69 ガウスの矢
……常識人枠のあの人が(´;ω;`)ウッ…
私はダンに荷物のように肩に担がれて、風を切るような速さで草原を駆け抜けた。馬車にいる一行の近くに行くのに、数分もかかっていない。
慌ただしく荷物まとめていたアランが、一団の中から飛び出してきた。
「よくお戻り下さいました。ダン殿感謝いたします」
「いや、それより状況は」
「はい、見張りの者よりワイルドバイソンの群れがこちらに向かっているとのことです」
「ワイルドバイソンの群れか! また厄介な。あいつらは一匹だけならそう大したことないが、群れで行動し、目の前のありとあらゆるものを踏み潰して走るからな」
地響きのようなものを感じた。振り向くと草原の向こうに土煙が立っている。ダンも後ろを振り返りつつ、焦った声を出した。
「くそっ、思ったより近いな! このままじゃ直撃されるぞ!」
「はい。ですから、一刻も早く逃げませんと」
ワイルドバイソンは、野牛型の魔物で体も大きく力も強い。そして厄介なことにダンが言う通り群れで行動し、直進しながら走る。……ただ、頭は良くない。それに、ワイルドバイソンから採れる素材はとても有用だ。
「大丈夫よ、あれなら急いで逃げなくても対処できるわ」
「何を言っているんだ!」
私は、薬瓶を腰の小袋から取り出した。
「魔物よけの薬よ。ワイルドバイソンは、力は強いけど、頭は悪く、本能で行動する生き物よ。私の魔物よけの薬で進路をそらす事ができるわ」
「ワイルドバイソンは中級の魔物だぞ。魔物よけの薬は、もっと低級の魔物にしか利かないんだ! ほら、早く逃げるぞ!」
「文句はその効果を見てからにしてちょうだい」
「何を……」
激高しているダンと私の間に、アランが割って入った。
「私は何をすればよろしいでしょうか?」
「ありがとう、アラン。この薬を野営地を大きく囲むように地面に垂らしてくれる?」
「かしこまりましたお嬢様」
「!!!」
アランの従順さに、ダンは目を白黒させている。そのダンをアランは冷ややかに見返した。爽やかさが売りのアランにしては珍しい表情だ。
「お嬢様が大丈夫だと言っているのです。何を疑う必要がありますか?」
「いや、しかし!」
「……私達、護衛隊は鴆の討伐に出た者ばかりです。あの光景を見た私達はお嬢様のお言葉を疑うことなどできません。お嬢様が大丈夫とおっしゃるなら、大丈夫なのです」
気が付けば慌ただしく荷造りをしていた周りの護衛隊員が完全に手を止めて、目に力を込めて強く頷いた。そしてその視線は、私の言葉を疑ったダンに厳しく向けられている。
…………え?
もしかして「信者」とかってやつ???
私もうっかりしていた。街中の冒険者が、私を御使い様扱いし、信者のようにふるまっていたのに、直接に気付け薬を授けた護衛隊員がまったく前と同じままだなんてある訳がなかったのだ。
「分かった。俺も手伝おう」
観念したようにダンが魔物よけの薬の半分を受け取り、アランと協力して野営地を大きく円を描くように薬を撒きに走った。すでにワイルドバイソンの上げた土煙は大きくなり、近くまで迫っていることが見て取れた。
護衛隊の私を見る眼差しに気が付かなかったフリをして、私はガウスを探した。間もなく、派手な紫色の頭が目に入る。 ガウスは馬車の御者台に座って、すでに手綱を握り締めていた。ダンが乗ったらすぐに逃げられるようにしているのだろう。
「ガウス」
「戻ってきたの! 良かったわ。それでダンはどこ?」
ガウスはキョロキョロと周りを見る。背中で結った長い紫の髪が揺れる。
「ダンはいないわ」
「え? 何言ってるの? 早く逃げないと!」
「ダンには用事をお願いしたの」
ガウスは、すっと細く中性的なその顔は怒りのような表情が浮かび、藍色の目は、キッと吊り上がっていた。
「ダンを殺す気か?」
いつもと違い、もともとの野太い声でガウスは鋭く言った。
「いいえ。みんなが助かるためにお願いしたことなの」
「何を言っている?」
「ダンを置いて一人で逃げるならどうぞ。でも逃げないならダンと一緒に私に協力して」
ガウスは、ほんのつかの間、私の顔をじっと見た。そしていつもの高い声を出す。
「……何かありそうね。いいわ。私がダンを置いて逃げるなんてある訳ないもの。乗ってやろうじゃないの。何なの、そのお願いって」
私は、小さな木の枝を差し出した。枝の先にはハンカチで包んだものがひっかけてある。
「……何よ、それ?」
ハンカチの結び目を緩めると、ぷぅぅんとえもいわれぬ匂いが漂う。ガウスは顔をしかめた。
「それ……ウンじゃないわよね?」
「もちろんウンよ」
にっこりと笑う。私はまたしっかりとハンカチを結び直した。このハンカチには【防水】【防臭】の魔法をかけてある。この野営地にこのウンの匂いが残っては大変だからだ。
「この枝をできるだけ遠くに飛ばして欲しいの。ワイルドバイソンの群れと反対方向に」
「群れと反対方向?」
「ええ。私達が助かるためにはこれは必要なの」
「分かったわよ。遠くってどのくらい遠くに飛ばせばいいの?」
「人のいない範囲ならどこまでも」
「こんな事に、これを使いたくはないんだけど……」
そう言いながらガウスがヘンゼフが寝ている荷馬車から取り出したのは、台座が付いた黒光りのする重厚な弓だった。弦の部分は私の小指位の太さがある。ガウスが普段から、肩に引っかけている白い木製の弓とは、まったく違う作りだった。
「クロスボウっていう弓よ。普通の弓よりも威力が強すぎて、人間相手には使えないけど魔獣相手なら一撃で倒せるわ。これなら多少の荷物を矢に取り付けても遠くまで飛ばせるわ」
「クロスボウ……。話には聞いたことがあるけれど、初めて見たわ」
前の人生で私の護衛をしてくれていたガウスは、気が合って親友になっていた。その話の中に出て来たのがこのクロスボウだ。そのクロスボウで、どんな魔獣を討伐したかという武勇伝には私も心躍ったものだ。ただ私の護衛は街中だけだったため、実物を見たのは初めてだった。
ガウスは、クロスボウの先端に足を引っかけて、背筋をグンと伸ばす要領で弦を手甲を装備した指で引っ張った。そして引っ張った弦をクロスボウの金具に引っかける。
「それ、これに付け直しなさいよ」
ガウスは、クロスボウ専用の矢を私に渡した。木の枝からその矢にハンカチを結び直して、【接着】の魔法をかけた。これで途中で落ちたりこぼれたりすることはないだろう。そして着地した時の威力に負けてハンカチは破れるだろう。そうすれば着地点に、ウンの臭いが拡散される。
ガウスは、ウンのついた矢に手を伸ばし、躊躇して一回手を引っ込めてから、今度はしっかりと矢をつかんだ。
「いい? 人がいない方に飛ばすのよ」
「分かっているわ。ワイルドバイソンの群れの反対方角っていうと、ちょうどあの一本松の方角ね。あの手前に谷があるから人はいないはずよ」
「そこでいいわ!」
ガウスはその重厚なクロスボウを、ワイルドバイソンの群れと反対方向に向けた。そして私に顔を向ける。
「これで、ホントにダンを助けることができるのよね?」
「もちろんよ。ダンだけじゃなくて、ここにいるみんなをね。ワイルドバイソンなんかに、私達の中の誰であれ傷一つつけさせないと約束するわ」
「分かったわ。あなたを信頼する」
ガウスは再びクロスボウを構えて、片目をつむり焦点を合わせた。
ビュン!
矢が放たれた。
「「いっけーーー!」」
矢は弧を描いて、一本松の方向に飛んで行った。
すみません。またウンのネタで(^^;
それにしても、常識人枠のアランさん……。
なんでこんなことに……(´;ω;`)ウッ