婚約式4
西宮司家の当主の妻の仕事は、実はほぼない。当主は忙しいがその補佐が妻の役目なので、別に出て来たくなければ全く顔を出さなくても構いはしない。
この時点では子育ても四男以外は手が掛からなくなっていたので、奥方の仕事としては長男次男をかまってあげようと思わなければ屋敷の奥で引き籠っていても誰にも迷惑が掛からない。唯一の被害者である当主が何も言わなければ全てを使用人や西の上位の他家の者達が代行してしまえば事足りてしまうのだ。
と、ここまで聞いていた鷹司夫人は絶句した。
誰が悪いのかは分かる。夫人の役割というのは役目が決まっていようといまいと関係がない。やろうという本人の気概の問題なのだ。
それを放棄している夫人が悪いのは外部の人間が聞いていても分かってしまう。しかしそれを幼い子供達の前で指摘してはいけないのも分かる。
なので四男が幼い状況で使用人が大勢存在している西宮司家では誰も指摘して来なかったというか、それを盾にされると指摘することが出来なかったのだろうことは容易に想像出来てしまう。
しかし四男も後少しで成人を迎える。
そうなればこれまでオブラートに包んできた出来事も白日の下にさらされる。
と言うわけで今この時にお母様が立ち会う事になったのは、必然か偶然かはともかく誰にとっても天の采配と言えるような状況だと言えるような気がする。
何故なら天下無敵の元内親王様なのだから。
鷹司家の家政頭に聞いた事によると現役の頃のお母様は人々の調停役としてずいぶんと活躍していたらしい。
平民の田畑の管理具合だったり貴族の跡取り問題だったり、と八面六臂の活躍を見せていた、と女中頭は自慢げに話してくれた。
今でもその頃の感覚が残っているのか、こうして難問に首を突っ込んでしまったのだった。間違いなくこれは難問だと思う。
なにせこの家の女主人は人の前に出てこようとしないようなのだから、引き籠ってしまった理由を問うことも出来ないし、それが分かったところで私には説得することも出来ないのだ。
昨日皇居へ出てきたのは、息子の婚約式ということで帝の命があったから出席せざるを得なかったのだろう。
厄介なお姑さんだな、と率直に思ってしまった。嫁姑問題以前の問題だな、と。
鷹様の親御さんなのに、会う前からこんな事を思ってしまうのはいけないことだと分かってはいるけれど、頭の中ではしっかりと考えてしまった。だって鷹様とはどんなに顔を見たくても見たくなくても見られるのは後2年もない期間しかないのに、この2年を逃してしまえばどんなに会いたくても会うことは叶わないのだから。
どこの神様かは知らないけれど残酷な事を考えたか単に実行したのかは知らないけれど、随分と時間をかけて行ってくれたものだなと、自分もとんでもない事に巻き込まれたものだな、と思ったらイラっとした。
と、私は自分を絡めて怒りを覚えていたが、お母様は違う見方だったらしい。
「なんとなくの状況は想像がつきました。ご本人にお話しを伺いたいのはもちろんなのですが、一番沢山の事を見て聞いて過ごして来られたあなた方お2人にも伺っておきたいことがございます。この先の判断の指標にもなりますので包み隠さずにお話しいただきたいのですが、よろしいでしょうか。あ、一つだけご忠告申し上げます。恐らくこの件に関しましては帝のお耳にも入っている可能性があります。耳に心地の良いお話しより、忌憚のないお話しをされる事をお勧め致します。あれで帝は地獄耳を持った側近が側近くにおりまして、様々な出来事を帝のお耳に吹き込まれていらっしゃいます。こちらでの出来事ももしお耳汚しの対象になっていらっしゃいましたなら、都合の良いお話しか真実かは、帝が判断されてしまいます。下手な取り繕いは却って帝の心象を悪くされるだけですので、どうぞそういった事柄もご承知の上でのお話しをいただけますように、ご忠告させていただきます」
と、ここでお母様は少し深呼吸をなさった。
「それではお答え下さい。今後、この西の1位の西宮司家における奥様のどのような生活態度を望まれますか」
うわあ、恐ろしく直接的な質問だわ。私は若干引いた。
「西の1位の当主と致しましては‥‥このままの状態が続くのであれば‥‥離縁、若しくはこの家からの独立の必要があると考えています。今のままでは西の他家の幾つかへの負担が実際にかかっております。これ以上の負担は掛けられません。その気のない者がいつまでもしがみついていても良い地位ではないのです」
ご当主様は、ここで目を閉じて大きく息を吸って、一瞬止めてから大きく息を吐いた。
そして徐に目を開いてお母様と目を合わせた。
「もっと早くに決断すべきでした。周囲の優しさに甘えすぎておりました。特に3位と4位の家の方々、特に奥方には多大な迷惑をかけ続けてしまいました。全ては私の責任です。申し訳ありませんでした」
まあ謝るのも仕方ないでしょうね、と少々冷めた気分でご当主の話しを聞いていた。
だって鷹様の言う通りならザッと15年くらい引き籠りしてたって事よね、良い大人が。
確かに引き籠っている人は気力だけで外へ出られるわけではない、と前の世界で聞いた気はする。でも息子が4人もいる母が、しかもつい最近の帝からの呼び出しには平気で顔を出していたのに家の仕事には手も顔も出さないのは説明がつかないでしょう。
そして今日の事も少々腹が立っている。仮にも元内親王様が挨拶に来ているのに、出て来ない。
一体、何様?と思ってしまう。私は義理とは言え娘になるのよ。
まさか誰も奥方に来客があることを教えていないのだろうか?まさかね、‥‥聞いてみようか。
「すみません、あの不躾で申し訳ないのですが、ひとつ確認させて下さい。本日我々がこちらにお邪魔しましたことを奥様は御存じでいらっしゃるのでしょうか?たとえばご存じでないとしましたら我々としてはご存知なのにお目にかかる気持ちがないと思ってしまうわけで、当然心象は悪くなります。ごく最近お目にかかったばかりですのにご挨拶出来ないのは悲しいです。ですので申し訳ありませんが、その点を確認させていただきたいです。よろしいでしょうか」
ご当主様は息子とチラッと視線を交わした。そしてため息をつく。
次に口を開いたのは息子だった。
「この際だから僕の目から見た母の事を全部申し上げます。初めに申し上げます、母は民の義務を果たしておりません。当初はどういうつもりで始めたかは知りませんが僕が子供で分からないと思ったのでしょうね。私は息子を揚華に差し出しているのよ、少しくらいの事は平気よ、と言っていたのをしっかりと覚えています。父はもちろん、長兄も次兄も既に働いていましたし、鷹兄は修行中でしたし、ひどい発言だと幼かった僕も思いました。それを聞いたのは僕だけでしたが、ある程度の年齢になったら母からは離れたほうがいいと自分で判断しました」
興奮していたのか少年は少し顔を赤くして少し息づかいを荒げて語り終えた。
鼻息の荒さは我々の前で話す事への息まく興奮によるものなのだろうか。
意見を最後まで聞いたお母様は
「──ご当主、覚悟をお決めいただけませんか。ただいまお伺いいたしました限りでは申し訳ありませんが、私の手には負えないお話しと判断させていただきました。帝にご相談申し下げてもよろしいでしょうか」
ご当主はしばし考えてから口を開いた。
「有り体に申し上げてしまいますが、帝から幾度か奥方はどうしている、とお声を掛けていただいた事があります。その時は如何にして状況を隠そうかとばかり考えておりまして、私と会う事を避けている妻の態度を良い事に、帝には謝罪の言葉でお茶を濁しておりました。恐らく帝のお耳にも入っていらっしゃったのではと懸念はしておりましたが、どう手立てを立てれば良いのか全く判断がつきませんでした」
ご当主様は言葉を切って深く息を吸い目を閉じてから、ふうー、と長く息を吐いた。
「ですが、現在でしたら決断も出来るようになりました。長く時間をかけて悩む余裕をいただけた事が功を奏したと思われます。私だけでなく鷹比古以外の息子達も話し合いの末、ほぼ同意見だった事も意見の軽い交わしあいが出来ました。多少の時間差はありますが、私と子供達の共通事項としてどなたかに御相談申し上げねばとは考えておりました。何しろこの都では離縁はご法度ですのに、まさか西の筆頭家が行ってはいけませんよね。どうしたらいいのか手段を思いつくのが全くの皆無なんです」
自分なりに考えたんですよ、自分なりに。
とブツブツと呟いているご当主様を見て、元の世界のことに思いを馳せてしまう。良く話しに聞いたのは険悪になった夫婦は、一度別居するのがいいらしい、ということ。
とりあえず我慢が出来なくなったら、まず距離を置くべきだと聞いたような気がする。
あくまでテレビとかで聞いただけのことだけど。
こちらの世界ではあまり行われていないのかしら。
あー、そう言えばこの都では離縁は出来ないと誰かが言ってたような気がする。だから結婚には慎重を期して相応の婚約機関を経過して、本人も双方の家も納得した上でないと結婚は出来ないと聞いたような‥‥。
だから西のトップが離縁なんて簡単に言い出せないはずなんだけど。
この都に生きる人々の指標になるべきな東西の1位の家があって、東は司法を司り、西は神道を司るという。
その西のトップが悪い方のお手本を示すわけにはいかないことは私にだって分かる。
さすがにお母様も困ったお顔をなさって、
「しばしお時間をいただいてもよろしいでしょうか。事ここに至りましては私ごときが結論を出せる事ではありませんので、至急帝のお耳に正式に入れるべきかと存じます。私が責任を持ちまして帝へ拝謁致しまして、ご判断を仰ごうと思いますが、この件が複数人の耳に入る事になってもよろしいでしょうか。そのご判断を今いただきたいです」
ご当主様はお母様の厳しい表情を見て唇をきつく結んだ後、ひとつ大きく頷いた。
「どうぞよろしくお願い致します。他家にまで迷惑をお掛けして現状ですから今さら取り繕う場合ではありませんし、昨日に御覧いただいたと思いますが、お揃いの皆様方に御挨拶の一つもできない体たらくはおかしいと誰もが感じる様子です。東之条様も眉を顰められたのを間違いなく確認しております。隠し立てする必要もございますまい。いっそ皆様に妻の傲慢ぶりを御覧いただいた方が我が家と致しましてもすっきり致します。妻と私以外の家族には落ち度がない事をいっそ御覧いただいてご判断いただきたいです。勝手な事ばかりを申し上げて今は他の言葉もありません」
再び頭を深々と下げた御当主様を困ったとも悲しいとも言える表情で見つめたお母様は、
「これより帝に上奏できる状況かを確認致して参ります」
と言ってから私へ視線を投げられたので、その視線へ私も頷き返して、ソファから腰を上げた。
それから急いで一度自宅へと戻り、帝へ向けて通信で謁見の依頼を出し(我が家の通信機はかなりの優先権があるらしい)、少し遅れてしまったけれど西橘家へと向かった。
この行為の難点は通信機の優先権を使用する為には家に戻って通信を行わなければならないことだ。通信機の携帯版では優先権は得られない。
携帯のメールで簡単に通信が誰とでも行えた元の世界ではないのだなあ、とこういった時にしみじみ感じてしまう。
私の名前で謁見依頼を書けば帝当てなら逆揚華の特権ですぐにでも許可が下りるのは分かっているのだけど、ここはお母様の名前で表明するのが正式なのだそうで、正規の手順を踏むことになった。
とは言っても元内親王特権で直接帝に繋がるより1ヵ所多いステップが増えただけなのだけれど、ね。
そして若干予定より遅れて訪問した西橘家では、我々の予想を上回るほどの歓待ぶりで、下にも置かないほどにヨイショされた。
本人である敬様はまだ仕事中なので、ご両親と幼い弟妹が1人ずつと、家中の使用人が駐車場で出迎えてくれた。某アニメの妖怪さん達が揃って神様に笑顔で、いらっしゃいませ~、と言うあのノリみたいだ。
みんな満面の笑みで待っていてくれると、お詫びに来た身ということを忘れてしまえそうなほどに、ありがたい。ありがたさをジンワリと胸に抱きしめ、集まってくれた西橘家の面々に対して我々も笑顔を振りまいた。




