流星群と天の川の君
八月のお盆の頃、流星群が観測できる。ペルセウス座流星群。夏休みとあって、ぼくは少し遅い時間まで夜空を眺めるつもりだった。
昼間の温度の残る夕暮れの街を、展望台へと歩いていると、一年前のあの日のことを思い出す。ベガと名乗った彼女と、天の川を巡る不思議な夜を。
幻のようだったあの一夜を、ぼくは夢とは思わない。今もカバンにつけた小瓶が揺れてぶつかり合えば、あれは現実だったと涼しげな音が教える。
あの日彼女からもらった星の入った小瓶は、確かにここにある。
「やあ、文弥。元気だったかい?」
ぼくの思考をさえぎる、明るい声。ぴょこんと元気よく跳ねるようにして、彼女は現れた。
「……ベガちゃん」
「うん、そうだよ。久しぶりだね」
「ちょうど、ベガちゃんのこと思い出してたんだ。あれから一年、何もなかったから……。また、会えて良かった」
「約束しただろう? 次の手伝いも、キミに頼むって。わたしは約束を破らないよ。さあ、行こう!」
いつだって彼女の行動は突然で、予想外だ。けれど、ぼくはそうして振り回されるのが、案外嫌いじゃない。
あの日、誰もが同じに見えるような人混みの中から、彼女はぼくだけに声をかけてくれたから。
ベガちゃんに手を引かれて、人の間を駆け抜ける。ちょっとした広場が、もうすぐのはずだ。くぼんだ場所にあるそこへの下り階段へ、彼女は飛び込んだ。
手をつないだままのぼくも落ちていく。空中で、ふわりとした浮遊感は変わった。
あの日と同じく、夜空の中を落ちる。キラキラと星がまたたく、不思議な夜の世界。手を伸ばせば届きそうな、綺麗な星々も変わらない。
まるで白いうさぎを追いかけて、不思議の国に迷い込んだ女の子みたいだ。彼女のように、ずっと落ちていく。
それなら、ぼくの案内人はベガちゃんだ。ちょっと強引だけど、そうしてぼくを連れ出してくれる。星を集めるという、特別な役割を持つ彼女。
つながっている手を、ぎゅっとさらに握る。
「文弥、どうかした? 怖いのかい?」
ベガちゃんの瞳は、星の輝きを宿している。こちらにいると、それがよく見える。
「ううん。ベガちゃんがいるから大丈夫。今日も星が綺麗だね、ここは」
「ココはわたしたちの夜空と、文弥の世界をつなぐ通路みたいな場所なんだよ」
「落ちていく先が、いつも見上げてる夜空だなんて不思議な気分だ」
ふわりと底に着く。天の川のほとりだ。色とりどりの小さな星を含んだ水が流れ、石に混じって星が沈む川。
「今夜キミに手伝ってほしい星集めはね、流星群のだよ」
前回にもほんの少しだけど、流れ星を集めるのを手伝った。けれど今回は、また違うらしい。
「あと一人、協力者を呼ばないとね」
「協力者?」
「そうだよ。流星群は星の数が多いから、まず一ヶ所に呼び寄せるんだ。ソレができる人が、もう一人の協力者」
くるりと天の川に背を向けたベガちゃんは、夜空に向かって呼びかけた。
「オルフェウスさん、準備ができたよ」
「……そうか」
夜の暗闇の中から現れたその人は、落ち着いた雰囲気の青年だった。吟遊詩人の衣装をまとっていて、憂いを帯びた深い紫の瞳がとても印象的だ。
「オルフェウス……。大切な人を連れ戻すために冥府まで行った、あのオルフェウス?」
「君は……。あの物語を、彼女のことを、知ってくれているのか」
オルフェウスさんが、ぼくに目を向けた。その哀しげなアメシストの瞳が深く煌めく。
彼は、大切な人を失った。ギリシャ神話の時代からずっと、それを忘れずにいたのだろう。長い時間が過ぎ去った今でも、ずっと。
「文弥は、星の物語にも詳しいんだね」
「有名なものだけだよ。こと座の物語みたいな」
こと座にまつわる星の物語は、オルフェウスさんと彼の妻の話だ。
「星集めの子供、仕事を始めよう。今その物語を聞くと、他の物語が語れなくなってしまう」
「あのね、オルフェウスさん。わたしは今、織姫さまからベガって名前をお借りして、そう名乗ってるんだ」
だから彼女は『便宜上』とつけてベガと名乗るのだ。元は彼女には名前がなかったらしい。見かねた織姫さまが名前を貸してくれたのだと、去年彼女は教えてくれた。
「では、以後気をつけよう」
「アリガト。じゃあオルフェウスさん、ヨロシクお願いするよ」
「ああ」
オルフェウスさんが、竪琴をたずさえる。彼は吟遊詩人であり、竪琴の名人だ。その音色は、全てのものを魅了すると言われている。
「オルフェウスさんの演奏はね、流星群をも魅了するんだ。その音色を聴きに、星が集まってくるんだよ」
「今夜の星を呼び寄せるのならば、ペルセウス殿の物語が良いだろう。少年、場面の指定を頼む」
「え、ぼく? でもオルフェウスさんみたいなすごい人に、ぼくなんかが……」
すいとオルフェウスさんが、ぼくに歩み寄る。立ち止まる動作に合わせ、衣装の裾が揺れた。彼はそのまま、ぼくの前に膝をついた。お芝居の一幕のような、美しい所作だ。
アメシストの瞳が、まっすぐにぼくをみつめる。
「自分を卑下するのは良くない。それに、私はうれしいんだ。この時代にも、あの物語を知っている者がいた。そんな君に、今宵語る話を選んでほしい」
たおやかな手が、ぼくの手をとる。優しくほほえんでいても、どこか哀しげな雰囲気が彼にはあった。
「えっと、それじゃあ……。ペルセウスがアンドロメダを助けるところ、かな」
「メデューサを倒した帰り道での一幕か。姫君を救う勇者という王道の場面だな」
「うん。それにあの場面には、いくつか星座になった人たちが出てくるから。物語で星座がつながってて、いいなって思うんだ」
ぼくのその言葉に、オルフェウスさんがふわりと笑った。
「君の価値観は好もしい。ベガ、良い助手をみつけたな」
「わたしもソウ思うよ! 文弥は星が好きで、星の物語も知ってる、スゴくいい人だよね!」
ベガちゃんがぼくの両手をつかんで、くるんと一回転した。振り回されつつも、彼女がはしゃいでいるのがなんだかうれしかった。
「ホラ、文弥見て。星が流れるよ!」
それが合図だったかのように、次々に星が流れる。夜空の中で他の星よりもひときわ輝いて、軌跡を残しては消えていく。
オルフェウスさんが竪琴をつま弾いた。だんだんと力強く響くその音は、天の川のせせらぎもあいまって波のように聞こえる。
そこはエチオピアの海岸近く。海が、大きな化けくじらによって荒れ狂っている。岩場で拘束されているのは、生け贄として選ばれ、人々のために自らその身を差し出したアンドロメダ姫だ。
「すごい。物語の場面が、目に浮かぶみたいだ」
「吟遊詩人って、楽器を奏でて物語を語る人だからね。中でもオルフェウスさんは別格だけど」
上空の流れ星たちを観客に、オルフェウスさんは演奏を続ける。すっと息を吸い込み、ほんの少し肩が上がるその動作ですら、物語の一部のようだ。
勇壮な音色に変わる演奏。勇者ペルセウスの登場だ。彼は今にもくじらに襲われそうなアンドロメダ姫をみつけ、助けに来たのだった。
オルフェウスさんの語る言葉は、ぼくにはわからなかった。ベガちゃんも知らないらしい。
「文弥のところから遠いだけじゃなく、オルフェウスさんの時代の言葉かもしれないね」
「そうかも。ずっと昔の、吟遊詩人が使ってたかもしれないんだね」
それでも音色は、心に響く。ぼくが話を知っているからかもしれないけれど、自然と場面が思い浮かぶのだ。
耳慣れない竪琴の音色と遠い国の古い言葉が語るのは、ぼくもよく知っている物語。
そして、竪琴を奏でるオルフェウスさんの元に星が集まってきた。降りてきた流れ星たちは、物語を語る彼のまわりをふわふわとただよう。
天の川のほとりで、吟遊詩人は竪琴の音色を響かせる。音楽に合わせ、星が彼にたわむれる。辺りの風景もオルフェウスさんの声や音楽も、何もかもが幻想的だ。
「文弥。ハイ、コレ持って」
「これ、鳥かご?」
「うん。コレがイロイロとちょうどいいんだけど、なんでか誰かが持ってないと星が入ってくれなくてね」
「だから人手が必要なんだね。星が流れてる時間も限られるから」
「さすが文弥だね。その通りだよ。今回は需要も多くて、キミが手伝ってくれてホントに助かるよ」
鳥かごをかかえていると、星が中に入る。ある程度集めては扉を閉めて、十数個分の鳥かごに流れ星を詰めた。淡く光る星は、鳥かごの中にあるからか、ホタルのように見える。
物語はフィナーレを迎えたようだ。ペルセウスが討ち取ったメデューサの首をかかげると、化けくじらは石になって海に沈む。そうして無事に救いだされたアンドロメダは、ペルセウスと結ばれるのだった。
祝福に満ちた音色で、オルフェウスさんは物語の幕を閉じた。
「星は集まったか?」
「うん、もう充分だよ。協力ありがとう、オルフェウスさん」
すぐ近くにあった小屋に、鳥かごを運び込む。ベガちゃんの作業場らしい。集めた星を、ものによってはここで加工したり、依頼主への出荷をするのもここが拠点だそうだ。
「よかったら、ちょっと休んでいってよ」
ベガちゃんの言葉に甘えて、ソファに腰かける。来客用に使っていそうな部屋だ。テーブルをはさんだ反対側の椅子にオルフェウスさんも座る。
一緒に持ってきていたらしいカバンは、邪魔にならないように自分にぴったりくっつけて置いておく。動かすと、ぶつかり合った三つの小瓶が小さな音をたてた。
その音に、オルフェウスさんが目をとめる。
「文弥、それは?」
「去年、ベガちゃんにもらったんだ。手伝ってくれたお礼って」
カバンから取り外して差し出した小瓶を、オルフェウスさんは興味深そうにじっと見つめた。
「なるほど。ベガ、急だが依頼をしたい」
「オルフェウスさんなら、いつでも構わないよ」
「私も、文弥に何か礼をしたい。今夜の流れ星の加工を依頼する」
「任せてよ。わたしも、ちょうどそのコト考えてたんだ。じゃあアッチで打ち合わせしようか」
「ああ」
遠慮する間もなく、二人は別室へ行ってしまった。今夜の星集めに、一番貢献したのはオルフェウスさんだろう。その本人が、ぼくにお礼をしたいと言ってくれたのだ。
こと座の物語は、実はかなりぼくのお気に入りだ。その主人公オルフェウスさんと話ができて、演奏も聴けて、それだけでぼくはかなりうれしかった。
去年とはまた違った理由で、夢みたいな一夜だ。
「文弥もおいでよ。詳細はまだ、キミにはヒミツだけどね」
いたずらをたくらんでいるように笑うベガちゃん。呼ばれて入ったそこは、作業用の部屋らしい。いくつかある、小さめの椅子の一つに座る。
「文弥。前とは違ったけど、今夜の星集めはどうだった?」
「すごかった、かな。ぼくのところで見るより、流星群も綺麗だったし、何よりオルフェウスさんの演奏が聴けたから」
「光栄だ」
ただ一礼するだけでも、オルフェウスさんのしぐさは美しかった。
「だが私の演奏も、良いことばかりではない。音楽というものは、言葉が通じなくとも共感させる力を持つ。私のそれは、より影響力が強い」
「えっと、それは悪いこと……なの?」
「心は、人それぞれ違うからこそ美しい。今回のような語り部としてなら、共感も良い方向に働く。しかし、たとえば私が妻を想って奏でた音色は、暴力的なまでにあらゆるものに響いた」
それは、その曲を聴いた人のほぼ全員に共感をさせてしまうほどだったらしい。二度目に妻を亡くしたばかりの頃のオルフェウスさんの、あまりにも深い悲しみと絶望。共感した人々は、ひどい場合にはその感情におぼれ、心が壊れてしまったと彼は言った。
「共感することが悪いとは言わない。だが、感情はたった一つだけではない。喜びと悲しみ、希望と絶望。どちらもなくてはならない」
「良いことだけでも、だめってこと?」
「そうだ。たとえるならば……星は暗い夜でなければ見えないだろう。昼にも在るのに」
「うん」
「それと同じだ。光だけの世界では、星が見えない。だが闇だけの世界では、暗いままだ。闇がなくては、光がわからない。光も闇も必要なものだ」
この人は幸せな生活があったからこそ、大切な人を失った絶望が深いのだ。ずっと、もうずっと昔のことであるはずなのに、彼のアメシストの瞳は今も哀しい色をしている。
「それなら、エウリディケさんだって、不幸なだけじゃなかったはずだよ。きっと今でもオルフェウスさんに想われて、うれしいって思ってくれるはずだよ」
「ああ……。久しぶりに、彼女の名を人の口から聞いた。そんな君がそう感じてくれるのならば、私も少し救われる」
いつか、彼がもっと幸せそうに笑える日が来てほしい。窓の向こうで夜空を横切った流れ星に、ぼくはそう願わずにはいられなかった。
ベガちゃんはさっきから口をはさまずに、ぼくらの会話をさえぎらずにいてくれた。
「そろそろいいかい? オルフェウスさん、仕上げはどうしようか?」
「充分すばらしい出来だ。さすがの腕前だな。ただ、弦だけはこれに替えてくれるか」
「でもソレ、オルフェウスさんの竪琴の……」
「これが良い。弦などまた張り替えればいい。今夜弾いたこれが、一番ふさわしい」
「わかった。それに、わたしもソウ思うよ」
出来上がるまでは内緒だからと、ぼくはベガちゃんの後ろ姿だけしか見れない。いつもと違って、静かに集中して作業をする彼女は、職人らしくてかっこよかった。
「できた! オーダーメイド品はこだわれるから好きだな。文弥、どうだい?」
ベガちゃんが差し出したのは、竪琴のストラップだった。オルフェウスさんのと同じ形で、片手の中におさまるくらいのミニチュアだ。
けれどとても凝ったつくりをしている。ベガちゃんがそれを、一つずつ解説してくれた。
「ココと紐の部分のコレはね、今夜の流れ星だよ。天の川の星の水にさらすと、鉱物みたいになるんだ」
U字型のそれぞれの頂点に、小さな石のような流れ星。光があたるとキラキラと輝く。
「ソレを流れ星に見立てると、コレが軌跡。ココにも星の水を使ってるから、ちょっと光るよ。わたしはこういう細工も得意なんだ」
U字の弧には、彫刻がほどこされていた。すると石は流れ星に見える。こんなにも狭い範囲に、細かく丁寧に彫られていた。
「この弦は、オルフェウスさんの竪琴のだよ。まあわたしは楽器の専門家じゃないから、たぶん本物と張り方が違うけどね。でも、細工物としてはしっかりしてるよ」
ベガちゃんは自慢げに胸を張った。自分の仕事に誇りを持っている彼女が、ぼくは好きだし尊敬している。
「すごいよ、ありがとう。ベガちゃんもオルフェウスさんも。良い物を使ってくれたこともそうだけど、二人がぼくのことを考えてくれたのが、すごくうれしい」
「よかった! 良い物が出来るより、文弥が喜んでくれるのが一番だよ! ね、オルフェウスさん」
「その通りだ。君が気に入ってくれたのならば何よりだ」
「大事にするよ。これも、今夜の思い出も」
オルフェウスさんと出会って、彼の演奏と語る物語を聴いた。今日の星降る夜が舞台なら、主役はこの美しい吟遊詩人だろう。
これからはこの小さな竪琴が、ぼくに今夜のことも現実だったと教えてくれるのだ。
「文弥、そろそろ時間みたいだ。帰ろう。今回は見送りができる」
「もうそんな時間か。文弥、再会を約束してほしい」
「するよ。ぼくも、またオルフェウスさんに会いたいから」
「ありがとう。では、また会おう」
手を振って、オルフェウスさんは見送ってくれた。やはり綺麗で、少しみとれる。そんな人が、他でもないぼくにまた会おうと約束してくれたのだ。
反対側の手はベガちゃんとつないで、天の川へと歩く。
「もしわたしが振り返らないでって言ったら、文弥はそうしてくれるかい?」
数歩分ぼくより後ろで、彼女はそう問いかけた。
「もちろんだよ。こと座の物語、あれは見るなって約束ごとを破ると良くないって教訓なんだ」
「そうなんだ、よく知ってるね。妬けるくらい、星たちや星の物語に好かれるワケだよ」
「え? 何のこと?」
「星やオルフェウスさんはもちろん、わたしもキミのことが好きだって話さ」
ぎゅっと、後ろからベガちゃんに抱きつかれる。なんとなく、ぼくは振り返ることができなかった。
「バイバイ、文弥。またね」
「ベガちゃん」
振り返る。ぼくはオルフェウスさんじゃない。彼女はエウリディケさんじゃない。振り返っても、引き離されることなどないのだ。
まっすぐに見たベガちゃんの星の瞳は、やっぱり綺麗だった。
「またね、ベガちゃん。また迎えに来てくれるのを、待ってるよ」
帰る瞬間はいつも突然だ。ぼくの言葉は、彼女にちゃんと届いただろうか。
手の中に残った現実は、小さな竪琴。ぼくの街でも、今夜は星が降っている。