ムジナ駅
ぼんやりと狭い駅構内のベンチに座っていると、「どうしたんですか」と横から声が掛かった。
大学生くらいの男だ。ランニングの途中のように首にスポーツタオルを掛けて、流れる汗を拭っていた。
この辺りは、民家がないような所で、1時間ほど歩いてようやく農家が見られるようになる田舎の駅だ。
野良作業か何かをしていた住民なのかもしれない。
無人駅どころでなく、9年も前に廃線になった駅だ。
そんなところで旅行者然りとした者が座っていたら、声を掛けるのはごく当たり前に想像出来る親切だった。
「ありがとうございます。なんというか、まぁ…電車を待っているわけではないんですよ。ああと…まあ、妻との思い出というか。6年前に廃線になったんでしたっけ?」
私は鎌をかけるように、願をかけるように質問をした。
「さぁ。どうでしょうね。他の駅の事情は知りませんけど。この駅に電車は来っこないですからね」
妙な言い回しだった。それが予感させた。6年の間に消えかけた期待が私を逸らせた。
「それは、どういうことでしょうか」
「この、道を20分ばかし歩くとちゃんとした駅がありますよ。終点です。使われてないみたいですが。奥さんとの思い出はそっちなんじゃないですかね」
彼はそれが答えだと思った様子だった。
私は彼を逃すまいと腕を捕まえた。彼は驚きはしたが、気味悪がったり立腹したのでもなく、笑みを浮かべて「どうしましたか」などと言った。
「6年前に妻と子供が行方不明になったんです。最後に目撃されたのが、この駅なんです。終点の向こう側の駅。探しても見つからなくて、ようやく、今年見つけたんです。ここなんですよ」
彼は駅を見渡して、ポツリと「探してるんですか」と言った。
私は愕然として「そりゃあ、そうですよ」と応えたが、誰に聞かれても揺るがなかった信念が、足元にぽっかりと穴が空いたような心地になった。
生死を知りたいのか、もし、私を捨てて出たのなら理由を聞きたいのか。明らかにならない様々な問いで、宙ぶらりんになった人生に決着をつけたいのか。
「御家族とは会えないでしょうけど、ここに居ればどこに消えたかわかると思いますよ」
彼は私の腕を引いて、無人の券売所から取り出した切符を私に握らせた。
「なんか、不安になったところで降りたらいいです。奥さんだったら、いつそうなるかなと想像されるといい。ただ待っていれば、駅が運んでくれます。これはそういう場所ですから」
彼は私を元通り座らせるとそのように説明した。
私は彼にさらなる説明を求めようとして口を噤んだ。
彼の肩越しに駅の入り口が見える。
それは記憶にある風景では無くなっていた。
私は彼の腕を離して様変わりした風景に呆然とした。
「ここはムジナ駅と呼ばれていて、駅を模倣した駅のような、川に浮かべた笹舟のような、そんな場所なんですよ。」
「夢だ…」
「そうですね。貴方の夢かもしれないし、奥様の、或いは誰かの夢かもしれない」
彼は私の隣に腰を下ろした。
幾ばくが時間が経つ頃に、彼の鼻歌を聞く。
気球に乗ってどこまでも。心境に合っていないことか、懐かしさにか私は笑った。
やがて、耳に潮騒が届く。