4.正反対の面持ち
「はじめまして、アウデンバルド王国魔領大使、エラルデと申します。」
部屋の中の物を巻き上げる暴風と共に現れた少女は、そう言って羽をたたみ右手を背中に回して、喉元に左手の中指を当て、左足を軽く引いた。親族の礼である。それに対してああ、どうもはじめまして、と気のない返事をしたシャルだったが、部屋の一角に視線を向けた瞬間慌てた顔をしてそちらに駆け寄った。
「あああ!種がっ、我が拾ってきた種達が…!!」
執務室に置いてあった植物の種は、魔王城の周りに植えようとシャルが雑草をかき分け拾ってきたものであった。退廃的な雰囲気の魔王城を新生シャル城に生まれ変わらせるという目的を持てば、生まれて間もないというのに何をやっているのだという従者たちの視線も彼女には痛くはなかった。
そんな風に夢中で集めた種の一部が袋から飛び出していたのだ、小さな羽をぱたぱたさせてしまう程のシャルの混乱もうなずけるというもの…と、思えないこともない。しかし、親族の礼を完璧にこなしてみせた美少女はそんなシャルの様子に混乱した。
「え!?“貴女は一体…?”とかないんですか!?せめて“どちらさまですか。”くらいは言ってくれてもいいのでは!?」
「申し訳ありませんエラルデ様、あのお方は少し、こう…。」
「……まあ…見ていればなんとなく分かりますが…。」
本当に申し訳なさそうに眉を下げるルダーを見て冷静になったエラルデは、涙とクエスチョンマークを浮かべてこちらを見るシャルを半目で眺める。そして小さく、しかし呆れを前面に出した溜息を吐くと、ピクリとショックを受けた様子のシャルから視線を動かし魔王らしき魔族に顔を向けた。
「改めまして…初めまして、魔王様。落ち着きのない守護者を持つと大変ですね。」
「ん?」
「え…。」
同情の色の乗った声で言葉を紡いだエラルデに、黒髪の男は疑問の声と共に自分を指さし、エラルデの背後からは少女の小さな声が響く。
「はて、私は何かおかしなことを言ったでしょうか…?」
白い髪と羽を持つ幼い少女の姿の守護者、彼女は落ち着きのない魔族であり目の前の魔王が苦労をするのは確実であろう。いくら考えても自分の発言におかしな箇所を見いだせないという顔をするエラルデに、すううう、 と目いっぱい息を吸ったシャルが駆け寄った。
「我!!我が魔王!!その子はルナちゃん、彼は守護者!!」
「はい?」
突然目の前まで来てそんなことを言い出した幼子に、エラルデは少しの困惑と思考の後ああ、と納得したようにうなずいた。それを見てシャルは、この少女はまだ何やらおかしな勘違いをしているに違いないと身構える。
「という、設定なのですね。」
「ちがう…ちがうよ…。」
「しかしそれは魔王様に対して不敬にあたるかと…」
「うう、ルナちゃん…。」
「はいはい。」
自分が何を言おうと意味がないと悟ったシャルはルナに助けを求める。エラルデが魔王であると勘違いしたほどに立派な見た目であり、更に一対一の話術に長けたルナならば、上手に話をしてこの勘違いを正してくれると思ったからだ。
「エラルデ様、ですっけ?」
「はい、魔王様。」
「エラルデ様、俺は本当に魔王じゃないんですわ。」
「え?」
実は、エラルデもなんとなく感づいてきていた。本当に黒髪の男は魔王ではなく守護者かもしれない、ということに。幼い少女から感じられる偉大な“何か”に。それでも彼女のことを魔王であると認めたくない、小さな理由があったため疑問符をつけた文字を発したエラルデ。その様子にルナは目を細め、とどめだと言わんばかりに声を張った。
「俺は…いや、私はアウデンバルド王国魔領の守護者、ルナグジア!そしてそこなお方こそ我が主、魔族を治める王なのです!!」
「随分とおおげさに言ったな。」
「いや、なんかかっこつけたくて…。」
ふ、と片眉を上げて笑ったシャルに、ルナは照れたように口角を上げる。そんな二人を交互に見たエラルデは、次の瞬間ぷくりと頬を膨らませた。
「本当に貴女が魔王なのですね…。」
「え、なに、怒ってるの?何がそんなに気に入らないの?」
じとりとこちらを睨むエラルデに、シャルは浮かべていた笑顔を引きつらせる。自分が彼女の気に障ることをしたとは思えなかった。だからこそそんな質問をしたのだが、エラルデはこれ幸いとばかりにマシンガンのごとく感じた不満をぶちまけ始めた。
「あのですね、魔王の生誕って、個体のやる気に比例はするものの普通は1ヶ月程度はかかるのですよ?それを10日間で?ふざけているのですか、なにやる気爆発させてるんですか?魔王の存在しない期間は神が魔領に遣わされた我々大使の貴重な休暇なのですよ、せっかく神界のリゾート地まで行ったというのに全くゆっくりできなかったではありませんか。」
そこまで言ったところでエラルデは息継ぎをする。止まった言葉に一瞬安心しかけたシャル達だが、息を吸う音が耳に届き再び体をこわばらせた。
「もちろん魔王は生前にそんな知識は与えられないのですから貴女のせいにするつもりもありませんが、湯浴みもそこそこに慌てて戻ってみれば魔王はこんなに愛らしい容姿と来ました。なんなんですか、何故そんなに色素が薄いのですか。色が薄いのは神族の特徴なのに、羽までついてて私よりも天使っぽいじゃないですか腹立ちますね。」
再び止まった言葉に今度は気を抜かな かったシャル達。が、今度こそ本当に終わったのだと察し肩の力を抜いた。シャルは目を瞑って脳に流し込まれた言葉を整理し、それを終えるとうん、と一人頷いてエラルデの青い瞳を見据えた。
「我、あんま悪くないね。」
「だから怒りのやり場に困っているのです!!!」
エラルデの悲痛な心の叫びを聞いて魔王は確信した。この大使、良い子である。
場所は王都に戻り、王への謁見の間。そこに勇者一行四人と騎士団長が片膝をつき王と聖職者と向かい合っていた。彼らの顔はそれぞれ驚愕に染まっている。震える唇を動かし最初に言葉を発したのは、アルノだった。
「王よ…それは、真なのですか。」
「間違いない。イニヌアーレが八代目魔王が出現したことを察知した。」
その言葉を肯定するように、王座の斜め後ろに控える聖職者が五人へ向けて小さく頷いて見せる。彼の名はイニヌアーレ・ラザーン。王国内の聖職者の中では最も地位の高い聖人にして国王の信頼する側近、そしてニナ・ハールーシャの父である。
七代目討伐からまだ十二日。聖人の魔法では魔王の出現を察知するまでに一日以上のタイムラグがあることを考えると、先代討伐から長くとも十一日の間に新たな魔王が出現したことになる。そんな突飛な話を聞かされこれ以上何も言うことができないアルノ達に、王ローラスは難しい顔のまま命令を下した。
「これは異例の事態である。我が国だけでなく、世界中の魔王達のことを調べても先例は無いであろう。取り急ぎ出立の用意をせよ。明日には魔領の偵察へ向かってもらう。」
「「…はっ。」」
少し間が開いたものの、王からの命令に承知の礼を返したアルノと騎士団長に、その他の三人も王へと頭を下げる。その五人のつむじを一つずつ見つめ、しかし表情を満足気なものに変えないローラスは再び口を開いた。
「…可能であれば殺せ。」
ローラスはイニヌアーレに、勇者たちと騎士団長に詳しい話をしつつ私室の付近まで送り届けてやれと命じ、少し疲れたと執務室へと続く扉から下がった。その顔は少し疲れた、などという生ぬるいものではない。血の気の引いた黄土色の肌の中に瞳だけがプレッシャーにぎらぎらと光っていた。
「それでは皆様、参りましょうか。」
イニヌアーレがそう言うと、騎士団長が一礼をし扉を開けるべく立ち上がった。勇者達四人もそれに倣って立ち上がり、聖人と騎士団長が扉をくぐったのを確認した後自分達も国旗へ向け一礼をして部屋から退出する。
歩き始めて数十秒経った頃だろうか、イニヌアーレが話を始めた。
通常であれば一ヶ月程度かかる魔王の出現を討伐後常時観察していたのは国王の慎重な判断であるということ。魔王の出現を察知したと報告してすぐ、国王が勇者一行と騎士団長を呼べと命じたこと。そして、最後の一つは、早すぎる魔王の出現と同程度に不可解なことだった。
「実は魔王の出現の直前に魔人どもの気配も察知していたのだが…」
そこで言いづらそうに言葉を切ったイニヌアーレに、騎士団長が訝しげな視線を向ける。魔人であれば地方に駐屯している末端の部下達が対処するべく待ち構えているはずなのだ。
「魔王出現とほぼ同時に、魔人どもの気配が忽然と消えた。」
「消えた…?それは、どういうことなんだ?」
「分からない。しかし王は魔王が怒り狂っ魔人を殺してしまったのではないかとお考えになっている。」
「怒っているとは誰に?」
「我々王国民に対してだ。」
「王は…何故魔王が我々に怒っているとお思いになったのだ?」
不可解なことが多すぎて連続して質問をする騎士団長に、しかし誰も文句は言わなかった。イニヌアーレはこれがすぐさま理解できる事態ではないことを他でもない彼自身が痛感しているし、大人二人の会話を黙って聞いているアルノ達も同じ疑問を持っているのだ。
イニヌアーレは王の押しつぶされそうな様子を思い出し、おいたわしい、と顔を顰めてから質問に答えるべく口を開いた。
「我々が、あまりに多くの魔王を殺してきたからだ。」
簡潔で残酷な回答に、五人は息を飲んだ。
この国は世界で最も多くの魔王を討伐してきたという歴史を誇っている。攻めて来ることもない魔王達を一方的に何度も殺してきた、その事実が魔王の怒りに触れる可能性は、今までも十分にあり得たのだ。むしろ今までなかったことが不思議と言ってもいいだろう。そしてここにいいるイニヌアーレ以外の五人は、魔王の討伐に成功した経験のある当事者である。王命とはいえ魔王の命を奪った彼らには、その責任は他人事では済まされない。自業自得。異口同音ならぬ、異心同想であった。
そんな彼らのことを哀れに思わないイニヌアーレではないが、それでも彼が最優先とするのは自身の仕える国王ただ一人。彼は心を鬼にして、最後の最後に彼らを追い詰める懇願の言葉を口にした。
「アルノ、ファーレ 、オースフィリア、ニナ、オリエス…貴殿等五人、ハールーシャの名を持つ者として、王のご不安の種を取り除くことに尽力してくれ。」
「お父様!」
アルノ達五人を私室のある区域まで送り届けながらある程度の話を終えたイニヌアーレは、王の執務室へと戻るべく足早に歩いていた。そんな彼に後ろからかかったのは少女が自分を呼ぶ声。他の者と別れ自分のことを追いかけてきたのかと、彼女らしくもない行動に小さく溜息を吐き、彼は振り返った。
「屋敷以外では聖人様と呼べと言っているだろう。」
「……、はい…申し訳ございません、聖人様…。」
「それで、何か?まだ質問が?」
空気を飲み込んで謝罪の言葉を口にしたニナに、イニヌアーレは一刻も早く王のもとへ急ぎたいという苛立ちをそっけない質問として投げつけた。そんな彼の様子に、ニナはうつむいていた顔を更に下に向け、ぼそりと何か呟く。
「……を…」
「聞こえなかったのでもう一度はっきりと言ってくれ。」
何故今自分を引き留めるのかと焦燥感が募り、イニヌアーレの発する声に含まれる棘が鋭くなる。それを感じ取りながらニナは顔を上げ、父親の緑色の瞳を見つめながら、先ほど口の中に溶かした言葉を繰り返した。
「激励を、してくださらないのですか?」
ニナは不安だった。魔王は自身の加担した所業に怒っているのかもしれない。いや、そうに違いない。そしてその魔王のところへ自分は明日向かおうとしている。誰かに、自分と一緒に死地へ向かう者以外の誰かに励ましてもらいたかったのだ。
「そんなものは母親に頼めば良いだろう。」
しかしそんなニナの気持ちは、実の父に跳ね返された。先ほども言ったようなことだが、今イニヌアーレは国王に安定した気持ちを持ってもらうことしか考えられないのだ。跳ね返され受け止めきれない自分の気持ちが嫌に重く感じて、ニナの瞳からぽろりと涙が零れ落ちた。
「お母様、は…お茶会だとかパーティーだとか、ずっと遊…忙しいようで、お話をする時間などっ、ありません。」
つぎつぎとあふれ出ては流れ落ちることを繰り返す涙に声を詰まらせながらも、気持ちを受け入れてほしい相手が父しかいないことをどうにか伝えようとする。その様子はイニヌアーレの心を妙にぐらつかせた。彼は驚き、焦る。今は他の事に気を取られている余裕などないのだ。そう自分に強く言い聞かせ、イニヌアーレはその眼に宿る光を鋭くした。
「すまないな、私も時間がないのだ。そろそろ失礼する。」
それだけ言うと踵を返し半ば駆けるようにして執務室へと急ぐイニヌアーレの背中に、ニナが涙と共に落とした呟きは届かなかった。
「一言だけで良かったのに……それに、屋敷でなんて、会わないって…知ってるくせに…」
イニヌアーレは聖人として多忙なため家には滅多に帰らない。ニナはニナで、ハールーシャの姓を受け継いだからには勇者の傍で彼を支えなければならない…支えたいため、やはり家に帰ることはほとんどない。お父様、と掻き消えた声をこぼしたニナは、そのまま廊下にへたり込みしばらく動か なかった。
みんなの名前を覚えてもらいたくてたくさん名前出してます。読みにくい等ありましたらアドバイスをいただけると幸いです。