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The Passenger  作者: 黒原羊
4/4

ACT1:Eve of Destruction part3

ACT1完

――ファミレス『カンザス』―― JST 16:15

 綾子、鈴、香、エミリーの勉強会は、気が付けば三時間近くの長丁場になっていた。いや、勉強会という言い方は正しくない。正確に言うならば、エミリーによる講義だった。彼女は、ひたすら三人に対し基本的な文法構造からそれぞれの品詞の役割まで高校教師よりも詳しく解説し、即席で拵えた練習問題を彼女らに与えていたのだ。

 エミリーの教え方が良いのか、三人の呑み込みが早いのか。三人は彼女の教えをあっさり吸収し、満点近くまで取れそうなほどに成長おり、彼女はノートと格闘し続ける三人をみて満足そうに微笑んだ。同時に、長時間話し続けいたために肉体に疲れを感じており、瞼がうすく垂れ下がって瞳にかぶさっていた。

「はぁーあ。疲れたぁー」

 香が、両手を高く上げあくびを漏らしながら、伸びをした。

「何言ってんの? つきっきりで面倒を見てくれたのはエミリーでしょ。あんたが付かれているわけないでしょ」

 鈴が口を少しとがらせながら香を訂正する。

「えへへ。分かってるよ。エミリー! ホントありがとうね。エミリーのおかげで赤点回避どころかクラス上位狙えるよ」

 香が自慢げに両手をエミリーのほうへ突き出し、ハイタッチを求めた。エミリーは勢いよく香の両手を叩いて見せた。パンッという軽快な音がなる。香は少し痛そうに手をひこっめる。

「何言ってんの。私が教えたんだらトップ目指さないと。でしょ?」

 その場に自然な笑いが漏れる。皆が楽しそうに。

もはや四人は、たった数時間で昔からの友達同士のように仲が良くなっていた。エミリーは、こんな時間がもっと彼女たちと過ごせればいいなと心の底から思い、打ち解けようと努力していた。しかし、そんな幸せな時間も彼女には許されなかった。

 テーブルに出していた、エミリーのスマートフォンがパっと光り、通知が表示される。

エイハブと登録された人物から『かけ直せ』と短いメッセージ。

彼女にとってよほど大事な人物らしく、彼女は急いで席を立った。

「ごめん、みんな。ちょっと、トイレに行ってくるね」

「うん。分かった」

「大丈夫、エミリーをおいて帰ったりしないって」

 エミリーはスタスタとトイレまで歩いていき、周囲を少し気にしながら女性マークの付いたトイレに足を踏み入れた。中は洗面台と一体になっている個室トイレで、ある程度の清潔感が保たれている様子だった。

 入り口の扉の鍵を閉めると、便座の蓋だけを上げ、そのまま腰を下ろし、両足を壁に押し付け、首元のネクタイを緩め、第二ボタンまで占めていたボタンを二つ外す。さらけ出されたブラジャーから胸との間に挟んでおいた煙草を取り出し、そのまま口に咥えた。タバコには朝つけてきたローズの香水の自然な香りが染み込み、エミリーの鼻先をふんわり包んだ。

 スカートのポケットに右手を突っ込んでポケットをまさぐり、昔、彼女の祖父から盗んできたジッポライターを掴みだす。右手によって奏でたチャキンという心地の良い音が温かい炎に変わる。その炎に左手を軽く当てながら咥えたタバコに火をともす。そのまま大きく吸い込んでから、天井を見上げ、空中に白い煙を吐き出した。

 エミリーにとって綾子たち三人と一緒に過ごす時間が、決してストレスのたまるものであったわけではない。むしろ、男の子の話で盛り上がったり、勉強を教え合ったりすることは、久しぶりにハイスクール気分を味わえて楽しいものだった。

 しかし、彼女が持つこの世界での役割を思えば、綾子たちと楽しく過ごすのはエミリーにとっても彼女たちにとっても不幸なことだと分かっていた。

 だからこそ、あの雰囲気に馴染み過ぎるのはまずかったのだ。そんな複雑な彼女の気持ちを、ずっと絶っていた煙草を吸う以外に、紛らわす方法はなかった。

 もう一口だけ口をつけると、スカートを少しめくり、まだ長いままの煙草を便器の中に放り込んだ。何をやっているんだろう、とおでこから後頭部にかけてを左手で撫で下ろす。耳にかかった髪が彼女の頬を撫でるのを感じながら、まだ白く濁っている息を吐き出した。

 トイレに来た本来の目的を果たすために、スカートのポケットからスマートフォンを取り出し、メッセージの送り主を呼び出した。

 しばらくコール音が鳴り続けていたが、男が電話越しにでた。

「聞こえるか? 今戻ってきたところだ」

 喋り口の男は、ジョセフ・ミラーだった。メキシコでの作戦からビックス陸軍飛行場に戻ってきたばかりらしく、何やら複数のエンジン音がエミリーのもとに複雑に絡み合う。衛星電話を通して彼の声がエミリーに届けられているのだろうが、多少のタイムラグが二人の会話を邪魔していた。。

「だいぶ、うるさいわ」

 エミリーは率直な感想を伝える。二十以上も歳が離れたミラーに対し、かなり親しげなく口調で彼女は話かけていた。

「少し待て、場所を変える」

 エンジン音が少しずつ遠のいていき、彼の声が聞こえやすくなる。

「これで、いいか?」

「ええ、十分よ」

「早速、本題だが、メキシコに『パッケージ』は存在しなかった。例のシェルターには、複数の子供の実験体と『パッケージ』の遺伝子サンプルがあっただけで、本体は見つからなかった」

「そう」軽くうなずく。

「ああ。お前が吐かせた男の情報は、あまり役に立たなそうだ」

「多少なりとも成果はあったんでしょ」

「まぁな。だがそう多くない。プレスリリースに載るのは、奴らが隠し持っていた大量のヤクとアメリカの資金でメキシコ政府に提供された銃だけだ。後は公表できない。まあ、持ち出せた情報もあまり多くないがな。それから、あそこはすべて破壊してきた。」

「派手にやらかしすぎよ。明日のニューヨーク・タイムズが楽しみね」

「誰も関心がないさ。せいぜい熱心なジャーナリストが、麻薬戦争の新たな一ページとして本に書くだけで、エル・パソの地元紙にすら載らない。それが世の常さ」

「カラーバス効果ね」

「まぁ、そんなことはどうでもいい。そっちはどうだ? 進展は?」

「ええ、大有り。藤宮鈴と接触したの。彼女の輪に入れたみたい。より、深く探れるかやってみるわ」

「わかった。進めてくれ。ただし、監視対象のマサツグ・フジミヤ(藤宮正嗣)にはまだ接触するな」

「りょーかい」

 ミラーは良い兆候が見えだしたと、少し安心した声色で言った。

「チームに必要なものはあるか?」

「今のところは大丈夫よ。また今度リストにしておくるけどいい?」

「ああ。そのとおりにしてくれ。そういえば、一つ興味深いものがあった。そちらに送っておくから、すぐ確認しておけ。じゃーな」

「ええ、またね」

 通話が切れていることを確認すると、スマートフォンをスカートのポケットに入れ、エミリーは立ち上がった。それから灰で汚れた水を流すと洗面台に手をつき、鏡で自分の顔をまじまじと見つめ直した。バックライトの光で照らされたエミリーの顔は、暗くよどんでいた。

 蛇口をひねり冷たい水を勢いよく流す。両手でその水をすくい上げ、顔一面を塗りつぶした。しっかりしろ、と心の中で言い聞かせ、もう一度水を顔にかける。

 それから、ブレスケアーを口の中で噛み潰し、煙草の臭いを誤魔化すために香水を一振り振りかけてから、扉をあけトイレを後にしていった。

 席に戻ると、なかなか戻ってこないエミリーを、やはり皆心配そうに彼女の帰りを待っていた。

「大丈夫だった?」綾子が訊く。

「あっ、うん。大丈夫。ちょっと、これから急用が出来ちゃった」

「えっ、うそっ!」

「これから、わたしの家で勉強会のつづきをやろうって話になってたんだけど……残念だね」鈴は寂しそうな表情を浮かべる。

「ごめんね。みんな頑張ってね。」

 そう言ってエミリーはブレザーをはおり、机の下から自分の鞄を引き出しす。そして、財布から自分の食べた分より少し多めの金額をテーブルにおいて、急いで出ていってしまった。

「「「じゃーね」」」

 三人はエミリーに手を振って別れを告げる。エミリーはガラス越しに彼女たちを見据え、ピースサインをするように薬指と小指が力なく曲げられた右手で手を振り返した。



――藤宮邸宅前――

 エミリーを見送った三人は、藤宮家で英語以外の科目の勉強をすることになった。藤宮家は、西ヶ原市の端のほうに位置し、学校から自転車で二十分、綾子の家から三十分の距離にあった。町からアクセスは少し不便だったが、西ヶ原市の至るところに土地を持ち、分家を持つ藤宮の本家であり、当然ながら三人の中で一番家が大きかった。

 数々の災害、都市開発、戦災を免れた藤宮の屋敷は、戦後、一部売却されてしまったが広大な土地に佇んでいた。

 立派な正門、人ひとりを易々と隠してしまう高さの土塀、綺麗に整えられた庭園、大きな蔵、受け継がれてきた主屋、お雇い外国人ジョサイア・コンドルの建築を模して造られた洋館。

 鈴とその両親は、その洋館に住んでいた。綾子や香は、何度も彼女の家に訪れているが、その雰囲気に慣れることはなかった。

 綾子と香は、鈴と一緒に勉強した後、夕食までご馳走してもらってから自宅への帰路に就いた。藤宮の両親は、すでに時刻は十時を回っていたので、綾子と香を車で送っていくと親切に気を遣ってくれたが、二人は自転車で来ていたこともあって、丁重に断った。

 その後、二人で自転車を押しながら仲良く話しながら帰っていたが、最初の大通りに差し掛かると二人は別れ、綾子は自転車にまたがり急いで家に帰ることにした。母親には、すでに連絡を入れ、遅くなることは伝えていたが、さすがに娘がこの時間まで帰ってこないと心配してしまうのが世の常である。

だが、急がば回れということわざがあるように、急いでいる時こそ冷静にならなければ不幸に見舞われるのも世の常なのである。

 彼女は、普段通らない道に自転車を走らせてしまった。というのも、西ヶ原の夜は場所によって、街路灯が極端に少なく、昼間とは全く違う街並みに変化してしまうのである。

 綾子自身も多少の不安を感じつつ、ある小道に差し掛かる。西ヶ原では、何年も前に再開発の計画が立てられ、立ち退きが進んでいた。しかし、土地の売買が進む中、行政が財政難に陥り、計画は一時的に凍結されてしまったのだ。そのため綾子がいま通るその地区の住民も、大部分は地上げにあい、他の地区に引っ越してしまったのである。

 そのため、夜とはいえ非常に閑散としていた。

 その中に、一台のけたたましく勇ましいエンジン音を響かせて走る一台の改造車が綾子の目に入った。スピードを落とさないその車に、普段の彼女であれば、端により車を先に通すといった配慮ができる女の子だったが、今日の彼女は、車の脇をすり抜けようと無理やり入り込んだ。

 案の定、鈍い引っ掻き音を残し接触してしまった。綾子は、バランスを崩し倒れそうになるが、転倒する前に何とか体勢を取り戻した。

 車が急停止し、中から三十手前ぐらいの年齢の四人の男が姿を現す。

「すみません」

 綾子は反射的に謝った。

「おい、謝って済む問題か? ネーちゃん、わかってねーな」

 男たちの喋り方が綾子には変に聞こえた。何か明瞭がなく、脳梗塞を患った彼女の親戚のような話し方をしていたのだ。

 今も何かを発しながら近づいてきているが、彼女にははっきりと聞き取ることができなかった。これは正常な人間じゃない、ととっさに彼女は逃げ出した。自転車に乗りたかったが、男の一人が急に走り出したため、綾子もそのまま逃げだした。

 今までに感じたことがないほどに心臓は高鳴っていた。本物の恐怖だ。

 一生懸命に走る。走って、走って、ひたすら走る。

 だが、綾子よりも男の方が速かった。懸命に逃げたが、百メートルしないうちに衝く待ってしまった。

「オイ! 逃げることリャ、んネーだろうオ」

 綾子は、必死に抵抗し、男から逃げようとしたが、男の力は異常に強く、地面にねじ伏せられてしまった。右の腿を強く打ち、足首を捻ってしまったので、彼女はもう、走って逃げることは出来ない。

 彼女は、力なく男を殴りつづけ、抵抗したが、そんなことは他の男たちが来てしまえば造作もなかった。男四人に抱え上げられ、体が宙に浮く、恐怖のあまり声が上手く出せず、自然と涙がこぼれる。

 もう殺される。そう彼女は決心して、体の力がすぅーと抜けていった。本当に死を感じた瞬間、彼女は走馬燈も見ることなく、只々力が入らなくなった。

 前身の力をすべて抜き、首元をだらんっとぶら下げると、後ろから接近してくる光に気が付いた。最初は小さく段々大きく。その光は彼女にとっての唯一の光なのか。

「たすけてください」

 光がはっきりが見えると、彼女は最後の力を振り絞って、そう叫んだ。



 西の空に夕焼けの名残漂うたそがれ時。薄明射し込む部屋の中。

 エミリーは、ベッドに座りこみノートパソコンの液晶画面をぼんやり見つめていた。

 彼女のベッドルームには、これといって少女っ気はなく、ベッドの他に多様な本が敷き詰められた本棚だけの部屋だった。

 彼女の視線の先、CIAのデータリンクを介してミラーから送られてきたメキシコでの作戦の詳細な報告書。

 そこには、現場で撮られた写真や映像がアップロードされており、彼女が一度だけ訪れたことがある、人間爆弾を製造するテログル―プの拠点のような凄惨な現場が記録されていた。いや、この現場に華を飾ったのは恐らくCIAの急襲部隊であることは間違いない。子供から大人まで様々な年齢層の死亡した実験体の隣には、彼らによって射殺された、現地の研究員やカルテルの人間の死体が仰山転がっていたのだ。

 彼女も彼ら一部であるからこそ、死んだ人間への同情心など一切持っていなかったが、年端もいかないどこから誘拐されてきたであろう子供たちの死を見るのは、少し堪えるモノがあった。

 そうした溢れるデータの海を深く潜っていくうちに、ミラーが言っていた研究状況報告書が既にpdf化された状態で残されていた。CIAが、いくら膨大に膨れ上がった無能な官僚組織とはいえ、そういった処理の早さを維持し続けていることにエミリーは少しばかり感心せずにはいられなかった。

 その報告書を読み進めていくと、ミラーがなぜ興味深いと言ったのかが理解できた。

 データ自体は、DNAの解析や遺伝子操作、マインドコントロールの効果を立証、薬物投与によって脳の視床をコントロールなど、あまり目新しいものはなかった。が、CIAが「アダム」と呼称する大柄な男がその実験に関わっていることが分かった。

 中東の戦域や東欧の暗黒街に度々姿を現す「アダム」。西側の多くの諜報組織によりマークされてはいとも容易く逃れるその男。FBIの凶悪犯リストに名を連ねているのにも関わらず、顔写真から指紋まで何も情報がないので、幽霊として扱われていたが、唯一長い年月をかけ「アダム」接触を果たしたCIAだけは、その存在を認識することができたのだ。

 ミラーとともに十年も過ごしているエミリーにとっても例外ではなかった。

 奴がどうかかわっているしろロクなことはない、とエミリーは思いながらベッドから起き上がり、コーヒーでも淹れようとキッチンに向かった。

 トワイライトが闇に染まり、もうすでに何時間も経過していた。月明りだけを手掛かりに証明のスイッチを見つけ出し、室内を明るく照らした。

 ホットコーヒーでもと思っていたが、マシーンをセットするのも面倒だったため、冷蔵庫から買い置きしておいた無糖の缶コーヒーをとりだし、一気に飲み干した。カフェインに活性化されるような感覚を味わいながら、リビングあるソファーにゆっくり腰を沈めていると、帰宅後、テーブルに放置していたスマートフォンが鳴り出す。

 左手に缶を持ち替え、テーブルに手を伸ばして応答する。

「エミリー・ブラント」

「おい、電話には出てくれよ」

 エミリーと行動する工作チームの一人、エリック・バートンだった。

「出ているでしょ?」

「夕方から何度も掛けているのに無視していただろ」

「見ていなかったの。悪かったわね。メールしてくれれば良かったのに」

「メールもしたよ。まあ、分かった」

「で何なの?」

「リン・フジミヤの会話にあんたの話が多数出ていたが、接触したのか?」

 エミリーはええと相槌をうつ。エリックはわかりやすいため息をする。

「そういうことは報告してくれよ」

「今まで、本部からの共有資料を確認していたの。これからそっちに行くわ。それに、ミラーにはもう伝えてあるから」

「そうなのか? 分かった。こちらで待機しておく」

 そう言ってエリックは受話器をおいた。エミリーも一度伸びをしてから行動に移った。「森川カレン」と書かれた偽造の免許書を財布の中に入れ、大型バイクを走らせた。

 革ジャンに黒いヘルメットを身に着け、カワサキ1400GTRを乗りこなす彼女の姿はとても絵になるものだった。バイクであれば多少目立とうとも、顔を隠すことができ、機動性も優れていた。

 軽やかなエンジン音が夜の西ヶ原に響き渡る。

 昼間の蒸し暑さがない、冷たい風を受けながら、人通りを避けるように再開発地へ入っていった。この人通りがなく、直線が続くバイクには走りやすい道が多かった。二車線道路から、抜け道を通るために路地に入っていった。

 しばらく走っていると、人影が前方に現れた。まるで負傷者を運び出すかのように何かを抱え込んで。

その何かは甲高い声でエミリーに助けを求めた。

 彼女にはそんな面倒なことに関わる気はなかった。彼女にそれを解決する能力はあったが、それは彼女自身の身を危険に晒す行為だったからだ。

 女の願い虚しく、バイクは五人の人影をすり抜けていった。速度を少しも落とさずにだ。

 しかし、その先に止めてあった車を越えて、バイクは急にブレーキをかけた。五人を通り過ぎる際、連れ去られようとしている女の顔がはっきりと見えてしまったからだ。それは、昼間一緒に時間を過ごした西宮綾子だったからだ。

 彼女が知人であったからといって、やはり同情する気はない。それどころか、自分が誰であるかを知っているということは、余計にまずいことだった。優先すべきは、藤宮正嗣、藤宮鈴の監視および『パッケージ』の確保であり、それ以外は二の次である。

 だが、エミリーはバイクを停めた。それはなぜか?

 彼女は自らの人間性を天秤にかけて考えた。

 ポーランドに侵攻したナチスドイツは、子どもたちが飢えて泣きじゃくる中、占領したホテルでフルコースの料理を食べ、自らの腹を満たしていた。ただ、腹を満たすのではない。来る東西の戦線で勇猛果敢に敵を打ち負かすためだ。子どもを放置することは、彼らの当時の倫理観に照らし合わせて考えれば当たり前のことである。

 なら現在のアメリカ軍であればどうだ。八十人の犠牲を防ぐために五人のテロリストを殺す。放置すれば八十人死ぬ。とすれば、五人を殺すことによって多数の幸福が守られハッピーなのか。

 現実では違う。親類や友人、それに巻き込まれた人間がテロリストとなり、二五人のテロリストが新たに追加されてしまうのだ。アメリカ人として、彼女も散々それをアフガニスタンで学んできたのである。

 では、西宮綾子を救うことはどうだ。彼女を助ければ、彼女は我々の秘密を知り、殺す必要が出でるだろう。つまり、彼女を助けても彼女は生き残らない。

 救わないとすれば、薬物依存の傾向が見て取れた四人は、後日警察に捕まり法の下の裁きを受けることになるだろう。イカれた男たちに乱暴されるだろうが、綾子の命は無事であるかもしれない。

 もし、あれが戦場に取り残された仲間であれば、助けに行くのか。間違いなく助けに行くだろう。例え、多数の犠牲を払ったとしても、その行いには価値がある。

 なら、綾子はその仲間の一人に入るのか。答えはノーだ。

 結果、八十人を殺してでも助け出すべき五人に綾子は入らなかったのだ。いや、彼女には自問するまでもなく理解していたことだ。

 そうであっても、彼女はヘルメットを外し、バイクを降りた。そして、ゆっくりの車に回り込み、綾子を運ぶ四人の男たちに話しかけた。

「ヘイ」

 それに気づいた四人は綾子を地面に下ろし、彼女にナイフを突きつけながらエミリーのほうをキッと睨んだ。

「おい、また変なのが現れたぜ。なんだよ、お前。可愛いじゃねぇか」

 話しかけてきたのが金髪の美少女であることに多少驚きがあったようだ。綾子もさっきのバイクに乗っていたのがエミリーだと知り、目を丸るめ静かにエミリーを見つめていた。

「もう警察は呼んだ。だから、彼女を開放してあげて」

 エミリーは、相手が理性的な会話ができるとは思っていなかったが、一様、警察という言葉を出して相手を威嚇してみた。

「ネーちゃん。日本語うまいねー。感激だわー」

 四人はエミリーの話をまともに聞こうとせず、彼女も一緒に誘拐していき楽しもうぜという会話を繰り広げていた。

 エミリーは右手をゆっくり懐に入れ、指で作った拳銃をゆっくり引き抜いた。それを一番近くにいた男に照準を合わせる。

「手を上げな」

「おいおい、ふざけてんのかよ」

 エミリーはバンと口で言い、次の男に照準を合わせ、またバンと引き金を引いた、

「こいつ、やべーぞ。お前よりイカレてんぞ」

 ろれつがまともに回らない男を見ながら、撃たれた男は言う。四人は腹を抱えて笑い出す。

 一人の男がダボダボのジャンパーのポケットから、本当に拳銃のようなものを取り出し、エミリーに向ける。出してもナイフぐらいだろうと思っていた彼女も少し驚いた。

 拳銃を持った男がエミリーに歩み寄り、左のこめかみに銃を押し当てる。

「これが、ホンモノだよ。じょうちゃん。俺の一物堪能したのか?」

 男の先に地べたにへばりついて顔を強張らせている綾子の顔を深く見つめた。

「西宮綾子、私がお前を助けたらもう二度とお前の日常は戻ってこない。そして、巨大な闇を背負わなければならない。お前にその覚悟がないのなら私はここから去り、お前は二度と私の前に現れることはない。つまり、お前はいくつもの可能性の中で偶然この選択を引き当てた不運な女ってわけだ」

 男は、エミリーにうるせぇ! と叫び更に銃を押し当てる。他の男はそれをへらへらと笑っていた。

「さぁ、どうして欲しい?」

「たすけてください」

 綾子は消えゆきそうな小さいな声で言った。

 その瞬間、エミリーの目の色が瞬間的に変わったのだ。

 男の手を左手で容易く払いのけ、右手を素早く後ろに回し自作のCQBホルスターからP220を引き抜くと側腹部付近に二発の45acp弾を撃ち込んだ。至近距離で速射され倒れこむ男を尻目に一番らりっているであろう男に銃口を向け、また側腹部に二発撃ち込んだあと、頭部にもう一発撃った。綾子のそばにいないもう一人の男にも同様に三発撃つ。熟練した流れるような動作で三人の男が昇天し、綾子にナイフを突きつけていた男は、余りの凄さに怯んでしまった。エミリーはその男から視線を逸らさずに最初の男の頭部にもう一発お見舞いした。全弾撃ちきった銃は、硝煙を発しながらホールドオープンした。

 そのままマガジンを捨て、マグキャリアーから新しマガジンを抜き取り、銃に装填する。

 男は勝機とみて、飛び起き綾子とエミリーから全力で逃げ出そうと走り出した。しかし、銃から発せられた三発の弾丸はそれを許さなかった。彼の背中に二発が命中し、最後の一発は後頭部を直撃しその場に倒れた。

 エミリーは、男が倒れるのを確認すると拳銃をホルスターにしまった。

 そして、彼女が次にとった行動は、綾子をいたわるのではなく、電話をかけることだった。

「エリック。処理班を寄越して」

 そう冷たく言い放った。


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