65 黒幕の正体
修道院に行くための旅支度が急いで整えられている中、私は訪問客の連絡を受けた。
「あ、おじょおさまと、ミーシャおねえしゃん…………あ、噛んじゃった!」
訪問客は「アルの本屋」の看板娘アリアナと店主のアルというおじいさんだった。
ミーシャはアリアナといつの間にか随分仲良くなったようで、両手をつないでくるくる回っている。
それをヘンゼフはうらやましそうに見るが、近づくとアリアナに石を投げられていた。
「以前、お店に伺ったときはご不在でしたわね。はじめまして、『アルの本屋』店主のアルさん。この前は、ミーシャとアリスさんをそちらの本屋で保護してもらってありがとうございました」
私はアルさんに丁寧に頭を下げた。
「いいえ、とんでもない。どうか頭をお上げください」
慌てたようにアルさんが止めに入った。「それでは」と姿勢を正す。
「ところで、今日はどのような御用でしょうか? あいにく立て込んでいまして……」
「そのようですな」
廊下には、荷物を抱えた下僕やメイドたちがてんやわんやしている。アルさんは「こんな時に申し訳ない」と頭を下げた。
そして油紙で包まれた本を一冊差し出した。
「これは?」
「ご注文になっていた本をやっと入手いたしましたので、急いでお届けにまいりました」
「注文?」
私には覚えがなかった。
「あ、それニコ兄ちゃんが、おじょおさまにって注文してくれれんすよ…………あ、噛んじゃった」
「ニコが?」
くるくるとうねる黒髪に、きらきらとした黒曜石の瞳、鼻筋は通り、すっきりとした目元の顔を思い出す。物言いはぶしつけだが、愛嬌があり憎めない本屋の少年だ。おまけに私に求婚までしてくれた。
彼が私のために何を注文してくれたんだろう。私はうきうきと包み紙を開けた。そして思わず頬が緩んだ。
「まあ……」
それは、森の家にあったルイス様の蔵書と同じ本だった。薬に関しての本ではないが、内容は難しく、読み進めるのにだいぶ難儀した本だ。
これと同じ本を以前、アルの本屋で購入している。調合室爆破の時に、その本もひどく破損し、もう読むことはできなくなり寂しい思いをしていた。
私は嬉しさに、思わずその本を抱きしめた。
「ニコにお礼を言ってちょうだい。お代は今払うわ」
ミーシャにお金を用意させようろしたところで、アリアナから止められた。
「お代はニコ兄ちゃんにもらっています!」
「ニコが……?」
この本は版を重ねているのでそれほど希少というわけではないが、専門的な内容でそれなりに出版数も少なく高価なものだ。いくら本屋の息子とはいえ、簡単に人にプレゼントできるような値段ではないはず……。
「その本ですが、本当にこちらでよろしかったでしょうか? 書き込みが多数ある古本となっております」
「古本?」
ああ、古本だからニコでも購入できたのかと納得した。そう言われてみると、アルの本屋で購入したものに比べると表紙も擦れていて、ページも指の跡なのか黒ずんでいる部分もある。でもやはりこの本は嬉しい。森の家での日々を、そしてルイス様を思いながらページをめくった日々を思い出す。
ニコの気持ちは嬉しいけれど、やはし代金は私が払おうと心に決めて、その書き込みとやらを見るためにページをめくった。
「!!!」
震えが全身を貫いた。がくがくする体をどうにか動かして、アルさんに質問を投げかける。
「この本をどこで!」
私の反応に戸惑いながらも、アルさんは説明を始めた。
「これはある子爵領の古本屋で入手しました。
先程の話にあったニコさんから、どうしてもこの本を入手して欲しいと頼まれまして。本を置いてある店をご存じならご自分で買いに行けばいいと言ったのですが、ニコさんはどうしてもこの街でやることがあるからとおっしゃいまして……。私を仕入れにいかせました。
幼いアリアナを一人で留守番させるには不安でしたが、近所の者の助けもあり、なにより前金をたくさんいただきましたので……」
「何故、ニコをよく知らない人みたいに言うの!?」
「ええ、よく存じませんから」
「!!!」
どういうことなの!
私は、はじかれたようにアリアナを振り返った。当のアリアナはきょとんとした顔をしている。
「アリアナ、ニコはあなたのお兄さんじゃないの?」
「え? 違うよ」
アルさんは、アリアナの言葉づかいに「コレ」と諌めたが、それどころではない。
ニコはアリアナの兄ではない?
「でもアリアナ、『ニコ兄ちゃん』って呼んでいたでしょう?」
「そう呼んで欲しいって『ニコ兄ちゃん』が……。ミーシャ『お姉ちゃん』も…」
そういえば、アリアナはミーシャのことも「お姉ちゃん」と呼んでいる。私の混乱は深まった。
「でも客じゃないって言ったり、一緒にお茶を作ったりしたりって」
アリアナは、しばし考える仕草をした。
「ニコ兄ちゃんは『自分はまだ店の本を買っていないんだからまだ客じゃない』って言ってたの。私はそんなことないって思っていたのに。お茶は、おじいちゃんがいなくて寂しいって言ったら、一緒に遊んでくれて、そのときに作ってくれたんだよ」
私は、それを勝手にニコはアリアナの兄だと勘違いしたの?いいえ、あの時の様子を思い出すと、あれはそう思わせるようにニコに誘導されたのかもしれない。
本をぎゅっと抱きかかえ直した。何もかも分からないことだらけだ。
「お嬢様、お嬢様、どうしたんですか? 急に」
ミーシャが心配そうに、私の袖を引いた。
「実は……」
「ああ‼ 思い出した!」
ふいにヘンゼフが叫んだ。
「ちょっと、ヘンゼフ! お嬢様が大変な時に何をいきなり大きな声で」
「ミーシャさん、それどころじゃないんですよ。大変なことを思い出したんです」
ヘンゼフが慌てた口調で話し始めた。
「俺、お嬢様の聴拡丸で耳が良くなった時に、屋敷を襲撃した盗賊の声を聞いたんです」
「え……ええ。そうね」
「その中で、一人だけ子供の声があったんですよ」
子供の声?
そういえば、盗賊が「あの小僧」と呼ぶ存在があった。それは叔父様に報告したけれど、そのような年齢の逮捕者はいなかった。だから襲撃には参加していないか、この付近にはいないのだろうと思い深く追求しなかった。
しかし盗賊の頭の口調からして、その少年の情報をもとに屋敷を、そして私を襲ったように聞こえたが……。
「どっかで聞いたような声だな~て思っていたんです」
「それで?」
「はい。その声、前に街に買い物に行った時に、アルの本屋でお嬢様達と話をしていた少年の声そっくりなんですよ!」
混乱は頂点を極めていた。
そして混乱しすぎて、振り切れた針のように、遠くから冷静に見つめる自分がいた。
私は再び、本に目を落とす。ニコが私のために注文してくれたこの本。
一頁一頁、愛しさを込めてページをめくる。そして、書き込みを見つけると、その文字を指で愛情をこめてなぞった。
「ルイス様の字……」
そう、その本は森の家にあった本と同じ内容の本ではなく、ルイス様の本そのものだった。ふと気になることがあった。アルに質問する。
「私……これと同じ内容の本をあなたの店で買ったわ。その本はいつからお店にあったの?」
アルは困惑したように首を振った。
「何かの間違いではありませんか? うちの本屋はこのような高価な本を扱うような店ではありません。私がこの本を見たのは、お嬢様が抱きかかえているその本が初めてです」
私は「やっぱり」と笑いたい気持ちにさえなった。何もかもが仕組まれたことなのだ。ニコをアリアナの兄と勘違いさせるのも、この本を入手させるのも、盗賊が屋敷を襲撃したのも。
「おじょおさま、私もその本を見たことがないと思ったけど、お店の値札がついていたから売ったの。……だめだった?」
アリアナは涙目でアルと私を交互に見た。
「そんなことないわ」
微笑みを作って、頭を撫でてあげれば、アリアナはほっとしたように力を抜いた。
ひらりと本に挟まっていた紙切れが落ちた。
それを拾い、目を通す。
そこには、来年の春から私も通うことになる王立魔法学園の紋章と、貴族めいた飾り文字で一言書いてあった。
「また会おう ニコラウス」
これで領地編もおしまいです。後に引きずる終わり方で申し訳ありません。
黒幕の正体に、皆さまの反応がどう出るかけっこうハラハラしております(-_-;)