閑話 ある少年の日常①
僕はヨーゼフ・シュラン。オルシーニ領主館で下僕見習いをしている。
僕の一日の始まりは早い。
「ヨーゼフ!起きなさいって、仕事に遅れるでしょ!ご飯を食べる時間もなくなるわよ」
「うーーん、母さん、もう少し。あと3時間だけ……」
「ふざけないで!」
僕は下僕見習いでありながら、実家暮らしができるのは、おじいちゃんが屋敷の使用人家族棟を借りているからだ。
おじいちゃんの朝は、僕よりももっと早い。体の具合はあまり良くなさそうなのに、大丈夫なんだろうか。
職場であるお屋敷に歩いて向かう。走れば3分なのだが。
「おはようございます。マシュウさん」
「……お前、遅刻だって分かっているよな?」
「はい。今日もがんばります!」
靴を投げられた。解せぬ。
マシュウさんは僕の先輩だ。長いこと下僕をしている。
お屋敷の男の使用人には階級がある。女はまた別だ。
一番上が執事。その執事の一番上が僕のおじいちゃんだ。といっても今は執事はおじいちゃんしかいない。屋敷の全てを取り仕切るのが仕事。おじいちゃんはよぼよぼだから、執事長の次の位の侍従であるロベルトさんが補佐をしている。
侍従は旦那様やそのご家族に直接奉仕する仕事。旦那様が帰ってきた時は、もちろんロベルトさんが奉仕している。執事の仕事もしながら。ロベルトさん、超優秀。
一番多いのがその下の下僕。何でもする。清掃、給仕、装飾品や美術品の管理、ときには馬の手配。下僕は5人いる。
そして最後に下僕見習い。今のところ僕だけだ。普通、1年下僕見習いをしたら下僕になる。でも僕はもうすぐ3年になる。耳の悪いおじいちゃんに文句を言ったら、通じたかどうか分からないけど、背中をバンバン叩きながら『どんまい』って言ってくれたような気がする。
僕の今日の仕事はなんなのかを聞くために、執事長室へ行く。
コンコン
「おじいちゃんいる?」
「2回ノックはトイレだ。部屋に入る時は3回か4回ノックするように」
僕は一歩戻って、扉を追加で叩く。
……コンコン
「……まあ、よろしい。執事長はいない。何の用だ」
「あ、ロベルトさん、おはようございます。今日の僕の仕事を聞きに来ました」
「そういったことは朝礼で伝えたはずだ。ああ、君はいなかったな」
「すみません。寝坊しました」
手は脇に添えて指先までピンと伸ばし、腰を90°折り曲げる。
「どっちみち君はいてもいなくても同じだ。仕事?昨日と同じだ。姿を見せるな」
「はい、かしこまりました!」
ロベルトさんに姿を見せないようにするのは意外と難しい。仕事熱心なのか、いろいろなところに現れては、よく他の使用人を怒っている。そこで鉢合わせしちゃうと、苦々しげに睨みつけてくる。ロベルトさんは超優秀だ。けど、なんかおっかない。
今日も、ロベルトさんを回避するために、居室やら廊下やらをぶらぶら歩いていた。
ドンッ!
「ってえ」
「あ、すみませんヨーゼフさん」
「ニールか。前見て歩けよ!って言っても前が見えなかったのか」
僕達の周りには山のようにたくさんの本が散らばっていた。それを積んで運べば、ニールのちっこい体じゃ前が見えるわけない。
「手伝ってやるよ」
「ほんとですか?ありがとうございます」
「いいって、お前は唯一の俺の後輩だからな。とはいっても、お前はとっくに下僕になっちまってるけどな」
「すみません」
「謝んなって」
「でも、ヨーゼフさんもきちんと仕事をすればすぐに下僕になれると思うんですけど……」
「仕事してるつもりなんだけれどな」
「ヨーゼフさんが後輩の僕に最初に教えてくれたのって、手の抜き方じゃないですか?」
「ああ、お前真面目だから涙目になってたっけ」
「ヨーゼフさん、手を抜いているっていうか……、もっと何でもできるのに出し惜しみしている気がするんです」
「そりゃあ、買い被りってもんだよ。でも仕事は楽しくないなあ。あーあ、どっかに強くて面白くてうきうきするような毎日をくれるようなご主人様いないかなあ」
「あわわ。ヨーゼフさん、不敬になりますよ」
「だよなあ」
拾い集めた本の半分をニールと一緒に図書室へ運んでやることにした。
「それにしてもなんでこんなに本を集めたんだ?」
「あれ、知らないんですか?お嬢様が今日来るんですよ。しばらく滞在するそうです。だからいろんなところを整理しなくちゃいけなくて、この本はその一つですよ」
「へえ、そうなのか。お嬢様が来るのか。どんな人だろう。お嬢様がきたら、少しは退屈がまぎれるかな」
「退屈するくらいなら、仕事して下さい」
苦笑いのニールだった。