50 内通者
書庫は火気厳禁でカンテラもろうそくもなかったため、その抜け道を私の光魔法で足元を照らして歩いた。
前の人生で魔法を使って調合をしていたおかげで、緻密な魔法操作はずいぶん得意だ。でも魔力の少なさ自体はどうしようもない。ここまでもずいぶん魔法を使ってきたし、できるだけ魔力を節約したかったが、暗闇の中を歩くことはできなかった。
その抜け道も土魔法で周りを固めたものだった。今回は、ヨーゼフの家から屋敷の道と違い等間隔に支柱が立っている。この上に屋敷があるから、重さで崩れないようにとの配慮だろう。この支柱も魔法で作られたのだとしたら、お祖父様のお友達は魔力も操作性もかなり優れた使い手に違いない。それもヨーゼフが「ご学友」というからには、学園の生徒だったのだろう。在学中にこんな数十年も完璧な状態で残る抜け道を作れるとは……天才なのだろう。
ヨーゼフがふと立ち止まった。その隣に立つと、階段が見えた。その階段は石造りの天井、酒蔵からしたら石造りの床につながっていた。
「この上が酒蔵なのね?」
「そうでございます」
壁にはヨーゼフの家からの通路と同じようなボタンがあった。ヨーゼフがボタンを押す。
しかしその出口はピクリとも動かなかった。
「ほれ、ほれ開け。開くんじゃ!」
何度ボタンを押しても、どんな風にボタンをいじくっても出口は開かない。しばらくボタンと格闘していたヨーゼフは、大きなため息をついて手を離した。
「大きな口を叩きまして申し訳ありませんなあ。この通路はしばらく使わなかったもので、出口の仕掛けが壊れてしまったようでございます。
これでは酒蔵に入ることはできませんなあ。これでは、あの酒蔵の見張りの盗賊を倒すしかありません……申し訳ありませんが引き返しましょう」
ヨーゼフは肩を落として来た道を引き返そうとした。私はヨーゼフの手を取った。
「待って! なんとかなるかもしれないわ」
調合室を出てからずっと手放さなかった薬箱。その中から青のグラデーションの8本の試験管が刺さった木枠を取り出した。これはスラ玉から作った接着剤から溶解剤になる性質をもったクリームだ。
「お嬢様、それは?」
「あなたの歯の治療の時に使ったのと同じものよ」
グラデーションの中の一番端っこの番号8を天井に塗る。これは強力な融解剤だ。試験管の素材に使われている水晶以外はなんでも溶かす。
すぐにジュワジュワっと泡が立ち始め、天井に穴が開いていった。そのときのヨーゼフは、何気ない顔をしながら、軽く口元を触っていた。
そして、石造りの天井が半分ほど溶けたところで、きしむような音がした。
「何の音かしら?」
とっさに、ヨーゼフが私を引き戻す。
バギッ!ズドン!ガラガラガラ!ガシャン!
轟音とともに、煙のような埃と割れたガラス、そしてこぼれたワインが抜け道まで流れ込んできた。抜け道の出口は酒の積まれた棚が置かれていたようだ。操作のボタンは、壊れていたわけではなく、単に酒棚の重りで動かなかったのだろう。
呆然とする間もなく、バンっと扉が音を立てて、盗賊の怒声が響いた。
「お前ら何をやった!」
扉を見張っていた盗賊が酒蔵に飛び込んでくるのが、倒れた棚の隙間から見えた。
「いいえ! 私たちは何もしていません。酒の棚が自然に倒れたようです」
使用人を代表してロベルトが答えた。
盗賊の方は眉をしかめ、倒れた棚のあたりをよく確認もせず、ロベルトの横にいた男性の使用人を殴りつけた。
「大人しくしてろよ!」
「ええ、それはもちろん」
ロベルトがおもねった声を出す。そして盗賊は舌打ちをし、目についた酒瓶を持って扉の外に戻ってしまった。
「大丈夫か、マシュウ……」
殴られたマシュウという使用人が、料理長に手を貸されて起き上がった。唇の端から血が出ている。
「なんだって、棚がこんな風に……」
マシュウが袖で血を拭いながら近づいてきた。
私は念のために、風魔法の一つ【遮音魔法】をかける。
倒れた棚の下の私と目が合うと、彼はかなり驚いた表情をしたが、すぐに状況を理解して料理長に目で合図を送った。料理長は他の男性使用人を集め、力を合わせて抜け道の出口から倒れた棚をどかせた。
人が通れるだけのすき間が出来た頃、やっと目を吊り上げたロベルトがやってきた。
「まったく、何をやっているんだ。彼らの気を引くような真似はやめろ。私たちはここにいれば見過ごしてもらえるんだ」
「それは違うわ」
私が地下の通路からヒラリとメイド服のスカートを揺らし外に出た。ロベルトは私が分からないのか、不機嫌な顔をして睨み付けた。
「お前どこから来た?見ない顔だな。新しいメイドか?いや、その顔は……まさかお嬢様ですか?」
困惑した様子のロベルトが、後ずさった。私はロベルトだけではなく、そこにいる使用人みんなに向けて語りかけた。
「盗賊達は目的を達したら、あなた達を奴隷として売るつもりよ。ここに閉じこもっていては、危険だわ」
「しかし彼らは私とは約束を……」
「盗賊と私、どちらを信用するの?」
「……」
「みんなはどう?ここに閉じこもって、災厄がすぎさるのをじっと待つ?それとも、途中見つかれば戦いになって命が危ないこともあるかもしれないけれど、私と一緒に逃げる?」
私は抜け道の階段を指差した。
使用人はそれぞれ、「奴隷」という言葉に衝撃を受けていた。奴隷制度のないこの国だが、他国にいけばまだその制度は残っている。そして奴隷になったときの悲惨さは、平民にこそ多く知られているものだ。使用人たちは互いに目配せすると、それぞれ頷いた。そして座っていたものは腰を上げ、立っていたものは松明を手にとった。
「いいのかお前ら! ここから逃げれば殺されるかもしれないんだぞ!」
「ロベルトさん。ここにいて奴隷にされるのなんて私はまっぴらです。私たちは兵と違って戦う力はありません。でもだからといって、抗う心を持っていないというわけではありません。私はお嬢様と行きます」
マシュウは固い顔で、ロベルトに答えた。マシュウの後ろには、ほかの使用人が決意を固めた顔をしている。
ロベルトは一瞬、顔を歪めた。
「好きにしろ!」
「ロベルトさんは行かないのですか?」
「俺は……」
「一緒に行かなきゃ殺されるわよ」
「……」
ほかの使用人が逃げるを止めなかったロベルト一人が残っても、盗賊の怒りが彼に向かうのは自然なことだろう。結局ロベルトは、みんなと一緒に行くことになった。
「この階段を下りたらヨーゼフがいるわ。案内は彼に……」
マシュウが階段の下を覗き、また顔を出した。
「下には誰もいませんが……」
確かに階段の下には誰もいなかった。ヨーゼフは書庫に戻ったのかしら?
「それなら、あなたが先導してくれる? 一本道で書庫に繋がっているわ。もちろん書庫に盗賊がいないかを確認してから、抜け道から出てちょうだい。そこにヨーゼフがいたら、彼の指示に従って。もしいなかったら、私は最後に行くからそれまで盗賊に見つからないように隠れていなさい」
松明を受け取って、マシュウは真剣な顔で頷いた。
マシュウを先頭に、下働きの若い男の子や女の子、メイドが続く。そして下僕が下り、最後にロベルトと私が残った。
「お嬢様、先に下りて下さい」
「いいえ、あなたが先よ」
「私は男ですから、何かあったらお嬢様をお守りしなくてはなりません」
確かにそうかもしれない。でも内通者かもしれないロベルトに殿を任せることはできなかった。
「私にお守りはいらないわ」
手のひらを上にして開いた。そこに【ファイア】で小さな火の玉を作った。ロベルトは、真っ青な顔をして大げさに後ずさり、私の命令通り、だまって階段を下りた。そのとき、ふとロベルトが呟く。
「こんな通路があったなんて……。屋敷の見取り図にも載っていなかった……」
「あなたは屋敷の見取り図を見たことがあるの?」
私が聞いているとは思わなかったのだろう。苛立った声をが返ってきた。
「執事長の手伝いをした時にたまたま拝見いたしました」
「……そう」
執事が見るような見取り図に、もしもの時に屋敷の主が避難するための隠し通路など記載するはずがない。避難用通路が載っている見取り図は、金庫に固く保管されているはずだ。
やはり内通者はロベルトのようだ。