76 従魔のいる少女
前話を一部変更いたしました。
変更点は、
ユリアと院長の会話のシーンで、院長とクラリッサが親子だと分かります。
投稿後の改稿は、読者の皆様にご迷惑をおかけし、本当に申し訳ありません。
非難の声が上がったのは、院長を挟んで反対側の席からだ。そこにミーシャより少し年上の少女が立ち上がり、冷ややかな視線を院長に投げかけている。院長は肩をすくませると、「今のは内緒よ」と小声で私に言い、てへッと舌を出した。ひょうきんな仕草が、なかなか様になっている。
そして私は少女に目を向ける。キリッとした切れ長の灰色の瞳。高い鼻梁に、薄い唇。優しげなミーシャとは正反対のタイプの美少女だ。私はその顔をどこかで見たことがあるような気がして、じっと見つめてしまった。
「何?」
不愉快そうにその少女は顔をしかめる。
「いいえ……。不躾に見つめてしまいまして、申し訳ありません」
思い出せなくてとっさに謝ると、その少女は麦わら色のおかっぱの髪を揺らしてそっぽを向く。その少女襟元から、キラキラとしたエメラルドグリーンに輝く親指位の太さの蛇がにょろりと顔を出した。
「あ!」
少女は、今度こそキッと私を睨んだ。
「何よ! 私のリフに文句でもあるの!」
「申し訳ありません! ただ、少し驚いただけです」
頭を下げた。私は「リフ」という名の蛇で思い出した。彼女は来年の春から私が通う王立魔法学園で、入学時の生徒会長を務めるアリーシア先輩だ。首元にいるのはただの蛇ではない、蛇型の魔物だ。それは彼女の従魔なのである。従魔自体が珍しく、それもこんな人に嫌われる蛇型魔物を従魔にする人は他にいない。彼女はアリーシア先輩に間違いない。それに私の記憶でも、いつもは冷静なアリーシア先輩は自分の従魔のことを悪く言われると、とたんに激高していた。
そのアリーシア先輩と会話をしたのはたった一度だけ。何かの機会に二人きりになったときに、吐き捨てるように「あんな男は止めておきなさい」と言ったのだ。アリーシア先輩の言う「あんな男」とはエンデ様のことだ。その時、エンデ様に入れあげていた私は、そんな忠告をした先輩がエンデ様を狙っているのかと思い警戒していた。
アリーシア先輩はまたそっぽを向いた。
「あの……私はオルシーニ伯爵の娘、ユリアです。アリーシア先輩、よろしくお願いいたします」
「なんで私の名前を知っているの?」
アリーシア先輩はいぶかしげに眉を寄せた。しまった、思わず名前で呼んでしまった。
「あ……」
そこへ 両手に酒杯を持ってふらりとやってきたクラリッサ様が割って入った。
「アリーシア、ユリアをいじめるな」
「なっ! 私、いじめなんてしてません!」
アリーシア先輩は、必死に抗議した。エメラルドグリーンの蛇型魔物であるリフもアリーシア先輩の意を汲んだようにクラリッサ様に向けて鎌首をもたげる。それを全く意に介さず、クラリッサ様は、片手の酒杯を母である院長に渡し、もう片方をグイと傾けて飲み干すとダンと音をたててテーブルに置いた。そして、おもちゃを見つけた猫のような目でアリーシア先輩を見て、ニヤリと笑う。
「いじめてないなら、何をしていたんだ?」
「ただ、ユリア様とお話をしていましたの」
「あんな怖い顔をしてか?」
「怖い顔なんてしてません! クラリッサ様とは違います!」
「誰が怖い顔だって……?」
「あ……!」
クラリッサ様は、アリーシア先輩に襲い掛かると、頬を思い切り横に引っ張った。
「ひたたたた!」
主を助けようと飛び出そうとした従魔のリフは、クラリッサ様の肩にとまっているオーク虫に睨まれると、すぐに服の中に隠れてしまった。すっかり食物連鎖が逆になっているようだ。
私もアリーシア先輩のお顔よりも、先輩の頬を引っ張りながらニヤニヤしているクラリッサ様のお顔の方がよほど怖いのだが、それを言うと自分に火の粉が飛んできそうな感じがして黙っていた。院長はというと、我関せず、クラリッサ様が持ってきた酒杯を幸せそうな顔をして少しずつ傾けている。どうやら母子そろって酒好きのようだ。
しばらくすると、満足そうな顔をしてクラリッサ様はアリーシア先輩の頬から手を離した。
「ユリア、アリーシアが失礼したな。こいつは遠縁の娘なんだ。ま、私らのように両親が教会籍なんてやつらは大抵が遠縁なんだがな。人見知りなくせに融通が効かない頑固者でな、この仏頂面も悪気はないんだ。ユリアも遠慮なく、こいつに絡んでやってくれ」
「あ……はい。でも、別に絡みはしませんが……。先程は失礼いたしました。アリーシア先輩の名前を存じていたのは、私が来年の春に学園に入学する予定ですので、優秀と名高い先輩のお話を聞いたことがあるからですわ」
なんとかごまかした。
「そ……そう。よろしくね」
こころなしかアリーシア先輩の目元が緩んだ気がする。
「なんだ、お前、ユリアに褒められて照れたのか?」
「照れてません!」
「何言っているんだ、顔が真っ赤だぞ」
「お酒の匂いに酔っただけです」
「臭いだけで酔うもんか」
「酔います!」
「なら飲んでも同じだろ。遠慮しないで飲め」
クラリッサ様は、アリーシア先輩にリンドウラ・エリクシルの入った器を差し出した。
「止めてください。私はまだ未成年です。お酒なんてまだ早いですから!」
「それが融通が利かないって言うんだ。酒なんぞ、貴族なら子供のうちから訓練で飲まされるぞ。なあ、ユリア」
「え……、うちではそんなことはありませんでしたが……」
「ちっ、ゴッソの過保護め!」
舌打ちをしたクラリッサ様は、その後、強引に酒を強引にすすめることなく、突き返された酒杯を肩のオーク虫に飲ませた。その酒杯にオーク虫は頭から突っ込んで、「チチ、チチ」と嬉しそうに鳴く。すぐに酒杯は空になり、空いた酒杯に、クラリッサ様は自分でリンドウラ・エリクシルを再び注いだ。
「飲みすぎです!」
「いくら飲んだって平気だろ。大樽が二十個もあるんだから。それに、この酒は飲み過ぎても問題ないんだ。知ってるだろ?」
クラリッサ様がアリーシア先輩の細い首に腕を絡ませ、さらには耳にふうっと息を吐きかける。アリーシア先輩はさらに顔全体を赤くして「この酔っ払い!」と暴れるが、クラリッサ様はニヤニヤ笑って微動だにしない。その様子を、院長は温かい目で見ていた。実のところ私にもアリーシア先輩も、本気で嫌がっているようには見えなかった。歳の離れた仲の良い姉妹がじゃれ合っているような感じだ。
「そういえばアリーシア先輩は今は学期中ですわよね? どうしてこちらに?」
「ああ……それはな……」
クラリッサ様がふと真剣な顔をして、私に向き直った。その瞬間、クラリッサ様の腕の力がゆるんだのか、アリーシア先輩がパッと逃げ出して、テーブルの端っこに飛んで行った。そこで目を三角にして、追い詰められた猫のようにクラリッサ様を警戒している。従魔のリフさえも、主と同じく「シャー」っと音を立てて、牙をむき出しにしている。一瞬、アリーシア先輩に手を伸ばしかけたクラリッサ様は、「まあいいか」と言い肩をすくめた。
「学生のアリーシアが、ここにいるのはな、昨年リンドウラ・エリクシルの調合をする『三人の聖女』の一人が他界して、アリーシアがその後任になったからなんだ」
「『三人の聖女』……?」