15.帝都で悪役的行為
ザーベルでの王国の好感度調査の結論は、やはり王国はそれなりに長く生きている帝国民に悪感情を抱かれている、という説に至った。宿から出て昨日と同じように道案内を頼むふりをして王国への印象を探る作業を数時間繰り返した後、シャルとルナはザーベルを発ち帝都ウーダへと向かった。
「ザーベルに比べると随分と豪奢だな。」
豪華で派手な服装をした肉付きの良い人族達や、貴族の家紋の描かれた馬車が行き交う大通り。両脇に並ぶのは庶民では敷居をまたぐことすらできないような高級店のみ。シャル達もシルクで編まれた艶のあるマントを羽織っているものの、この大通りではどうも見劣りするように感じられる。夕日の差す帝都を見渡しながらシャルが空気に向けて呟くと、ルナがそれを拾った。
「私もそう思います。王国は?」
「王都全体はもちろん王城だって質素な造りに見えたよ。王国の歴史を考えてもアウデンバルドの歴代の王達は倹約家が多いんじゃない、きっと。私は王国の方が好きだなあ。」
アウデンバルドの王都は、この帝都のように他の都市との格差が見られる場所なのか、という意味を込めた質問に、シャルが自分のことのように胸を張って答える。実際に、人族からそう思われていないとしてもシャルの治める魔領は王国の一部であるから、自分の国を誇らしく思っているのだ。そんなシャルの花でも咲かせそうな表情に、ふ、と笑い、ルナは今からの予定のことを考えた。
「今日はもう夕方です、宿で休みますか?」
「いや、今夜は酒場に行こう。」
「……はあ?」
「王国や魔族に対して、帝都でどういう認識がなされてるか知りたいんだ。」
「…は?酒場?」
「こんなこともあろうかとルダーから燕尾服を一着借りてるから、君はその顔のままそれを着るんだよ。」
これでもかという程眉を寄せその行為は許容できませんと顔で示すルナをの手を引き、シャルはその場を後にした。
日が沈んでしばらくして、帝都の片隅の宿屋から、燕尾服に身を包んだルナ出てきた。その横に並ぶのは妖艶な美女。深い赤の、身体のラインがよく見えるドレスを着ており、アシンメトリーに切り落とされたスカートの部分からは右の太ももが顔をのぞかせている。彼女の美貌を彩るのは輝く白い髪に淡褐色の瞳…そう、美女の正体は幻覚魔法を使ったシャルだった。
『シャル様、そのデザインはやっぱ露出が多すぎますよ。』
『金のある貴族の男は女好きが多いとルダーが言ってた。』
『いやそれでもさあ…いくらなんでもそれはやりすぎってもんじゃないですかね…。』
このドレスはシャルが幻覚魔術で見せているものである。一度宿へ行きワンピースを荷物から引っ張り出したシャルは、それをもとに幻覚魔法でこのドレスを現した。二人部屋をとっていたためその一部始終を見ていたルナだったが、彼はドレスを見た瞬間顔を真っ赤にして目を覆い、シャルに笑われていた。
『いいのいいの、地味すぎて男が引っかからなかったら意味がないだろう。さ、行くよ。』
『…ぁあ、もう、全くこのお嬢様は…。』
『そうよ、貴方は今私の執事なのだから逆らわないことね。』
『へいへい。』
今の二体の設定は、屋敷が窮屈で外に出たがるお嬢様と、そんな彼女の願いを叶えたいお嬢様思いの執事である。さて、どんな会話で王国や魔族に関しての意見を聞き出そうか。シャルはそんなことを考えながらバーがいくつか立ち並ぶ道に入る。
「王都では酒屋で酒を飲むのは民衆の習慣だけど、どうやらこっちでは逆のようだね。」
「そうなんです?」
「うん。ここでは貴族が夜に出歩いて酒を飲んでるけど、そういう話は王国では聞いたことがない。」
文化の違いをひしひしと感じながら、シャルは一件の店に目をつけた。看板にある文字は、“噂話”の二文字。おあつらえつけの店名じゃないかとふわりと笑い、シャルはルナを引き連れてその店のドアをくぐった。
「…美人さんとは珍しいですね。いらっしゃいませ。」
「二名、空いてますか?」
「ええ、カウンター席でよければこちらへどうぞ。」
発音に若干の訛りがあるもののほぼ万国共通の敬語で話しすルナ。それに対応するのは、カウンターで酒を作っている店主らしき男。そのハスキーな声に従いカウンター席の空いている場所に腰を下ろす二体の様子を、周囲の貴族らしき男達が物珍しそうに眺める。帝都では貴族が夜に外で酒を飲むのは当たり前とはいえ、女性でそれをする者は少ないのだ。更にこの女性は色っぽく、髪色も珍しい美人ときた。興味を持たない方がおかしいというものであった。
「こん店は初めてか?」
シャルが座った席の隣に腰かけている男が早速声をかけてきたので、シャルはルナに一瞬ドヤ顔をしてからそれに答える。
「はい。」
「こんな夜遅くにお嬢さんが来る場所じゃなんぞ。」
「はい…分かって入るのですが…。」
そうシャルが目を伏せると、男は何かを察したような顔をして店主に声をかけた。
「このお嬢さんに、弱い酒を一杯。」
「へ?」
「承知いたしました。」
「一応聞くが、成人はしとるな…?」
その問いにシャルがこくこくと頷くと、男は少し安心した顔で笑った。どうやら帝都では男が女に酒をおごるのが普通らしい。ナイスフェミニスト、私本当はゼロ歳だけど、とシャルが内心サムズアップしていると、男は再びシャルに話しかけた。
「ま、何があったかは知らんが…話せることだけ話してみたらいいんでないのか。」
その言葉にシャルは内心驚くとともに、若干の罪悪感を抱えた。金持ちの貴族というからには横暴な者が多いと思ったが、存外優しいものかもしれない、と。しかし一瞬後に、今魔法で見せている美貌のせいかもしれないという可能性に到達すると、その罪悪感は一気に薄くなる。その勢いに乗せてシャルは嘘を並べ立てることにした。
「実は…。」
自分の両親は王国と魔族を恐れすぎていて自分を外に出してくれないということ。自分は外に出たいということ。専属の執事に連れられて初めて外に出たということ。そんなありもしない物語をすらすらと紡ぐシャルに、ルナは敬服すると同時に呆れてさえいた。しかし、この話が嘘と気づかない周りの男達は、耳をそばだてながらちらちらと同情するような視線を向けている。その中には、外で見かけない令嬢のうちの誰なのかをヒソヒソと話し合う者もいる。
シャルは全ての作り話を終えると、先ほど店主が目の前に置いた甘い酒をちびりと飲んだ。余談だが、アルコールは魔族の身体にほとんど影響を与えないので、ここでシャルがいくら酒を飲もうと酔うことは無い。
「そうか…。」
「あの、両親がそれほどまでに恐れる“王国”や“魔族”というのはどういうものなのですか?」
「うん…まず王国だが、とんでもない野蛮人の集まりじゃ。魔王…魔族の王を多く倒した者がより強い加護を受けることができるなんて、神への冒涜にも等しいじゃろ。我らが帝国以外にも王国を野蛮であるとする国はたくさんごとある。」
男の言葉に、周りにいる者達もうなずき合っている。ここまでで帝国の貴族たちの王国に向ける意識の片鱗が見えた。やはりあまり良い感情は抱かれていないらしい。しかし、その他の国にまでやっかまれているというのはあまりに危険であるとシャルは考えた。和平協定が有効である限り大丈夫だとは思うが、王国を敵視する各国が一丸となって戦争を仕掛けてくる可能性だってあるのだ。
シャルが脳内でそんなことを考えているなど露知らず、男は鬱憤を晴らすかのように喋り続ける。
「…あんな国、建国されなんだ方が良かったんじゃ。」
「そうなんですか…両親が心配する気持ちが少しだけ分かりました。」
男の最後の言葉に思わず立ち上がりかけたルナをどうどうと後ろ手に制しながら、シャルは話の内容を変えようと一つ質問を投げかける。
「では、そんな王国が倒している魔族の王というのは良い方なのですか?」
「まさか!魔族だって倒すべき野蛮な種族に違いはない。」
そんな気はしていた。そんな気はしていたが、この国でも魔王達は人族と衝突する以外に何もしようとしてこなかったらしい。シャルは思わず半目になりそうになったが、どうにか表情筋を踏ん張らせた。
「お嬢さん、敵の敵は味方、とは限らんのじゃ。魔王を倒さねばならん、その一点に関しては王国の言い分だって正しいところがあろうというもんじゃが…神は数で判断しなさらん。魔王を倒すことは使命ではあるが、神はその試練をどれ程受け入れられるかという観点で信仰心を試とられるんじゃ。その信仰心は帝国民こそ世界一で…」
酒の入った勢いでぺらぺらと喋ってくれる男にシャルは少しだけ感謝していた。感謝はしていたのだが、その後あまりにも話が止まらないものだから、シャルは気分が悪くなったからといってルナに抱えられ店を出た。
次の日は、昼間は帝都で街ゆく貴族達の会話を盗み聞きしていたが、近々宗教大戦に参戦していた国々の間で和平の証の会合があるということ以外には、特に王国に関する情報は得られなかった。そしてその夜。
『お嬢、本当に行くんですか…?』
『魔族は悪者ぞ。悪者らしく王城に忍び込んで何が悪い。』
『ここでも魔族の評判が悪いもんだから拗ねてますねアンタ…。』
豪華な城壁を背にぷくりと頬を膨らませるシャルとそれをなだめるように頭を撫でるルナ。彼らはこれから、城に侵入して情報を探ろうとしている。もう何の為に旅に出たのか分からなくなってきているが、シャルはもとから王国の敵となり得る者達を探ることも旅の目的の一つとしていた。
『ぷん。良いよ別に、これから変えてやるんだからな。じゃ、行こっか、ルナちゃん。』
『はいはい、どこまでもお供いたしますとも。』
ルナの慰めの甲斐あってか機嫌をくるりとなおしたシャルは、城壁を飛び越えるべく屈伸した。ルナもそれに倣い、地面を蹴った彼らの身体は高く宙を舞い、城壁を飛び越えて難なく城内への侵入を果たした。そのまま無言で木や建物の陰を進みとりあえず最も豪華に見える建物を目指す。途中までは二体とも何も喋らなかったが、彼らを見つけることのできそうにない見張りの兵たちに思わずシャルが言葉を漏らした。
『…王国でも思ったけどさあ、人族は城の警備が甘すぎるよな。』
『そういやお嬢王国の城にも忍び込んだんですっけ。』
ウーガ帝国の皇帝執務室に、二人の男が向き合っていた。白髪の混じり始めたこげ茶の髪に紺色の瞳を持つ中年の男は執務机に備え付けられている座り心地の良さそうな椅子に座り、もう一人、頭は白髪で覆われ濁りかけたグレーの瞳が瞼から浮き出ている、骨のような老人は机の前にピンと背筋を伸ばして立っている。座っている方の男、皇帝ジョニーニ・ウーダは難しい顔をして口を開いた。
「で、王国の様子はどうじゃ。」
それに答えんと息を吸いこんだのは、王の側近である老人、ガトリー・ロビンソンだ。
「王国の騎士団はまたも魔王領への侵入を阻まれた様子です。」
「そうか…。新しい魔王が早くも現れたと聞いたときにゃ少しばかり焦ったが、すこしは安心できそうじゃな。」
「はい。」
そう、同じ表情で安心した様子を見せる二人を、天井から覗く者が二つ。シャルとルナは、音もなく開けた小さな穴から目と耳の良さを駆使して二人の様子を観察していた。ここに穴をあけたのはシャルの勘からという適当極まりない理由だったが、ルナは我が主は勘すら鋭いと表情だけで感服の意を示した。
「しかし、これ以上王国が魔王を倒せば…今でさえ、神が王国に味方すれば我らが戦争を仕掛けられたとき勝てるかどうか分からんというのに、煩わしい。」
皇帝のその言葉を聞いて疑問符を浮かべたのは、天井裏にいる二体だった。昨夜の酔っ払いは神は信仰心の厚い帝国に味方する、といったことを言っていたはず。それがこの国の偶像の在り方ではないのか、と。
「帝よ、何度も申し上げている通り、神など信じるに値しません。」
「しかし、もし王国の言う“神”が正しいもんじゃとしたら…」
「もしそうであっても、それは考えても仕方なんことなのです。」
会話の内容から見えてきたのは、この二人は神の存在を信じきっていないということだ。しかし宗教というのは政治的にも利用価値のあるもの、それによって王国への敵意を増大させているのだろう。全く小賢しいことだな、とシャルは眉を下げた。
ガトリーの言葉に何も言えなくなったウーダ。二人…と二体の間に走った沈黙を破ったのは、ガトリーだった。
「ともかく、近々開催される和平会合で仕掛けをしておきましょう。」
「うむ、そうじゃな。そん方が何かあった時に融通が利く。…余は少し疲れた、下がって良いぞ。」
退出の許可、というよりも命令を賜ったガトリーは下がり、シャルとルナも皇帝の命令を聞くことにした。天井裏を這いながら、シャルは、これは国の問題だが万が一国が危険にさらされたときは助けられるようにしなければ、と心に刻んだ。
旅行編、まあ筆が進まない指が動かない。
書きづらいです。小説を書くってやっぱり難しいです。