14.ソルアルフィの影なる活躍
シャルとルナが旅行に出かけて数日が経った頃、オリエス率いる騎士団一行はもう何度も失敗している魔領遠征へと向かっていた。とにかく相手を消耗させるべきとのオリエスの強い懇願により許可されている遠征であり、国としての討伐とは違い勇者一行は同行できない。
最後尾付近の馬車の荷台に座る騎士団員たちが、長時間揺られて痛んできた座骨をさすりながら話をしている。
「ここ数日の王都はもっぱら和平会合の話で持ち切りだな。」
「ああ、王もそれで忙しいせいで討伐の命を出せずにいるらしいぞ。」
「勇者殿がいないと団長にばかり負担をかけてしまって歯がゆいな…。」
そう、勇者一行が魔王の討伐に出られないのはひとえに三日後に控えた大きな会合のせいであった。和平会合というのは、宗教大戦で戦った国々が最終的に結んだ協定、それが続いていることの証の会合だ。協定を結んではいるものの、王国を頑ななまでに敵視し続けている帝国も、宗教大戦の参戦国であるためもちろん会合に参加する。帝国と嫌が応でも接触せねばならない、そのことが、王や王国民に不安を抱かせているのだ。
「まあ、うだうだ言っていたって仕方がないさ。ほら、そろそろ馬車を降りる頃だろ。」
そう一人の団員が言った次の瞬間、馬車が静かに止まった。あまりのタイミングの良さに他の男達がおお、と小さく歓声を上げる。以前から魔領へ行く際の最終の中継地点としている場所に着いたのだ。ここは現魔王が産まれて初めての討伐で野営もした地点だった。
団員達が馬車を降り素早く整列すると、その前に仁王立ちするオリエスの声が響いた。
「お前達!何度も言うようだが、勝てないと思い込み端から諦めた顔でいる奴は容赦なく切り捨てるから、そのつもりでいろよ!!」
「「「はいッ!!」」」
「では出立する!」
歯切れの良い返事に軽く頷くと、オリエスは団員達を先導すべく踵を返し歩き出した。
『ソル様!!』
魔王不在の魔王城、窓の開け放たれた一室に、一体のフェアリーが飛び込んできた。そのフェアリーはソルの肩に止まるとなにやら耳打ちをする。別に内緒話をするわけではないのだが、彼らはここ最近耳打ちにハマっているのだ。なんでも、耳打ちの仕草がフェアリー的にかっこいいらしい。
『ん?……あーーらら…また騎士団だけで来たの。凝りもせずにまあ。』
耳打ちの内容は、また鎧を着た人族達が魔領へ近づいているというものであった。
『おや、またですか。凝りもせずにまあ。』
『どうせ騎士団だけでは追い返されるのがオチなのに。凝りもせずにまあ。』
ソルの呟きから耳打ちの内容を知ったルダーとエラルデは無感動にそれぞれ感想を言う。ちなみにエラルデは昨日天界から戻ったばかりであり、シャルが遠出したことを知ると何故私のいない間に、と拗ねていた。
『とりあえずお帰り願いましょうね。』
二人の口が紡いだ言葉に軽く笑いつつ、ソルは腰を上げフェアリーの頭を撫でた。
『ありがとうね、案内してくれるかな?』
『もちろんです!』
『ソル様、お気をつけて。』
『怪我などなさらないようにしてくださいね。』
『ありがとう、行ってきます。』
ソルを気遣うルダーとエラルデの言葉に笑顔を返し、彼はフェアリーとともに窓から飛び出した。顔の横を飛ぶフェアリーの速度に合わせ、向かう先は魔領の入り口付近。
『もう魔族は集めてある?』
『ハイ、昼行性の者はあらかた集めました。』
『おっけー、じゃあもう準備万端だね。』
これまでも何度も襲撃を受けその度に撃退しているのだ、彼にとって騎士団の遠征は慣れたものである。あっという間に見えてきた魔族達の群れに、二体はスピードを落とし、魔族達の前で止まった。
『じゃあとりあえずバクは魔法を使う準備して。』
『『『はい!』』』
今回はどの魔族に目立ってもらうか、ソルは既に決めていた。彼はシャルに、人族にそれぞれの魔族の特性をより知ってもらえるよう戦ってほしいとお願いされている。始めこそソルは魔族の特性を教えるなんて危険であると反対したが、シャルはいずれ仲良くするのだから問題ないとソルを諭した。ちなみに今回のトップバッターであるバクは眠りの魔法を使う。
『ソル様、人族が見えてきました。』
『うん…じゃ、バク達は行っておいで。』
ソルの合図に一斉に人族に向かって突進する、どこか猪に似た魔族、バク達。それに気づいた人族がこちらに矢を向けた瞬間、バクが魔法を使う。
「う…」
「ね、ねむ…ぃ…すう…」
「し、しっかりしろッ、皆…!」
おおよそ三分の一程の団員が眠りに落ちてバタバタと倒れ、周囲も声を荒げながら睡魔に対抗する。
「お前達、睡魔なんぞに負けてどうするんだ!くそ…こんなことは初めてだぞ、姑息な手を!!どこから魔法を使っている!?」
先代勇者の供をしていたオリエスだけは、抗魔力が高いのかしっかりと目を開いている。言っている内容からして眠りへ誘う魔法を使われていることは分かっているようだが、昔から魔領に生息するバクがそれを使っているとは思っていないらしい。それもそのはず、これまでの戦いでは魔族達には指揮官が居なかったため自分の特性を生かせず、バク達も眠りの魔法ではなく強靭な肉体で戦っていたのだ。
『よし、もう戻っておいで。次はナイトメア、前に出て魔法を。』
聴覚の発達した魔族達にだけ聞こえる声量でのソルの指示に、バク達と入れ替わりに人型をした黒い肌の魔族達が羽を素早く動かしながら飛び出した。
「あれは…悪魔か!?」
悪魔などこの世界には居はしないのだが、そのことを知らない起きたままの団員達は睡魔から解放された脳でナイトメアを悪魔と認識する。オリエスが倒れている者達を守るようにナイトメア達を睨んで剣を構えると、回りの団員もそれに倣った。
「うっ、うう…!」
「やめろ、やめ…ろお…!」
「今度は何なんだ!?」
ナイトメアは生物に悪夢を見せるのが得意という、バクと非常に相性の良い魔族だ。これは嫌がらせという以外にも、精神を大幅に疲弊させる効果がある戦法である。
「まさかさっきの猪が眠りの魔法を使い、この悪魔が悪夢を見せているのか…?おい、全員起こせ!!眠っている間に殺されかねんッ!!」
猪と悪魔ということ以外は間違ってはいない解釈をしたオリエスの命令に、剣を構えている団員達は悪魔を警戒しつつうなされている者達を大声で起こす。起こされた者は総じて顔を青くし汗をだらだらと流しており、戦力になりそうにない。
オリエスは毎回のように、魔族達が賢すぎると感じていた。今まではばらばらに襲ってくるだけだったのに何故こんなに連携が取れている。少し考えれば分かることだ。彼は、何者かが裏で魔族達を操っていおり、その正体は魔王であるという結論に達した。操っているのが黒幕…ルダーのことだ…の可能性も考えたが、それなら今までそうしてこなかったことが不自然なのだ。
『ナイトメア、退いていいよ。』
その小さな合図とともに退がっていく悪魔達を見てオリエスはその向こうへと声を張り上げた。
「魔王!!!姿を見せないとは怖気づいたか!!!」
その声に反応したのは、魔族の中でただ一人…ソルであった。シャル様を馬鹿にされたという事実に彼はぴくりと眉根を寄せ歩を踏み出す。そのいつもとちがう雰囲気に、怒気に、単独で出るのは危険だと声をかけられる魔族はいなかった。
「おじけづいた、ない。」
「ッ!?」
「え!?」
人族の言葉を理解できない魔族から返事が返ってくるなどとは思っていなかったオリエス。彼と同様、他の団員達も驚きに目を見開いた。最初に驚愕から立ち直ったのはオリエスで、目の前の見覚えのある魔族に疑問をぶつけようと口を開く。
「お前、何故言葉が…」
「シャル様、出る必要、ない。」
オリエスの言葉を遮ってそれだけ言うと、ソルは唇に人差し指を当てて指笛を吹いた。その突くような響きに誘われ、辺りの空気が暗くなる。暗い空、その灰色と黒い木々の隙間からはい出したのは、巨大な黒龍…先代魔王だった。
「先代の…!?て…撤退!!!動けない者は動ける者が担げ!!殿は俺が務める、急げッ!!!」
早口で叫ばれた退避の指令に、団員達は即座に反応する。一見、素早くて良いことのように思われるが、これは何度も重ねた敗退によって鍛えられた動きである。悔し気な表情で先代魔王とそれをどうやってか呼び起こした派手な髪色の魔族を睨み、彼らはゆっくりと近づく黒龍から死ぬ思いで逃げた。
『いや、悪かったって、そんなに怯えなくてもいいでしょうよ…。』
困った。そんな表情でソルは魔物達をなだめている。魔物達が震えている理由はただ一つ、先ほどのソルの怒気が怖かったのだ。
『そ、ソル様…』
『ん?』
『ひぃっ!』
漸く話しかけてくれた一体のナイトメアに喜びの笑みを向けるも、今の彼らの精神状態ではその笑顔すら怖く見えるらしい。悪夢を見せられていたのは誰なのか分からない、とソルは溜息を吐いた。
『みんなだって、シャル様が馬鹿にされたら怒るでしょ。』
『はい。』
『嫌でした。』
シャルの名前を出しただけではっきりと口々に肯定の意を示す魔族達にソルは笑い、少し安心して告げる。
『僕もすごく嫌だったんだよ、だから怒っちゃったんだ…わかってよ、ね?』
そう眉を下げて笑うソルに、魔族達は申し訳なさそうに、頷いたり、ぱたぱたと空中を上下したりした。今日も魔領の平和を守りましたよ。ソルは空にぽつんと浮いている雲を見上げ、眩しそうに主の面影を脳裏に映した。死んでないから。そんな呆れ声が聞こえる気がする。
『もうお会いしたいです、どうしましょう、シャル様。』
そんな頃、王城の一室では四人の若者が声を揃えて二文字の簡潔な単語を呟いた。
「「「「暇。」」」」
そう、彼ら勇者一行は暇なのであった。会合の準備やら心配やらで大忙しの王城で、討伐の命令を受けることができず、かといって先代勇者が生きていたころのように城で何かを手伝えるわけでもない。会合の直前、大事な時期なのだからなおさらだ。鍛錬は怠らないものの、あまりやりすぎても体を壊すもとになってしまう。よって、彼らには暇な時間があまりにも多かった。
例によって例のごとく、アルノの部屋に集まっている四人。暇、という単語の後の静寂の中、目にかかる黒髪の下でポツリと声を落とした者がいた。
「…シャル。」
「シャルって…魔王だっけ?」
アルノが小さく呟いた名前を耳ざとく拾ったのはファーレであった。彼はしかめっ面をして溜息の後文句を言い連ねる。
「魔王はさ、顔は良いけど性格がちょっとあれだったよね。」
「そんなことない。」
「へ?」
「…?」
「アルノ…?」
普段の冷静なアルノに似合わず即座に反論するその姿に、幼い頃から仲の良い三人は目を見開く。
「シャルは、良い奴だ。」
「はあ…?」
魔王を良い奴と評したアルノに、ファーレは見開いていた目を一瞬で細めた。あのさあ、と先ほどよりも低い声で言い背もたれから背筋を離したファーレは明らかに不機嫌だ。
「オースを…俺達の仲間をバカにした奴だよ?」
突然話に出されたオースは私?と驚いた顔をするが、その驚きは鋭い空気にかき消された。
「勘違いしてるんだ。」
「…いくら魔族語が話せるからってそりゃないでしょ。」
「言ってるだろ、お前は多分シャルを勘違いしてる。」
「はっ、そこまで魔王に肩入れする?名前まで呼んじゃってさあ…まさか魔族側に寝返るつもり?勇者様が?」
「ファーレ!」
冷静沈着な態度を取り戻し淡々と返事をするアルノに反比例するように、イラつきを降り積もらせるファーレ。大きくなっていく彼の声を押しとどめたのは、この空気の中どうにか一言彼の名前を呼んだニナの声だった。それにはっとして少し気まずそうな顔をするファーレだったが、そこまで悪いとは思っていないようだった。
「正直、失望したよ。」
それだけ言うと、ガタリと音を立てて椅子を引き、彼は自分の部屋に戻った。
うちの子みんな可愛い…。