62 盗賊の頭の目的
「あなたがあの時、この場所に来てくれたことは神に感謝するのみだわ」
「ええ、お嬢様からの手紙をもらった時には、他のクエストを受けていたので、すぐにこられなかったのが幸いしました」
「……その、わたしのことはユリアと呼んでもらえないかしら?」
「はい。ではユリア様と」
「私はダンとガウスと呼んでもいい?」
「もちろんです」
二人は戸惑ったように笑った。それもそうだろう、平民の自分たちを呼び捨てにされることはともかく、初めて会う伯爵令嬢に名前呼びを許可されたのは破格の扱いだ。戸惑うのも無理はない。本当のことを言うと、前の人生のように呼び捨てにしてもらいたいところだが、今の人生そうもできない。
「ところでユリア様、手紙に書いてあった件なのですが……」
「ええ。私はあなたの妹さんを救える薬を知っているわ」
二人の顔が歓喜に輝いた。二人には申し訳ないが、話には続きがある。
「でもあなたに伝えることが二つあるの。一つは、その薬を作るのが私だということ。こんな子供が作る薬を信頼できるなずがないけれど、できれば任せて欲しいの……」
そう。いくら私の中身は五六歳で薬師の経験が豊富だと言って、それは前の人生での話。今の私は、学園にさえ行ってないただの子供だ。そんな子供が薬を作ると言っても信頼してもらえるはずが……。
「ああ、それは大丈夫です」
「え?」
「あれを見れば……」
ダンのさした指の先には、窓の外にヘンゼフの姿が見えた。小山が移動しているのかと思うくらいの筋肉の塊で、気持ち悪いという他なかった。
そのヘンゼフが扉がバンと音を立てて開いた。
「大変です!」
中に飛び込んできたのは、幼顔で首から下の筋肉が異様に発達したヘンゼフだった。もうすでに会っているのか、冒険者二人もヘンゼフを見て何とも言わなかった。
「なんですか、行儀の悪い」
アリスさんが、腰に手を当ててヘンゼフをしかる。
「母さん、それどころじゃないんだよ! お嬢様、鴆が盗まれました!」
「一体どういうことなの!」
ヘンゼフが言うには、あの時、呼びに行った鴆討伐部隊は、街のそばまで戻ってきていたらしい。そこで屋敷の……というよりも私の窮状を知って、こぞって皆が助けに来てくれたらしい。ありがたい話だ。皆は一刻でも早く屋敷に駆け付けようと、余計なものをすべて放り投げ身軽になった。その中には、採取した鴆の獲物などもあったらしい。ただし、さすがに貴重な鴆には、見張りを数人つけて輸送を続けたそうだ。子供である鴆は、それほど大きくはないが猪ほどの大きさがあり、さらに毒に触れないように大きな荷車に乗せて運んでいた。
混乱のさなか、その鴆の死体の確認が遅れた。叔父様が指示を出した時には、鴆は跡形もなく姿を消し、代わりに見張りにつけた兵士の死体が森の奥で見つかったそうだ。
「どうしてそんな……」
鴆は扱いずらい素材だ。その毒は快楽性のある麻酔成分とはいっても、調整が難しく、量を誤れば容易に昏睡し意識が戻らなくなる。
ふと盗賊の頭が言っていた言葉を思い出した。
「麻薬……」
その場にいた全員が、ぎょっとした顔で私を仰ぎ見る。
麻酔と麻薬は言葉は似ているが、全く違うものだ。麻酔は痛みなどを遮断するが、麻薬は脳に作用して興奮を高めるものだ。ただ、鴆の毒は麻酔薬とはいっても快楽性がある。その快楽を得るために、文字通り身を滅ぼす人間もいるほどだ。
しかしその危険な鴆の毒による昏睡を確実に引き戻せるものがあるとしたら……。
「……!!」
思わず息を飲み込んだ。そう、鴆の毒による昏睡を確実に引き戻せるものがある。私はヨーゼフのために気付け薬を作った。糞に含まれている鴆の毒に対する拮抗成分を抽出したものだ。だから確実に鴆の毒の昏睡を覚ますことができる。討伐隊は、それを吸引したことで、鴆の毒に侵されなかったことでも証明済みだ。
鴆の毒を利用して快楽を得て、時を見計らって誰かに気付け薬をかがせてもらう。これは完全に管理できる麻薬のようでな物ではないか。安全が保障されているとなれば、堕落した金持ちなどはこぞって、鴆の毒の快楽に身を沈めるかもしれない。
でもいくら鴆の羽に毒が付いているとはいっても、鴆は希少な魔物であるし、その羽自体もそれほど多くはない。それで暗黒街を支配するほどの麻薬を?
ぐるりと見渡して、ヘンゼフと目が合った。
「鴆の死体……」
確かに、羽には毒がある。それは鴆の体内で産生された毒が、毛づくろいなどにより唾液から羽に移行するものだ。そして鴆の体内には、唾液袋がある。濃縮された、多量の鴆の毒。その唾液袋は鴆の死体から採取することができる。
鴆の死体と、その気付け薬を作る私を確保するか、レシピを奪えば、確かに盗賊の頭が言ったように「暗黒街を支配」するくらいの金と力が手に入るだろう。それが盗賊の頭の狙いだったというわけだ。
恐ろしさに、身がすくんだ。自分の身の安全を危うんでではない。私のせいで、何百、何千、何万もの人々がその麻薬で苦しむことになるのではないかと恐れたのだ。
でも、その気付け薬のレシピは誰も知らないはず。ヨーゼフが危篤の時にただ、ひたすら強さだけを求めて作った即席に近いレシピだもの。あの盗賊の頭が知っているはずがない。
でも、それなら何故、盗賊は屋敷を襲撃したの? 前の人生で、こんな風に屋敷が襲われたなんて記憶はないわ。歴史が……変わった? 誰か前の人生のことを知っている人がいるっていうの?
いくら考えても分からなかった。そして不安ばかりが広がっていった。
「大丈夫ですか? お嬢様」
気遣わしげな表情のミーシャが、私の顔を覗き込んでいた。
「ええ、大丈夫よ」
無理矢理、笑顔を作る。ひきつってはいるが、ミーシャは何も言わなかった。ミーシャの後ろにいたダンと目が合った。
「ダン。申し訳ないけれど、薬はできないかもしれないわ」
「それってどういうことなのよ! 話が違うわ!」
ダンの代わりに、ガウスが怒鳴りつける。つかみかかろうとするガウスを手で押さえるダンも困惑した様子だ。
「さっきの話の続き。二つ目にあなたに伝えなきゃいけないことだけど、薬の材料は調合室を爆破させたときに無くしてしまったの。でもそれは、また入手可能なはずだったんだけど、さっきの話からそれもできなくなったの」
今までの話を聞いていたダンが、顔をさっと上げる。
「それは、鴆の……」
私はコクリと頷いた。
ダンはうつむいて、何かを逡巡したいたようだが、やっと頭を上げた。
「鴆の羽があれば、なんとかなりますか?」
「それは……ええ、多分」
「……多分、それならなんとかできるかもしれません」
「『なんとかできる』ってどういうこと?」
「私達がここに来る前にやっていた依頼。それは鴆の討伐依頼でした」
「鴆の!」
「はい。この街に来て、珍しいはずの鴆がこんなに近距離に二羽もいるなんてと驚いていたところです」
そう鴆は食物連鎖の上に立つ魔物だ。そういう魔物は出生率が低い。十数年に一羽程度しか発見されない。その鴆が近くに二匹もいたとは驚きだ。
「もっとも、こちらの街で討伐の被害はなかったとか……。私達の方は、ひどい有様でした……」
「……」
私の気付け薬がなかったら、こちらでも相当な被害が出ていたことだろう。
「私の実家は薬問屋です」
「ええ、知ってるわ」
ダンの眉がピクリと動いた。
「薬問屋では、商品にならないものでも、いずれ使い道ができるものがあるかもしれないと様々なものを収集するのです。私は、偶然にも討伐した後の鴆の羽を拾い、許可を得て実家に送りました」
「それじゃ……」
「ええ。私の実家に行けば、鴆の羽は手に入ります。これで妹のための薬ができますか?」
私はやっともたらされたいい知らせに破顔した。
「ええ。もちろんだわ」
次話、お父様がやってきます。





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