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43 ミルクセーキ




 調合室に着いた途端に、窓のガラスを雨が降り始めた。急に気温が下がり、肌寒くなった。いつもなら、ミーシャが竈に火を入れてくれて暖を取るところだが、固い顔をしたミーシャはこの寒さにも気づかないようだ。

 魔法で竈に火を灯すと、ぽうっと空気が緩んだ。しばらくその炎を見ていたミーシャだが、急にはっとしたように動き出した。


「お嬢様、お茶をお入れします」

「いらないわ。それより、あなた少し座って休んだらどう?」

「そんなとんでもない。お菓子の準備をします!」


 食器棚に行こうと、急に背中を向けたミーシャの手を取った。緊張したように、ピタリとミーシャは動きを止めた。


「ミーシャ、ここにはあなたと私しかいないのよ」

「何言ってるんですか。私なら……私なら、だ、だ、だいじょ……お……ふ、ふぇ、ふぇ、ふえええーん」


 ミーシャは、幼子のように泣き崩れ、足をWの字にして、ぺたりと床に座り込んだ。

 雨は激しく窓を叩きつけ、その音でミーシャの泣き声を覆い隠した。

 私は、ミーシャの肩を抱きながら背中をポンポンと一定のリズムで叩く。


「頑張ったわね」

「ふえええーん」

「あそこで泣き出さないなんて、偉かったわよ」

「ア、アランさんがぁ……ええーーん」

「ええ、私も聞いていたわ」

「お、奥さんと、子供がぁ……」

「そうね」

「私の事は眼中になかったんです。最初からああああ」

「よかったわね。あなたの好きになった人は誠実な人なのよ」

「そっ、そうなん……ですうえええええん」


 正直に言えば、アランの態度は誤解を招くものだと思った。

 でも、よくよく考えれば、確かにアランは私、つまり職務優先だった。けっしてミーシャを誘惑するような真似はしていない。過剰な美辞麗句も、貴族に仕える身には自然と身に付くものだ。

 それにアランの歳で結婚しているのは珍しいことではない。冒険者と違って、兵士や護衛といった安定した固定給がある男は女性に人気があり結婚も早い。おまけに、女性の警護では余計な噂をさけるために既婚者が選ばれることが多いため、腕に自信がある者は早めに結婚してしまう傾向がある。

 未婚の令嬢の護衛は既婚者。それはほぼ常識であったにも関わらず、失念していたのは貴族の慣習を前の人生の間にほぼ忘れていたからだろう。


 ミーシャに「なんで確認しなかったの?」と聞くのは必要ない。きっと本人が一番それを悔いているはずだから。私は、ただ寄り添うだけでいい。

 しゃくりあげていた泣き声も徐々に落ち着いてきた。

 竈に火があるとは言っても、いつまでも床に座っていたら体が冷えてしまう。私はミーシャを長椅子に移した。


「ぎゅってして下さい」


 ミーシャと一緒に寝椅子に横たわって、抱きしめた。一度落ち着いた涙が、再びミーシャの瞳から溢れ出した。


「大丈夫だから……」


 胸の中のミーシャにささやく。


「大丈夫だから……、私はずっと一緒だから」


 コクリと頷くと、しばらくしてミーシャは眠ってしまった。




 一時は激しく降った雨も、今はしとしとと優しい音を立てている。私は窓際の椅子に腰掛けて、アルの本屋で買った本を開いた。ペラリペラリとページをめくる音と、雨の音、そして安らかなミーシャの寝息だけが聞こえる。

 しばらくすると、寝椅子にかけた毛布がもぞもぞと動いた。


「起きた?」

「あれ……私?……あ、そうだ……」


 ミーシャは途端にまた涙ぐむ。


「失恋に効くお薬を作ってあげるから、まだ休んでいていいわよ」

「……はい」


 ミーシャは背中をこちらに向けて大人しく横になった。


 私はミーシャが寝ている間に厨房で材料をもらってきていた。


 まず鶏の卵を割り、黄身だけを鍋に入れる。そこに砂糖を少し多めに入れた。風魔法を使って、しっかりと混ぜ合わせる。

 混ざったら牛乳を加えて混ぜ、鍋ごと竈にかけた。火が強くなりすぎないように、魔法で火力を調整する。湯気が出始めたら、急いで火から下ろして、素朴な陶器のマグカップに注ぎ入れた。それを二つ。テーブルの上に横に並べて置く。


「できたわよ」


 ミーシャはもぞもぞとテーブルの椅子に移動してきた。でも頭に毛布をマントのように被って、顔だけ出した状態のままだ。毛布の下のミーシャの顔は、目は腫れていて半分しか開いていない。そして不機嫌そうに口角が下がっている。

 私はミーシャの隣の椅子に腰掛けた。


「失恋に効く薬って……これですか?お薬じゃないですけど」


 ちょっとふてくされたようにミーシャは言う。


「いいえお薬よ。鶏の卵黄はストレスや気の乱れを整えてくれるの。そして牛乳と砂糖は心も体も潤いを与えてくれるのよ」

「……そんな風に言ったら、お薬みたいじゃないですか」

「ええ、そうよ。失恋に効くお薬よ」

「アランさんを忘れるお薬はないんですか?」

「都合よくアランのことだけ忘れる薬はないわね」

「……そうですか」


 への字口のままのミーシャは、ようやく両手でマグカップを持ち上げた。


「温かい」

「どうぞ召し上がれ」


 そろりとマグカップに口をつける。そして、ずずっとはしたない音を立てて、ミーシャは一口飲み込んだ。


「おいしい!」


 ぱっと輝く表情。この瞬間だけはアランの事を考えていないのだろう。

 その後、ミーシャは一気に飲み干した。ミーシャの顔に、わずかに笑顔が戻った。


「これ、やっぱりお薬じゃなくてお料理ですよね?」

「お薬の調合もお料理も同じものだわ」

「そうなんでしょうか?」

「ええ。どっちも決まった材料を決まった分量で、決まったように加工するのだもの」

「まあ……そう言われてみると」

「それにそれを食べたり飲んだりして健康になったり、体を悪くしたりするのも一緒でしょ?そういうのを昔から医食同源って言うのよ」

「そうなんですか……」


 ミーシャはまたもやちょと不満顔になった。珍しいことに、ミーシャは私に甘えているのだ。その八つ当たりに、私はくすぐったくて笑い出したいような気持ちになった。


「お嬢様は、私にはちゃんとしたお薬つくってくれませんよね!」


 空になったマグカップを、ずいっとテーブルの奥に押し出した。


「そうだったかしら?」

「はい。美顔薬って頼んだ時も、紅茶のパックだったし、失恋薬って言っても……これ何っていう料理なんですか?」

「ミルクセーキ」

「そう、ミルクセーキだし。どうしてちゃんとしたお薬をつくってくれないんですか?」

「必要ないからよ」

「そんなことありません!」

「お薬には効果に応じて副作用もあるの。あなたは若くて健康で、しなやかな心も持っているもの。今は辛いでしょうけれど、時が癒してくれるわ。そして、また新しい恋をするのよ」

「……なんだか、お嬢様のほうがお姉さんみたいです」

「私の前の人生の話を忘れたの?」

「そうでした。精神的にはお姉さんでした」

「お姉さんっていうよりも、おばさんだけどね」

「お嬢様は、前の人生で失恋したことあるんですか?」

「……エンデ様」

「あの人はノーカウントです」

「それ以外は失恋どころか恋愛さえないわ。恋したのは、会ったこともないルイス様だけよ」

「ルイス様が、ハゲでもデブでもおじいさんでも好きですか?」

「ええ」

「ふうぅん。それならいいです」

「何がいいの?」

「会ったこともない人を好きになったっていうから、どんな美青年や好青年を妄想していたんだろうって心配していたんです。でも、どんな外見でもルイス様ならいいっていうのなら……それならいいです」

「まあ」


 私は正直にいって驚いた。会ったこともない相手に恋しているなんて、自分以外の人間だったら大馬鹿者だと言っているところだ。ミーシャも、前の人生のことは分かってくれても、ルイス様のことには反応が鈍かった。それを認めてくれたのだ。


 ミーシャは、上目遣いになり、唇を尖らせた。


「そんな風に……お嬢様みたいに誰かを好きになれるなら、また恋愛するのもいいですね」

「それって、あなたのこと?」

「はい。でも今は……」


 ミーシャは空のマグカップを私にずいっと差し出した。


「失恋のお薬、お代わり下さい!大盛りで!」

「はいはい」


 どうやら外の雨も上がったようだ。





この後、閑話を1話挟んで1週間更新をお休みします。

何故かというと……


短編を書きたくなりまして(^_^;)

だって異世界「恋愛」ジャンルにも関わらず、誰も恋愛に発展していないっていうこの状況……Orz

最後の頼みの綱だったミーシャちゃんも失恋しちゃったし。あの執事見習い未満の男の子は問題外ですし。


こうなると私に恋愛小説が書けるのか?とふと疑問になりまして。

なので短編で恋愛リハビリしてきますぜ!

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