178 検証する人
私が御典薬の司の部屋で、過去の資料を読み漁っていると、ドアがノックされる。ミーシャが細く扉を開けると、御典薬の一人が来客を知らせた。私がすぐに行く旨を伝えると、ミーシャはすぐに扉を閉めた。
ミーシャは、私がアレックス殿下にラーツェと二人でいる事を揶揄された事で、ラーツェの師匠にならざるを得なくなった事で、決定的に御典薬に不信感を持っているからだ。
私の後ろにぴったりとくっつくミーシャを連れて、私は御典薬の司の部屋から詰め所に出る。すると腰にレイピアを下げて男装をした女性が目に入った。キリッとした表情をしているので分からなかったが、すぐに気が付く。彼女はレバンツからの私に同行し、紫の塔に幽閉された時は世話係となったビクビク侍女。正確には調査部の捜査員、スフィラさんだ。
スフィラさんは、平民出身だが魔力栓塞になる事なく、魔法を使いこなし、生まれつき特に珍しい魔法の素質があった。それが【鑑定】魔法だ。【鑑定】魔法では、魔力の流れや人や物の名前、性質などを知る事ができる。
そうか。薬の検証をするのは、魔道具だという思い込みがあったけれど、確かに優秀な【鑑定】魔法なら可能だ。それに気が付かなかったなんて……。いや、もともと【鑑定】魔法を使える人が、ものすごく珍しいのだ。そこに気付く方が珍しい。やはりラーツェは、人としてはどうかとは思うが、優秀なのだと実感する。
私は納得しかけた。しかしある事に気が付く。
そんなに優秀な【鑑定】魔法だったら、私が国王暗殺未遂容疑をかけられた時にさっさと【鑑定】して欲しかったわ! 陛下の事だから、そうさせないために何か手を打っていたのかもしれないけれど。
陛下の事を思い出すと、どんよりした気分になる。そんな中、御典薬たちの中心でラーツェが、
「よく来たでありますなあ」
と無害な笑顔をスフィラさんに向けた。もちろん、御典薬たちも同様である。
私は、ラーツェの『無害』な笑顔に警戒心が芽生えた。私も、あの笑顔に騙されたのだ。
スフィラさんが、カツンと踵を合わせてラーツェに敬礼する。
「昨日は異臭騒ぎの調査のために、こちらに来れなくて申し訳ありませんでした」
扉のすぐ近くで、両足を肩の幅に広げて、両手を後ろで組んでいるスフィラさんは、背筋が伸びていて、とてもカッコいい。何故だろう。私に対するスフィラさんは、いつもビクビクしているのに、普段はこうなのかしら?
それにしても、調査部なら「異臭騒ぎ」の原因は突き止めている事だろう。とすると、この言葉は謝罪の意味を込めた嫌味なのかもしれない。
さらに私はスフィラさんへの評価を高めた。
「構わないでありますよ。ところで、呼び立てた用件は知っているでありますか?」
「はっ! 私の【鑑定】魔法がご入用と伺いました」
「そうなのでありますよ。王家の秘薬と、我が師匠の薬を【鑑定】して欲しいのであります」
「『師匠』? ルモンド・リー閣下ですか?」
「違うであります。新しい御典薬の司、そして吾輩の新しい師匠なのであります」
ラーツェ様の手の動きに合わせて、スフィラさんの目が私に向く。そこで初めて部屋の中に私がいる事に気が付いたらしい。急に「ヒイイイイ!」と悲鳴を上げて飛び上がった。
……傷つくわ。
「あ……あの。ど、どうして、オルシーニ伯爵令嬢が……?」
ガクガクと震えながら質問する。さっきまでのカッコよさが台無しだ。
「だから、さっきも王家の秘薬と、我が師匠の薬を【鑑定】して欲しいと言ったであります」
「し、し、し、師匠? オ、オ、オ、オルシーニ伯爵令嬢が⁉」
「そうであります。そして師匠は御典薬の司になったであります。それも知らなかったでありますか?」
「は、は、はい」
ラーツェは、わざとらしいため息をついた。
「調査部は知らなかったのでありますか? いくら異臭騒ぎがあったとはいえ、こんな重要な情報はちゃんと把握していないとダメでありますよ」
スフィラさんは、ぐっと詰まった。
……これは、さっきのスフィラさんの嫌味に対する仕返しかしら?
「もう一度言うであります。いいでありますか? 『王家の秘薬と、我が師匠の薬を【鑑定】して欲しい』であります」
「わ、わ、わ、私の【鑑定】で?」
「わざわざ呼んだのだから、当たり前であります」
いつの間にか、お願いする方のラーツェが上手に立っている。
それではいけないと思い、私はスフィラさんに誠意を込めて話しかけた。
「生命の危機にある命が二つあるの。どうか力を貸して? あなたの力が必要なの」
「王家のゆりかご」は、胎児を一日で一週間分成長させる。その間の母体は昏睡状態になり、栄養も生命力も全てを胎児に注ぎ込む。もし解毒させて目を覚ます事ができたとしても、長引けば体がもたない。
エリスさんの場合は五日から一週間位で出産となる。もともと体の弱いエリスさんだ。リンドウラ・エリクシルと気付け薬で、どうにかできるのならば、ちゃんと出産できる日時を見極めなくてはならない。
私の声の真剣さに気が付いたのか、スフィラさんは驚いたように顔を上げた。
「オルシーニ伯爵令嬢……」
心が通じたと思った瞬間、ミーシャがスフィラさんの前に腕組みしながら、斜めに睨みつける。
「あなたがお嬢様をレバンツから連れて行った『侍女』ですね!」
「え?」
スフィラさんは虚を突かれた声を上げた。
それは違う。スフィラさんは『侍女』のフリをした捜査官だ。
「大切なお嬢様の世話を私から奪っておきながら、まともな世話をしなかったなんて! あなたは『侍女』失格です!!」
……まともな世話をしていない? そうだったかしら?
もしかして再会した時に、ミーシャったら私の枝毛が増えていたって嘆いていたわね。その事かしら?
でもスフィラさんは『侍女』ではない。捜査官だ。それに髪くらい自分で梳ける。
私はミーシャを止めようとした。だが……。
「じ……『侍女』……失格?」
スフィラさんは、再び崩れ落ちた。
ミーシャは床についていたスフィラさんの手を救い上げて、両手で包み込む。
「大丈夫です。だれでも最初から何でもできる人なんていないんです。これからきちんとすればいいんですよ。お嬢様だってちゃんと仕事をする人には優しいんですよ」
「……ちゃんと仕事をする人には……優しい?」
ミーシャに手を握られたままのスフィラさんが、うるうると私を仰ぎ見る。
なんで、スフィラさんが落ち込む必要があるのかしら? スフィラさんは侍女じゃないのに。
というか、この光景をどこかで見た事があるような……。
私はこの既視感の元がどこだか分かった。
これ、ヘンゼフが私に仕える事になった時の茶番と同じだわ。
納得して頷いてしまった。
パッと表情が明るくなるスフィラさん。私の頷きを誤解したようだ。
「わ、私。オルシーニ伯爵令嬢に優しくしてもらえるように、がんばります!」
……思っていたのとは違う方向だが、スフィラさんの協力がとりつけられた。