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 そこから藍葉は案の定、苦しい日々、或いは、苦しい生涯生涯を送ることになった。主要人物に影響を与えぬ為に、黒瀬、丹菊、紫桃が生まれ育つ地、更には十二球団の本拠地やキャンプ地からも遠く、適当に便利そうな場所に住まう、身体能力の豊かそうな夫婦の末子として誕生はしてみるものの、流石に、簡単な関門ではない。ドラフト会議で指名されるだけの実力を付けつつ、かつそれを、他でもない横浜首脳陣に買われねばならないというのは……

 SHY-82301-92、つまり、SHY-82301-80にてこの試みを開始してからの12回目の生涯において、久々に藍葉は茶畑とまじまじとした話し合いを持った。高校生時代ではそれぞれが異なる学校――野球の強豪校と、マスコミ系へ就職するための足掛かりとすべき進学校――へ進まねばならないので、中学校の資料室が舞台に選ばれている。

 誰も来ないであろうことを良いことに、一番大きな卓を占めつつ、禁忌の話、()()世界の住人からすれば神の語らいに相当する話題を、二人は堂々と展開した。

「随分難渋しているみたいだねぇ、藍葉君、」

 茶畑の口調は、演じている年齢の影響を受けて稚くなっている上に、彼女らしい、軽々しい擬音や取ってつけたような叮嚀語が頻りに混じり入る癖も、まだそこに培われていなかった。容姿も当然に女子中学生のものであり、生まれたままでなんら加工されていない顔や緑髪も、駈け出し記者或いはライターとして各地を経巡る時の、彼女の姿とはまるで異なっているのだが、しかし、赤の護謨紐にしっかり纏められつつも彼女が身(じろ)ぐ度に跳ねる房と、(きつ)く引き上げられて果実の表皮のように光っている側頭部、そしてそこから放恣に漏れている残り髪の様子が、活潑さと理智、そして遠慮の無さと言う、記者に必要な要素の片鱗を既に表してもいると、藍葉には見えたのだった。

 対照的に、選択肢無く丸刈りにされて、才槌気味の頭を(あらわ)にしている彼が、

「そりゃなかなか、NPBの仕組み上、特定の球団に狙って入ると言うのは、」

「でもさ藍葉君、」指をくるくる回しながら、「そもそも君、一回も指名されてないじゃん。」

 痛いところを突かれた藍葉は、

「なんだい、茶畑さんが言い出したことなのに。」

「いや、藍葉君が他に何か良い手を思いついてくれれば、勿論私もプロ入りなんかにこだわらないんだけど……

 例えばさ、選手じゃなくて、紫桃や丹菊の担当医って手も一応有るけどさ、」

「担当医?」

「特に丹菊。()()()体質なんだから、絶対に幼い頃から病院の世話になっていると思うのだけど、」

 藍葉は、腕を組みつつ、

「成る程。担当医になれれば、丹菊のことをもう少し知られるのか。」

「でも、問題が二つ有る。まず、私達は、正直そこまで丹菊に興味が無い。『異能』を抱えているのはどうやら紫桃と黒瀬で、しかも、黒瀬の方は単純至極でもう殆ど解析出来てしまっているんだから、結局、私達は紫桃について知りたいんだよね。丹菊は、ややどうでも良い。」

「……然り、だろうね。」

「だからって紫桃の担当医になるというのも、相当難しいと思うんだ。彼女、肉体()まともっぽいから、酷い風邪を引いたとか、或いは春キャンプの()()みたいに変な病気に罹るとかじゃないと、病院に来ない気がする。すると、『紫桃の担当医』というものが、そもそも存在するのかどうか、」

「産婦人科は?」

 少し訝しげな顔になった後、茶畑は理解したようで、

「ああ、御子息、紫桃竜太郎(りゅうたろう)君の出産? いや、担当医と言っても、産婦人科検診と分娩前後に会うだけじゃなぁ。

 それにそもそも、()()は医者になれるのか。それも、躰が資本と言う切迫感を以て、金に飽かして一番良い治療法を選択するであろう紫桃に頼られる程の、名医になれるのか。……そして、なれたとして、ちゃんと紫桃に出会うことが出来るのか。」

 藍葉は、頭を搔きつつ、

「分かった。つまり、ドラフト指名を得る方がずっと簡単だろう、って君は言っているんだね。」

「うん。」

 茶畑は、排球部の練習で痛めたのだと言う、脇腹の辺りを気にしながら、

「ええっと、つまりそんな感じでさ、私も色々考えてはみるんだけど、結局、横浜へ選手として潜入してもらう以上の方法が、何も思いつけていないんだよね。

 あとは一応、球団トレーナーとか? ……これも狭き門だし、結局男身の藍葉君に頼ることになるんだけど、」

「女のトレーナーは? 茶畑さんがチャレンジしてくれれば、機会が倍になるけど、」

「御免。NPB球団では、そういうの前例が無いんだよね。少なくとも、’16年までは。それ以降に世界が続けば、実際、先進的な横浜辺りで実現しそうな気もしてるんだけど……」

 藍葉は、この、澱みの無かった返答に、二つの理由で感心した。まず、恐らく、此方がちょっと考えて思いつく程度のことは、既に茶畑の中で検討と却下が済んでいるのだろう。そしてもう一つ、彼女はどうやら、横浜やNPBについて、本当にきちんと情報を蒐集し続けてくれているらしいのだ。

 藍葉は素直に、目の前の、二千年以上伴っている篤実な相棒に感謝したい気持ちとなった。

 しかし、そういう情感を伝えるのが不得手な、或いは、「藍葉」を演じ続けたことで不得手となった彼は、単に話題を進めてしまう。

「つまり、いかに困難に見えても、今の方法が一番マシな訳だ。」

「そういうわけで、応援してるよ藍葉君。ドラフトに引っ掛かりそうな所まで来たら、私も出来る限り、飛ばし記事書いてでも援護するからさ。」

「……いや。その時期って、そっちも高校三年生とかでしょ?」

「あ、そっか。」

 茶畑はそう言うと、遠くの方を見やった。藍葉もつい倣ったが、そこに有るのは郷土資料が突っ込まれた退屈な書箱であり、つまり、特段何かを見詰めている訳ではないらしい。考え事に際し、視線を明後日へ向けてみると言う、三次元人としての自然な所作が、茶畑詩織として過ごした生涯によって染み付いている。

「じゃあ、これまで()()って、何となく紫桃や丹菊と同い年――つまり黒瀬の二歳年上――で出生してきたけど、次の()からは、ずっと年上のが良いのかな。」

「どう、だろうね。そうしてしまうと、こうやって世界内で()らが作戦会議を持つのが、難しくなるけど、」

「あー、……でも、聯絡(れんらく)は何とか取れるんじゃない? 藍葉君だって、ケイタイ買い与えられるでしょ?」

「高校の寮では、没収されるけどね。」

「……うわ、マジか。きっついなぁそれ、いろんな意味で。」

「実際、僕の方の高校とか地域、変えても良いかもね。どうせ、茶畑さんがどの家に生まれるかも、再検討しないといけないのだし。」

「大賛成。藍葉君も全然成果無くて辛いでしょうし、また、ちょっと気分変えようよ。」

 そんなこんなで、次回からの工夫ばかりが楽しみとなったこの()()では、自然と藍葉の覇気が失われ、彼は高校の三年間でベンチに入ることすらもなく、しっかり第一志望校の推薦枠を射止めつつあった、茶畑にいとも呆れられたのだった。


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