176 拝命
「も、申し訳ないであります。空気洗浄の魔道具を修理に出しているので、窓を開けるように指示したのは吾輩であります!」
ラーツェ様が、アレックス殿下に頭を下げた。
「そ、それを言うなら、気付け薬を作った後に不用意にドアを開けてしまった私のせいよ!」
私は良心の呵責を感じて、こう叫んだ。
アレックス殿下は、私がここにいることに気が付いたようだ。
「オルシーニの悪女が、どうしてここにいる? ま、悪女というには外見が残念だがな!」
アレックス殿下は腰に手を当てて「わっはっは」と笑う。実にバカっぽい。
だから「悪女」じゃありません! そして「悪女」と言われるベアトリーチェ叔母様の娘でもありません!
ターメル様がアレックス殿下に、何やら耳打ちをした。
「ん? ラーツェ様と二人で奥の部屋から出てきた?」
私とラーツェ様の間に視線を行き交わし、アレックス殿下は小さく頷いた。
「そなた、変わった趣味をしているな!」
「……何の話ですか?」
「ラーツェの恋人なんだろう?」
「は⁉」
何を言っているんだか! まったくバカな事を!
……では済まされない。
普通なら、大人であるラーツェ様と学園入学前の子供である私が二人きりでいても、厳重注意をされるだけだろう。ところが少なからぬ人が、私を『オルシーニの悪女』だと思っているようだ。だから子供だろうとなんだろうと、男性と二人きりでいたりしたら……。
サ――ッと血の気が引いた。
せっかくお父様がオルシーニの汚名を注ぐために、貴族院で辣腕をふるって下さっているというのに! 私がオルシーニの汚名の上塗りしてしまうかもしれない!
な、なんていう事なの……。
せめて、あの時、ミーシャをお茶の準備で部屋から出さなければ……。
ターメル様が、ニヤニヤと意地悪な顔で一歩前に出る。
「いっそ結婚されてはいかがですか? それならば淑女としての名は保たれますよ」
アレックス殿下とセイリン様は、その言葉を聞いて爆笑し、二人で腕を組んで「タンタカタ~ン」と歌いながら結婚式の真似事をし始める。
……本当に、この人たち十二歳なのかしら? それとも十二歳の男の子って、こんなにバカなの?
こんな悪ふざけを止められるのは、大人であるラーツェ様だけだ。
「ラーツェ様! お願いです! 誤解をといて下さい」
すがりつくような目で、ラーツェを振り返った。
しかしポカーンとした顔のラーツェ様は「何のでありますか?」と首を傾げた。
「だから、私とラーツェ様の関係です!」
「吾輩と、ユリア嬢の…………」
ポッと顔を赤らめた頬に両手を添えて、「うふっ」と笑うラーツェ様。まるで、照れているかのような……。
思っていたのとは違う反応に、私の顔色は青くなる。
そしてアレックス殿下達も、驚いて固まってしまった。彼らとて、私とラーツェ様が本当に恋人だとは思っていないのだろう。
このしばしの沈黙を、場にそぐわぬ人の好さそうな声が破った。
「ほっほっほ! これはめでたい! とうとうラーツェに春が来た……とな?」
声の主を、みなが一斉に振り返る。
「父上!」
最初に声を上げたのは、アレックス殿下だ。
「そちも、ここにおったか」
「はい! 臭いの元をたどたら、ここが発生源でしたので、問い詰めていたところです!」
「そうか、そうか」
「父上はご無事でしたか?」
「うむ。王宮とその周りを全て【浄化】したからのう」
「父上がされたのですか?」
「うむ。たかが【浄化】魔法とはいえ、久しぶりに広範囲魔法を使ったゆえ、スッキリとしておるわ」
そして王様は、「ほっほっほ!」と上機嫌に笑った。
王は膨大な魔力をいつも持て余して、魔力栓塞の予防薬を飲み続けないといけない。今回、久々に大量に魔力を消費したため、すっきりしたのだろう。
アレックス殿下御一行は、そっと自分達の【浄化】魔法の範囲を超えてみる。そして「臭くない!」「さすがは父上!」「王様万歳!」とはしゃいだ。
それをニコニコしながら見ていた王様は、ラーツェ様に目を戻す。
「ところで、ラーツェよ。今はただの御典薬に降格したとはいえ、長年の忠臣であるには変わらぬ。その恋に報いてやらば、王の名がすたるのう? ユリア嬢との婚約、わしが仲立ちしてもよいぞよ」
タラ――ッと冷や汗が背筋を走る。
え?
もし王様命令で婚約ともなれば、お父様でも覆すことはできないわ!!
私の好きな人は、ルイス様! 長年、会ったこともなかった薬師の師匠だけれど、この夏、レバンツで会うことができた。そして、憧れの恋が、本当の恋に変わった。
絶対に止めなくちゃ。
「ラ、ラーツェ様」
声が裏返った! ええい、構わないわ!
「お、おたわむれが過ぎます。私などがラーツェ様の恋人なんて、恐れ多い……。どうか、誤解を解いて下さいませ」
ラーツェ様は、私が言いたいことは分かっているはずなのに、純真無垢な表情で首を傾げた。王が「ほっほっほ」と朗らかに笑う。
「よいよい。分かっておる。そう照れずとも」
何も分かってないわよ!
「ラーツェ様!」
ラーツェ様は首を傾けたまま、声を出さずに何か呟いた。
「え?」
もう一度、ラーツェ様は同じ口の動きをする。
今度は、分かりやすく、ゆっくりと。
その言葉は……。
『し・しょ・う♡』
はああああああああ?
もしかして、弟子にさせろと言っているの⁉
弟子にしないと、恋人疑惑を解かないってこと⁉
私が驚愕のあまり目を見開くと、ラーツェ様の表情はがらりと変わった。
ゴブリンが生娘を見つけたら、きっとこんな顔になるんだという表情に……。
怒りと恐怖で、震えが走る。
弟子にしないことには、今度は王命でラーツェ様と結婚……。断れば、私の、いえオルシーニ伯爵家の評判は、再び地に落ちて、お父様の努力が無駄に。
どっちも心底イヤ!!
その時、小さくなって私のスカートに隠れている従魔のルーが念話で囁いた。
――皆殺しにするか?
(それはダメ――!!)
私に残されている選択肢は少ない。その中で、一番被害が少なそうなものは……。
うううううううううううう…………。
負けた。
私は、ガックリと頷いた。
ラーツェ様の顔が、ぱっと輝く。
「陛下! 誤解でありますよ!」
ラーツェ様は、お尻をぷりっと突き出して「うふっ」と笑った。
……王様に対して、こんな態度でいいのかしら?
でも当の王様は、身を乗り出してラーツェ様に尋ねた。
「誤解とな? どのような誤解をしていたのか、儂に説明してくれんかの?」
「ユリア嬢と吾輩は薬師の『師弟』関係であるのであります!」
「なに! 薬師としての『師弟』とな⁉ それであれば、男女であったも二人きりでいたのも説明がつく。たとえ王であっても、薬師にレシピを公開させられぬからの。よいよい。よいよいのお」
王は高笑いを始めた。
アレックス殿下達はいったい何が起こったのかというような顔で、ぽかんとしている。
分かるわ。分かるわよ。私だって、そうよ。いったい何が起こったのよ⁉ なんで弟子、それもラーツェ様のような、年齢もかなり上で、身分も社会的な地位も上の人を私の弟子にしなくちゃいけないのよ!
それなのに、ラーツェ様の顔といったら、まるで天から祝福の鐘が鳴り響いているかのような喜びの表情だ。
私は自分にこう言い聞かせて、なんとか落ち着こうとした。
……仕方がなかったのよ。こうするしかなかったおもタイミングが悪かっただけだわ。王宮で気付け薬なんて作らなければ、空気清浄の魔道具が壊れていなければ、気付け薬を作った後に不用意にドアを開けなければ、【防護】魔法をみんなにかけなければ、ラーツェ様に【防護】魔法を教えなければ、ミーシャがお茶を取りに行くのを止めていれば……。
そう……。タイミングが悪かったの。仕方がなかったの。
そんな私は、背後から不穏な雰囲気を感じ取って、振り向いた。
御典薬たちだ。
彼らの目はギラギラと輝き、口からはよだれが垂れんばかりになっている。
え? 調合マスクは外しているわよね?
なんで? なんで、御典薬たちがゴブリンに見えるの⁉
「これで師匠がレシピを受け継いだら、そのレシピは我々の物に……」
「我々もあの神薬を……」
「薬師の頂点……」
王の御前のためか、声を殺して笑うその様は実に恐ろしく……。
ラーツェ様が生娘を見つけたゴブリンだとしたら、彼らはまさしく生娘を巣穴に引きずり込んだゴブリンの群れ……。
今まで感じたことのない恐怖に、足がガクガクとする。
ところが私の災厄はまだ終わっていなかったのである。
「ほう。そちとユリア嬢が『師弟』関係のう……」
王様だ。王様は、ポンと手を叩いた。
「そうなると、元御典薬の司であるラーツェの師匠が役職を何も持っていないのは、世間体が悪いのう」
……嫌な予感しかしない。
王様は、ぽんと手を叩いた。
「そうじゃ! ルモンドめ。御典薬の司になったにも関わらず、やつはちっとも王宮に来ぬ。ゆえにユリア嬢を新たな御典薬の司に指名するぞよ!」
「!」
驚きで声が出ない私。
隣でラーツェ様が「それは良い考えでありますな!」と、飛び跳ねる。それを見て、ハッと我に返った。
私は震えながら、王に物申した。
「王様……。確か、王様はわが父、ゴッソ・オルシーニと約束をしたのではなかったでしょうか? 私が御典薬になるのは、学園を卒業してから……つまり最低六年後であると」
王様は「ほっほっほ」と高らかに笑う。
「そうだったのう。確かにゴッソと約束したのう」
覚えていてた! 私は、ホッと胸をなでおろした。王たる者、臣下との約束を無下になどしないだろう。
「しかし、儂が約束したのは『御典薬になるのは』じゃ。『御典薬の司になるのは』ではない」
「!!!」
私の正直な気持ちは、「やられた!」だ。
かつてお父様が言っていた。
王様のあだ名は「よいよいお化け」。人の好い顔を浮かべながら、自分の望みは何でも「よいよい」と言いながら強引に通すのだと。
そういえば、私が王様に初めて「よいよい」と言われた案件は、「御典薬にならないか」という誘いだった。
お父様がなんといって交渉したのかは知らないが、王様はその時から私を「御典薬」ではなく「御典薬の司」にする機会を狙っていたに違いない。
王もこの瞬間、表情をがらりと変えた。
ラーツェ様と御典薬達がゴブリンなら、王様はさしずめゴブリンさえも恐怖で威圧するオーガ。
「ユリア・オルシーニ伯爵令嬢を、御典薬の司に任ずる」
「!!」
いくら子供とはいえ、私は貴族。答えは一つしかない。
「は……拝命いたしました」
それから数時間後。私とミーシャは、屋敷への馬車の中にいた。
異臭騒ぎのために、検証ができる人が来れなくなったからだ。
アレックス殿下? そんなの知らないわ。
「お嬢様……。大丈夫ですか?」
「…………」
ミーシャに問いに、答える元気もない。
気まずそうに、ミーシャは目を伏せた。
「申し訳ありません。私、何があってもお嬢様の側を離れるべきではありませんでした」
「……仕方ないわよ」
「そんな事ありません! 私さえ、私さえ……」
ミーシャは自分を責めている。
私は、ミーシャの銀色の頭に手を置いた。
「ミーシャのせいじゃないわ。どこからか分からないけれど、仕組まれていたのよ」
「え? あの人に⁉」
あの人というのは、ラーツェ様……いや、弟子である以上は公式の場以外では呼び捨てにするように言われたんだった。ラーツェの事だろう。
「……いいえ。黒幕は陛下よ」
「え?」
「ラーツェは、私と『師弟』関係になったとは言ったけれど、私が師匠になったとは言わなかったわ。毛生え薬の件を考えれば、可能性はあるものの、私が師匠だなんてすぐに推測できるものではないわ」
「そ、そういえば……」
「最初から、私を御典薬の司にするつもりだったんでしょうね……」
思い出しても震えがくる。
「お嬢様……」
「ミーシャ……」
「「怖かった(です)~~!」」
少し長くなりました。
これからお盆休みに入ります。再開は再来週になる予定です。
感想欄、しっかり読ませていただいています。
更新を優先させているので、なかなかお返事できなくて申し訳ございません。
感想欄で指摘をいただきましたリー家の身分ですが、「侯爵家」ではなく「公爵家」が正しいです。混乱させてしまい申し訳ございませんでした。