巫の都5
巫の都5
飛来さんの家で手を洗い、着替えさせてもらい、軽くお茶をいただいたら移動になった。
そのお茶も慣れない物で驚く。見た目は緑茶なのにトロミがあって、甘味が強い。砂糖を入れているわけではなく、東京時代と違った淹れ方をしているわけではないのに甘くなるのだと飛来さん。不思議ですねえ、と二人で首を傾げる。おいしいんだけどね。
移動は外に止まっていた繭のような楕円形だった。
なんと側にいて欲しい、なんて懐いて縋ったアレは乗り物でした。名前はコフ。
側面がガルウィングドアのように上に開き、シートは包み込むような柔らかさ。音も振動もなく上昇し、夜空を飛び始めた。
そう、これは飛ぶのだ。
地面を走る車もあるそうで、皆さんが口々に説明してくれる言葉から推測するに、動力のついた牛車のような物、という感じらしい。近々乗る事になるんだそうだ。
この車は私がここへ来て最初に出会った人が運転している。つまり私を見て悲鳴を上げて逃げたおじさんだ。
運転席、助手席、広い後部座席という構造は慣れ親しんだ自動車と同じで、気負うものはない。
後部席には渋いおじ様こと、東様。緋色のお召し物の東之條様。従者?の加納様は助手席に座っていて、私も併せて3人が座っている。
その東様がニコニコと説明してくれたのは、この巫の都についてだ。
帝を頂点とする人口約六千人の都市で、世界中にはこういったドーム都市が大小合わせて30くらいあるらしい。
自治はそれぞれの都市でバラバラだが、神道による帝の統治は巫の都だけであること。
巫の都の男女比は7対3くらいで、女性はとても大切にされていること。
”家”が重要で、誰もがどこかの家に属さないといけないこと。
そこまで聞いたところで目的地上空になったらしい。
「娘たちの紹介をしましたか?まだ?私も浮ついていましたようで申し訳ない。こちらが東之條紗羅樹と申し、前に座っているのが側仕えの加納純玲と申します。沙羅や、こちらは藤原咲紀さんだ。年齢もほぼ変わらないし色々と教えてあげなさい。この都についてはご存じないのだから、丁寧に教えて差し上げるのだよ」
東様の紹介で我々は無言で頭を下げる。東様の言葉が止まりそうもなかったので口をはさむ事が出来なかったのだ。
「まあ、沙羅の衣装を見てもらっても分かるでしょうが、私と沙羅は貴族です。側仕えの彼女は侍女も護衛も出来る優秀さです。沙羅の我儘がひどければ純玲に言って下さい。止めることは出来ないでしょうが、話をうまく逸らすことは可能だと思います」
と娘を褒めているのか貶しているのか分からない言葉を絶え間なく紡ぎ続ける。これは親バカという万国共通のものとみていいでしょうね。顔のニヤけが止まっていませんよ、東様。
これは、娘さん可愛いですね、と言ってほしくて仕方がないと見た。
「大丈夫ですよ、お嬢様は親が思うよりしっかりなさっています。いざとなれば何事も軽くこなしてしまわれます。はい、お待たせ致しました。到着です」
私が口をはさむより前に運転手の菅谷俊哉さんが明るく告げて、離陸の振動も感じなかったのに、着陸の振動も全く分からないままコフは暗い中を着陸し、すぐに両脇のドアを開けてくれて、東様のエスコートで私は地面に立った。
「……ふあー」
ついつい私の口から感嘆の声が漏れてしまった。
目の前には暖色の灯りに浮かび上がる神社かと思うような和風建築。
「……京都?」
どこかの神社仏閣で見たことがありそうなないような立派な玄関とポーチ。もちろん小さいものではなく、広い。玄関にはドアではなく観音開きの扉があり、日中は開け放してあるほうが似合いそう。ポーチは数人でラジオ体操ができそうな空間がとってある。
この都の権力者のお宅だっけ?個人宅なんだよね?飛来さんの家とはスケールが違う。手前は平屋に見えるけれど、奥は2階建てかな。
特権階級の自宅というのも頷ける。装飾品は目立たないけれど、大きさと厳粛さによる威圧感がすごい。
東様はともかく、お嬢様が高飛車な物言いになるのも納得出来てしまう豪邸ぶりだ。
「何を呆けているの」
声を唐突に掛けられて、飛び上がりそうになってしまった。
「………紗羅樹様、ですね」
パッと振り返った先には、私より約10センチ低い背丈の美少女が睨み上げていた。
「一度で覚えられない?名前を聞き返すのは失礼よ」
確かにおっしゃる通りなので、はい、と私は大人しく返事をした。
言い訳をさせてもらうと、色々ありすぎて覚えきれないのが実情です。君もなってみるといいけどね、とは思ったが、口には出さないけど。
「分かったならいいわ。さあ、こっちよ。随分と暗くなってしまったわね。早く中に入るわよ」
いうだけ言って紗羅樹様は先に玄関へ歩いて行く。飛来さんの家と違って足元が明るくて助かる。砂利道ではなく綺麗に掃き清めてあって、土と石畳と思われる歩道をおっかなびっくり進む。
向かう先には東様が数人の大人と立ったまま話していて、チラチラと視線がこちらへ向くから私の話をしていると簡単に想像できる。
そこへ向かいながら、背後の人の気配に振り向くと、加納純玲さんがついていてくれた。
「あ、お礼も申し上げていなくてすいませんでした。先程は助けていただいてありがとうございました」
歩きながら軽くペコリと頭を下げると、彼女は無表情のまま首を傾げる。
あれ?覚えていない?
「あのさっき飛来さんに飛びつかれて倒れそうになったのを支えていただいた件です。本当にありがとうございました。頭を打ちそうで怖かったんです。助かりました」
純玲さんは生真面目な方なのだろう。そう思ってなるべく気軽に聞こえるように明るく言ってみる。
「いえ、たいした事ではございません。お気になさらず」
と、淡々と返事が返ってきてしまった。
抑揚がなく、含みをもたせるようなものもなく、ただ求められている問いに答えを返している、といったように聞こえる。
これは気味悪がられているわけではないだろうけど、お近づきになる気はない、ということだろうか。
まあ、逆の立場なら、これが破格の待遇だと分かる。こんな得体の知れない人間は気持ち悪いよね。
服は着替えさせてもらったけど、カバンと靴が明らかに異質な物なのはイヤでも分かるだろうし。
どう見てもこの世界は建物も衣服も和風の少々古風な世界だし。
飛ばされたのは不幸としか言いようがないけど、言葉は通じるし、突然闘いの中に放り出されたわけじゃないし、捕まって奴隷に売り飛ばされたわけでもないし。
お茶をごちそうになったり、この辺で一番偉い人に保護されたみたいだし、東様の家は豪邸だし、車は空を飛ぶし。
今のところはラッキーよね。運が良かったと思うべきよね。
うん。
きっと、そろそろ最初の修羅場か究極の選択を迫られる頃かもしれない。
すると、その想像通りに玄関前にいた少々偉そうな6人と東様が一斉にこちらを向いた。
光源を背にしているので7人の表情が分かりにくいが、あまり好意的には感じられない。
私がビクッと慄いて歩みを止めそうになったら、純玲さんの手がそっと背中に添えられた。パッと彼女の顔を見ると表情に変化は見られないが、手の感触がなんとなく力付けてくれているようなのが伝わってくる。
少しだけ勇気をもらった気がして、頑張って足を前に出した。
広い間口のお屋敷に見合った広い玄関の前にいた人々は、両脇に避けて私と純玲さんを通してくれる。
室内履きは踵まで覆ったスリッパのようなもので軽い。色は何種類かあるようで、用意されたのは裏葉柳という色だそうで、柳の葉の裏の色というかなり薄い緑だった。柔らかいイメージは一目で好きになった。