侯爵夫人の慟哭
「これが、起こったことの全てよ」
「……なるほどね」
お義姉様の話を聞き終えて、ウェルミィはこめかみに指先を当てる。
ーーーつまり、諸国に国家と侯爵家、両方の正式な感謝を伝えて謝礼をしないといけないわけね。
スケジュールをきちんと調整して、諸外国を飛び回ることになるだろう。
感謝はまだしも、謝礼の交渉はだいぶ不利なものになる。
ウェルミィを助けるのに協力してくれた人たちは、無法な吹っかけをしてはこないだろうけれど、国家としてやるべきことはやる者ばかりである。
バーンズにベルベリーチェ陛下、帝国宰相イースティリア、〝神爵〟でありレオの弟であるタイグリム、と、パッと思い浮かべるだけでも、本当に一筋縄ではいかない相手の存在に頭が痛くなった。
「まぁいいわ。生きてるだけでも儲けものと考えましょう」
死んだら、そんなことで頭を痛めることも出来なかったのである。
が。
「何より、レオにまで借りが出来たのが癪すぎるわね」
「ウェルミィ……」
お義姉様が困ったように眉をハの字に曲げて笑うのに、ウェルミィはふん、と鼻を鳴らした。
レオが真っ先に許可しなければ、この『作戦』は、確実に実現しなかった。
相手に信用できる人たちが多かったとはいえ、下手をするとライオネル王国が傾きかねないような博打である。
それを決断をしてくれたことそのものは、借り以外の何物でもなかった。
お義姉様の為でもあるし、交渉に手を抜く気はまるでなかったけれど、その借りを返す為にも頑張らないといけない。
下手を打って、あのいけ好かないニヤニヤ顔で『おやおや、外務卿夫人のお手並みはその程度か?』とレオが口にする未来だけは、絶対避けたいのである。
ウェルミィが怒りとやる気を滾らせながら手を下ろすと、そっとお義姉様がその手を握ってくる。
「……魔導医療史に刻まれる大手術の参加者、という名誉は、多少交渉を楽にする材料にはなると思うわ」
「助かるわ」
交渉は相互利益の落とし所を探るものなので、どんな材料でも、こちらに有利な手札は多い方がいいのだ。
ニッコリとお礼を述べたのだけれど、お義姉様の表情は晴れなかった。
「ウェルミィ……」
「なぁに?」
「今は、二人きりよ」
「……?」
微笑んだまま首を傾げるウェルミィに、お義姉様は低く囁くようにこう言った。
「―――今、本当は、泣きたいのでしょう? 我慢しなくて、いいのよ」
ウェルミィは、その言葉に口元が強張った。
「なん……」
何の話? と誤魔化す前に、お義姉様の美しい紫の瞳が、ウェルミィの目を捉える。
「わたくしは、ええ、ウェルミィから自分に向けられる感情に、少し鈍感だったかもしれないわ。けれど、貴女のことは、ずっと見てきたのよ」
その悲痛な感情の色合いに、思わず言葉に詰まった。
「今は、他に誰も見ていないわ。自分の感情を、わたくしの前では誤魔化さなくて良いのよ」
そう、言われて。
―――お義姉様には、敵わないわね。
今、ウェルミィが抱いている感情は、エイデスにすら言えないものだった。
そんな気持ちを誤魔化す為に、色々話を聞いていたのだけれど……お義姉様の『瞳』からはやっぱり、隠し通すことが出来なかったのだ。
「お義姉様……」
「ええ」
「わ……」
唇が上手く動かなくて、声が震え、目を伏せる。
ぎゅっと、お義姉様に握られた手に力を込めると、優しく握り返された。
素直に気持ちを伝えるのが、昔は凄く苦手だった。
嘘ばっかりついていたから。
だから、自分の気持ちを隠すなんて、簡単なことだったのに。
今は、ちょっと甘い言葉を掛けられただけで、こんな風になってしまう。
ウェルミィは、弱くなってしまった。
お義姉様のせいで。
エイデスのせいで。
ウェルミィに優しい、皆のせいで。
―――この程度の。
「わた、し、の……」
―――この程度のこと、どうってことないって。
「私のせいで……エイデスと、ズミアーノが―――!」
それ以上は、言葉にならなかった。
涙が溢れ出して嗚咽が漏れるのを、体を折って堪えようとしたけれど、無理だった。
肩を震わせるウェルミィに、お義姉様が覆い被さるように体を重ね、背中を撫でてくれる。
彼らが、人ではなくなること。
それがどれ程に重い決断なのか、分からないほど愚かにはなれなかった。
自分の為に二人がそれをやったと知って、傷つかないほど鈍感にはなれなかった。
―――私のせいで……!
「貴女のせいではないわ、ウェルミィ。それは、わたくしのせいなのよ。ごめんなさい……ごめんなさい」
「違う、わ!」
ウェルミィが顔を上げると、お義姉様は微笑んでいた。
―――嘘つき。
本当は、お義姉様だって泣きたいくせに。
「〝精霊の愛し子〟の力は、ヒッ、お義姉様が、望んで、得たものじゃ、ない、もの!」
「ウェルミィだって、好きで【魔王】の瘴気を取り込んだわけではないわ。自分を責めないで」
―――我儘。
お義姉様だって、自分を責めてるのに。
ウェルミィにはやめろだなんて。
「お、お義姉様、だって! 変わらない、じゃ、ないっ!」
「ふふ、そうね。……だから、一緒に探しましょう」
「探す……?」
言葉の意味が分からずに、ウェルミィが鸚鵡返しをすると、お義姉様は小さく頷いた。
「そう。あの方々を人間に戻す方法と……この〝精霊の愛し子〟の力を、天に還す方法を」
あまりにも突拍子もない話に、ウェルミィは涙が止まった。
「……そんなことが、出来ると思うの?」
「ええ。だって貴女の言う通り、この力は天から『与えられた』ものでしょう? なら、返すことも出来るはずよ。……わたくしはたまたま、ウェルミィを取り戻すことが出来たけれど。生まれてくる娘がそうと限らないわ。不幸を、背負わせたくないの」
言われて、ウェルミィは背筋が凍るような戦慄を覚えた。
―――そう、だわ。
〝精霊の愛し子〟の力は、長く、多くの者に幸福を齎す代わりに、受け継がれる時は不幸の揺り戻しが来る。
太古には、力を娘に引き継いだばかりの〝精霊の愛し子〟が犠牲になった。
お義姉様のお母様は、夫を失ってサバリンと再婚し、最後には流行病で自分の命を失った。
力を出来る限り使わないように努めていたお義姉様ですら、ウェルミィにその反動が襲い掛かったのだ。
不幸と幸福の連鎖。
だから、今度生まれてくる子にも、同じ不幸が襲いかかるかもしれない……いや、きっと襲い掛かるのだ。
「その、前に……?」
「ええ。【魔王】の存在も、〝精霊の愛し子〟が存在することによる『歪み』の一つだと、『語り部』は言っていたでしょう?」
お義姉様は、ウェルミィの顔を見ながら頬を撫でる。
「なら、こんな力はいらないのよ。そしてこの力がなくなれば、『歪み』も消えるのではないかしら。きっとエイデス様達も、元に戻すことが出来る……そう思わない?」
「でも、やり方すら分からないのでしょう? 出来ると思うの?」
確かに、それが出来るのなら、最良の手段だ。
だけど、パッと思い描くだけでも無理難題の領域だと思えた。
それに、何より。
「お義姉様から、もう後少しで〝精霊の愛し子〟の力が……幸運を齎す力は失われるのよ? 生まれた子が育つまでの間、きっと色んな問題も起こるわ。それでも、探せると思うの?」
「ええ」
確信に満ちた口調で答えたお義姉様は、小さく首を傾げた。
さらりと、その綺麗な銀髪が肩口を流れる。
「―――だって、ウェルミィはそんなものがなくても、色んなことを成し遂げてきたでしょう?」
思いがけない返しに、一瞬、どう答えていいのか分からなくなった。
「なら、わたくしにも出来ないことはないのではないかしら。それに〝精霊の愛し子〟の力は、皆が思うほど万能なものではない、と、わたくしは考えているわ」
そっと片手を離したお義姉様は、自分の胸元に手を当てる。
「きっとこの力は、無条件に皆に幸運を齎す力ではなくて、自分が求めるものの為に研鑽を詰み、苦難に立ち向かっていく人にほんの少し手助けをして、最後の一欠片の幸運を重ねる、その位の力なのよ」
だから、とお義姉様は目尻を下げる。
「多くの人々が周りに集う程、集った人が優れた人物である程、幸運が大きくなって……反動も大きくなる、そう思うの。かつて十二氏族が〝精霊の愛し子〟を祭り上げたのは、『人の上に立つ』人に幸運が齎されれば、それが多くの人の幸運として広がるから、だったのではないかしら」
「お義姉様は、そう思うの?」
ウェルミィには、〝精霊の愛し子〟の力が実際にどんなものなのか、正確には分からない。
だからそう問うと、お義姉様はハッキリと頷いた。
「ええ。だって、実際にわたくしに出会って『幸運を得た』人達は、皆自らの目的を持って、どれ程の苦難が降り掛かっても折れなかった……そういう人たちではなかった?」
言われて、ウェルミィは思い出してみる。
ウェルミィは、お義姉様を助ける為に、自分なりに頑張った。
エイデスも、義母と義姉を失った悲しみが、別の誰にも降りかからないように。
レオやカーラ、ゴルドレイとオレイア、クラーテスお父様とイザベラお母様も。
あの、アーバインですら、反省した後は。
ダリステア様も、ズミアーノ達も、『大切な誰か』の為に行動していた。
ヘーゼルは、誰かの思い通りにならないように、一人でも生きられる力を求めていた。
ミザリは、そんなヘーゼルを心の拠り所にして、支え合っていた。
大公国の人達も皆、自分が守るべきものの為に、動いていた。
―――そうでない人達に、幸運は齎されなかった。
「お義姉様の……言う通り、ね?」
「ええ。きっと本当に尊いのは、人々が幸せを願い、行動する『意志』そのものなのよ。だからきっと、わたくし達なら、皆と一緒なら、〝精霊の愛し子〟の力なんてなくても……見つけられるわ」
お義姉様は、コツン、とウェルミィに額に自分の額をぶつけた。
間近に見るその紫の瞳は、澄んでいて、本当に美しい色をしていた。
「一緒に、探してくれるかしら?」
そう、まるでおねだりをするように、お義姉様に囁かれて……ウェルミィは、心の奥底から熱が湧き上がるような気持ちになった。
「勿論よ」
真っ直ぐにお義姉様の目を見返して、満面の笑みを浮かべる。
「お義姉様が笑ってくれるなら、私は全てを叶えるわ」
※※※
同じ頃。
屋敷を包む魔導陣を消す作業を眺めていたエイデスに、隣に立つズミアーノが話しかけて来た。
「……だってさー。泣かせちゃったねー」
魔人になったエイデスの知覚は、部屋にいるイオーラ達の対話を捉えてしまっていた。
おそらく、ズミアーノも同様なのだろう。
「見つかるかなー? 元に戻るだけなら、時間を掛けたらどうにかなるかもしれないけどねー」
「……ウェルミィ達が寿命を迎える前に、見つかるか?」
「どうだろー? それより難しいのは、〝精霊の愛し子〟の力を天に還す方法のほうかなー」
アハハ、と笑ったズミアーノは、楽しげな色を瞳に浮かべていた。
「でも、勿体ないって気持ちより、面白そうって気持ちの方が強いかなー? めちゃくちゃ難しそうだし、その上〝精霊の愛し子〟の加護もしばらくなくなる……燃えるね〜」
「では、協力するのか?」
「それはまぁねー」
ズミアーノは、頭の後ろで手を組んで、空を見上げる。
「魔人になるのも成功したし、研究の成果は出たからねー。そうなると、流石に、ニニーナと一緒に死にたいよね〜?」
そうして、チラッとこちらに視線を向けてくる。
「魔導卿はどうかな〜?」
「……同感だ」
ウェルミィが怒る、とは思っていた。
それしか方法がなかったとしても、きっと怒るだろうと。
だが。
「ウェルミィのせいではない。私が自ら選択したことだ」
自分を責める必要などないのだ。
エイデスはただ、愛しい妻を失いたくなかっただけなのだから。
そんな負い目を抱かせたままで捨ておく選択肢は、当然ない。
「方法を、必ず探し出してみせる。―――彼女らが、そう望むのなら」
彼女らの願いが、全ての始まりだった。
ああした不幸を捨て置かないように、エイデスは『力』を求めた。
そうして、手を差し伸べたのだ。
今回も同じだ。
彼女らが今の状況を不幸と思うのなら。
ましてそれらが、自分の状況に起因するものであり、子らの未来の幸福を願ってのものなら。
―――私も叶える努力をしよう、ウェルミィ。お前の願いであるのならば、その全てを。
第六部開始ですー!
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