3.束の間の平穏
アウデンバルド王国の王城の片隅の一室。今代勇者アルノに宛がわれた部屋に若者が四人集まり、テーブルを囲む椅子に座っていた。四人とも、王の謁見のときとは違い動きやすいシンプルな服装をしている。
「魔王がいないってのは平和だねえ。」
頭の後ろで腕を組んだファーレがあくびをしながら呟く。その態度を見たオースはきりりとした目を一層鋭くしてファーレを睨んだ。
「一度魔王を倒したからといってそこまで気を抜くのはどうなんだ。」
「えー?だって王は英気を養えと…」
「ああ!もういい、それは戻った日に聞いた!」
「ふふっ。」
「はぁ…まあそれにしても、だ。」
いつもはポニーテールにしているグレーの髪を下ろしている優男が、言っても聞かない男だと思い出したオースは、彼の言葉を遮ってぷいっとそっぽを向く。そんな彼女の様子を向かいの席で頬杖を突きながらにこにこと眺めているのはニナ。二人のいつも通りとも言えるやりとりに小さく溜息を吐いたのはアルノだ。
「魔王がいないと平和なのは魔王討伐に参加する者だけだな。」
アルノの言う通り、魔王がいてもいなくても大方の国民は何ら変わりなく過ごせるのだ。魔族達は進んで人族を襲ったりはしない。むしろ、魔王を倒せば魔人達が攻めようとしてくるのだからそこだけを考えるのならばデメリットの方が大きいようにさえ思える。
「まあね…だからこそ、八代目の魔王討伐のモチベーションが上がらないっていうかさ。」
「ああ。今回はアレイ姐さんの仇を討つっていう目的があったからこそ討伐に成功したと俺も思ってるよ。」
アレイ、という人物の名前が出たところで、室内の空気が一気に色を失った。アレイ…先代勇者は、いつでも笑顔を絶やさない女性で、親に愛情を注いでもらえず血を分けた兄弟もいないアルノ達の、母親代わりの人だった。
アルノは、生まれて間もない頃から城で過ごしてきた。
アルノの父親はアルノが初めて息を吸う前に病気で亡くなり、もともと体が弱いのに無理をしてしまった母親は彼が産まれるのと入れ替わりで亡くなった。そんな彼が王城で育てられたのは、へその緒から流れた血が勇者の証である黒い血だったからだ。
勇者は国ごとに、約十年に一度の頻度で産まれてくる、魔王と対等に戦える数少ない人族だ。彼らは国が捕らえたはぐれ魔族…誤って魔領から出てしまい迷っている魔族のことだ…と戦うことで少しずつ実戦経験を積むが、その訓練を重ねるごとにアルノの才能は過去百年に国内に存在したどの勇者よりも優れていることが判明した。
そんな天才、アルノ・ハールーシャには乳母がいたものの、彼が最も懐いていたのは当時の勇者、アレイ・ハールーシャであった。
『アルノ、今日も朝早くから素振りお疲れ様。』
『おはようアレイねえさんっ!』
毎日朝食前の時間帯には中庭で欠かさず剣の素振りをしていたアルノ。鍛錬を怠らない理由は、一日でも早くアレイを魔王討伐の任から解放したい、ただそれだけだった。
『はい、 おはようアルノ。三人がお待ちかねだよ。』
そう言ったアレイの視線を追うと、そこには幼い三人が待ちきれないといった様子でじっとアルノを見つめていた。
『アルノー?もう朝食の時間だよ、早く行こうぜ。』
『私おなかがへった。』
『ニナも。』
中庭で時間が経つのも忘れ木刀を握るアルノを朝食に連れていくのを日課にしている子供三人。整った顔立ちをした年長の少年、ファーレ・ハールーシャ。あどけなさの奥に凛々しさが垣間見える少女、オースフィリア・ハールーシャ。オースフィリアに髪を擦り付けるようにしてきょどきょどしている少女、ニナ・ハールーシャ。
ハールーシャ、というのは、勇者であると認識された者、そしてその勇者の魔王討伐を最も近くで支えることを命じられた者達に国王から与えられる苗字だ。アルノ以外の三人は、父親がそれぞれ王宮に勤めていたために見染められ、元の苗字を捨て魔王討伐の荷を背負うこととなった。
『ああ、ごめん、いま行くよ。』
『アレイ姐さんも早くー!』
アルノが木刀を安全な持ち方に持ち直して歩き出したのを確認したファーレは、その後ろで微笑みながら子供たちを見つめているアレイを呼ぶ。少女二人もそれに同調するように手招きをしていた。
彼らの両親は健在だが、両親はは仕事に、上級官の妻としての周囲との付き合いに毎日目まぐるしく走り回っており、まともに我が子の面倒を見る暇もない。物事を教えてくれるのは教育係のみであり、家族からの愛情も受けずに育つ幼子三人。そんな彼らを、子供を持たないというのに母性の溢れているアレイが気に掛け、懐かれるのは必然であった。
『はいよー、走って転ばないようにね。』
「それに、一つ不安…というか、不思議な事があったんだ。」
先代の魔王討伐の際に亡くなったアレイのことを思い出し哀愁に包まれる四人。そんな中、俯いたままのアルノが不意にそんなことを言った。ニナが続きを促すように、「不思議な事?」と問うと、アルノは小さく頷いて顔をあげた。その眉間には皺が寄っている。
「本当は帰り道で話そうと思ったんだが、少し勇気が出なくてな。」
「大事なことを話すのに勇気がいるのは当然のことだ。大切なことなんだろう?」
そう言って、話してみろ、と軽く微笑むオースに励まされ、アルノが口を開いたその時。部屋の外の廊下をどたどたと複数の騒がしい足音が近づいてきた。彼らはアルノの部屋の前で騒音を止めると、ノックもそこそこに勢いよくドアを開いた。
「勇者殿ッ!!アルノ殿はおられるか!!!」
切羽詰まった様子の訪問者達にアルノは打ち明けかけた悩みを飲み込み、オースは間が悪いと渋い顔をする。開いたドアの横に立つ三人のうち最も位の高そうな聖職者の服装をし男たは、めまいでも起こしたかのようにぐるりと部屋を見渡した末にアルノ達を視界に捉え、大きく息を吸いこんだ。
「せっ、聖人殿が…それに王がお呼びだ!!!早く来てくれ!!」
「待ってください、何があったのか大まかにでも説明をいただけないでしょうか。」
自分達とは正反対に落ち着いたアルノの言葉に聖職者は焦れ、いまにも舌打ちが飛び出しそうに色の無い顔を顰める。
「ええいっ向かいながら説明するから…!!そのままで良いので付いて来てくれ!!」
その焦りように、四人は嫌な予感がして顔を見合わせた。
魔王城の入り口付近の外観を整えようと種が植えられた花壇に、がたいの良い男と色素の薄い少女が水やりをしている。
「都市に行ってくる。」
「…はあ?」
「だから、都市に行ってこようかなあ、って。」
「お嬢…あんた…。」
礼儀のなっていない態度で顔を顰める黒髪の従者に、彼女はふふん、と鼻を鳴らした。魔王、シャルスティエルアドレーゲンタ…シャルは唐突に思い立ったのだ。街へ行くべきである、と。
それというのも、彼女は人族の憎しみや殺意を感じたいのだが如何せん彼らの言語が分からない。表情や気迫である程度は分かるだろうが、やはり言葉が分かれば迫力は段違いであろう。そして魔領にいたところで来る人族といえば自分を討伐する者達のみ、とてもではないが王国の言語を学べる空間ではない。
「と、いうことで、都市に行ってくる。」
「単身で?」
「うん。」
「なりません。」
場所は移って魔王の執務室…とは名ばかりで、人族の国とも、魔領同士でさえ交流を持たない魔王の休憩室。シャルの要求は、執務机を挟んで立っているルダーによって即座に切り捨てられた。
「なんでさ!国語を学ぶのには人族の行き交う場所へ行くのが一番だろう!?ねえそうでしょ!?」
「危険です。」
「ええぇー… 。」
割とどうでもいいことをもっともらしく熱弁するも最低限の言葉だけで却下され、シャルは机に項垂れる。そんな魔王を、机の両脇に控える守護者二体は可哀そうな子を見る目で見ていた。それが主を見る目か、と両脇をちらりと睨んでから、シャルは再びルダーに視線を向けた。
「どうしてもだめ?」
「単身で行かれるのは危険です。」
「だぁいじょうぶだってー。」
「せめて従者を一体お連れください。」
「従者連れてったら目立つから余計にあぶな…」
「従者を連れないのであればご遠慮ください。」
「…。」
押し問答を繰り返し、遂に台詞を最後まで言わせてもらえなくなった魔王は悲しげな顔をして押し黙った。シャルとしては好きなように動き回りたいため、従者が自分に振り回されるのを懸念してのことなのだが、それを説明したところでルダーは折れないと思われた。
「従者を連れないのであればご遠慮ください。」
「ああ、もう!分かった、分かったよ!連れてけばいいんだろ!」
頑として譲る気のない語り部に、魔王は半ばやけくそで妥協する。もー、と牛の鳴き真似をしながら唇はアヒルの真似、という器用な芸当をこなしてから、彼女は右隣に佇む守護者にちらりと視線をやった。守護者が困ったように笑い承知の礼をしたのを確認して、回転椅子をくるりと回転させ立ち上がる。
「じゃあ行こうか、おいでルナちゃん。」
「はい、シャル様。」
出窓に向けてゆっくり歩き出したシャルとそれに続くルナを見て、不満を抱く者が一体。ソルは呆けたような顔をし て、一瞬後にはっと正気に戻り不満の声を上げた。
「…え!?なんでルナグジア!?王よ、僕の方がよくないですか!?」
「ソルちゃんは私のことシャルって呼んでくれないからなあ。」
「それだけで!?」
「と、いうのは冗談で。」
そう言ってソルに向けて一つウィンクをするシャル。ルダーにはソルがハートの矢じりに飾られた矢に射抜かれたのが見えた。
「私の不在中魔領で何かが起きたときに、魔物達をまとめられるのはソルちゃんだからね。」
ルナちゃんは耳も良いみたいだし暗躍の方が向いてそう、と続ける魔王。まだ生まれて間もない三体だが、魔王は守護者二体を密に観察しその特性を見はじめていた。既に長所を見出されていることに感動しているソルをしり目に、シャル が出かけようと出窓を開いた、その時。
「…ん"ッ!?」
「お嬢!?ぅわっ!」
何かに驚いたようにくわっと目を見開いて窓枠の外側に体を逸らしたシャル、その様子を心配して駆け寄ろうとし、突如として吹き込んできた暴風に驚くルナ。部屋の片隅にあった花の種を入れた袋は吹き飛んで散乱し、肥えた土がパンパンに入った土嚢袋は一瞬浮いた。ソルはぽかんとしながら、ルダーは表情を変えないまま風の正体を凝視している。
「ふう…危ない危ない、あと少しで出かけてしまうところだったようですね。」
窓から猛スピードで入ってきた何かが少し高めの声で喋り始め、シャルは生まれる直前とは別の意味で逸る心臓を抑えながらそちらを振り向く。
「魔王並びに従者の皆様。はじめまして、アウデンバルド王国魔領大使、エラルデと申します。」
ゆるくパーマのかかった金糸の髪に青い瞳。大きな純白の羽の生えた美少女が、微笑みをたたえて立っていた。
この小説の投稿は一日目ですが三話まで続けて投稿しました。よろしくおねがいします。