177 陛下の魔力栓塞予防
その日。深夜遅くにお父様は帰宅されたようだ。
なんでも、軟禁まがいの状態で仕事をさせられていたらしい。
……これも陛下の仕業かしらね。この様子だと、きっとルモンドさんもお父様と同じ目にあっているに違いないわ。
お父様は、帰宅途中で私が御典薬の司に任じられた事を知ったそうだ。
朝食時、いつもは無表情のはずのお父様が、見たことがないくらい清々しい笑顔で、どこの国に亡命したいか聞いてきた。
お母様は……、話を聞いているのかどうか分からない。陰鬱な顔で、ただパンをちぎっていた。
朝食が済み次第、私は王宮に向かった。
一つ目の理由は、本当に「王家のゆりかご」の副作用をリンドウラ・エリクシルと気付け薬で打ち消すことができるのか検証を行うためだ。どんな方法で検証を行うのかは、まだラーツェは教えてはくれなかった。
そしてもう一つの理由は、私の御典薬の司としての仕事だ。陛下に魔力栓塞の予防薬を差し上げなくてはいけない。でも私は、ある理由からこれは必要ないと考えていた。
王宮の御典薬の司の部屋に着いた途端、陛下の呼び出しがかかった。
内心では、「すぐにでも検証をしたいのに」と舌打ちをしながら、私を呼びに来た侍従の後をついて行く。そして私の後ろには、魔力栓塞の予防薬を持ったラーツェが付き従った。もちろんその魔力栓塞の予防薬は私が作ったものではない。ルモンドさんが作り置きしていたものだ。
「御典薬の司……ユリア・オルシーニ伯爵令嬢を連れてまいりました」
侍従が重々しい扉の前で、陛下に目通りの許可を求める。
ギッと音をさせて、扉が開いた。
「……よく来たのう」
相変わらず、人のよさそうな顔をしている。でも、この顔に騙されてはいけない。
私は陛下の前で、スカートの裾をつまんで頭を下げた。
「おはようございます、陛下。お加減はいかがでしょうか? 本日分の魔力栓塞の予防薬をお持ちいたしました」
途端に、陛下は人のよさそうな顔をしょげさせる。
「その薬を見ると、途端に、加減が悪くなるわい。死ぬほどまずいでの」
「……」
「そうだ、ユリア嬢。いや、オルシーニ御典薬の司よ。そちに命ずる。その薬の味を整えよ」
私は「やはり」という気持ちで、許しも得ずに頭を上げた。
「…………もしや陛下は、そのために私を御典薬の司になさったのですか?」
陛下は答える代わりに、にんまりと笑った。
まったく勝手な人だ。
私は無礼を承知でため息をついた。
「陛下。毎日、まずい薬を飲まなくて良くなったら、私を御典薬の司から降ろしていただけますか?」
「ほっほっほ。そのような優秀な御典薬の司には、長く仕えてもらいたいものじゃのぅ」
……ダメだ。会話がすれ違う。
だったら、できるだけ接点を少なくしたほうが、私の精神衛生上いい。
「魔力栓塞の予防でしたら、薬を飲まなくてもできます」
「なんと?」
仰天する陛下と、顎をガクンと落として驚くラーツェ。
「し、師匠……。そ、それはいったいどういうことでありますか? 平和な時代の王は、必ず魔力栓塞予防薬を飲んできたであります。そのため、吾輩が御典薬の司だった時は、毎日陛下に薬を差し上げていました。薬を拒否する陛下を説得するのがどんなに大変だったことが……」
「無駄だったわね」
「ユリア嬢よ。どういうことか説明してもらえぬか?」
陛下は身を乗り出す。
「口で説明するよりも、実際に経験なされた方がよろしいかと……」
「うむ。それもそうじゃ」
私は、二人を国王暗殺未遂時に幽閉されていた「紫の塔」に案内した。
「何故こんなところに?」
「もちろん魔力栓塞の予防のためです」
「ここにどんな薬があるというのじゃ?」
「薬ではありません」
「なんと?」
「ここで、思う存分に大規模・広範囲魔法をかけてください。魔法の種類はなんでも構いません」
陛下は、肩をすくめた。
「ユリア嬢よ。ここでは魔法は使えないのを忘れたかね?」
「いいえ。忘れてはいません」
「なら、ここで魔法を使っても無駄になるではないか」
「無駄になるからこそいいんです」
「……というと?」
陛下は先を促した。
「平民の子供がかかる魔力栓塞は、魔力の出口がないことによる病です。ですが、陛下のは違います。膨大な魔力を持て余しての魔力栓塞です。でしたら、使ってしまえばいんです。魔力を。陛下、覚えていますか? 昨日、大規模に【浄化】魔法を使われて、スッキリしたとおっしゃったのを。それと同じことをすればいいんです」
「……なるほど。そうすれば、薬に頼る必要がないというわけか……」
陛下は「どれ、試してみるか」と呟くと、両手を上にかざした。「ふんっ」と声をあげるが、周りにも何か変わった様子はない。しばらくすると、陛下は満足げにため息をついた。
「昨日とは比にならぬほど、気持ちが晴れ晴れとしておる。このような気分になったのは、いつ以来か……」
そして陛下は人のよさそうな顔を、こちらに向けて微笑んだ。
「感謝するぞ。新・御典薬の司ユリア・オルシーニよ。まさか、御典薬が薬も使わずに、この症状を治せるとは思いもしなんだ」
「これからは薬の代わりに、一日一回はこちらで魔力を発散させてくださいませ」
「うむ。そうしよう」
私が再び頭を下げると、陛下は機嫌が良さそうに去って行った。
これで一安心だ。魔力栓塞予防のために顔を会わせる事はないし、もし病気になっても治癒魔法を使うだろう。御典薬の司を辞められなくても、陛下と会う機会を少なくしたのだから、被害は少なくなるに違いない。
ゾクッ!
思わぬ寒気を感じて、自分の腕をさすった。
ふと振り返ると、いったん去ったはずの陛下が、何故か舞い戻りこちらを見ていた。目が合った陛下は、人の好い笑顔を浮かべるが、私の鳥肌はいっそう立つばかりだ。陛下が視線を外し、本当に去って行ったのを確認した時には、へたりこみそうなくらいホッとした。
な、何なのかしら?
私……。もしかしたら、御典薬の司になる以上のヘマをしてしまったのかしら?
私の隣では、ラーツェが呆然としながらブツブツと言っている。
「歴代の御典薬の司が、どれほど代々の陛下に薬を飲ませるのに苦労したことか……。あの苦労はいったい……」
こちらにも、あまり関わりたくないもで、さっさと話を変えることにした。
「さ! これで検証に入れるわね! 検証ってどういう方法なの? 確実な方法なのよね?」
「は、はい。もちろんであります!」
「じゃあ、戻るわよ!」
「は、はい!」