181 母と娘⑤
気付けば、温室の前まで来ていた。
「げっ!」
その声の方を見れば、感傷的な気持ちは吹き飛んだ。
「………………あなた、まだ王都にいたの? ヘンゼフ」
目が痛くなるような真っ赤な髪、そばかすだらけの顔。間抜けかと思いきや、意外と鋭く、人を苛立たせる天才。そして残念ながら私の愛する執事長ヨーゼフの孫。
「いました! めっちゃいました! ずっといました!!」
私の質問に、飛び跳ねるように主張する。
「その割には見なかったわよね?」
「だから、それ、半分はお嬢様のせいじゃないですか!!」
「私のせい?」
「そうですよ。じいちゃんが、お嬢様に聞いたはずですよ! 王都でも冒険者をさせていいかって。そしたらお嬢様ったら、『なんなら、ダンと同じく上級冒険者になるまで戻らなくていわよ』って言ったそうじゃないですか! おかげで特訓計画が組まれちゃってて、ミーシャちゃんの姿を拝む機会もないんですから!!」
「…………そんな事、言ったかしら?」
王都に来てから、いろいろな事があったせいで、ヘンゼフの事まで記憶していない。
ヘンゼフは、こちらにまで「ガ――ン!」と音が聞こえてきそうなくらい、ショックを受けた顔になった。
「あ……、あの猛特訓はいったい何のための……」
「それで上級冒険者にはなれたの?」
「なれるわけないでしょ――!!」
「それじゃ今のランクは?」
「…………級」
「は?」
「初級です!!」
「……ランクアップしていないわよね?」
確か、レバンツで登録した時も初級だったはずだ。
「仕方ないんです! レバンツでお嬢様がいなくなって、必死で探し回って、王都にいると聞かされたら、一も二もなく旅に出て……。レバンツの冒険者ギルドから、昇級ポイントを引き継ぐ時間もなかったんです!」
お嬢様のせいだ、お嬢様のせいだ、と小さくなってブツブツ呟くヘンゼフ。
非常に面倒くさい。
「それで、少しは強くなったの?」
「そりゃ当然ですよ。毎日昼間は冒険者ギルドの依頼をこなして、夜は爺ちゃんの猛特訓。強くなっている……はずです」
「なら、それでいいじゃない。いざという時に、わた……ミーシャを守れるわよ、きっと」
「そうですね!」
立ち直りも早い。
「ところでお嬢様、どうしたんですか? こんな朝早くに」
「え? ああ。エリスさんの様子を見に……。あ、エリスさんって知っている?」
「もちろんですよ。アランさんの奥さんですよね。妊娠している。会ったことはありませんが、あっちの客間でお嬢様の治療を受けているって聞きました」
ヘンゼフがエリスさんの病室の方を指さすと、タイミング悪く指先の方向にお母様がいた。部屋に帰る途中だったらしい。
私は思わず、ヘンゼフの頭を捕まえて、二人して木陰に隠れた。私達に気が付かなかったからか、お母様はそのまま通り過ぎる。
十分、お母様と離れてから、ヘンゼフが「はあっ!」っと大きなため息をついた。
「はあ……怖かった」
「ヘンゼフでも怖いものなんてあるの?」
「そりゃ、ありますよ。あの奥様、怖いですもん」
傍若無人なヘンゼフには珍しい。
「……どんなところが怖いの?」
「まず、顔ですね」
「顔?」
「なんか、何がつまらないのか、いつもブスーっとして、全然笑わないでしょ?」
「言われてみれば……。確かに、そうね」
「それにあの上からな態度。そりゃ貴族で俺達の雇い主ではあるんですけれど、あれしろこれしろ、あれはダメこれはダメって怒りすぎでしょ!」
「……」
それはヘンゼフが何かしたんじゃないかしら?
「それにね、怒ってる時の目が怖いんですよ!」
……そりゃあ、怒っているんですもの。目は怖くなるでしょうよ。
「かと思えば、なんか企んで人を思い通りに動かそうとするし!」
そんな事をお母様がするかしら?
人を動かすよりも、人を避けているようなのに……。
「おまけに、鈍感で腹黒で、確かにじいちゃんを助けてもらったのは感謝して……。あ!」
ヘンゼフは自分の口を押さえた。
「ねえ、ヘンゼフ。それってお母様の話じゃなく、私の話よね?」
口を押えたまま、必死に首を振るヘンゼフ。
「素直に吐かないと、また注射するわよ!!」
「ごめんなさ――――い!」
見事なドゲザだ。東の島国の文化に詳しいヨーゼフ仕込みに違いない。
「だって、よく似てるんですもん! お嬢様と奥様!」
ピタリと、私の体は動かなくなった。
「似てる? 誰と誰が?」
「え? お嬢様と奥様に決まっているじゃないですか⁉ その陰険そうな目つきも、言いたいことがある時に何も言えなくなっちゃうのも、素直じゃないところも、人に悪く思われているのが分かっていても言い訳しようとしないところも!」
「……」
「そうだ! それで思い出した!」
「……何を?」
「お嬢様、領地でじいちゃんを殴った、あの変態野郎を覚えていますか?」
ヨーゼフを殴った変態野郎?
「……エンデ様のこと?」
エンデ様は、私と婚約するはずだった人だ。王子様よりも王子様らしいという評判(残念ながら王子様のレベルが低すぎた)の貴公子で、『前の人生』の私は一目ぼれしてお母様に頼み、お父様を飛び越えて婚約の話を持ち込んだ……。
エンデ様は、家柄が良くても金回りが悪く、外見以外に大した才能のない五男でも、婿入りすれば未来の伯爵になれる。それに悪評が高いオルシーニ家でも、その資産はある。それも魅力的だったはずだ。
でも『前の人生』で、従姉妹のフランチェシカと浮気をされ、跡取りが私しかいなかったオルシーニ家は当のフランチェシカに家督を譲るしかなくなった。
そんな人生を再びおくるのは嫌だと、やり直ししてすぐにエンデ様とは婚約を白紙に戻して私は領地に引き込んだ。
しかし、エンデ様は追いかけて来たのだ。
お母様に、私と既成事実を作ってしまえば、婚約できると吹き込まれて。
そこで事件は起こった。
キスを拒まれ、私に新しく好きな人ができたと思い込んだ(ある意味正解だが)エンデ様が私を殴ろうとした。それを身を呈してヨーゼフが庇ってくれたのだ。その時、魔力栓塞で心臓を痛めていたヨーゼフは、瀕死の重体になった。それを引き戻したのが、あの気付け薬だ。
「そうそう。あの変態、そんな名前でした」
ヘンゼフはうんうんと頷く。
……いいのかしら? 確かに私にキスしようとした変態だけど、あれでもコロンナ公爵家の子息なんだけど。
「じいちゃんのところに、あの奥様が来て謝ってましたよ」
「え? お母様が⁉」
「そうそう。あの奥様、お嬢様と同じで、言い訳なんてしないし、話すのが苦手みたいだから分かりづらかったけど……。あれ、エンデって奴の誤解だったんじゃないですかね?」
「誤解?」
「まあ……誤解っていうか、早合点っていうか……。だってお嬢様もおかしいと思いませんか? あの奥様が、あいつをそそのかすほど口がうまいかどうか」
「…………確かに」
お母様は、いい意味でも悪い意味でも素直で、言葉を弄する事はうまくない。確かに、いくらお母様でも、エンデ様を説得して行動させたとは考えにくい。
本当に、誤解?
でも私はその事で、お母様を責めてしまった。
「ま、お嬢様も誤解をしていたなら、さっさと謝った方がいいんじゃないですか?」
「……」
ヘンゼフは空を見上げると、「やばっ! 遅刻だ!」と叫んで、あたふたといなくなってしまった。
私は一人取り残される。
エリスさんと、ヘンゼフが言った『誤解』という言葉が頭にグルグルと渦巻いた。