34 気力
心臓に持病を抱えていたヨーゼフ。
私はヨーゼフを助けるために薬を作っていた。しかしヨーゼフは私と婚約目前だったエンデ様に殴られて、その命は風前の灯火になってしまった。
大切な人を救えないなら、私はいったいなんの為に人生をやり直すことになったのかしら。
またヨーゼフを失うの?そんなの耐えられないわ。
「あとは本人の気力次第です。せめて意識だけでも戻れば違うのですが……」
医師は残念そうに言う。
医師の言葉は正しい。前の人生で何人もの死に際に立ち会った。大したこと無い怪我や病気でも、気力がないと命を亡くしてしまうこともある。反対に、さすがにもうダメだろうというような重病や大怪我でも気力で生き残ったりする人がいる。「気力」とは、つまり「生きたいという気持ちの力」なのだ。それは愛情でも執着でも、憎しみでもいい。強い強い気持ちだ。死をも蹴り返すほどの。
ヨーゼフはどうだろう。家族や私、伯爵家に愛情を持っているのは分かっている。でも死から逃れる程なのだろうか?それに歯や耳の治療をしたことで、コミュニケーションが取れるようになり、しきりに「もう思い残すことはない」と言っていた。それは、どこまで本気なのだろうか?ヨーゼフが執着しているものはある?憎んでいるものは?
考えれば考えるほどヨーゼフをこの世に縛り付けるものが希薄に思えてきた。むしろ、ヨーゼフは死んだお祖父様に会いたいんじゃないのかしら?
ダメ。お祖父様のところには行かせないわ。
私のわがままだって分かっている。でも嫌なの。
でも、どうすれば……。
医者はなんて言ったっけ?
『意識でも戻れば』……?意識を……もどす??
あっ!気付け薬!気付け薬ならできるかもしれないわ。
気付け薬は、血液の流れが滞り脳への酸素供給が低下して気が遠くなったのを、強い刺激を瞬間的に与えて血のめぐりを改善し、脳の状態を回復させるものだ。この刺激は、ぎゅっと握ったように一瞬だけ心臓を強める。
気付け薬は酒精の高い酒や、刺激の強い嗅ぎ薬が多い。今の状態では薬を内服できないヨーゼフでも、嗅ぎ薬ならもしかして……。
でも今のヨーゼフにそんな薬を使ったら、かえって心臓の負担になるんじゃないかしら。
少しの間、逡巡したが、青ざめたヨーゼフの顔を見て心を決めた。このままでは、どっちみちヨーゼフを失うことになってしまう。
私は駆け出した。
私の後をミーシャだけが走って追いかけてきた。
調合室に飛び込む。乱暴に開けられた扉の振動が窓辺のサンキャッチャーを揺らした。サンキャッチャーは、外の光を取り込み、妖精のような光を部屋に投影する。
いつもなら幻想的に思えるその光景も、今ばかりは少しも心を惹きつけない。
「確か、ここに。いえ、あっちだったかしら」
ここかと思った棚の箱、引き出しを片っ端から開けていく。いつもなら素材が混じらないように、出したものを片付けてから次のものを出すのだが、今はそんな時間も惜しい。
目的の素材を探しているうちに、テーブルにはいろいろな素材がみるみる積み重なってしまった。
「……ど、どうしよう。見つからないわ。そんな馬鹿な!」
視線を一所に定められず、爆破の火の粉のようにあちらこちらに目がさまよう。肩に力がこもりすぎて、手が震える。
「ああ……こっちでもない」
さらに違う棚のすべてを開け放つ。
震えが全身に及ぶ。恐怖でどうにかなってしまいそうだ。
「早くしないと、ヨーゼフが……、ヨーゼフが死んでしまうっていうのに!」
癇癪を起こし、思わず箱を床に投げてしまった。薄い甲殻の素材が、シャリンと涼やかな音を立てて砕けた。
「あ……」
どうしていいのか分からなくて、膝を床に付き、小さくなって震えている私の手を、そっとミーシャの手が包んだ。
「……ミーシャ?」
穏やかな微笑みのミーシャが私と同じく跪いていた。
「大丈夫です、お嬢様」
ミーシャがコツリと私のおでこに自分のおでこを軽くぶつけ、目を閉じた。
「執事長がこんなに心配しているお嬢様を残して逝くわけがありませんわ」
「そんなことないわ。前の人生では……ヨーゼフは私を置いて逝ってしまったの」
あの時の絶望。底の見えない崖にたったときのような恐怖。
「それはエンデ様にトチ狂っていた前のお嬢様です。今回は違いますわ。今はお嬢様がこんなに近くにいるんですもの。執事長も自分が死んだら、お嬢様が悲しむのを分かっているはずです。だから絶対に死にません!」
「そんなの……分から……」
「ぜ・っ・た・い・に大丈夫です!だからお嬢様はしっかりして、ちゃんと薬を作って下さい」
ミーシャに力強く握られた手の中で、私の手の震えは少しづつ治まっていった。
そうだわ。私が出来るのは薬を作ること。
大きく息を吸って吐き出した。そして、ミーシャに向かって言った。
「鴆の糞が必要なの。お願い、助けて」
山での採取の時に、ヘンゼフに鴆の糞の採取を命じた。毒の付いた羽と違って、糞はそれなりの量が取れたはずだ。
強力な麻酔効果を持つ鴆は、自家中毒にならないように体内で麻酔作用を打ち消す成分を作る。体内で消費しきれなかったその成分は、糞と一緒に排泄される。鴆の糞、それ強力な気付け薬の材料となる。鴆の毒によって天国を夢見ていた鴆の獲物も、きっとその糞から作られる気付け薬を嗅いだなら、とたんに今が地獄なのだと思い出すだろう。
私が作りたいのは、ヨーゼフを引き戻す、そんな薬だ。
「鴆の糞ですね」
魔法のように、目の前に鴆の糞が現れた。
あ……!私自身が保存魔法の【タイムキープ】をかけたんだった。なんで忘れていたんだろう。
保存魔法は個別にではなく、場所にかけるものなので、他のものと一緒に一箇所にまとめているのだった。
ミーシャを見ると、微笑んで励ますように頷いた。
さっきまで、恐怖と緊張で冷たかった心と体に、柔らかな火が灯る。
……ああ、大丈夫。きっと大丈夫だわ。
私も、ミーシャに頷きを返した。
緑色の泥団子のような鴆の糞。それを見る目は確かな自信があった。
「さあ、薬を作りましょう」
2018.1.28
話の順番を入れ替えております。
↓↓↓ は反省の意味を込めて当時の後書きのまま掲載しています。
次、またヨーゼフの昔話です。
しばらく本編とヨーゼフの話を交互に連載します。
このヨーゼフの話は閑話ではなく挿話です。
ちなみに閑話は「暇にまかせてする無駄話」という意味で、挿話は「本筋とは直接関係ない短い話」という意味だそうです。