13. 歴史をこの目で
王国について。
アウデンバルド王国は現存する国々の中で最古の国である。この国以前に建国された国は一つあったのだが、それは二百年程前に起きた宗教大戦の際に王国の南に隣接する国、ウーダ帝国に接収されてしまった。
宗教大戦とは、トリム教の違う宗派同士が自らの信じる宗派こそが正しいと言い合い、それが戦争へと発展したものである。王国もこの宗教大戦に参戦していた。大戦では宗派の優劣の他、トリム教の聖地であるカーゴトリムの所有権も賭けていた。しかし泥沼化した戦争に決着は見えず、隣接界人の侵攻も勢いを増してきたことから各国の間で和平協定が結ばれた。
それ以来王国と帝国はその他の宗教大戦に参戦した国々を含み和平で結ばれているものの、帝国は王国となにかと張り合おうとするという。
そんな中王国では、戦後絶対王政の風潮が崩れ始めた。賢王と呼ばれた当時の王が、自ら絶対王政を否定し、民の声にも耳を傾けるべきであると主張したのだ。戦争で多大な被害を被った民達に賢王が心を痛めていた、その結果であった。その結果三代の王を経て民主主義国家ができあがり、現王に関しては平民を城内に入れる機会すら作っている。
魔領について。
アウデンバルドの歴代魔王達は隣接界人を撃退し続けてきたが、魔王に敵わないと悟った隣接界人は狡猾にも魔王のいない時期に狙いを定めることを覚えた。以上。
魔領での改革を半ば無理やり推し進めてから、十日ほどが経った。一度人族が攻めてきたものの、アルノ達を伴わず騎士団だけでの侵攻だったので、ソル率いる魔族達だけで問題なく撃退できた。そんな平和な昼下がり、シャルは程よく温かい執務室であくびを漏らした。
「シャル様。」
「うう、ごめん。」
それを目ざとく見つけたルダーが咎めると、シャルは申し訳なさそうに俯く。その様子を、執務室の扉の両脇に控えるソルとルナが微笑ましく眺めていた。エラルデは定期報告のため神界昇っており、一週間程留守にするらしい。
シャルが今何をやっているかというと、アウデンバルド王国並びに魔領の歴史書の作成だ。人族が歴史書なるものを作っていると知ったシャルは、その利点から魔王城にも歴史書を置きたいと考え、すぐさま実行に移したのだ。
「でもさあ、王国の昔話は面白かったけど、魔領についてはいつ隣接界人が来ていつ魔王が死んだかくらいしか書くことがないじゃないか…。」
本当に過去の魔王達は何をしてたんだ、と唇を尖らせるシャルに、ルダーはなんともいえない笑みを浮かべた。
「確かにこうして語ってみると、先代までの魔王様方は本当に隣接界人の警戒しかして来なかったのですね。私もそれが当たり前と思っていた節がございます。」
「ああいや、ルダーのことを責めているんじゃないんだよ?」
「存じております。ただ自らの行いを省みただけですので、お気遣いなく。」
そう優し気に微笑むルダーを見て安心しながらも、シャルはあくびが出てしまう話にこれ以上耐えられるかの不安にも苛まれていた。王国の歴史書に合わせて魔領の歴史書も作成しようと思ったが、どうやらこれは自分が聞いて書くよりもルダーに書いてもらったほうが良いように思われた。
そう思いついてしまえばシャルの頭はくるくると高速回転する。ルダーに魔領の歴史書を任せるのであれば彼女がすべきは王国の歴史書作成。しかしシャルはルダーとは違い歴史を見てきたわけではない。で、あれば、だ。
「旅行に行こうか、ルナちゃん。」
「は?」
「ハネムーンだよ。…冗談だよ。」
ハネムーンと言った瞬間ルナが嬉しそうな顔を、ソルが絶望した顔をする。冗談と言った瞬間、今度はソルが嬉しそうな顔を、ルナが絶望した顔をする。その変化が面白くて、シャルは思わず声に出して笑ってしまった。
「くっ…あは、まあハネムーンは冗談として、旅行に行こうっていうのは本気だよ。」
「理由をお聞きしても?」
旅行に行く理由を聞いたのは、やはりというかルダーだった。
「魔領に関しての歴史書は私よりも、実際に魔王達を間近で見てきたルダーが書いた方が良いと思ったんだ。そして私は王国の歴史書を書くにしても、ルダーと違って歴史というものを見たことがない。だったらせめて、遺産を見たり外の資料を読んだりするべきだろう。」
シャルがそう説明すると、ルダーはなるほど、と口元に手を当て何やら考え始めた。許可するかどうか思案しているのだろう。お許しがもらえるだろうかとそわそわするシャルの様子に気づいたルダーは、この魔王様は全く、といった風に笑った。
「良いですよ、お気をつけて行ってきてください。」
「本当!?」
「僕はどうせついていけないんでしょうし悲しいですけど…シャル様の帰る場所を守って待っていますから。騎士団だってユウシャだって、僕たちが簡単に蹴り飛ばしてやりますよ!」
「ありがとう、二人とも…!!」
かくして、シャルとルナの歴史を巡る旅が幕を開けた。
ソルとルダーに見送られ出発した二体が最初に目指すのは、トリム教の聖地、カーゴトリム。カーゴトリムに行くためには王都とは反対側に位置するウーダ帝国を通過しなければならない。ということで、彼らは王国と帝国の国境までやってきた。
鉄仮面のような無表情を被り検問所に立っている男に近づくと、彼はちらりとシャル達を見遣った。今のシャル達は幻覚魔法で姿かたちを変えている。シャルは黒髪を後ろでゆるく結った茶色の瞳の少年、ルナは銀髪で後ろを刈り上げた、緑の瞳の青年の姿。二体とも国籍を持たず国境通過許可証を発行してもらえないため、許可証も幻覚魔法でそう見せているただの板だ。
「…入国の目的はなんじゃ。」
「観光です。」
帝国訛りの検問所の男へ応答するのはシャル。王国と帝国を含め宗教大戦に参戦していた国々は、同じ神を信仰していたのもあって使っている言語がほぼ同じである。だからシャルはこの国でもほぼ不自由なく人族と会話ができるのだ。
鉄仮面を眺めつつ、自分達も許可証も、幻覚魔法がかけられていると気づかれていないと判断したシャルは、内心誇らしげに胸を張った。検問所に勤めるくらいだから、この男は幻覚魔法を看破することに相当長けているのだろう。そんな彼を欺ける程の魔法を使えるようになったのはソルのおかげだ、シャルは得意に思うと同時にソルに感謝した。
「滞在期間は。」
「反対側の検問を通過するまで、多分七日間。」
「…通ってええ。」
終始無表情を貫いていた男に通過の許可をいただき、二体は軽く礼をして検問所を後にした。帝国をさっさと通り抜けてカーゴトリムに行っても良いのだが、せっかくだから帝国の様子も視察したいのでまず目指すのは一番近い都市、ザーベルだ。
『今夜の宿はザーベルで取りますよね。』
『うん。そうしよう。ニ日間くらい滞在して、それから帝都に移動して三日間…ああ、今頃ソルとルダーとエラルデ、どうしてるかなあ。』
『はは、ホームシックですか?』
そう小声で談笑しつつ、彼らはザーベルを目指した。
人の目の無いところでは高速で移動して、普通ならば半日かかる道程を五時間程でザーベルにたどり着いたシャルとルナ。二体は、宿屋を探し…ている訳ではなく、街中を適当に歩いていた。
「すみません、渡り鳥の羽休めという宿屋に行きたいのですが道を教えてもらえませんか?」
シャルがこの質問を道行く人にするのはこれで五回目だ。別に道に迷っているわけではない。
「ああ、その宿じゃったらこの通りを逆に進んでな、二番目の左の路地に…」
声をかけた老人が宿屋への道のりの説明をするのを、二体は右から左へと聞き流していた。
「ありがとうございます。」
「旅行者か?」
「はい、アウデンから来たもので勝手が全然分からなくて。」
そうシャルが答えた瞬間、老人の顔つきが変わった。二体は、帝国民がが王国民のことをどう思っているのかを知る為宿屋への道を聞いて回っているのだ。ちなみにアウデンというのは王国の王都の名称だ。
「なんじゃ、妙な訛りだと思うたらあの国から来たのんかい。変な事件でも起こさねえでくれよ。」
それだけ言うと、しかめっ面をしたまま老人はシャル達に背を向け足早に立ち去ってしまった。これまで声をかけてきた五人中、シャルが王国から来たと言うと三人が同じような態度をとった。残りの二人は若い男女だったので、おそらく大戦を知らない若者は王国をそこまで敵対視していないのだろう。
「思ったより王国のこと…嫌なこと言われなかったです。」
意外そうな表情でそう呟くルナ。彼がここまで王国語を話せるようになっているのはエラルデの指導と彼自身の自主学習の賜物だ。
「うん。正直ちょっと拍子抜けかも。態度変えるって言ってもちょっと文句つける程度だったし…掴みかかってきたりする人族もいると思ってたよ。」
「それ、考えすぎ…。」
襟元を掴んでガンをつけるジェスチャーをしたシャルに、ルナは半目で笑う。その顔を見てシャルもにへらと笑い、再び口を開いた。
「ま、明日以降もまた似たようなことをして王国の好感度を調べよう。」
「今日はもう宿行きます?」
「五人もの人に道を教えてもらったからね。」
くすくすと互いの顔を見合わせて笑いながら、二体は先ほど老人が示した道を進んだ。