59 マシュウからの報告
皆さま、お正月はいかがお過ごしだったでしょうか?
また今年も、よろしくお願いいたします。
次の日の朝は、良く晴れた清々しい朝だった。
完璧な身繕いを済ませたミーシャが、お盆に朝食を乗せて部屋に入ってきた。
「いい匂い」
湯気を上げている焼きたてのパンに、ふわふわのスクランブルエッグ。トマトと、紫のオニオンスライスとブロッコリーを添えて。スープはジャガイモのポタージュスープ。
見ただけでよだれが垂れてくる。思えば、夜中に果物を挟んだ軽パンを一個食べただけだ。
「本当は、カリカリのベーコンもお持ちしたかったんですが、お嬢様にはまだ早いかと思いまして……」
申し訳なさそうに、ミーシャは眉を下げる。
「カリカリのベーコンもいいけれど、今はそのほかほかのパンの方を先に食べたいわ」
食欲旺盛なところを見せると、ミーシャは嬉しそうに顔をほころばせた。
焼きたてのパンはしっとりとふわふわで、噛めば噛むほど小麦の甘さが口の中に広がった。スクランブルエッグは、少し生の部分が残るふわっととろっとした感じで、生クリームも少し入っているのか、コクがあり、いくらでも食べられそうだった。野菜はみずみずしく、特にスライスオニオンはピリッと辛くて、より一層食欲をかき立てた。そしてスープ。カリカリのベーコンは無かったけれど、すりおろしたジャガイモを出汁で伸ばしてあり、ほっとするようななんともなつかしい味だった。
気付けばあっという間に完食してしまった。
腹が膨らむと、頭も働き始めて、襲撃後の屋敷の様子などいろいろなことが気に掛かった。
ミーシャも分かる範囲で教えてくれるのだが、結局自分で足を運ぶことにした。
服を整えてもらい、部屋から出ようとすると、扉の前に警護の者がいた。
「お嬢様、もうよろしいのですか?」
いつも通り爽やか笑顔のアランだった。
「ええ、大丈夫よ」
「お出かけでしたら、お供いたします」
チラリとミーシャを見るが、意外なことに平気な顔をしていた。失恋したばかりで、アランの顔をまともに見ることもできないかと思っていたのに。
「ミーシャ……あなたはここに残っていて」
「こんな大事なときにお嬢様から離れるなんでできません!」
アランには聞こえないように、ミーシャの耳元で囁く。
「目の下にクマができているわよ」
ハッとしたように、目の下を手で隠すミーシャ。
「昨日、私に付き添って、ちゃんと眠れていないんでしょ? 残って休んでいて」
「でも……」
「大丈夫、屋敷にちょっと戻るだけだもの。それにアランがいるわ」
アランがミーシャに微笑むと、しぶしぶといった体でミーシャは頷いた。それが、なんだか本当に普通の様子で、ミーシャは失恋を乗り越えたのかもしれない。
「しっかり休んでいるのよ」
そのままアランを引き連れて、吹き抜けの階段を下りて、ヨーゼフの家の居間に出た。
「あらあらあら、もうお嬢様は出歩いてますの?」
「ええ。おはようございますアリスさん」
「おはようございます、お嬢様。そこら辺に父さんと、ヨーゼフがいるはずですから、呼んできますね」
「いいえ、大丈夫です。他に用事もありますので」
「そうですか? 無理しちゃだめですよ」
「はい。あ、今朝のご飯って……」
「私が作りました。お口に合いましたか?」
「ええ、とっても! とってもおいしかったです」
それに対して、アリスさんは返事をすることなく、ニコニコとどこかヨーゼフと似た笑顔を返してくれるだけだった。
「じゃあ、私、出かけてきますね」
「はいはい。行ってらっしゃい。気をつけて下さいね」
「……はい」
私は今までに「行ってらっしゃい」なんて、何度言われことがあったかしら? なんだかアリスさんにそう言われて心の中が暖かくなった気がする。
私が、普通の道を通って屋敷に行くと、屋敷の修復を領兵に指示していたマシュウがすぐに気付いて走り寄ってきた。
「お嬢様、ご無事で何よりです。お加減はいかがですか?」
「ええ、問題ないわ。あなた方は?」
マシュウは、カラリと笑った。
「大丈夫です。みんな無事に逃げられました」
「そう、よかった」
「『神の御使い』様のおかげです」
「……あなたも知ってるの?」
ついげんなりとした声になってしまう。
「もちろんですよ。お嬢様に助けられた皆がそう言っています。特に鴆討伐に行った冒険者と、直接治療してもらった兵士どもは……信者ですね、あれは」
「はっ? なんですって?」
「『信者』です」
思わず憂鬱な顔になってしまったのは仕方ないだろう。それをマシュウは面白そうに見ている。
「冒険者ってやつは、死と隣り合わせな生活を送っているせいか、迷信深いやつが多いですからね、無理もありませんよ。それに死にかけた領兵が自分の腹の傷を見せながら、命を救ってくれた時のお嬢様の様子を涙ながらに語り聞かせるんですから、私ですら『神の御使い様』って跪いて祈りを捧げたくなったくらいです」
「……やめてちょうだい」
マシュウがニヤリと笑う。うちの使用人はどうやら一癖も二癖もある人物が多いようだ。
「お嬢様が止めるまでもなく、すぐにブルーノ様が止めましたよ。
死にかけたっていう領兵の話も、話としてはおもしろいのですが、その腹の傷なんて、うっすらとした痕しかないもんで、ちょっと信憑性に欠けますからね。ブルーノ様の賢明なご判断です」
そこでマシュウの顔が真剣なものに変わった。
「でも鴆の討伐で使われた薬については広く知れ渡っています。屋敷にいる奴らは、そうでもありませんが、街に出るときはちょっと注意が必要かもしれません」
ちょっと心配そうにマシュウは言った。
確かに前の人生でも、よく効く薬の噂のせいで他の薬師に拉致されそうになった。あの怪我を助けられる薬の噂が広まれば、平穏な生活を送ることができなくなるところだった。叔父様の判断に助けられた。
近くでアランも頷いている。同じ心配をしてくれていたのかもしれない。
肩を落とす私に、マシュウは追い打ちをかけるようなもう一つの話をした。
「ロベルトさんなんですが……、逃げた先で何者かに殺されたようです」
さらに血の気がなくなっていくのが分かる。
確かにロベルトは内通者だった可能性が高い。そんな彼に私が望んだのは、公式な裁判を受けることだ。それが殺されるとは……いったい何者がロベルトを殺害したのだろう。
私の顔色を見て、申し訳なさそうにしているマシュウに、無理矢理微笑みを向けた。
「事の真相は、きっと叔父様達、自警団が追ってくれると思うわ。その知らせを待ちましょう」
マシュウはこくりと頷いた。
「あ、調合室の方はそのままにしてあります。片付けていいのなら言ってください」
「ええ。これから屋敷の様子を見に行くところよ。調合室もその時に見てくるわ」
遠くで他の使用人に呼ばれたマシュウはぺこりと頭を下げて、去って行った。
「誰がロベルトさんを殺したんでしょうか?」
思わずといった様子でアランが口を挟む。
「分からないわ。それに何故、ロベルトを殺さなきゃいけなかったのかも」
しばらく私たちは、口を閉じてそれぞれの想いに考えを巡らせた。
これで前の人生のように、ロベルトが代官になり横領や不正がはびこる領地になる未来は変わった。でもそれは私のやり直しの人生のせいで、ロベルトにとっては悪い方に変わってしまった結果なのかもしれない。盗賊の襲撃の引き金が私ならば、ロベルトの死の責任は私にあるのだろうか?
いくら考えても、答えは分からなかった。
新年早々、ロベルトの死のニュースなんて申し訳ありません。
一応、三が日を外しての更新としました。