12.撲滅、近所迷惑
「で、ちゃんと魔領全土に通達は終えたんだろうな?」
「終わリましタ…。」
あの後幸い再び騒音がやってくることはなく健やかに眠ったシャル。日が昇り切った頃ガイア達が魔王城にやってくるまで昨夜の言動をすっかり忘れていたが、それをガイア達に悟らせることはなかった。
今彼女は、窓枠に座って自らの肩の上でガイア達に羽を休めさせている。
「オレ達夜行性なのに日ガ昇ってカラモ飛び回っタんですヨ…。」
「同じ夜行性でもお前達は吸血鬼とは違って日の光で死ぬことはないだろう。」
「他人事ダと思っテ…。」
魔族には昼行性のものと夜行性の者がいるが、それぞれの中にも細かい区分がある。夜行性の魔族の中では、吸血鬼など日に当たりすぎると死んでしまう者達、スケルトンのように死ぬまではいかないものの健康被害の出る者達、そしてガイア達のように昼に動くと疲れるというだけでそれ以外は問題ない者達に分けられる。余談だがシャルは、スケルトンの健康被害ってどんなのなんだろう、と気になってはいるものの、実験をするわけにもいかずもやもやしている。
昼行性にはフェアリーのように日に当たると力が出る者と、ドラゴンのように夜動くと疲れるだけという者がいる。これもまた余談だが、フェアリーはその小さく美しい見目から人族からは神聖視されているらしい。彼らの普段の仕事はコソコソ人族の様子を見て魔王に報告することで戦闘には向かず、魔領での戦いにも姿を見せたことがないため魔族と認識されていないのであろう。
「まあ、疲れるのに頑張ってくれてありがとう。助かったよ。」
シャルがそう言って二体の頭を撫でると、彼らは一瞬前の拗ねた様子が嘘のようにきゅるりと喉を鳴らし、帰宅の許可が出ると魔王に頬ずりしてから飛び去って行く。ガイアなりの信愛の礼だ。ルンルンと歌いだしそうな飛び方で帰っていく彼らを苦笑して見送り、シャルは安堵の溜息をついた。
「今ルダーがいなくて良かったなあ。」
おそらく彼がいればそんなことは聞いていない、と文句を言っただろう。従者たちも今は王国語を詰め込まれている最中で疲れているだろう。よし、とシャルは立ち上がり背伸びをした。
「これも我一体でちゃっちゃと片付けちゃおう。」
毎晩のように悩まされたことを含む区画整理だ。だいたいの動きは脳内でできあがっているから、魔物たちが協力的であれば何も問題なく終わるだろう、シャルはそう考え開けっ放しだった窓から飛び降りた。
世の中そう甘くはない。そのことをシャルは現在進行形で学んでいる。
「魔王様!!」
「区画整理をするとは本当ですか!?」
「どんな方針で整理をするんです!?」
ガイアのように知能の低い魔物は言葉が聞き取りづらいけどこの子達は流暢な魔族語を喋るなあ。シャルはのんきな現実逃避をしていたが、この状態からこれ以上目を逸らすわけにはいくまいと目の前に群がる魔族達を見据えた。
多くは人族に似た者達で、角や耳の生えた者、肌の色が人族とは違う者など様々だ。そしてその他には鳥や動物のような者も…あ、数が多すぎて心が折れそう…シャルはまた焦点をずらそうとする瞳を叱咤する。
シャルは、問題があるとすれば魔族達の協力が得られない場合だと考えていた。当の彼らが住み分けを望まなければこの計画は全く進まないのである。
しかし、現実にはシャルの懸念とは全く逆のことが起こり、それが彼女を悩ませている。昼行性の魔族達が区画整理を喜びすぎて狂喜乱舞し詰め寄ってきたのである。口々に言いたいことを言う彼らに、シャルは口を挟むタイミングを計りかねていた。
「ガイア達は魔王様はうるささに耐えかねて区画整理をすると言っていましたが!」
「では夜行性の奴らを追い出すのですね…!?」
「ぅう……。」
どこからか寝言のようなうなり声のような音が聞こえる。お互い大変だな、と、シャルは夜行性の魔族のものであろうその声に憐れみの情を贈った。
「夜行性の蛮族達の騒音に悩まされずに済むのですね!?」
「これであんな安眠妨害の代名詞のような奴らとはおさらばだ…!」
ここだ、ここで口を挟まなければ彼らはきっと永遠に黙らない。シャルはギラリと目を光らせ素早く唇を開いた。
「今お前達がやっているのは夜行性にとっては安眠妨害だな。」
静かに、しかしその場にしんと広がったその声に、魔族達はぴたりと喋るのをやめた。その発想は無かったらしい、皆目を見開きシャルを凝視している。他者の迷惑になっていると分かった瞬間静かになった素直な魔族達に、シャルは愛おし気に笑いかけた。
「うん、分かってくれたのなら幸いだ。では区画整備の説明の図をここの地面に刻むから、場所をあけてくれ。」
優しい笑顔のままシャルがそう言うと、瞬きの間に音もなく、影も形も残さず下がった魔族達。従順で結構、とシャルは嬉しそうに頷いた。
数えきれない程の魔族が所狭しとひしめいていただけあって、シャルの立っている場所は木々の間が広く開けている。シャルにとっては生まれて初めての人族の侵攻の際、魔族と人族が戦闘を繰り広げた場所のうちの一つである。魔領の中央に近いそこに区画整理の概要を記し、魔族達にはここへ来て確認して動いてもらおうと思ったのだ。
シャルはまず風の魔法を使い広場の真上から一面の土を見下ろした。その後、火と風と水の魔法を使い土を平らに乾燥させ、地の魔法でそこに器用にヒビを入れていく。
そのヒビでまず最初に描いたのは魔領の大まかな地図。魔領は丸に近い形をしているため円を描き、中間の一割程を残して上下に分けるよう二本の直線を引く。更に上と下にできた半円を三つに分け、それぞれに、い、ろ、は、に、ほ、へ、と文字を書いた。
区画整理の概要
夜行性の居住区は北地区、“い”から“は”、
昼行性の居住区は南地区、“に”から“へ”とする。
中間地区は魔王城や反対側の地区に用がある場合、または危険を察知した場合以外は立ち入りを控えること。仲の良い魔族と逢瀬等をする際にはその限りではないが、騒音を立てぬよう注意せよ。
それぞれの小地区、“い”から“へ”に居住する肉食と草食の割合はある程度均等にすること。
これらの意味の分からなかった者は他の者に聞くこと。
我が臣下たちの有能を期待する。
「と、最後に、活動時間が違う者は寝ているだろうから移動は静かに行うように…と。」
それを全て書き終わると、シャルは更に火と風と水の魔法を使い土を岩のように固くする。その作業を終えて初めて、彼女は息を吐いた。
「よしよし良い出来だ。仕事を下に割り振るのも王の役目。決して怠けているわけではない、ないからな。」
空気に向かって言い訳をしたシャルは風の魔法を解いて先ほど描いた地図の上にトンと降り立つ。かちこちに固まったそれはひび割れることも崩れることもなく、シャルは誇らしげにくっと顎を上げ周りを見回した。
「もう出てきても良いぞ。これを見て各自移動をすること。ただし話し合いは必須だからな、怠るなよ。」
その声に反応して木陰に下がっていた魔族達がわらわらと出てきたのを確認し、満足気に目を細めた魔王は魔王城へ戻るべく踵を返した。
実は区画整理と同時にあと二つほど、こなしておきたい仕事があった。
トントントン。
「失礼します。」
執務室でなにやら表を作っているシャルのもとに、白髪交じりのナイスガイが訪れた。ノックをしてから扉を開けるまで返事をする間もなかったためシャルは目を丸くして驚いており、ルダーもルダーで普段の落ち着いた表情を崩し驚きを表している。
「…はーい。どうぞー。」
「魔王様!?帰っておられたのですか!?」
「へ?」
何故自分が外出していたことをこの語り部が知っているのか、とシャルは疑問に思うが、その理由はシャルに詰め寄るルダーが勝手に説明してくれた。
「エラルデ様がいい加減心配だと仰るので様子を見に来たはいいものの執務しつにはおらず、その後どれだけ探しても城内のどこにも見つけることが叶わず諦めて王国語の授業に戻っていたというのに、戻られていたのですか!?」
「えっ、うそ、留守中に来たの?」
相手の剣幕とは反比例するぽかんとした態度で呆けたことを言うシャルに、ルダーは落ち着きを取り戻したのから詰めていた息を吐きだした。溜息である。
「魔王様…何が起こるか分からないのですから、城を離れる際は一言お声がけうださい。」
「…ごめん…。」
「で、何をしておられたのです?」
「昼行性と夜行性に住み分けをさせてきた。」
気を取り直して質問をしたルダーだったが、シャルからの返答に目を半開きにする。
「…そういったことをする際にも我々にお声がけください。」
「そんな目してるとせっかくの男前が台無しだよ。」
「そういったことをする際には我々にもお声がけください。」
「…だって忙しいかと…」
「お声がけください。」
「分かったよ…ごめんて…。」
以前もこんなやりとりがあった気がすると思いながらもシャルは反省の意を顔で示す。身内に嘘を吐くのが苦手な魔王が反省せずにそんな表情をできる訳がないと知っているルダーは、仕方のない方ですね、と再び溜息を吐いて話を終わらせた。
「それで、他には何を企んでおられるのです?」
ように見えた。話を終わらせたように見えただけであった。
「鋭すぎる部下というのも考え物だな。」
「質問にお答えください。」
引く気など毛頭ないといった様子のルダーに、シャルは情けなく眉を下げながら手元の紙を差し出した。
「これは…?」
「ガイア達に各都市の夜間警備を頼もうと思ってね。それは五日間で回すことを考えた分担表、ついさっき完成したの。現在の成人したガイアの総数は四十体で間違いないよね?」
「間違いありませんが、まさかこんなことをしておられるとは…。」
表に書いてあるのはアウデンバルド王国にある六つの主要都市の魔領での呼び名と、配置するガイアの数。表といっても都市の名と数字を線で区切っただけの簡素なものだが、知能の低いガイア達には丁度良いだろう。
「夜になったらこれをガイア達に渡そうと思う。彼らはよく喧嘩をするけどその分仲が良いから、任せて大丈夫だよね?」
「はい、問題ないかと。それで他には?」
「…縄張り争いにも多少の理性が必要かな、と…。」
塵一つすら見落とさない姑のようだ、とシャルは苦笑しつつ説明する。
「ほら、縄張り争いであまりに消耗すると何かあったときに困るかもしれないじゃん。それに、人族はそう思ってはいないようだけどここも一応王国の一部だから、皆多少は理性的でいてほしいと思うんだ。そこで、縄張り争いに多少の制限をつける制度を打ち立てようと思う。…名付けて、」
「名付けて?」
「決闘~縄張り争いにルールを添えて~制!!」
「ほう。」
「興味なさそうな顔してるなあとは思ったけどさすがに反応が薄すぎるよ。泣くよ。」
ルダーの気の無い返事に、そう返しつつシャルは既に涙目だ。
「いえ、その制度自体に興味がないというわけではなく、名目はどうでもいいというか…。」
「それが泣けるって言ってるの!!」
顔を赤くしたシャルがバンバンと机を叩く。彼女にとってはトントンくらいの気分だが、なまじ魔王としての力が強いばかりに感情的になると力の加減が分からなくなるのだ。それを見て机が壊れることを懸念したルダーは、優しい声色で王をなだめた。
「落ち着いてください、制度自体は非常に興味深いものです。しかし今日はもうお疲れでしょう、ガイアに表だけ渡して明日また考えるというのはいかがですか?」
何故彼がそんな提案をしたのか分からないシャルだったが、ルダーの言うことで間違っていたことは一つもないことを思い出し素直にうなずいた。
その日の夜、シャルは昼間に区画整理の概要を記した広場に来ていた。彼女が待つのはガイア。ガイアのうち誰でも良いのでこの表を渡せば、お互い気心の知れている彼らであれば勝手に仲間内で共有してくれるのだ。
シャルがガイアを待ち始めて五分程経過した頃、黒い影が彼女の視界を遮った。
「魔王様、何ヲやってルんデスカ?」
「おい、前が見えない。肩に乗れ。」
その影の正体は羽ばたいているガイアであった。よく見るとその個体は昨夜命令を言いつけたうちの一体である。家族持ちの方だ。
「これをガイアの誰かに渡したくて待ってたんだ、丁度良いところに来てくれた。」
そう言ってひらりと紙を渡すと、ガイアは翼を器用に使ってそれを広げ眺める。彼らの羽は一体どうなっているのかと気になったシャルだったが、解剖するわけにもいかないのでその疑問は頭の隅へ捨てることにした。
「…都市の名前…ガイアの数…何ですカ、コレ。役割分担?」
「そ。人族に危険が及ばないか、毎晩警備をしてほしい。」
「エエー…。」
「えーじゃないの。」
「隣接界人から守ってルんだカラそれデいいジャ…。」
そう言って渋るガイアにシャルは全く、と困り顔をしてみせ、説得を始める。
「神が我らに与え給うた命は国の人族を守ること。隣接界人の侵攻はその一部でしかないのだ。過去の魔王は知ってか知らずか王国のことは我関せずだったようだがな。我はそれでは気が済まん。」
「そうなんデスカ…。」
あまりに素直に話を聞くガイアに笑いつつ、シャルは続けた。
「魔族の役割はその国の人族を守ることぞ。我が命、受けてくれるな?」
「ハイ!」
そう元気に返事をして頬にすり寄ってきたガイアに、シャルも頬を擦り付け返す。嬉しそうに鳴くガイアに、彼女の心が和まされた。
「ではそれは明日の晩から頼む。今夜は区画整理で疲れるだろうからのんびり振り分けの話し合いでもしておけ。行っていいぞ。」
「ハイ、魔王様!」
飛び立ったガイアは昼間と同じく嬉しそうで、それを見るシャルのヘーゼルも昼間と同じ、優しい目だった。
次の日目を覚ましたシャルが決闘制が広まっていることに驚き、それにルダーが誇らしげな顔を返すという出来事があったのだが、それはまた別のお話。