18.魔族の悪用はやめてください
帝国の都市ウーダ。その片隅の酒屋で、酒もそこそこにヒソヒソと話し合う六人組がいた。
「アウデンバルドは最早危険すぎる国家です。早急に対処が必要かと。」
そう発言した老人は帝国からの会議出席者、ガトリー・ロビンソンである。この場は定期的かつ秘密裏に開かれている、アウデンバルド対策会議だった。和平会合が開かれたその直後に、同じ都市で協定違反ともいえる会議が開かれている、これは関係者以外誰にも知れてはならない機密事項だ。
「我が国の王もそう考えておられます。」
「こちらも賛成です。」
「しかし今や王国は強大…逆らうのは得策ではないのでは?」
「むう…考えてみればそれもそうですな…。」
賛否両論が小さく飛び交う中、ガトリーは俯かせた顔で口角をわずかに上げる。
「我々の仕業と、分からなんのならば問題ないのですね?」
その言葉に、他の五人は期待を込めた眼差しで僅かに顔を上げた。
「何か策がおありで…?」
「ええ。それというのも…」
例の会議の日から五日後。夜更けの魔王城ではシャルとルダーがカリカリと、それぞれ歴史書の作成に勤しんでいた。そのペンの音だけが響く空間に、突然コンコンコンと大きな音が鳴り響いた。
「何の音ですか?」
「ガイア…?」
音の正体は各都市の警備に当たらせていたガイアのうち一体。彼が必死に執務室の窓をつついている。何かあったのかとシャルが急いで窓を開けると、ガイアは慌てた様子で早口に起きた出来事を説明した。
「サーガで、この領ノ者デハない魔族ガ暴れていマス!!」
「何だと?すぐ向かう。報告ご苦労。」
サーガとは魔領に最も近い都市、サオガの魔族語での呼び名だ。報告を聞くやいなや、シャルは手に持ったままだったペンをペン立てに戻し、ルダーの方を向いた。
「ルダー、ルナをここへ。」
「もういますよ、シャル様。」
「うわっすごい忠誠心!」
「執務室からおかしな音がしたので心配で。何かあったんです?」
「その心意気大変よろしい。説明は向かいながらだ。とにかくサーガへ急ぐぞ。ガイアも一緒に来て詳しい状況を教えてくれ。」
そのまま窓に向けてくるりと踵を返したシャルに、ルナとガイアも短く返事をして続く。ルダーと、物音につられ執務室に来たソルとエラルデに見送られ、二体は窓から飛び出した。
同時刻、帝国の城では皇帝ジョニーニとその側近ガトリーが手をこまねきながら作戦成功の報告の念話を待っていた。
「捕らえていた魔族に魔剤を投与して都市で暴れさせる…ガトリーよ、良くこんな作戦を思いついたもんじゃ。」
「お褒めに預かり光栄です。」
協定を結んだ七カ国のうち王国を除く六カ国で魔族と魔剤…生物を強制的に興奮状態にする薬だ…を出し合う。そして、魔剤を投与した魔族を王国の都市に何度か放ち暴れさせる。そうすることで被害を被った王国民が王に不満を抱くというところまでが彼らの作戦だが、魔族によって甚大な被害、すなわち死者が出ればこの作戦は成功したと言って良い。
「余は成功の報告を待つのみ…王国を潰すための作戦がここまで簡単とは思わなんだな。」
ジョニーニはそう言って、口元に余裕の笑みを浮かべカップの紅茶を流し込んだ。
都市サーガに着いた魔王は唖然とした。自分が見たこともないような形相で暴れ回る魔族達。それに辛うじて応戦している騎士団の面々。泣き叫ぶ子供を守るように抱きしめる母親。あと数分到着が遅れていれば状況がどうなっていたか分からない、まさに地獄のような光景であった。
「そっちへ一体行ったぞ!!」
「お母さん、お母さん…!!」
「わかっている!…ぐっ!!」
「おい、大丈夫か!!」
「ええ、お母さんはここにいるわよ、大丈夫よヘーゼ!」
それを何もせずに見ていたのも一瞬、シャルは目深にフードを被る。ルナもそれに倣ったのを見て、彼女は肺いっぱいに息を吸い込み、次の一言でその全てを吐ききった。
『聞け!!!!!』
怒声に紛れることなく響き渡った声に、都市の一部とはいえ既に散らばっていた魔族たち、そして怯える人族達は一斉に動きを止める。人族もいるものの沈静すべきは魔族たち、そう判断しシャルは続けて魔族語で叫んだ。
『我は汝らが種族を束ねる王の一角、この国の魔王である!!!これ以上の我が国での狼藉は見過ごせない!!!即刻人族の居住区から退け!!!!!』
混沌とした脳内でその言葉を辛うじて理解し困惑した魔族たち。ここから退けと言われても知らぬ間に連れて来られ放たれた身。どこへ行けば良いのかも分からないのだ。彼らの様子に何となく事情を察したシャルは、なるほどと目を細め魔族たちに向けて再度口を開いた。
『我と共に来い!誰に何をされたのか聞かせてもらおう、お前達に危害は加えないと約束する!』
その声は魔剤で興奮した精神にそよ風のように染み渡った。魔王の特権か、シャルの特権か。そのいずれかは分からないが、魔族達は全てその声に引っ張られるようにシャルの方へと足を向ける。そんな彼らを警戒しつつも見送る人族たちも、シャルの声に、そこに宿る威厳に何かを感じていたからこそもう魔族に手を出さなかった。
『……よし、これで全てだな。』
夜行性昼行性関係なく目を光らせている魔族たちをシャルは見渡す。何が彼らをそこまで興奮させているのか、シャルには心当たりがあった。それでもまだ帝国の仕業と決めつけるには早いと考えをひとまず隅に追いやるよう首を振り、ルナに指示を出す。
『ルナちゃん、殿を頼めるかな。』
『承知しました、シャル様。』
フードの下で微笑み華麗に礼をしたルナによしと頷き、シャルは人族に追われない程度の移動速度で魔族たちを魔領へと先導した。