揚華5
揚華5
私は一体、何をしてこうなっているのだろう。
知識が合っているのなら、今日は火曜日。あと10日もしたら初出仕とやらの日。
そろそろ色んな仕度のためにも、こんなふうにのんびりしてていい日程じゃない気がするのだけれど。
すると、これまで聞いた事のない廊下をけたたましく走る音が響いて来た。
この家の人が派手な音を立てて廊下を走るなんて聞いた事がない。
と、コココン、とせわしなくノックの音が響き、返事もしないのに間髪いれずにバッとドアが外から開けられた。
「あなた、何やってるのよ!」
姿より先に声が飛んできた。それから主従が登場する。
「何度見に来ても目を開けないし。どれだけ心配したと思ってるのよっ」
スタスタとベッドに近付き、ためらわずに少し前まで医師が座っていた椅子に腰を下ろした。
凄い剣幕の沙羅様に引きまくって、すいません、としか言えない。
更に怒鳴ろうとするのか空気ごと口を開けた沙羅様は、音を発する代わりに気を落ち着けるように深々と深呼吸をした。
「……で、何があったの」
随分と無理矢理に感情を抑えた沙羅様の声に、私も口を開きかけた。
すると複数人の足音が聞こえ、気が急いている気配が伝わってきた。
ノックの音も気ぜわしく、ドア近くにいた純玲さんが応対してくれた。
入室してきたのはやっぱり鷹司家御一行様。
あーあ、やっぱり来ちゃった。
とても焦った顔の両親と兄に、心配しないでというつもりで笑顔を向ける。
3人は先客である沙羅様達と挨拶を交わし、交わしている間に私の様子を確認して落ち着いたのかホッとした表情でベッドの左側へ回って来た。
私としては心配させてしまったのは間違いないので、とにかく素直に頭を下げる。
「ご迷惑をお掛けして、ごめんなさい」
頭を上げるとお兄様が私の肩を軽く叩き、お母様が私の手を握ってくれた。
「一体どうしたって言うの?全く事情が分からないのよ」
現在、東之條ご夫妻は宮中にお呼び出しがあり、話しが聞けなかったのだそうだ。
お母様から優しく柔らかい圧を感じて、私は樹に登った理由と、突然現れた男性に驚いて手を滑らせた後の記憶がないところまでを正直に話した。
お父様と沙羅様は呆れ、お母様は妙に納得し、お兄様は笑いを隠す為に俯く肩が震え、純玲さんは必至に無表情を作っているのが分かる。
これは笑いを誘うような話しだろうか、と首を傾げたくなったが、美園は昨夜からの謎が解けたと嬉しそうな表情に変わって、医師からの注意事項や今後の検査について説明した。
美園の入室に気付かなかったけれど、どうも両親たちを案内して一緒に入ってきたらしい。イレギュラーな事態に心細かったのだろう。鷹司の人に囲まれて、今は落ち着いて話しが出来ている。
あーあ、ここまで話しが大きくなっては、一人になりたい時のお月見は中止にするしかない。仕方ない。
そう思って諦めていたところへ、それまで口を開かなかったお父様が
「月は君の世界と変わらないのかい?」
と、小さな声で問うた。
一瞬、言葉の意味が分からなくて呆けてしまったけれど、元の世界と今との差のことだと思いつく。
「それがですね、微妙にこちらの方が大きい気がしました。気のせいだとは思いますけど」
「ほう」
何か考えながら3回頷いたお父様に、月が少しずつ地球から離れていっている説は御存じなのかな?と聞いてみたかったが、それこそ偉い人しか知らない事実だったら困るのでやめておいた。
さて私はどうやって担ぎ込まれたの?その疑問だけが残った。
朝食に間に合った東様夫妻が皇宮からお戻りになり、鷹司のみんなも招待されて御馳走になった。食後に真相解明となったようだが、私だけは療養の為として部屋へ帰された。
ズルくない?ひどくない?
だって東之條家の3兄弟も同席するというのに、当事者のはずの私は外されるの?なんか納得いかない。
……でも仕方ないか。失敗したらしいのは私だし。
美園に付き添われて部屋へ帰り、外出着に着替えるように促される。
美園と東之條家の侍女に付き添われて正面玄関へ回り、俊哉さん運転のコフで送ってもらう。
3分ほどの飛行で医療院と呼ばれる入院設備の付いた病院の駐車場へフワリと舞い降りる。
飾り気のない入口を入ってすぐの受付で美園が係の人と話しをし、検査室を示してもらう。
そこで待機していた検査官に案内され、数々の機器の中の一つの傍を指示された。
トードと言われたそれはコフに似た繭型で、やはり絹のような光沢のあるオフホワイト。
上部の蓋が開き、中へ横たわると蓋が閉められる。密閉空間のようなのに、内部はボンヤリと明るい。
全く凹凸のない表面というか蓋裏というか、キョロキョロと目だけで見渡していたら、外から
「撮影を開始します。目をしっかり閉じて動かないように」
とぶっきらぼうな男性の声。
今までが丁寧に扱われてきたので、少々ビックリする。
言われた通りに大人しくしていると、ものすごく眩しくなって、その光が足から頭までをコピー機のように照らしていくのが分かる。
光っている間に響いていた低音が聞こえなくなったな、と思ったのと同時に人の話し声が聞こえてきた。それも男性と女性の怒鳴り声。
「……しゃ……たかつ……よ」
「何言って……しつれい……」
この装置の中はかなり密閉度が高いらしくて、外からの音は切れ切れにしか聞こえない。
検査は終わったらしいのに一向に開かない蓋にイライラしていると、やっと操作してくれたらしい。
滑らかな動きで蓋が開き、明るい室内の光で現実感が戻る。
「早く訂正してください」
美園の怖い声を初めて聞いた。
「分かりましたよ。それで正式名と機能を言って下さい」
不機嫌満載顔の係員さん。私の横たわっている機械が発された声を聞きとるらしく、パソコンのディスプレイのような所へ文字が現れていく。
「お名前の漢字表記を確認して下さい。……合っていますか?」
美園がディスプレイを確認して頷くと、係員さんの表情がギョッとしたものになる。
「では次に続柄を入れて下さい」
ん?係員さんの言葉遣いというか口調が幾分か柔らかいものになった?
逆に美園がキツイ頑なな口調で言葉を継いだ。
「こちらのお方は鷹司家長女であらせられます。当主名も申し上げたほうがよろしいでしょうか?」
「い、いえ、大丈夫です。ありがとうございますっ」
大変手早く入力を行った係員さんは、バッと椅子から立ち上がり、私達の方に向かってガバッと深く頭を下げた。
「失礼な態度をとりまして大変申し訳ありませんでした。御不快の程、深くお詫び申し上げます」
言葉が終わると、彼は更に深く腰を折ってきた。
私は東之條家の侍女の手を借りて機械を出ると、頭を下げたままの係員さんに意識して優しい声をかける。
「何かありましたか?あまり恐縮しないで下さいな。お世話になりました」
と言って機械だらけの部屋を後にする。
その際、美園が係員の肩をトントンと軽く叩いていた。
後で知ったことなのだが、平民や自分よりも身分が下の人を上位貴族が直接触れる事はほぼないのだそうだ。また頭を深く下げて謝罪している場合、頭を上げよの言葉が本心から出たものではない場合が多いのだとか。相手の言葉にホッとして頭を上げてしまうと、謝罪が短いだの足りないだのと難癖をつけられる事が多発した頃があって、それを解消するために編み出されたのが、このトントンなのだそう。
主人の意を汲んだ侍従、侍女が、主人の気性を把握した上で。もう頭を上げても大丈夫ですよという合図になるのが肩や腕をトントンと軽く叩くか触るかをする、というもの。
合図を受けて係員は恐る恐る顔を上げた。それへかつて見ていたある表情を真似てみる。
それは、マユがパーティなどで周囲へ見せていた笑顔。それを真似たつもりである。
係員はビクッと怯えたあと慌てて、申し訳ありませんでした、と再び頭を下げた。今度はすぐに顔を上げてこちらを見たので私もホッとする。
美園が何か言葉を付け足している間に東之條家の侍女が私の服や髪型を直してくれた。
この雰囲気とかを考えるに、貴族階級が気に入らない平民層はけっこういるというわけで、鷹司家はそうでもないようだけれど、東之條家などは反感も何かしら買っているということなのだろう。ただ露骨にそれを表してしまうと貴族階級からの意趣返しは半端でないものが返ってくるのだろう。
お互いに溜まった感情の捌け口はきちんとあるのだろうか。恐らく貴族層に加入したばかりの私には鬱憤をぶつけても構わない、という単純な考えだったのだろうな、と私なりに解釈してみる。
「沙羅樹様とはお話しされていらっしゃいます?」
と東之條家の侍女が突然小声で話しかけてきた。
「ええ、私は彼女が好きですよ。まだ知り合ってからほとんど経っていませんが、かなり早い段階で言葉を交わしています」
「鷹司家はいいですね。使用人と普通に話しが出来るそうですね。聞き流していただいてかまわないのですが、繰り言とお受け止め下さい。東之條家では主人家族と話しが出来るのはごく限られた使用人だけです。ましてお嬢様と会話が出来る者はほんの一握りです。私などは勤め始めてから一度も言葉を交わした事はありませんし、最初に厳命されたんです。お嬢様には必要のない話しはしないこと、すれ違う際は頭を下げて決して目を合わせないこと。そう伺いまして、皆さんもそれを徹底されております」
「……」
それって奥様とか加納さんの意向であって、沙羅様の意見は反映されていないのでしょうね。
こんあ通達が本当に出されていたなんて、子供時代は寂しかったでしょうね。
今さらではどうしてあげる事も出来ないけれど。
「ですが私と致しましてはお仕えします立場として、出来ましたらお嬢様とお話しさせていただきたいですし、外出時のお声掛けもしてみたいです。せめて日頃のお言葉は、交わせないまでも笑顔でご挨拶させていただけましたら幸せです。私だけの繰り言と思っていただいても構いませんが」
つまり使用人の皆の総意ではなく、一部の愚痴と捉えるべき?
さて、どう捉えたものでしょう。これは下手に相槌も打てないわね。
これでは東之條と鷹司では使用人への考え方が違い過ぎて簡単に返事は出来ないわね。慎重に答えないと。
私が来たばかりの若輩者と軽んじられての愚痴なんだろうけれど、他家の人間の前でこんなに愚痴を並べるのは困ったものだ。
「その件に関しましては、どなただったか伺った事がございます。ですが各家の方針と言われてしまえば致し方ありませんよね。いっそ加納様にでもお話しなさったら如何でしょう。許可が出るかもしれませんよ」
意図に気付かないフリをしてみる。
そもそも私より年下なのに頭のキレは天下一品の沙羅様が、果たしてこの侍女の相手をしてお話しを合わせ下さるかしらね。おそらく、あしらわれておしまいな気がするなあ。
ま、いっか。と取り合わない方が良さそう。
たぶんこの侍女は私にも今後は配属されないと思う。今日だけお世話になるだけで深入りしない方がいい。
案の定、当たって砕けるくらいの気概でぶつかってみたら?と提案したら、急に寡黙になった。
つまりその程度のお話しの内容だということ。
こんなのばかりが周りにいるなら、沙羅様と純玲さんの主従は二人だけで孤立せざるを得ないのも仕方ないのだろう。
そこへ美園が戻って来た。
「お待たせしました、咲久良様。検査結果は明日御自宅へ届くそうです。お名前は受け付けの分も書き換え終了しております。あと、」
そこで美園はチラッと侍女へ視線を走らせたが、すぐに私に視線を戻す。
「今日明日はくれぐれも、いいですか、くれぐれもご無理はなさいませんように。思い悩むような事も柔軟体操もなさってはいけないそうです。よろしいですね」
思い悩む、のところで美園は再び目を侍女に向けた。
なるほど、こちらの会話が美園に聞こえていた、と。
侍女は少し顔を顰め、私は、はいはい分かりました、と軽くかしこまっておいた。
その後は受け付けの女性に謝ってもらい、心配していた俊哉さんに検査の様子を語り、東之條邸正門まで送ってもらった。




