男は、鏡の中の自分に向かって不敵に笑ってみせる。
「……死ぬわけにゃいかねぇぞ。計画は、慎重に立てろよ?」




