辺境の才媛と〝火〟の挑戦者。
ーーー翌々日早朝、南部辺境伯領。
「オルミラージュ侯爵夫人が……?」
到着後、迷惑を承知で朝食前に、直接ハクアを駆って騎士団宿舎に赴いたアーバインは、驚く同僚達に非礼を詫びながらハクアを任せ、目の前の辺境伯邸に駆けた。
そのまま、辺境伯の娘婿であり騎士団長であるレイデンへの面会を求めたのだ。
すぐに面会が認められて、王都で起こっていることを報告したアーバインは、問いかけに頷き、雨を弾く紙に包んでおいた書状を手にする。
「こちらが勅命です。早急に王都へ向かっていただけますか?」
跪いて書状を差し出したアーバインに、レイデンは即座に頷いた。
「分かった、すぐに向かう。貴殿は少し休め」
「いえ、私は今から大公国へ飛ばねばなりません」
「……辺境伯領に戻ったばかりでか? それ程、事態が逼迫しているのか……」
「はい、こちらも勅命です。『魔性の平原』を越え、〝風〟の公爵に嘆願して迅速に公都に赴き、【聖剣の複製】の遣い手である大公閣下の説得をしなければなりませんので」
そこで、レイデンと共にアーバインを出迎えてくれたリオノーラ夫人が、ふんわりと微笑む。
「あら〜、アーバイン卿〜? でしたら貴方の努力は〜、天運を手繰り寄せたようですわ〜」
「は……?」
意味がよく分からず、気が急いていたこともあって少し失礼な返事をしてしまったが、リオノーラ夫人は気にした様子もなく、どこかに向かって呼びかける。
「ルジュ〜? 聞いておられるのでしょう〜?」
すると、窓が開けられた応接室の中に突然風が渦巻き、次の瞬間、派手な民族衣装を着た男がそこに立っていた。
以前、大公国で見かけた、無精髭の公爵。
「ゼ、ゼフィス公!? 何故ここに……!?」
「たまたま〜、貿易交渉で訪れて辺境伯邸に滞在しておられたのですわ〜」
「バーンズがちっとも楽させてくれなくてねぇ。しかしまぁ……」
〝風〟の公爵ムゥラン・ムゥラン・ゼフィスは、顎を撫でながらニヤリと笑いながら片眉を上げた。
「どうも中々、厄介そうな話みたいだねぇ?」
「ご助力いただけまして〜?」
リオノーラ夫人がゆっくりゆっくり首を傾げるのに、ムゥラン公は笑みを崩さないまま片目を閉じる。
「さて、あの女傑がいなくなれば、大公国としちゃ随分やりやすくなるけどねぇ? 助けるなら、運賃として、少し貿易の条件に色つけて貰いたいねぇ」
「わたくしを含むライオネルを敵に回さないのは〜、十分なメリットかと思いますけれど〜」
と、柔らかい口調を崩さないまま言い返したリオノーラ夫人は、さらに言葉を重ねた。
「大公国で起こった問題の後処理、とも言える件かと思いますし〜?」
「それは痛いとこだ……とはならないねぇ、リオノーラの姉ちゃん。ありゃ当のオルミラージュ侯爵夫人がある意味黒幕だよねぇ?」
何となく、二人がヤバめの交渉をしている雰囲気を感じつつも、時間がなさ過ぎるので、アーバインは口を挟む。
「あの、ゼフィス公と大公閣下に対して、国王陛下と宰相閣下連名の書状も、預かっております。詳細は目を通していただきたく思いますが、ご協力いただけるのであれば、大公国側と〝風〟の公爵領に対して、有利な条件を一つ呑むという旨が記されているものです」
「ほぉ?」
ムゥラン公は、目を丸くした。
「中々、破格だねぇ。まぁ、オルミラージュ侯爵夫人のことってなりゃ当然か」
どうやら、少しは心が動いたようだった。
リオノーラ夫人が、少し困ったような表情になりつつも、緩やかに頷く。
「ライオネル王妃殿下にとっては〜、大切な妹ですからね〜? そう考えると〜、ある意味これを引き受けないのは〜、ルジュにとっては〜、主君に逆らうとも言えますわね〜?」
「俺ぁ自分の上にバーンズ以外を頂いた覚えはねーねぇ。だが……」
リオノーラ夫人がチクチクと突き刺すのに、ムゥラン公が苦笑する。
アーバインも多少付き合いが長くなってきたので知っているが、このリオノーラ夫人はとんでもなく賢い。
そして普段は温厚で懐が広いが、目に余ると感じたら容赦がないタイプである。
「ま、冗談半分の話でゴネるのは、この辺にしとこうかねぇ。運賃としちゃ、書状で十分さね。後の判断はバーンズに任せておこうかねぇ」
「ええ、そうなさると宜しいですわ〜」
結局、アーバインの日程は、この幸運によってとんでもなく縮まった。
飛竜の翼でも二日かかる『魔性の平原』越えは一日、その後公都に達するのに半日程度だったのである。
ーーーいや、この魔術を使える連中の攻勢を防いでた辺境伯閣下って、実はヤバいんじゃね?
そんな風に別の意味での戦慄も覚えつつ、アーバインは無事、バーンズ・ロキシア大公閣下への面会が叶ったのだった。
が、アーバインはこの幸運を、自分のものだとは思わなかった。
ーーーウェルミィのことだから、だよなぁ、多分。
自分など比にならない程、ライオネル王国に貢献している彼女。
その上、『徳』とかいうものが本当に存在するのなら、元々の人間性の部分で積んでいる分の桁が違うだろうから。
そうして面会したバーンズ・ロキシア大公閣下は、即断した。
「はっは! 良いだろう、すぐに出るぞ!」
「よ、宜しいのですか?」
あまりの即答に、アーバインは思わずそう尋ねてしまうが。
「ウェルミィに恩を売るチャンスなんてそうそうないだろう! これを逃す手はねぇ!! 少し前に小狡いやり方で交渉に負けたからな! 関税値上げをもう一度緩和させて、それで手を打ってやる!」
「私怨ですわね。アレは貴方が隙を見せたのが敗因でしょう」
「はっは! 自分のせいでイーブンに戻ったと伝える時の、あの女の悔しそうな顔を見るのが楽しみだなぁ!」
横で、8歳くらいの御令息の肩に手を置いているスージャ大公妃殿下が冷静なツッコミを入れているが、大公閣下は聞いていなかった。
「で、また留守になさるのでしょうか。足が軽いのは昔からですが、あれからもう10年経っているのです。子供ではないのですから、少しは落ち着かれては?」
「そう怒るなよ、スージャ。今回はちょっと【聖剣の複製】を持って出かけるだけで、めちゃくちゃ得するんだぞ?」
大公閣下は、呆れた様子の大公妃殿下の愚痴を軽くいなしつつ、親指と人差し指の指先を擦り合わせる。
「しかも、ライオネル王国に恩を売れるオマケ付きだ。こんな好機、逃す手はねーだろ!」
大公閣下は、『ウェルミィを救える』という点に関しては、一ミリも疑いを抱いていないようだった。
それは楽観なのか、勝算なのか、あるいは自信の表れなのだろうか。
どれであるにしても、アーバインにはないものを持っており、その態度に触れて、少し張り詰めていた気が緩む。
ーーーそうだよな。ウェルミィがたかが瘴気の影響程度のことで死ぬなんて、確かに考えてみれば信じられないよな……。
国王陛下……レオ達の真剣さに押されていたが、これ程多くの超人連中が、しかも他国の人間まで含めて、ウェルミィの為に動いているのである。
必ず助かる。
なんとなく、アーバインもそう思える気がした。