6.いざ魔領へ
今代のハールーシャのうちの二人の親の話をしようと思う。
まず、ファーレの両親は先代勇者の仲間でハールーシャの名を名乗っていた。父親が僧侶、母親が魔導士である。共に魔物と戦い切磋琢磨し合う中で恋に落ちファーレ・アルシス…アルシスとは父親の元の苗字だ…をこの世に産み落とした二人だったが、先代魔王の討伐の際二人は勇者と共に命を落とした。二人とファーレは、会う機会が少ないものの親子仲は悪くなかったため、ファーレは悲しみ、そんなファーレを元気づけたくても自分にその資格があるのかと悩んでいたのがオースだった。
彼女の父、現騎士団長であるオリエス・ハールーシャは先代の中での唯一の生き残りである。自分の父だけが生き残り ファーレの両親が死んでしまった事実はオースの心を深くかき乱し、正義感溢れるオリエスも同じく悲しみ葛藤した。ちなみにオリエスは先代ハールーシャの中でも勇者アレイの右腕的存在で、オリエスのことを勇者の相棒と呼ぶ者もいた。彼が胸に渦巻く感情に区切りをつけられたのは、ひとえに娘の存在があったからこそである。彼は、娘の為生きようと決意した。
そんなわけで。
「オースフィリア。」
「…父上…オースとお呼びいただきたいと何度も…。」
魔領へ出発する直前、オリエスは娘の傍へ寄り声をかけた。オースは一度討伐を経験したとはいえ今回の魔王は異常、オリエスは娘が心配だった。
オースの隣にファーレがいるのが彼には少し気まずかったが、ファーレは微塵も気にした様子を見せない。ファーレの両親が彼に会う度に、会えるのはこれが最後かもしれないが強く生きろと何度も諭していた、その言葉が身についているためオリエスを責める気など毛頭ないのである。そんな親子の事情を知らないオリエスは、後ろめたさを内面に隠そうとするような視線をファーレにちらりと向けた後、再びオースの目を見て口を開いた。
「お前も俺のことはお父様と呼べと…まあいい。思いのほか早かったが、二度目の魔王討伐だ。」
「はい。」
緊張しているのか言葉少ななオースの様子を見て余計に心配を煽られたオリエスは、何か娘を激励する言葉はないものかと思考する。緊張しすぎていては体は思うように動かない。何度も魔王と対峙した経験のある自分から、何かしらの激励をせねばならないとオリエスは必死に頭を動かした。
しかし、彼は現役時代勇者を傍で支えるという使命を全うするあまり家族との接触はほとんどなく、更に言えば強い正義感に加えツンデレ属性も併せ持つ男であった。
「一度魔王討伐に成功したからといって気を抜いてはいないだろうな。」
「え…それは、もちろん…。」
口から出たそんな言葉に、オリエスの脳は若干の混乱をきたした。娘の顔つきを見れば気を抜いていないことなど一目瞭然である。仲間がついているから気負いすぎるな、といった言葉をかけるべきであった。いいや、と再度言葉を発しようとしたオリエスだったが、それはオースの隣の男に遮られてしまう。
「い…」
「父親である貴方がこのオースの顔見て そんなことも分からないんですかね。」
「ファーレ…い、いや…。」
娘の為生きると決めたもののファーレに対しての罪悪感が消えないオリエスは、ファーレが両親のこととは全く関係なく棘のある言葉を投げつけてきたとは思わなかった。口ごもるオリエスに更に文句を言わんとするファーレの意図は、ただ俺の仲間を傷つけるなというその一点だけにある。
「だいたいオースは俺にも気を抜くなと注意を…」
「ファーレ、やめてくれ。」
狼狽した父の顔を見て、このままではファーレがオリエスの心を刺し殺してしまうのではないかと危惧したオースに、今度はファーレが言葉を遮られる番だった。オースは何となく感づいていた。自分の父親は、ファーレの両親のことで負い目を感じている 、と。そして、先代勇者の死後しばらくして、何か様子が変わったと。親子として過ごす時間は極端に短かった二人だが、互いを気にかけているのは今や双方同じのようだ。
「今は仲間内で喧嘩をしている場合ではないのだ。父上もそんな意味で言ったわけではない、と、思う。」
「オース…。」
若干自信なさげに尻すぼみに声を小さくするオースに、ファーレは複雑そうな目を向ける。彼はハールーシャであった両親に良くしてもらっていたから彼らに思いやりを持って接していたが、オースがオリエス騎士団長と話しているのは見たことがない。だというのに父親にこういった優しさを向けられるオースが、彼には少し悲しく、そして眩しく見えた。
周りは今代魔王のことでがやがやと話す中、 三人とも黙ったままの空間が数秒続く。その空気を割ったのは、意外なことにオリエスであった。
「すまなかった。俺はもう失礼する。」
くるりと踵を返してそのまま立ち去るかと思われたオリエスだったが、数歩進んだところで横を向き、聞こえるか聞こえないかの声を漏らした。
「…仲間が、俺がついている。もう負けはしないからそう気負うな。」
それだけ言うと耳を赤くして颯爽と立ち去るオリエスの言葉は、二人の耳に届いていた。オースとファーレはぽかんと顔を見合わせる。一瞬の間をおいて、ファーレがなぁんだ、と苦笑すると、それにつられたようにオースも肩に入っていた力を抜き微笑んだ。
オースの緊張をどうにか解けないかと格闘していたファーレだったが、どうや らまだ血の繋がった父親には敵わないようだった。
自身の管轄する魔領を一通り見回ってきた魔王は大きな大きな溜息を吐いた。開いた口から文字が出てきそうな、大きな溜息であった。
「ざっと魔領を見てきたけどさあ…外交があるわけでもないのに、今までの魔王は一体何をやってたんだ?」
そう言って再び、はああぁ、と、彼女が無駄に二酸化炭素を生む行為をしたのは、魔領の荒れようを見たからだった。行く先々では魔族達が縄張り争いで互いを殺さんばかりの勢いの戦いを繰り広げており、それを止めたと思えば他の喧嘩の喚き声を耳が拾う。夜行性も昼行性も、草食も肉食も、何もかも関係なく入り乱れる魔族達に規律などありはしない。
「魔領の管理すらしっかりできてないじゃないか…何なんだここは、私は一体どこにいるんだ?我本当に魔王?魔族の王?こんな混沌の具現のような空間に王、必要?」
「落ち着いてください、魔王様。」
自分の管轄する地域のあまりの荒れように静かに取り乱すシャルをルダーが宥めると、シャルは今にも泣きそうな瞳でうるうるとルダーを見上げた。それに悩殺されたのはルダーではなく守護者二体だったが、今はそれはどうでもいい話である。
「本当に…本当に、今までの魔王は一体何をやってた…?ルダーとエラルデは知ってるよな…?」
「それは…その…。」
あまりに悲痛なその声に、ルダーはありのままの真実を伝えることなどできなかった。例えこの、一応歴代の誰よりも賢い魔王が、今までの魔王達は人族を迎え撃つ以外にほとんど何もしていなかったと分かっているとしても、それを言葉にして伝えるのはあまりに無慈悲な事に思えた。
「あ…あっ、修練などされてましたよ!!」
それの気持ちはエラルデも同じだったようで、彼女は妙な元気な声で嘘を吐かずに本当のことを隠したことを説明する。過去の魔王のうち何体かは、稀に修練という名の引きこもりのストレス発散をしていたのだ。エラルデには、その発言が自分の首を絞めることに繋がると想像する余裕はなかった。
「修練…。」
ふむ、と涙をどこへしまったのか興味深そうな顔をし顎に片手を当てて何かを考えこむシャル。ルダーが困り顔でエラルデを見るのと、エラルデがしまったと思うのは同時だった。後悔先に立たずとはこのこと。二体の内心の後悔など関係なく、シャルはにへらと笑みを浮かべる。
「修練か、楽しそうだね。ルダーとエラルデは分かるんだよね、付き合ってよ!」
面倒臭い。二体はそう思った。そう思ったが、魔王の命令である、無碍にするわけにもいくまいと、同じような顔をして笑った。
「全く、仕方ありませんね、シャルは。」
「では王城の中庭へ行きましょうか。」
その後ルダーとエラルデに連れられ無駄に広い中庭に出た三体は、その光景に表情を消すことになる。城の外とはうって変わって草一本ない、茶色い地面。ところどころクレーターのように大きく凹み、それと似たものが城の壁にも見て取れた。ルダーが言うには、これでも大きな欠損は修理しているとのこと。
「これ、修練っていうか…引きこもりのストレス発散じゃないんです…?」
ひきつった笑顔でソルが呟いたその声は、幾つものクレーターの中反射し吸い込まれていった。
魔王が中庭を見た困惑から立ち直り修練を開始してから六日後の夜。勇者一行と騎士団は、魔領の直前で野宿をしていた。今起きて番をしているのはアルノ、ファーレ、オース、ニナの四人で、魔領の方角を固めれば問題ないとのオリエスの指示に従い固まって見張りをしている。
「アルノ、魔領に入る前に話したほうが良いことがあるんじゃないか。」
温かくなってきたとはいえ夜は冷える時期、白の混じる息にオースがそんな声を乗せた。アルノは一瞬何のことかという顔をするが、すぐに思い当たったようでああ、と納得の声を漏らす。魔王が産まれたとの報告を聞く直前、三人に話しそびれていた“不思議なこと”の話だ。
「そうだな、今話しても良いか。」
「もちろん。」
人の目のある時には聞けないニナの敬語を外した口調に、アルノは安心したように息を吐いた。
「実は、俺には魔族の言葉が理解できるようなんだ。」
「魔族の?」
「言葉が?」
「理解できる?」
あまりにもさらりと告白された衝撃の事実に、オース、ファーレ、ニナが順に喋ってアルノの言葉をおうむ返しする。そんな三人の驚き方にふっと笑い、アルノは先を続けた。
「前回の討伐の時…魔王城に向かって魔領を移動しているときも、魔物が喋っているのが聞こえた気がしたが…確信したのは魔王を殺したときだ。」
魔王は言った。“まさか其方が”、と、確かにそう喋ったのだ。それは後ろにいた仲間たちにも聞こえる声量だったはずだが、三人も騎士団も、そんな声を聞いた素振りは全く見せないのを見て、アルノは自分が異常なのであると理解したのだった。
その話を聞いて最初に反応したのはニナだった。
「あんまり突飛な話だからびっくりしたけど…聞いたことがあるよ、国には百年に一度、魔族の言語を理解できる人が産まれるって。」
「それがたまたまアルノだったってこと?」
頭の回転の早いファーレが即座に情報を整理して加えた質問に、ニナは多分、と曖昧に頷く。ニナはそんな話を知ってはいるものの、真実かどうか確認することなど到底できない。それは最早伝説レベルの話へ昇華しているものだった。
「だが、それならはぐれ魔族で訓練をしたときに気づかなかったのか?」
「そのときは魔族達は意味のない声でわめいてるだけだった。」
「はぐれ魔族はそれぞれ隔離して管理されるんだ、仲間のいない場所だから言葉を喋らなかったんじゃない?」
「じゃあ、魔族がたくさんいる魔領だからこそ奴らは言語を話してて、それをアルノが聞き取れたってことね。」
「多分ね。いずれにせよ、奇跡レベルの話だねこれは。」
アルノは感激した。自分は何故魔族の言葉を理解できたのかという不安に近い疑問が、三人に話した瞬間どんどん紐解かれていく。
「アルノ?」
いつも無表情に半開きになっている目を珍しく見開いたアルノを、どうしたのかとファーレがのぞき込む。それが視界に入るとアルノは一瞬で元の表情に戻り何でもない、と無感動に言って、三人を苦笑させた。
「とにかく、三人のおかげでいろいろ分かってすっきりした。 …ありがとう。」
「いえいえ。」
無表情ながらも雰囲気を柔らかくして礼を言うアルノ。幼い頃から共に育ってきた三人にとっては、その僅かな変化すらアルノの表情の一部であり、ニナが笑顔で返事をしたのに合わせて他の二人もうんうんと頷く動作をした。そんな三人の生暖かい視線を受けながら、アルノはもう一度だけ口を開く。
「魔王城までたどり着いたら、」
魔王と話がしてみたい。アルノは、自分でもなぜそんなことを望むのか不思議だと思う願いを流れた星に乗せた。
オリエス団長の話書きながらおいいwwwおっさんwwwwwwって言ってしまうのは不可抗力でした。筆者はおじさんだいすき。おじさんかっこいい。