婚約式3
できるだけ何事もなかったふうな冷静を装った声を出してみた。
私の声に反応して開いたドアの向こうにいたのは伽耶と美園だった。
「ご気分は如何ですか?咲久良様」
伽耶の声がそっと響いた。
「暴れてごめんね、私どうしてここで寝ているのか分かる?」
伽耶は落ち着いた表情と声で「それはですね」と話だし、美園は小声で「ご主人様方にお知らせして参ります」と言って部屋を出ていった。
「私もご主人様方のお話しをうかがっただけですので今ご主人様方をお呼びしておりますので直接お伺いされてはいかがでしょうか」
と待てをされてしまった。これには「そう?分かったわ」と返すしかなかった。
この辺が伽耶と美園の差よね。伽耶は必要最低の事実を端的に伝えて、美園は多少余計な雑談を入れてくる。
果たしてどちらが侍女としては正しい姿なのか判断がつかないけれど、あとは主人の好みなんだろうね。
「少々御髪を触らせていただきます」
と伽耶が言って私の髪と衣装をササッと直してくれたところに再びノックが響いた。
両親は本来は早めの時間に就寝するはずだから、あまり遅い時間だと申し訳ないなあ、と思いつつ「どうぞ」と声をかける。
やはり入室してきたのは両親で、2人の後ろから美園が入ってきて扉を閉めた。
「ああ、本当に斎の宮様のおっしゃった通りに目覚めたのね。心配したのよ、咲久良」
とのお母様の言葉を皮切りに、ほぼ頷いているだけに近くなっていてたまに合いの手を入れるお父様と、興奮したように頬を赤く染めて捲くし立てるお母様のお2人の話しによると、私は斎の宮様のお宅で鷹様に寄りかかって意識を失ってしまったらしい。そして宮様が仰るにはいわゆる神の声が聞こえる状態に入ってしまった私は精神力を使い果たした状況になった為に意識を失ってしまったので、目覚めるのはこのくらいの時刻になるでしょう、と教えて下さったので心配はいらないとのことだったらしい。
色々な方々にお礼も言わずに意識を飛ばしてしまうなんて非常識極まりないと思ってしまうのだけれど、それは明日以降にお詫び行脚は明日以降に、ということに鷹司家としては決定したそうだ。
そして婚約の儀は無事につつがなく3組とも神に了承されたらしいので、安心するようにと宮様からの伝言があったらしい。儀式中に私に神のお言葉が下りてきたらしいと宮様が気付いていらしたそうで、その事実はかなりの疲労を伴うものであり意識を失うのも止む無しと御判断下さったそうだ。
で、とりあえず私を運んでくれたのは鷹様で、コフまで抱いていってくれたらしい。屋敷の駐車場から屋敷の中まではお兄様が運んでくれたのだとか。ありがたいですが、全く気がつかなかったわ。
ということで明日ご列席いただいた皆様にお詫びと御挨拶に伺う旨をお母様と約束して今夜は就寝となった。
そして両親はとにかく私に甘い。明日の挨拶廻りの順番も検討してくれて、各家への先触れは既に今日のうちにお兄様が行って下さったそうで、斎の宮様邸から帰ってきてすぐにお兄様に依頼なさったそうだ。突然の仕事が増えてごめんなさい、と心で感謝とお詫びを念じながら家族の皆へとありがたさを受け入れた。お父様に言わせれば仕事なんて出来る人間がやればいいんだ、ととてもあっさり当然のように仰って、明日の朝はお兄様に用事があるから礼も不要だ、とバッサリと仕事は分かる者がやればいいんだ、とそんなものだと終わらせてしまった。
一晩休んで職場にお休みする許可をもらい、職場に行くのを同じ時間にお母様とコフに乗りこんで皇居へ向かった。運転は伽耶にお願いした。
皇居の駐車場には迎えの人が待っていて下さって丁重に内部へと案内された。お母様は迎えの方よりもサッサと中へ入ってしまったけれど。流石は元皇女様。
そしてお兄様である帝とひとしきり楽しそうに歓談された後、昨日はありがとうございました、と一通りの挨拶を述べられてから奥の宮に当たる宮様のお住まいへと向かわれた。
ここからが謝罪の本番ね、と気を引き締める。
が、こちらが謝罪の言葉を述べる前に宮様の第一声が
「大丈夫?大丈夫だとは分かっていたのだけれど心配していたのよ」
と一気に捲し立てられた。
「大丈夫です。ご心配をお掛けして申し訳ありませんでした」
とこちらの顔が引きつっているだろうと思いながら答えると、宮様も微笑んで頷いて下さった。
そして昨日の失態?を謝り、あれは失態ではないわよ、と宮様に慰めていただくお言葉をいただいて今では私だけでなくお母様にも遊びにお越し下さいね、とお誘い下さったので笑顔で次のお宅へ向かえた。
それから東之条家へ向かい、奥様が恐ろしくにこやかに応対して下さり、あっさりと東之条家は終了して次は難関の西宮司家へ向かった。
そもそもどなたが応対して下さるのかとドキドキしながら門扉を潜ったら、なんと御当主様がお出迎え下さった。ここでも何故か嬉しそうな様子で、今度ともよろしくお願いしますと双方でペコペコしていたら、柱の陰からこちらを覗いている人物がいた。
私の視線に気づいた御当主様がそちらを見てニッコリしてから手招きをした。
出てきたのは幼さの残る男の子。
「四男の信比古でございます。こちらは鷹司家の奥様と鷹比古の婚約者になられた咲久良様だ。御挨拶をしなさい」
少年はとたんに真っ赤な顔になってモジモジしだした。
「お、お初にお目にかかります、信比古にございます」
と更に顔を赤く染めながら御挨拶をいただいた。12歳くらいかしら。
「御丁寧な御挨拶をありがとうございます、鷹司咲久良でございます。まだ姉ではございませんが、今後ともよろしくお願い致します。お目にかかる機会が遅くなりまして申し訳ございませんでした。西宮司家の御当主様にも昨日は御迷惑をお掛け致しました。今後ともよしなにお付き合いいただけましたら嬉しゅうございます」
西の1位の御当主様を前にしているのでカーテシーをして笑顔を振りまいておく。仮にも義父になるのだからどんなに丁寧に振舞ってもおかしくはないわよね。
自分を納得させつつ母の表情を盗み見ると、いたって冷静な表情で微笑んでいる。私自身の対応に間違いはないらしいと延彦て安堵を覚えた。
どこの世界でも親の顔色は重要よね。
父上、父上、と信比古様が御当主様のお袖を引いて応接間の準備が整ったようです、と囁いている。御当主様はそれへ小さく頷いて、我々を誘導してくださる。
不思議なのは西宮司家ともあろうことに使用人の姿が見えない。鷹司家には大勢所属してくれているのにどうしてだろうな、と思えてしまう。
その後メイドさんが1人お茶を出してくれて、鷹様の日頃の家での様子を話してくれて楽しませていただき、突然私と婚約したいと言い出して本人以外が大慌てになった時のことや、それ以外は我儘ひとつ言わずに留学してくれたことなど、こちらが問いかける必要がない勢いで次々と話題が出てくる。
御当主様がここまで饒舌なのへ少々の違和感を覚え始めた頃、信比古様が泣きそうな顔になったことに気が付いた。応接室には信比古様も同席していたのだ。普通は子供は外すはずなのだけれど、と私も引っかかったが、この家ではこれが普通なのかなと納得することにしたわけだけれど、さて彼はどうしてしまったのかしら。
我々親子の顔色が変わったのに気がついた御当主様は、慌てて息子の様子を確認した。
「どうしたんだ、お客様の前で」
あわあわと取り乱してしまった御当主様と、心配する我々は少年をジッと見つめてしまった。
「も、申し訳ございません。いえ、兄上はお幸せだなと感動致しましてつい涙が溢れてしまいました。このように美しくて穏やかで笑顔が素敵な方と婚約なさったなんて羨ましく思えて、本当に良うございました。我が家の現状と、つい比べてしまいまして‥‥」
「こら、よそ様に何を言うか。よそ様はよそ様、我が家は我が家。羨ましいと思うなら見習えば良いのだ。超える努力をすれば良いのだ。良いな、羨ましいで終わらずにせめて見習うのだ。良いな‥‥」
御当主様の声が段々と小さくなって頭は下がって俯き加減になってしまって驚いた。少し前の高いテンションはどうしたの?
私とお母様は思わず顔を見合わせてしまった。いったいこれはどういう事だろう。まさによそ様のお宅に介入してはいけない案件なのか、それともお節介を焼いた方がいい案件なのだろうか?
思わずどうしたものかとお母様に問うような視線を投げてしまった。思案顔のお母様はほんの少し考えてから口を開いたのだが、その言葉に私は目を丸くしてしまった。
「御存じのこととは思いますが、私は降嫁した内親王です。現役の頃は様々な方々のお悩みを伺って参りました。解決出来ました事はほんの僅かですが、聞いていただけるだけで心が軽くなりました、とのお言葉を何度もいただきました。本日はこんなに健気な方の心の叫びを伺ってしまいました。私でよろしければお話し下さいませんか。解決出来ますとは申せませんが、お心のつかえが取れるやもしれませぬ。もちろん他者への口外は致しませぬ。その程度の気楽なお気持ちでお話しを伺わせていただくことは可能です。もし場所が不安でしたら時と所を考慮させていただく事も可能です。私の家や皇宮などでも構いませんし、こちらでも構いません。いっそ宮様のお宅のお庭などはとても静かで落ち着けます。娘がいて困るようでしたら私だけの同席も可能です。無理強いはいたしませんが、如何でしょうか?」
ああ、元内親王様の微笑みは女神にしか見えない。ふんわりと柔らかく周囲に天使が飛び交いそうな幻が見えそうな気がしてきた。この微笑みには抗えないと思われる。
その微笑みを間近でくらった親子は、やはり抗える訳がなく、おずおずと首を縦に振ってしまっていた。
そして、気がついた時には涙交じりに洗いざらい心のうちをぶちまけてしまっていた。そのとりとめのない2人の話しを要約すると、元凶は西宮司家の奥方のことらしい。
つまりは鷹様の4兄弟のお母様のことで、私も何度か婚約者の母の事だからその人となりについて問いを試みてみたのだけれど、そのたびに取り立てて話す事はないから、と父や兄弟の事へと話しを逸らされていた。
どうやらその本人の人物像が分かりそうらしい。
西宮司家の奥方であり、鷹様が留学に旅立った当時は3人の男の子の母であった人は元々はこの都の平民に近い貴族家の女性だったらしい。
突然の託宣により3番目の息子が揚華に指名された時から彼女の世界は一変した。
自分には窺い知る事の出来ない世界からの言葉を次々と繰り出す殿上人である斎の宮が、当たり前のように末の息子を自分から取り上げる話しをし、周囲の男性達は抗いようのない事実を声高に述べているだけで各々の古い文献等の知識をひけらかしては奥方たる自分の否やの声を差し挟む隙さえ与えてくれず、物事は粛々と進められていき何故か当人である息子本人も当然というかのように言われるがままに幼い身で留学などという話しを受け入れている。せめて息子が泣き叫ぶなどの反応があれば良いのに、僅か3歳の息子は仕方ないなあ、と納得してしまっていた。
その上何がどうなっているのか母親たる自分が理解出来ないうちに幼い息子は体を鍛えるとかなんとか決められて他のドームへ旅立つ、という事になっていた。
その時に僅か4歳の幼子の何を鍛えるというのかも分からないのに、泣き叫ぶ母親たる自分を置いて息子は連れて行かれてしまった。
そのあたりから妻・葵衣はおかしくなりだしたようだ。1年に一度しか帰って来ない息子は逆に言えば1年に一度は帰って来る。その日を待ちわびるのだろうと夫も周囲も思っていが、出迎えにドームの正面口に行く事はもちろん、西宮司家の玄関にも出て来ないで屋敷の奥に閉じこもっている。
さすがに集まった親戚縁者や息子の友人知人の親達も怪訝そうな表情を見せてくる。が、一番下の息子が生まれたばかりなのを良いことに、まあまあ今日のところは、ととりあえず有耶無耶にしたが、ついに息子の滞在日程内に自分の姿を息子に見せることはなかった。
翌年からは皇宮に顔を出す事になっていたので父親たる当主が1人で幼い息子を連れて行った。1年目から特に母を恋しがる事もなかった息子は2年目以降も淡々としていた。
周囲は葵衣に呆れ果てる反応を示すようになり、彼女の友人知人は彼女との付き合いを止める者がほとんどになった。




