45 情報収集
即座に動いたのはヘンゼフだった。
「鍵を閉めます!」
私とミーシャは、訳も分からずぽかんとしているだけだった。そうこうしている間にも遠くで剣戟の音や怒鳴り声、そして悲鳴が聞こえてきた。私達でもやっと分かった。これは異常事態なのだと。
確かに状況が分からない今、下手に動き回るのは危険だ。即座にこの部屋の鍵を閉めて立てこもったヘンゼフの判断は正しい。この部屋にはドア一つしかなく、屋敷とつながっているとはいえ、ここは塔の一番上の部屋。壁を破って横から襲撃されることはないし、塔の外には足場もないため窓からも容易に侵入されない。それに、この部屋に至るには、塔の壁に沿った狭い階段だけだ。立てこもっている限り、そうそう心配はないだろう。
ヘンゼフは鍵を閉めるとすぐに扉の前に、テーブルや書籍など、ともかく重しになるものを積んだ。
下で戦っている誰かが、ここに来るかもしれない?
そう思うとぞっとした。恐怖で胃がひっくり返りそうになる。
ミーシャの顔は青ざめ、体がガクガクと震え出した。きっと私も青い顔をしているのだろう。私はミーシャの肩を抱いて、長椅子に座った。ヘンゼフが冷静に見えるのだけが、唯一の救いだ。
「何が起こっているのかしら?」
「分かりません」
ガンッ!
扉が外から開かれようとした。私もミーシャも、ビクッと飛び上がってしまった。
ガタガタ!ガンッ!
間髪を入れず荒々しく、扉が揺らされる。なんとか扉は持ちこたえたようだ。男の悪態をつく声が扉越しに聞こえた。そしてつかの間、静かになった。
「行ったのかしら?」
「いいえ、きっと……」
ヨーゼフは扉の前に置いたテーブルを扉の方へ強く押した。
扉の外から男たちの揃った声がした。
「「「せーの!!!」」」
ドンッ!!!という今までにないような大きな音がした。どうやら、何人かの男たちが揃って扉に体当たりしたようだ。
しかし、先ほどまでのガタガタ揺れていたのと違って、ピクリとも動いていない。
間に合ってよかった……!
私は、とっさに扉とその金具に【固定】、そして扉の重しにしているものに【荷重】の魔法をかけた。威力の弱い私の魔法では一回の体当たりで、綻びが生じている。何もしなかったら、扉は破られていたかもしれない。
嫌な汗が、額をたらりと流れた。
扉の外で、何かぼそぼそと相談する声が聞こえたが、内容は分からなかった。そして、静かになった。
私は息をするのさえ忘れるような緊張の中、魔法を解くことなく綻びを修復した。
「どうかしら?」
「分かりません。扉の外には、見張りがいるかもしれません」
ヘンゼフが答える。
「何者なのかしら?」
「さあ」
「剣を使って屋敷に押し入るってことは、敵なのよね」
「そうだと思います」
青い顔をしたミーシャが涙を浮かべて、ヘンゼフの顔を見入る。つかの間、ヘンゼフはデレッとした顔をしたが、すぐに引き締めた。
「それにしても、よりにもよって領兵や護衛のいないこんな日に……」
「そうじゃないかもしれません」
見たこともないような厳しい顔をしたヘンゼフが答える。
「『そうではない』?」
「はい。これは偶然ではなく、領兵や護衛のいない日を狙われたのでしょう」
「今日を狙って?領兵や護衛がいなくなる……そうさせた人……これは叔父様が仕組んだことだというの?」
ヘンゼフは虚を突かれたような顔をした。そして少し考え込んでから、首を振った。
「それも分かりません。でも、ブルーノさんは領民には優しい方です。領民出身者ばかりの領兵や、お屋敷の使用人をこんな風に襲うなんて、ブルーノさんらしくないような気がします」
「叔父様は関係ないってヘンゼフは思うの?」
「それも分かりません。なんとか、情報を得ないと……」
ヘンゼフは、ふとひらめいた顔をした。
「お嬢様、アレを下さい」
「アレ?」
「はい、じいちゃんのために作った『聴拡丸』です!使ってないから、まだあるはずでしょ?」
「あるにはあるけれど……。でも聴拡丸を使っても情報収集どころか、また気を失うのがオチよ。私が使えれば良いんだけれど、魔法と身体強化薬と併用もできないし……」
集中力を使う魔法は、一時的に脳を変質させる身体強化薬と併合することはできない。
ヘンゼフはこんな状況なのに、あっけらかんと笑った。
「大丈夫ですよ、お嬢様。二回目だからなんとかなります。まあ、一回目は臭いの方だったから勝手はちょっと違うかもしれませんけれど」
「私だって、使い方をマスターするためには何度も気を失ったのよ。それを……」
ヘンゼフは、やれやれという具合に肩をすくめた。
「だいたいお嬢様ができないなら、僕以外誰ができるっていうんですか」
確かに、ここにはヘンゼフと私、そしてミーシャしかいない。情報は喉から手が出るほど欲しい。一般の薬師が作った聴拡丸ではできなくても、私の薬なら探れるはずだ。ここはヘンゼフに賭けるしかなかった。
「お願いするわ」
「へい!がってん承知の助です!」
「……やっぱり不安だわ」
さっき整理したばかりの薬箱から、震える手で聴拡丸を取り出してヘンゼフの手に一粒乗せる。ヘンゼフは戸惑いもなく、水もなしに、ぐっと飲み込んだ。
一瞬、うつろになったヘンゼフの目が何かを見つけたように床下を睨んだ。
「ヘン……」
ヘンゼフは唇に人差し指を押し当てる。
そうだった。聴拡丸を使っている時に、近くて物音を立てるのはご法度だった。
じりじりと焦りながらでも、ヘンゼフが情報を取り終わるのを待つしかない。
ヘンゼフの視線が動いた。しかし人差し指は唇に当てられたままだ。
つばを飲み込むのさえ、ヘンゼフの邪魔になると我慢する。聴拡丸の効き目もそんなに長くはない。それなのに、ひどく長いこと時間がたった気がする。
最後にヘンゼフは外に目を向けて、やっと人差し指を唇から離した。
「どうだった?」
「???」
不思議そうにヘンゼフは首を傾げた。
そうだった。五感を刺激するこの身体強化薬のシリーズは、効果が切れると、その感覚がしばらく麻痺するっていう副作用があったんだった。
私は即座に筆談に切り替える。
『どういう状況なの?』
「このお屋敷を襲ったのは盗賊でした」
『盗賊は叔父様が捕らえたはずでしょ?』
「捕らえたのは下っ端だけで、上の者は無事だったようです」
『じゃあ、屋敷を襲っているのはその復讐?』
ヘンゼフは、軽く首を振った。
「どうやらやつらの狙いは……お嬢様のようです」