会長哲学?
「部活」
「え?」
唐突に会長が呟いたので、僕はとっさにそれが何を示しているのかわからなかった。いつも通りどこか物寂し気な目線は、今日は窓の外へ向けられている。その視線の先を覗き見ると、そこには必死に練習に取り組む運動部の姿があった。
「あぁ、各部大会が近いですからね。頑張っているのでしょう」
「頑張る……ね」
「どうかしました?」
会長がこんな言い方をしているときは、何かしら思いを抱いているときだ。それを引き出し、生徒会のノートに書き込むのが僕の仕事であり、また毎日の楽しみでもあった。
だから、いつものように、僕はその言葉を口にする。
「聞かせてください。会長は、何を思ってるんですか?」
放課後の生徒会室。そこで告げた僕の質問は、会長の耳にきっと届いたはずだ。
その証拠に、彼女はゆっくりと口を開く。
「ねぇ、書記くん。キミは何かを頑張ったことがある?」
「え? そうですね……小学校の頃は、親に入れられた空手クラブで必死に毎日練習してましたよ」
「へぇ、書記くんが空手、か。いまのなよなよしい姿からはイメージできないけどね」
心から楽しそうに目を三日月にするときは、僕をからかっているとき。
そうわかってはいるのだが、はいはいと流せないあたり僕はかなり子供らしい。
「そんなこと言わないでくださいよ。昔はそれなりに勝ててたんですよ?」
「ふーん。じゃあ、君はどうして空手を頑張れてたの?」
「えーと、そうですね。恥ずかしいですけど、親に褒められるのがうれしくて。試合で勝ったら、両親が自分のことのように喜んでくれたんです」
だから頑張れた、という理由だけではないと思うが、それが大きな理由だったことには間違いない。
今はもう辞めているが、かつての嬉しかったり、誇らしかったりする気持ちはまだ胸の中に残っている。
「なるほど。じゃあ、キミはどうして、彼らが頑張っているのだと思う?」
「え……なんでしょう。理由は一概に言えないのではないでしょうか」
部活を頑張る理由なんて、いくらでもある。
もっとも単純なのが、勝ちたいから。負けたくないから、という対抗心。
他にも、顧問の先生から怒られるから頑張る、だとか友達付き合いで部活には入っている、という生徒もいるかもしれない。
「確かに、理由はいくつもあるね。でも、考えてみて。始める当初はどのような理由があったか知らないけど、殆どの生徒が部活を続けている。どうしてだと思う?」
「続ける理由……これこそいろいろな理由があるように思いますけど」
「うん。だけど私は、みんな、自分の個性を探そうってしているんじゃないかと思うんだよ」
「個性?」
会長は、人の心について考えるのが好きらしい。
どんなに順序立てて考えようと、完璧な論理を敷こうと、ほんの気まぐれで予測が外れてしまうその人間の心に、果てしない好奇心を感じてしまうのだそうだ。
凡人の僕にはわからないが、きっと会長には何かがはっきりとわかっているのだろう。
「個性。アイデンティティだよ。私たち高校生は、もう少しで大人になり、社会に出る。これは誰もが否応なくわかってしまう事実だよね」
「そうですね。中学と違って将来について深く考える人も多くなると思います」
「その中で、きっとみんなはそれを欠けさせてしまったり、失ったりしちゃうんだよ。自分っていう、心の中で信じていた偶像を」
偶像。それが何を示すのかはよくわからなかった。
だけど、きっとその言葉の意味は、自分にがっかりしちゃう、とか、自分を信じることができなくなる、なんてことなんだろうと感じた。
「そして、無くした偶像の代わりを求める。そこで、欠けた心を慰めてくれるのがこの部活、っていうものなんじゃないかな、って思うんだよ」
「どういうことですか?」
「仲間だとか、ライバルだとか、そういうものを自分で設定して、自分で筋書きを描いて、自分で自分の成長を演出して、また偶像を作り上げるんだよ。それが、彼らの言う個性。自分っていう人間を自分で規定した証明書のようなもの。それを作り上げて、安心するために彼らは部活に向き合っているのじゃないかな、と思ってね」
そうして、会長は湯気の出る水筒に口を付ける。
彼女がこうしたときは、話は終わりだ、と僕に伝えているときだ。
さて、この会長の話をどうまとめよう。
会長は多分、何かを頑張る人っていうのは『頑張れる自分』『できる自分』というのを見つけるために、頑張ってるんだ、みたいなことを言ったんだと思う。
偶像とか、個性とか、難しい言葉を使ってたけど、僕にはその行動はとても正しいことのように思えた。他者をひがんだり、ひねくれたりするのではなく、しっかりと自分自身に向き合って、たとえそれが少しの逃げだとしても、何かしらに心から打ち込み、自分の中で何かを学ぶ。
僕の稚拙な言葉じゃうまく表現できないけれど、その『頑張る』という行為は、きっとどこかの何かに結びついてくれるのではないだろうか、と淡い希望を抱いたりする。
窓際の会長を見遣ると、彼女は少し笑っていた。
柔らかな斜陽に包まれた、優しい微笑み。それが何に向けられているのかは、よく、わからない。