17.魔王の帰還
アウデンバルド王国の王都アウデンで、少年の姿をとった魔王はつめていた息を吐いた。
『はーー…久々の王国は癒されるなあ。』
『そうですか…?』
シャルの言葉に、王都に来たことのないルナは疑問符を浮かべる。そんな彼の様子に、シャルは以前来た時と変わらない街の様子をこの建物で一番高い窓際から見下ろした。
ここは王立図書館。歴史書作成の為魔領に帰る前に寄った、最後の目的地だ。シャルはものすごいスピードで歴史書を読み漁り、日の傾き始めた頃にはそれらの全てを読み終えた。そして帰る前に一目街を上から見たいと、図書館の上に立つ小さな時計塔にルナを連れてきたのだ。人々が夕食を楽しみに家に帰るこの時間帯、時計塔にいるのはこの二体だけであった。
『そっか、君は来たことがなかったね。よく見ておいで、ここが我らが国の王都だよ。素朴で落ち着くだろ。』
シャルの言葉通り、ここ王都には帝都とは違い豪奢な建物は見当たらない。広くはない道を行く人々も落ち着いた色の服を纏っており、馬車などもあまり走っていない。地味な風景、渋い色の屋根を持つ単調な建物がひたすら続く街であるが、シャルはその雰囲気が気に入っていた。
『確かに落ち着くような雰囲気がありますね。俺も割と好きですよ、こういう街。』
『ふふ、そうだろうそうだろう。』
と、シャルが満足気にほほ笑んだとき。
『ん?』
『人族ですかね。』
何者かの足音が、図書館から続く階段から狭い部屋へと響いてきた。がちゃりと開いたドアから現れたのは、黒い髪と目を持つ美青年。彼は部屋に誰かがいたことにまず驚いた様子を見せ、シャルの姿に目を止めると更に驚いたように口をぽかんと開いた。しかしそんな表情も一瞬のこと、すぐに笑顔を張り付けた青年は二体に向かって話しかける。
「こんにちは…いや、こんばんは、かな?時計塔にこの時間に誰かがいるだなんて珍しい。」
「こんばんは、綺麗な黒髪の人。こちらも人が来るだなんて思ってなかったから驚いたよ。」
そう答えたのはシャル。いつもどこか口説くような言葉を吐く魔王を、従者は渋い目でじとりと見つめた。
「あははっ、お褒めに預かり光栄です。この場所は僕の密かなお気に入りでね。街が一望できる数少ない場所だからね。」
「その通りだね、ここは本当にいい場所だよ。」
「そうでしょう。…これは奇跡の邂逅というべきかな、魔王様。」
目を細め放たれた青年の言葉にまず動こうとしたのはルナだった。彼は、初歩の変装とはいえ魔力を浪費する幻覚魔法を解くと王子に攻撃しようと構えをとる。
『ルナグジア。』
敵意をむき出しに相手を睨むルナの名前をシャルが静かに呼ぶと、彼は視線こそ外さないもののその瞳に宿る敵意を僅かにやわらげた。
『…はい。』
『待て。』
『ですが…』
『良いから、待って。話をしてみたい。』
シャルの説得に納得のいかなそうな顔をしながらも引き下がったルナ。そして自身も幻覚魔法を解いたシャル。それを見て魔王が何を言ったのかだいたい察した青年は、面白そうに笑った。
「何故彼を止めたのかな。」
「お前と話をしてみたくてな。我に対して敵意は無いようだし、勇者でもない人族一人くらいなら大丈夫だろうと判断した。」
それだけ答えるとシャルは一度目を瞑り、それに、と続ける。
「お前だって、私がそう判断すると分かっていて堂々とあんなことを言ったのだろう?」
その推論に青年は内心舌を巻いた。彼は確かに、魔王が自分を攻撃しないと踏んだ上で彼女の正体を暴く発言をしたのだ。自分には魔王を倒す力が無いのだから、強大な力を持つ魔王が弱小な人族一人に怯え、殺しにかかるなどあり得ないと考えていた。だが今の一瞬でそこまでの考えに至ったとは、魔王というのは存外隅に置けないと青年は苦笑する。
「魔王ってうのいは皆そんなに賢いものなのかい?」
「いいや、そうでもない。我の頭の出来が良いだけだ。褒めても良いよ。」
そう胸を張った魔王に、青年はくすくすと笑いながら近づき、小さな頭に手を乗せた。さらさらと撫でてみると純白の髪は予想以上に障り心地が良く、癖になってしまいそうだった。
「すごいすごい。」
「ふふん。」
「シャル様に触るな。」
撫で心地と撫でられ心地を堪能していた青年とシャルに割って入ったのは、言わずもがな、ルナである。ルナはシャルの頭に乗った手をパシリと叩き落とすと、先ほど以上の敵意を込め青年を睨んだ。
「ルナ…。」
「…すみません。」
あまりの剣幕に若干顔を青くした青年だったが、その顔を見たシャルが呆れを含んだ声でルナをなだめたことで視線は斜め下に逸らされた。ふう、と僅かな安心に一息ついた青年は、先ほどから疑問に思っていたこ とを解決しようと口を開く。
「魔族が王国語を喋れるなんて知らなかったな。」
「魔族であろうと人族であろうと、必死に勉強すれば誰だって喋れるさ。」
「わざわざ勉強したのか…。」
「うん。こちらも一つ…いや、二つ、質問を良いかな。」
「…どうぞ。」
今のが質問であるということを認識されてしまったことに魔王の隙の無さを感じつつ、青年は気前よく頷いた。
「まず、どうして我が魔王だと分かった?」
「ああ、幻覚魔法のこと?僕はこれでもこの国一魔法には長けていると言われていてね。」
「うう…ルナ、我の幻覚魔法はまだまだであると言われた。」
「言ってない言ってない。」
従者に涙目で縋るふりをする魔王につっこみを入れ、青年はで、とあと1つ残っている質問を促し た。
「ああ。我らだけ身分を知られているのにそちらが明かしてくれないというのはなんとなく悲しくてな?」
「…失礼した、それもそうだね。」
そう咳払いすると、青年は右手を胸に当て軽く腰を折り曲げる。その動きは優雅で見ている者を引き付けるものであった。伏せられた目元に当たる夕焼けに、長いまつ毛の影が落ちる。
「はじめまして。アウデンバルド王国第一王子、エルス・アウデンバルドと申します。」
「おやおやなんとまあ…これは間違いなく奇跡の邂逅だな。」
「やっぱりそう思うだろう?」
変わらず優雅でなめらかな動きで体制を元に戻した青年、エルス第一王子は、身分を明かしてもフランクな喋り方で応対する。この魔王にはそれが正解のような気がしたのだ。
「 ところで貴殿は我が名を知っているか?」
「いや、そういえば名前は知らないな。」
騎士たちはシャルの名前を覚えていなかった。唯一覚えていたらしい勇者アルノは、エルスが魔王の名前を知りたがったときに教えることを拒否した。あのアルノが名前を教えたがらないのも分かる気がする、と、エルスは魔王を見ながら場違いなことを考えていて、その瞬間に耳に入ってきた長すぎる単語は右から左に流れていった。
「シャルスティエルアドレーゲンタルクエシタリアカーデだ。」
「…??」
「シャルでいい。こちらは守護者のルナグジア。ルナと呼んでやってくれ。」
「え…あ、ああ、シャルとルナだね。改めてよろしく。」
「ん、よろしく。」
エルスはなんだか大切なことを聞き逃してしまったような気分だったが 、シャルが気にしていないらしいので素直に出された手に右手を重ねた。そこへ、後ろで会話の様子をずっと見守っていたルナが近づいてシャルに合わせて来て腰をかがめる。
『お嬢、そろそろ戻らないと魔領に帰るのが深夜になります。』
「『ああ、そうだな。』すまないがそろそろ帰らねばならない。次代ともこうして仲良くしてくれると嬉しいし、また話が出来ると嬉しいが…ここであったことはくれぐれも内密に。」
「僕がこれを内緒にする理由がある?」
「我は王国民に敵意は無い、力になることはあっても害を為すことはあり得ない。」
「……分かったよ。どうやら君は信頼するに値する魔王らしい。」
エルスは少しでも何かあれば王に報告しようと腹の中で考えていたが、シャルはそれを予想したうえでその時は仕方ないと諦めていた。一人でも多くの人族に憎悪を抱かれる為には人族に友好的な態度をとったことは知られない方が良いのだが、エルスが喋ってしまったときはどうしようもない。それに、この一件だけで人族からの印象が良くなるなんてこともないだろうとシャルは考えた。
シャルとルナが再び幻覚魔法を纏い部屋から出ようとしたとき、エルスが思い出したように声を上げ二体を呼び止めた。
「あ、ちょっと待って。」
ドアの前で立ち止まりクエスチョンマークを飛ばすシャルの左手に、エルスは念話鏡の片割れを握らせた。
「これは?」
「念話鏡という魔法道具だ。僕が持っている片割れとならいつでも会話ができるから、何かあったら頼ってほしい。」
エルスが念話鏡を渡したのにはシャルの監視に使えるかもという意味も若干込められてはいたが、それも本当に雀の涙程。ほとんどはこの魔王と友好関係を築きたいと考えたためである。
「ありがとう、もらっておこう。そちらも何かあれば連絡をくれ。」
そう笑ってルナが開けたドアをくぐったシャルは、ドアが閉まる直前にもう一つ言葉を残した。
「ああそれと、王城にいるアルビノの子…あれは将来きっと有能な男になるよ。」
「え…。」
小さな音を立てて閉まったドアの前で、エルスは返事をすることもできずただ自分の末の弟の顔を思い出した。
「アルビノ…フランのことか…?」
「たっっっだーいま!」
「おかえりなさいシャル様っ!」
「おかえりなさいませ。」
「ぉわっ!」
子どもは寝る時間帯、元気良く魔王城に飛び込んだシャルを、ソルとルダーが出迎えた。ソルに関してはシャルに飛びついて、突然の衝撃に耐えきれなかったシャルが尻もちをつく。
「ソル、なにやってるんだ危ないだろ。」
「ご、ごめんルナ…シャル様もすみません…。」
「いや、我も久々の実家に気が抜けてたから。ところで我が留守の間魔領はどうだった?」
シャルがそう聞くと、ソルは誇らしげに幾度もの活躍を語り始めた。勇者一行は来なかったものの、騎士団を何度もぶちのめしたこと。死者を出さなかったこと。魔族達の特性を見せつつ戦ったこと。その様子はさながら、ネズミを捕ってきて主人に見せる猫のようであった。
「そうか、本当に良くやったね。ソルに任せて良かった。」
「えへへ…。」
倒れた態勢のままシャルがソルの頭を撫でると、ソルは嬉しそうに笑ってシャルに更にもたれかかる。その重みにシャルの背筋がほんのすこし少し震えていたのは本人以外知らない。
「ところでエラルデはまだ戻ってないの?」
「エラルデ様なら、奥で拗ねておられます。」
「あらぁ…。」
執務室で、魔王が部屋の隅に座り込む大使に向けて必死に話をしている。
「ねえお願い、機嫌直してってば。」
「シャルはいつも私抜きで行動するのですよね。」
「うう…あっ、そういえばそういえば、旧セル共和国領の図書館で面白いものを見つけたんだ!」
「へえ、そうですか。」
エラルデからの冷たい返答に一瞬心が折れそうになるシャル。なんとか持ち直して本の背表紙に描かれていた天使の話をすと、エラルデがばっと顔を上げた。
「そうだったのですか!?」
「へ!?えっああ、うん、そうだったのです。」
「そうですか…ふふ。」
「突然機嫌がなおったね…どうしたの?」
驚きにどくどくと動く心臓を抑えつつシャルがエラルデに聞くと、エラルデは満面の笑みでそれに答えた。
「だって、シャルが私のことを思い出してくれていたのが嬉しくて…!」
「ウッ…!!」
「え?シャル?」
その笑顔の美しさにシャルの心臓はまた早鐘を打ち、彼女はがくりと床に沈む。ちなみにエラルデは遠い昔には人々にお告げを下したことがあり、それてエラルデの姿が天使としてあの背表紙に描かれていたのだという。
閑話休題。魔王と大使の茶番が終わりに差し掛かったのを感じ取ったルダーが、ようやくかとシャルに声をかけた。
「して王よ。」
「はいはい?」
「旅はどうでしたかな?」
「ああ、歴史書を作る為の良い資料がたくさんあったよ。実に有意義だったね、ルナちゃん。」
執務机備え付けの椅子に向かうシャルにそうふられたルナは、良く分からないもののとりあえず頷いておくことにした。それを見て満足気な顔をし座ったシャルだったが、次の瞬間にはその顔に影を落とす。
「でも、王国は思ったよりも周辺諸国に敵対視されているようでね。」
「そうなのですか?」
「うん。どうやら魔王をたくさん倒しているのが他国の人族にとっては恐いらしい。」
いつになく真剣な顔をして説明をしたシャルに、ルダーはなるほどと顎に手を当てる。このままの状態で進んでゆけば、近いうちに王国は滅ぼされてしまうかもしれない。それは目の前の魔王の意思に反することである。
「シャルの言うことですから信憑性は高いですね。」
「ええ。他国からの攻撃に注意する必要がありますね。」
「そういうことだ。特に帝国は何かにつけて王国に対抗したがるらしいし、要注意ってとこかな。」
これは気が抜けないよ、と不敵に笑ったシャルに、三体と一柱は頷いた。
ところ変わって夜の王城。居住区の廊下を歩いていたニナは、前方にファーレの姿を見つけ呼び止めた。
「ファーレ!」
「ん?ああ、ニナか。どうかしたの?」
ニナが駆け寄るのを待つだけではなく自分からも歩み寄るあたり、ファーレは根っからの紳士である。
「この間のアルノとの口論…少し言い過ぎなんじゃないの?」
「…アルノが魔王のことを良い奴なんて言うから、つい言っちゃっただけだよ。」
ファーレは若干バツの悪そうな顔をしたものの、発言を訂正する気は毛頭ないらしい。すぐに表情を繕って反論した。
「でも…」
「魔王はオースのことをバカにしたんだよ?」
「そうだけど、たった一つそれだけで失望したっていうのは言い過ぎじゃない。」
「…。」
ニナが言ったことは、ファーレ自身も薄々感じていたらしい。あの時の自分はどこか感情的すぎた、と。しかし、オースのことを貶した魔王を仲間が認める、というのは、ファーレにはひどく受け入れがたく感じられた。
「…分かってるよ。」
「ファーレ!」
それ だけ吐き捨てるように言うと、ファーレはニナにふいと背を向け、呼び止める声にも答えずに早足で自室へ向かった。
祝。シャル、自分の名前を王国語で言えるようになる。
二章はこのお話で終わりです。