66 出発
2/5更新予定と言っておきながら、3日も遅れてしまいました。
本当に申し訳ありません。
というのも書いては没、書いては没にしていたからです。
なんかしっくりこなくて……。でもどうにか形になりましたので、更新を開始します。
でもほとんど書き溜めがなくなってしまったので、引き続き2日置きの更新にさせてください。
よろしくお願いいたします。
「待てぇ! 行くんじゃないユリア! わしを置いていくな! 離せ、離すんだヨーゼフ!」
気持ちの良い初夏の朝。太陽は輝き、草木は瑞々しい芳香を放つ。そんな中、お父様の悲壮な声が空に響く。
「旦那様を行かせる訳にはまいりません。盗賊の追跡、損害の見積もり、屋敷の修理に、なんといってもお嬢様の噂の鎮静。やっていただかなくてはいけない事が山程ございます」
ヨーゼフは、お父様の背中におぶさっていた。
藍色の薬のおかげで、体調も良くなり、いろいろと仕事を再開したヨーゼフだが、まだ長い距離を歩いたり、階段の上り下りなど心臓に負担がかかる事をすると動悸息切れが起こる。そのために、誰かの背中に負ぶさる姿をよく見かけるようになっていた。そのほとんどは、ヘンゼフの背中なのだが、ヘンゼフも修道院への旅の仲間になっている。そのため今日は、お父様の背中を自分の乗り物にする事に決めたようだ。
痩せて体の小さくなったヨーゼフなのだが、お父様はヨーゼフに乗られ、まるで大石を背負ったように、よろよろとしている。
「では、行ってまいりますね、お父様お元気で~。ヨーゼフ、体を大事にね。あなたの薬を絶対に完成させて、戻って来るわね~」
「ユリア、それはダンさんの実家に行くと言う事か~~、絶対に許さんぞおおお!」
「さよ~なら~」
馬車は私の挨拶を合図に、走り出した。
追いかけようとしたお父様が、ヨーゼフに潰されるようにして倒れ、身動きが取れないまま、手足だけをバタバタさせている。
お父様、筋力不足かしら? あんなに小さなヨーゼフに潰されるなんて。筋肉ダルマのヨーゼフはもちろんの事、ロベルトの後任になったマシュウだって、軽々とヨーゼフを背負っているというのに。屋敷の中では、ヨーゼフは耳が聞こえるようになった事、話せるようになった事を他の使用人にとうとう知らせたようだ。街で公にしていないのは、「御使い」様騒動を広めないためだろう。
私達の馬車を囲むようにして、騎馬に乗ったアラン達の護衛隊が守ってくれていた。そしてその後ろをヘンゼフが自分の足で走る。ヘンゼフの巨体を支えられるだけの馬がうちにはいないからだ。そしてその後を、幌のかかった荷馬車でダンとガウスが後に続いた。伯爵家のすらりと足の長い品種の馬と違い、体は非常に大きく足が丸太のように太い馬だ。気は優しくて力持ちな品種らしい。もしかしたらダン達の荷馬車にならヘンゼフは乗れるかもしれないが、筋肥丸で作られたヘンゼフの筋肉はちゃんと鍛錬しないとすぐに贅肉になるので走る方が良いだろう。
屋敷からしばらく離れた所で、私服のミーシャがおずおずといった風に切り出した。「御使い」様騒動のおかげで目立ちたくなかったので、ミーシャはいつものメイド服を脱いでもらっていた。それに旅の中、一人でとる食事は寂しい。並んでテーブルについてもらうためにもメイド服でない方がいい。
ミーシャの私服は地味な装いだが、それがかえって品が良く見える。本当に美人は得だ。
「お嬢様、よろしかったんですか? 旦那様、本当にお嬢様とご一緒したかったようですけれど……」
「良いのよ」
「でも……」
「ミーシャだったら、あのお父様と狭い馬車に二人きりでいられる?」
ミーシャもとんでもないと、首を振った。
お父様がこちらにいらしてから、私はヨーゼフの家から改修中の屋敷に戻った。
そして朝、自分の部屋で目が覚めると、お父様が血走らせた目をして、ベッドに腰かけていた。悲鳴を飲み込むのに苦労した。その日から、お父様の様子がなにかとおかしい。歯をむき出しにして頬をひきつらせながら、血走らせた目で私の後をついて回る。何か用事かあるのかと尋ねると、「良い天気だ」だの、「小鳥が鳴いている」だの、「食事がおいしい」だのと言うのだ。
……正直、怖いし気持ち悪い。
「あれ、何のつもりなのかしらね?」
「さあ……? 関係あるかどうかわからないのですが、お嬢様の部屋で旦那様が朝まで過ごされた日の昼間。旦那様がなにやら執事長に教えを乞うていたのを見かけました」
「お父様がヨーゼフに? 何なのかしら?」
「そこまではちょっと……。でも旦那様があのお顔でお嬢様に迫っているときに執事長が涙をハンカチで拭きながら旦那様に向かって親指を突き出していましたよ」
「え……でも私、昨日の夜、ヨーゼフにお父様の様子を相談したのよ。気持ち悪いって」
「それでですかね? 今朝になって急に旦那様が一緒に行けなくなったのは」
「まさか、そんな……。お父様は本当にお忙しいのだし、むしろ一緒に行く方が無理があるわ」
「それもそうですね」
「それにしても……あのお父様の行動の意味は謎ね」
「謎です」
二人してしきりに首を傾げた。
馬がヒヒーンと一鳴きして馬車が止まった。
「お嬢様、よろしいでしょうか?」
馬車の外からアランが話しかける。会話が聞こえていたのか聞こえていないのかは分からないが、いつも通りの爽やか笑顔だ。
「何かしら?」
「実はお嬢様にご挨拶したいと言う方がいらっしゃるんです」
「挨拶?」
馬車のカーテンの隙間から外を見れば田園地帯に差し掛かる手前だった。また「御使い様」などと騒がれてはたまったものではないと思いつつ、誰がいるのかこっそいり覗くと、叔父様ともう一人背の高い男性だった。他に人はいないようだ。
「良いわ。扉を開けて」
「かしこまりました」
私はアランに手を引かれて外に出た。
「叔父様、どうされましたか?」
「この男に紹介を頼まれてな。ついでに見送りに来た」
叔父様も慇懃無礼な口調を止めて、素の言葉で私に接するようにしたようだ。なんだかそれもこそばゆい。
叔父さんが一歩下がると、私への紹介を頼んだという男性が前にできてた。
「初めまして。私は冒険者ギルドの支部長を務めますミードと申します。鴆の討伐の折には、対策を授けて下さいましてありがとうございました。おかげで、我がギルドからは一人の死傷者も出さずにすみました。本当はもう少し早くにご挨拶に行くべきだったのですが……」
「いいえ。良いんです……」
その薬の使い方は私の意図しない間違った使い方でしたとは、言わずにいた。
「それなのに、あいつらときたら、よりにもよって教会の前で『御使い様』と騒ぐなんて、本当にご迷惑をおかけしましてすみませんでした。お嬢様がお戻りになられるまでには黙らせて置きますので、お許し下さい」
「それは、ぜひぜひお願いいたします!」
「ええ。任せて下さい」
ミードは、凄みのある笑顔を浮かべた。私でさえ一瞬背筋に悪寒が走ったのだから、なかなかの実力者なのだろう。
「この先、オルシーニの冒険者ギルドは何があろうとお嬢様に味方します」
叔父様の驚いた顔を見れば、それは破格の申し出なのだろう。
「こちらこそよろしくお願いいたします」
改めて私はミードさんに淑女の礼をとった。対するミードさんも胸に手を置いた。
「では、いってらっしゃいませませ」
こうして私達はオルシーニの街を後にした。