5.人族の奇異の視線なんて気にならない
魔領から一番近い都市の賑やかな街道で、エラルデは項垂れていた。それは素顔が見えないようなローブで全身を覆った三つの何かが人々の奇異の視線を集めているせいでも、ローブに仕舞うために畳んでいる羽が窮屈なせいでもない。
「何故私がこんなことに付き合わなければならないんです…。」
「だってきみは王国語喋れるんでしょ?」
大使の隣には片手に氷菓子、片手に焼いた肉を持ち交互に食べているシャル。彼女こそがエラルデが落ち込む原因を作っている当の魔王である。
エラルデの怒涛の文句の後にシャルは、エラルデがこの王国専門の大使であるのなら人族の言語を喋れるのではないかと思いついた。思いついたら即行動とばかりにそれを質問したシャルに、エラルデは正直にイエスと答えてしまったのだ。その返答を聞いたシャルは嬉々として一緒に都市へ行こうと誘ったのだが、エラルデが王国語が喋れるのは基本能力として大使に与えられた能力で、彼女自身は人族には大して興味もないため渋った。
しかしそこで魔王の意見に賛同する者が現れた。ルダーだった。ルナがついているとはいえやはり不安だからついて行って欲しいと、分かる者にしか分からない彼なりの必死の形相で訴えられ、エラルデは折れるほかなくなってしまったのであった。
「はああぁぁ…。」
「疲れたの?氷菓子食べる?」
「そうではないし、大使に食事は必要ありません!」
「それは知らなかったな、ありがとう一つ賢くなったよ。」
事の顛末を思い出し盛大な溜息を吐いて、魔王のツッコミ待ち全開の発言に素直にツッコミをいれる。もきゅもきゅと肉を頬張りながら的外れに礼を言う魔王。そう、これだ。これこそがエラルデの落ち込みや溜息の最たる原因。このおかしな魔王と喋っていると疲れるのだ。そしてそれを助長する守護者が一人。
「シャル様、このメルチイという菓子、なかなかだったので買って来ましたよ。」
「メルティーですね。」
「ありがとう、どんな?」
「口に入れるとあっという間に溶けてしまうのですが、これがまた美味しくて。」
ルナもルナでつっこみという概念を脳内に持ち合わせていない魔族らしい。さきほどから身振り手振りで人気の屋台で物を買い、多すぎる金銭を店の者に渡しては困らせている。この二体に、エラルデは幾度 となくツッコミを入れ、そして幾度となくボケ倒しの刑に処された。
「シャル様、串焼きの肉が人気らしいので買ってきましたよ!」
「おお、ありがとう…!さすが我が従者は有能で可愛い!」
「ルナさん、シャルも、ちょっと待ってください。そのお金はどこから沸いているんですか?」
「ルダーがため込んでたらしいよ。」
「オコヅカイと言って少し分けてくれましたよ。」
「何故ルダーさんが人族のお金を!?」
「私もそれは思った。摩訶不思議。」
「質問なさらなかったのですね!?」
「どうせ答えてくれなそうだし、考えても分からないことは考えないに限る!」
「さすがシャル様、先見の明をお持ちですね。」
「ああ、そうですか、そうですね賢いですよね。」
もうエラルデ一人ではどうしようもなかった。
「ふうー…うん今日やりたいことはだいたいやったかな。」
魔王シャルスティエルアドレーゲンタルクエシタリアカーデはご満悦の様子でそう仰せになった。それにじとりと疲れた視線を送り口を開いたのは大使エラルデである。
「やりたいこととは食べ物をたらふく食べることですか…?」
『それもある、でも、人族の言葉、喋りたい。』
「「!?」」
ルナが驚いたのは主が突然よくわからない言葉を喋りだしたからであり、エラルデの場合は都市を数時間歩いた程度でここまで言語を習得したシャルへの驚きからだった。
「シャル!?え!?王国の言語を、数時間喧噪の中聞いていただけで…!?」
「うーんさすがに疲れたよ、食べ物食べなきゃやってられなかったね。」
「王国の言語は世界で一番会話の習得が難しいとされているのですよ…?」
「それ本当?我すごい。」
魔王のハイスペックさを知ってしまいいっそげんなりした様子のエラルデと、少し得意げな声色のシャル。そしてローブの下でぽかんと口を開けシャルとエラルデを交互に見ていたルナは、我に返ると唐突にシャルの前に膝をつき、彼女の両手をがばっと掴んだ。
「お嬢!俺はあなたの守護者に生まれて本当に光栄だ!」
「うん、光栄に思いなさいね。」
目線を合わせたためローブの中でシャルがふわりと笑ったのが見えたルナは、幸福な気分がとくとくとせり上がってくるのを感じていた。
「ところで、私はやりたいことはだいたいやったけど、二人はやり 残したことは無い?」
「私はもっと早く帰れば良かったということくらいですね。」
シャルの質問に即答したエラルデとは対照的に、ルナは顎に指を当て考えだした。彼は数秒後にこくりと頷くと、再びシャルに目線を合わせるようしゃがみこんだ。
「都市でやりたかったことというか、気になっていたけど聞きそびれてたことはあるんで、帰りの道すがら話をしてもいいですかね?」
「うん、構わないよ。」
日は傾き、ジュースやお菓子の店は閉店の準備を始める時間だった。そろそろ帰ろうか、とシャルが言うと、エラルデはやっとかと安心したように、ルナは主人からの指示が嬉しいとでもいうように、それぞれ笑顔で頷いた。
「…私達の生成が早かった原因?」
魔領へ戻る道中、ルナが右を歩くシャルに質問したのは自分達は何故生成がこんなにも早かったのか、ということだった。
「それは、私がやる気出したからだろ?」
「そうじゃなく、何がシャル様にそんなにやる気を出させたのか疑問で。」
ルナの言葉にシャルの、何をいまさら、という疑問符が掻き消えた。ぽんと手を叩いたシャルは、嬉しそうに笑いルナに顔を寄せた。シャルの右側を歩くエラルデも、興味深そうにそちらに寄り、それはねえ、ともったいぶるシャルの次の言葉を待つ。。
「…先代魔王の記憶で見た、人族の殺意にきゅんきゅんしたからに他ならない。」
「??… ?????」
「殺意に?」
ふふふ、と幸せそうに笑うシャルに、エラルデはあまりに理解しがたい動機に言葉が出ず、ルナもルナでエラルデ程ではないものの予想外の回答に目を見開いている。そんな二人の様子に気づいているのかいないのか、シャルは目を細め薄紫に染まった空を見上げた。
「ああ…すごかったなあ、あれは。最高だったよ。あんなに真っすぐな感情を私も向けられてみたい…。」
恍惚とした表情で頬を染めそう溢れるように漏らしたシャルに、二人の反応はそれぞれだった。エラルデは余計に混乱したようでただただシャルの顔を見つめて歩く人形のようになっている。ルナはというと、少しの間目を見開いた表情を崩さなかったものの、数瞬後にはそれは感慨極まったものに変 わり、ぐっと拳を握りしめた。誤魔化す笑顔で内緒、などと言われると思っていた。平均一ヶ月かけての生成を十日まで縮める程の理由を、自分に教えてくれたというただそれだけのことが、彼にはひたすらに嬉しかったのだ。
「承知しましたよ、シャル様!貴女がそれを望むんであれば、俺は全力で願いが実現するのを支えるとしましょう!」
「本当?ありがとう、頼りにしてるよ、ルナ!」
ぱあっと顔を輝かせたシャルは、しかし次の瞬間には立ち止まってその愛らしい表情を曇らせた。
「でも、先代は魔族と人族との対話という願いを我に託したから…。」
「その二つを両立する手立てを、これから考えていけば良いのです!」
そのシャルの顔を見て、ルナは彼女の身長に合わせるようにしゃがみ込みそう言った。地面を指していた薄いヘーゼルが、沈みかけの夕焼けを鮮やかに写し取った瞳をすい、と見上げる。ルナがその視線にこもった期待に微笑んで頷くと、シャルはその頬をふわりと染めて目を溶けかけの溶け菓子のように細めた。その瞳に映るルナも、似たような顔をしている。
はっと人形の顔から大使の顔に戻りおかしなものを見る目でシャルを凝視するエラルデの隣で、一組の主従の絆が深まった。
「…っていう話をルナと帰り道にしたんだけど、ソルは私の願いのことどう思う?」
「別にルナに先を越されて悔しいとかないですけど、ルナより僕の方が全力を尽くしてかなえて見せましょうとも。」
「ふふ、ありがと、ソル!」
ああ、我らが魔王は女神のように笑う。神に対し不敬なことを考え熱を上げたソルは、魔王のことをなかなかシャルと呼べない恥ずかしがり屋さんなのであった。
メルティー食べてみたいです。