72 回復の兆し
ダンはワイルドバイソンの解体に行ったが、私とガウスは二人でミーシャの治療のために馬車に戻った。馬車ではステップから上半身がずり落ち、髪の毛はフリ乱れ、白目を剥き、舌は半分飛び出した状態でミーシャが気絶していた。多分ミーシャは、『お花摘み』に行こうとして外に出ようとしたところで、気を失ったのだろう。
「……ミーシャちゃんのこの姿、並大抵の魔物よりも怖いわね」
「ええ」
ガウスは、ミーシャのほっぺを面白そうにツンツンとつついている。そのガウスにミーシャをベッドに戻してもらい、私はそっとミーシャの瞼を指で押さえて目を閉じさせる。だって、本当に怖いんだもの。
毒消薬を小さくちぎって気を失っているミーシャの半分出たままの舌に乗せると、口がもぐもぐと動いた。そしてもっとくれとばかりに口が開く。ジンソウは甘い味がするため、美味しかったのだろう。それにワイルドバイソンの胆石は苦いが体が必要としている苦さだ。本能が求めているはずだ。
再び小さくちぎってミーシャの口の中に毒消薬を放り込む。一回分の処方をすべて飲み込んだところで、ミーシャが気付いた。
「あ……お嬢様」
まだ苦しいはずなのに、私の顔を見てミーシャはふわりと笑う。絶世の美少女の笑顔なのに、さっきまでの顔が思い出されてなんだが微妙な感じだ。ガウスは口に手を当てて声を殺して笑っている。
「こほん。体調はどう?」
「体調……? あ、さっきまですごく寒くて手足も冷たくて痺れていたのに、今はぽかぽかしてきました」
「そう。もう少ししたら、お薬の効果で汗がいっぱい出てくるわ。その時に体の中の悪い物もみんな汗から出てくるから、明日には体調はもどるわよ」
「お嬢様のお薬……」
ミーシャは「へへ……」と小さく笑った。
「どうしたの?」
「やっとお嬢様のちゃんとしたお薬を飲めました」
そういえば失恋騒ぎの時に、ミーシャはちゃんとした薬を私が上げていないと文句をいっていた。まったく、こんなときに。
「また後で浄化魔法をかけてあげるわね。そうすれば汗もさっぱりするはずよ」
「は~い」
「食事も食べられるようなら食べてね。アランが砂糖と塩の入った水を持ってきたはずでしょ? それはちゃんと飲むのよ」
「は~い」
「じゃあ、私はヘンゼフの治療もしてくるわ」
「は~い」
馬車を下りると、ガウスがニヤニヤと笑っていた。
「ミーシャちゃん、良い子ね」
「ええ」
「そんで、ユリアちゃんの事が大好きなのね」
「……ええ」
分かっている事だが、改めて他の人に口に出して言われると照れてしまった。
「若いって良いわ~」
ガウスが空を見上げる。……ガウスだってまだ二十歳を少し過ぎたばかりの若者のはずだけど。
「ガウスだって、ダンの事を」
「そ~なの! ホント、ダンって素敵でしょ」
下手な返事は火種になるのは前の人生で経験済だ。
「ええ。二人とも素敵な恋人同士ね」
「こっ、恋人同士ですって! え? 誰が? 誰が恋人同士なの!?」
「え? ダンとガウスでしょ? 違うの?」
二人が恋人同士になるのは、この先なのだろうか? とすると余計なことを言ってしまったのかもしれない。
「ううん‼ そんなことないわ。恋人同士よ!」
「ああ、良かった。勘違いしちゃったかと思ったわ」
まだ恋人になっていないのかと勘違いしたかと思ってしまった。恋人同士で良かった。
「ユリアちゃん、あなた、今日から親友よ!」
ぎゅうっと抱きしめられた。
「ぐ、苦しい……」
なにせ心は女でも体は男のガウスだ。力いっぱい抱き締められたら骨もきしむ。
ガウスは、名残惜しそうに腕を離した。
「よろしくね、親友」
「ええ、もちろんよ親友」
今の人生でもガウスと親友になれた。
それにしてもこんな調子で、ガウスの親友は何人いるのだろうと前の人生では思ったが、ダンに言わせると調子が良く人懐こいガウスだが心を開く相手は少なく、ましてや「友達」と呼べる存在もそう多くはないそうだ。
「さ、次はヘンゼフちゃんの所よ」
再びダンの腕に自分の腕を絡ませながら、ガウスが先導した。
ミーシャと同じように、毒消薬をヘンゼフの口に含ませると、すぐに震えが止まった。
「ここは? 知らない天井だ……」
「ガウス達の馬車よ。あなた、街の商人にすすめられたキラースクイッドの毒に当たったのよ」
「キラースクイッドの毒? あれはキラースクイッドじゃ……。あ、口の中が甘苦い……お嬢様が作った薬ですか?」
「ええ」
「ありがとうございます」
ヘンゼフは、安心したように笑った。その笑顔はヨーゼフに似ていた。途端にぐうっと大きな音がヘンゼフのお腹から聞こえる。
「この分なら、夕飯は食べれそうね。でももうしばらくはお休みなさい」
「はい」
再びヘンゼフは眠りに落ちた。
「これで二人とも大丈夫ね」
「そうね。ねえ、ユリアちゃん」
「何、ガウス?」
「さっきヘンゼフちゃん、おかしな事を言ってなかった?」
「おかしな事?」
「途中までだったけど『キラースクイッドじゃない』って言おうとしたんじゃないかな?」
「キラースクイッドじゃない?」
「ヘンゼフちゃんは子供の頃は海辺の街で育ったんでしょ? だったら食用にならないキラースクイッドの見分け位できるんじゃないの?」
「そういえば……」
ヘンゼフはお父さんが、海の事故で亡くなられるまで海辺の街に住んでいたそうだ。それなら確かに、キラースクイッドの見分け位できるかもしれない。
「でも食べたのは加工されたものだったっていうし……」
「ま、それもそうね。ヘンゼフちゃんが元気になったら、そこら辺の話を聞いてみましょう」
「ええそうね」
ガウスは自分のお腹をおさえた。
「そういや、私達も腹が減ったわね」
「本当ね。今日の食事はワイルドバイソンの焼肉かしら?」
「ユリアちゃんは貴族のお姫様だから知らないのよね。
死んだばかりのワイルドバイソンは歯を通すのも一苦労するの。だから今食べても固くて美味しくないわ。でも肉熟成用の魔道具が私たちの馬車にあるから、そこに三日位入れると本当にとろけるように美味しいお肉になるのよ。そしたらみんなで食べましょ。
それにしても、今日は予定外の野営だから、ただの非常用携帯食かしらね。さっきのワイルドバイソンの群れのせいで獣も逃げちゃったから狩りもできないだろうし」
ガウスが残念そうな顔をする。今頃ダンがワイルドバイソンの皮を剥いで肉の塊にしているだろう。
「え? 食べれるわよ。今夜」
ダンとガウスが首をかしげる。私は得意げにツンと鼻を上に向けた。
「忘れたの? 私の魔法を使えば、熟成肉なんてすぐにできるわ」
その夜、私達はワイルドバイソンのとろけるようなお肉で腹を満たした。ヘンゼフは復活して、同じく肉を食べていたのだから本当に丈夫だ。しかしミーシャは、脂を取り除いた上澄みだけのスープを飲んだだけだった。
「ミーシャ、大丈夫?」
「あ……お嬢様。はい、体はすごく楽になりました」
私は椀を一つ差し出した。
「これを飲むと良いわ。ワスレユリの雌しべのお茶よ。深く眠れて、体力回復させてくれるわ」
一口飲んだミーシャは、思わずといった風情で頬を緩ませる。
「おいしい……」
「体が求めているものは、おいしく感じるのよ」
「『体が求めているもの』……」
「さ、もう寝なさい」
「待ってください。私がここで寝たら、お嬢様はどこで寝るんですか?」
「そんな事、心配しなくて良いわ」
「……外で寝る気でしょ?」
「……」
「私が外で寝ます」
「だめよ。あなたはまだ体が弱っているんだから」
「お嬢様、私のは人にうつりますか?」
「いいえ。うつらないわ。毒ですもの」
「だったら……、一緒に寝ても大丈夫ですよね? 私、下痢も嘔吐もおさまりましたし」
「それは……」
「お嬢様、お願いです」
やつれた目をキラキラさせて、下から覗き込まれた。
「仕方がないわね……。ただし、【浄化】と【防護】の魔法はかけますからね」
「は~い」
ミーシャは毛布を鼻までかけて、嬉しそうに「ふふ」っと笑った。
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