閑話 ある護衛の変容② ~アラン視点
「おい、しっかりしろ!」
「俺はダメだ……、へへ、昨日抱いた女が裸で俺を誘ってるぜ……まってろよ……」
鴆の毒にやられた冒険者だ。だらしなく頬を緩ませながら、意識が遠のいていく。
「アラン!」
ハッと気づいた時には、怒りに爛々と目を光らせている鴆がすぐそばにいた。まだ子供だという鴆はまださほど大きくはない。せいぜい大人の猪程度だ。冒険者の体を手放し、後ろに逃げたがもう遅い。毒の息が、間近に迫る。
頭によぎる、妻の顔、義父、義母の顔、そして妻が手に抱く赤ん坊。何故かその子は男の子だとはっきりと分かった。これは走馬燈なのか、それとも鴆の毒が見せる幻なのか……。
ああ……幻でも良い……、なんて……なんて幸せなんだ……。
ゆっくりと地面が迫ってくる、背中で大きくバウンドした。痛みなんて何も感じない。空が、世界が輝いている。ああ、なんて気持ちが良い……。
パリン!
鼻をつんざき、針で脳を刺されるような臭いを感じた。その瞬間、ギュルギュルと音を立てて、走馬燈が巻き戻される。そしてある一点の思い出が再生された。それは鴆の討伐直前にお嬢様にお屋敷の部屋に呼び出された時のことだった。
「これは何ですかお嬢様?」
私は、お嬢様に渡された飴色に輝く小瓶を陽の光にかざした。中にはほんのわずかな量の液体しか入っていない。
「これは気付け薬よ」
「これが!? 死にかけた執事長を救ったというあの霊薬ですか?」
何故かお嬢様は、白目を剥いてげんなりした顔をされた。
「いいえ。これはそんな霊薬じゃないわ。本当にただの気付け薬なのよ」
「気付け薬……」
「もし鴆の毒にやられて昏睡した人がいたら、これを嗅がせてあげて。そうしたらきっと目が覚めるわ」
「鴆の毒に……。分かりました。その時が来たら、必ず使わせていただきます」
思い出が途切れた。
背中が痛い。飛び起きると、ぎょっとした鴆と目が合った。鴆は空に逃げれば良いものを、圧倒的な力の差に油断して手の届くような高さを羽ばたいている。思わず、まだ手にしていた剣を投げつけた。
ギャギャ!
鴆の翼に、剣が突き刺さる。鴆はバランスを崩して地面に落ちた。これで鴆は逃げられない。私のポケットに入っていたお嬢様の気付け薬は、割れていた。服に染み込んだ気付け薬は、昏睡から私を守り続けてくれるだろう。
「……あれ、女はどこへ?」
先ほどの冒険者も目が覚める。私の近くにいたからだろう。
「お前も目覚めたか! ぼやぼやするな、毒の届かない範囲まで逃げろ! そして護衛隊の奴らに伝えろ! お嬢様の気付け薬だ! あれさえあれば、鴆の毒に対抗できる! 昏睡しなくて済むぞ!」
同じく私の服に染み込んだ気付け薬の香りで昏睡から目覚めた者達が、寝ぼけ眼でぼうっとしていたが、私の声を聞くと一斉に鴆の毒の息の届かない所まで走った。冒険者だけではなく、護衛隊、自警団も者もいる。
私は逃げていく冒険者の剣を奪い取って、鴆に襲い掛かった。追い詰められた鴆は手ごわかった。しかしすぐに後から来た護衛隊の仲間達が、戦いに加わった。
「おい、こんな近くまで来て大丈夫か!」
「大丈夫だ、アラン! お嬢様の気付け薬を、口を覆う布に染み込ませた!」
お嬢様は、私だけにではなく、護衛隊に茶色い小瓶を数本渡していた。
「そうか! ならこいつの爪や嘴に気をつけろ、結構鋭いぞ!」
今度は紫がかった灰色の髪の冒険者が、巨大な斧を片手に鴆に襲い掛かる。
「大丈夫だ! 毒さえ効かなきゃ、そんなものはなんてことない! 一気に行くぞ!」
もちろんその冒険者の口も気付け薬を染み込ませた布が巻かれていた。見れば、それはオルシーニの街で冒険者ギルドの支部長をしているミードという男だった。
戦いは、そのギルド支部長の言う通りにあっという間に終わった。後陣では、まだ布に気付け薬を染み込ませる作業が終わっていない者がいる程だ。
冒険者の支部長が、巨大な斧を私に押し付ける。
「頼む!」
「ああ、分かった!」
私はその斧で、鴆の頭を切り離した。そして、その頭を厚い手袋をした手で持ち上げる。
「鴆を……討ち取ったぞ!!!」
死を覚悟し、そこから勝利を得た者達の熱気が私を突き上げる。
「皆の者、忘れるな、これが俺達の力ではないという事に! 神の御使いの如く優しき心と、英知でもって俺達を救ってくれたお嬢様を皆で讃えよ!」
「「「おーーーー! 『御使い』様!!!」」」
その場は熱狂の渦に包まれた。毒に侵され昏睡した者は、その時に見た幻からどう引き戻されたかを熱く語り、お嬢様を知る護衛隊や何かしらお嬢様と接触した事がある冒険者などは、それはそれはお嬢様を褒め讃えた。
夜明けに鴆が巣穴に帰ってから、鴆を討伐して素材に詳しい冒険者が、鴆の獲物から使えそうなものを剥ぎ取り、荷車に鴆の死体を乗せ終えるまでほんの一、二時間の出来事だった。
皆、死ぬのを覚悟してここにやってきた者達ばかりなのに、多少の怪我はあれ、死んだ者は誰一人いない。ブルーノ様が、戦いに参加していない者にも褒美を下さると宣言してからは、まるでお祭り騒ぎだ。
山から降り、ゆっくりと街に引き返した。誰しもが「生きていて良かった」との実感を胸に抱き。
「おい、何だあれは?」
瞬間、緊張が一団に走る。オルシーニの街の出口から土煙が上がったかと思うと、あっという間に近くなる。
私達は、武器を構えた。しかしつむじ風のような速さで何かが私達の脇を通り過ぎて、ギュギュっと大きな音とさらに大きな土煙を立てたかと思うと、すぐに戻ってきた。
「……ヘンゼフ君か?」
戻ってきたモノは、体は筋肉がいたる所で盛り上がり、身長も見上げる程高くなっていたが、その肩の上に乗っていたのは、見覚えのある、目にも痛い赤い髪の頭のヘンゼフ君のものだった。一瞬、魔物に食べられて頭だけ口から出ているのかと思い、剣を持つ手に力がこもったが、執事長に似ていつもは飄々としたその表情が焦っている事に気が付いて、手の力を抜いた。
「俺、今、耳が聞こえないので、状況説明だけします。質問があったら、筆談、お願いします」
何故かたどたどしい言葉遣いになっている。それにしても、声がでかい。耳が聞こえないと、自分の声の大きさが分からなくて、大声になってしまうとも言うが……。しかしそんな思案は、ヘンゼフ君の次の言葉で飛散した。
「お屋敷が盗賊団に襲われています! お嬢様が狙われています! 助けてください!」
ヘンゼフ君の大声は、五百人を超える討伐隊の全員に届いた。
「何を……ヘンゼフ君?」
涙目で、ヘンゼフ君は同じ言葉を繰り返す。
「お屋敷が盗賊団に襲われています! お嬢様が狙われています! 助けてください!」
言葉の意味を理解した瞬間、私は怒りに総毛立った。同時に大地が、そして大気が震えた。他の者たちも、私と同様、殺気を放ったからだ。
「『御使い』様が、危ない!?」
「おい、小僧! それはどういう事だ!」
次々と護衛隊、冒険者がヘンゼフ君に詰問するが、耳の聞こえないヘンゼフ君は「お屋敷が盗賊団に襲われています! お嬢様が狙われています! 助けてください!」と大声で繰り返すだけだ。筆談で質問する時間の余裕はない。
私は、震える両手を気力で押さえつけ、スラリと剣を抜くと高々と突き上げた。
「おい野郎ども、屋敷に乗り込むぞ! みんなでお嬢様を……いや、『御使い』様を助けるんだ!」
「「おおおおお!」」
大地が揺れた。
ともかく急いで戻るために、ほとんどの者が得物以外のすべてを近くの畑に放り投げた。重いからだ。もちろん私もだ。そして騎馬があるものは馬で駆け、そうでないものは自分の足で走った。ただひたすらに。自分の足で走ったのは、そのほとんどが中級以下の冒険者だ。しかし彼らの日頃の鍛錬のたまものなのか、馬で全力疾走している私とほとんど変わらないスピードだ。
私は愛馬の隣を、自分の足で走っている冒険者に向かって叫んだ。
「やるな!」
「ダンナも護衛隊にしちゃ、やる方ですね!」
冒険者特有の言い回しなのか、冒険者達がニヤリと笑った。私も悪い気はしない。
「戦えるか?」
「もちろんでさあ!」
冒険者達は限界を超えて筋肉を動かしたために、細かな血管が切れたのか、ぶつけてもいないのにいたる所に内出血を作っていた。そして泣いてもいないのに、目からは血の涙がこぼれている。そんな冒険者は一人二人ではない。オルシーニの冒険者は、なんと勇敢な者達なのだろうか!
私も感動の涙をぬぐえば、血の跡が付いた。私も血の涙を流していたか……。
「共に『御使い』様を守ろう!」
「おおお!」
ユリア「…………『御使い』騒動の元凶は、お前かあああああ!!! ア・ラ・ン(;゜皿゜)ノ」
ヘンゼフ「あ、あの……」
ユリア「何よ!! 邪魔しないでちょうだい!」
ヘンゼフ「アランさんの変容が、気付け薬の副作用ってことは……?」
ユリア「へ……あれ?( ゜д゜)」